妃弥呼=ひみこ(ウェブクウ)、「私は卑弥呼」 古代の女王、卑弥呼を歌う 時を超えたラフロマンス [インタビュー]
◆妃弥呼(ひみこ)が、「私は卑弥呼」(作詞高橋直人、作曲沢たかし、編曲南雲大介)を歌っている。
卑弥呼と言えば、日本の古代史に登場する邪馬台国の女王である。この曲は、それを主人公に歌う壮大な歴史演歌である。
曲のストーリーは、卑弥呼が現代に生まれ変わり、やはり今に転生している愛しい男性を探し求めるといった、SFロマン小説といった内容だ。
もちろん卑弥呼を題材にした演歌は初めてだろうし、歌うのが妃弥呼というのも因縁を感じさせる。
曲調はアップ・テンポで起伏が激しく、不思議なムードが漂う曲でもある。
それを彼女はたんたんと歌う。
女の情念を感じさせるドロドロとした演歌ではなく、27歳の若い妃弥呼が描く、さわやかな青春ドラマのようでもある。
「変わった楽曲ですが耳に留まりやすいと思います。卑弥呼がもし恋をしたら、こんな恋いかな、と想像して卑弥呼になり切って歌っています」
カップリングの「山吹情話」を作曲した安藤実親さんが、妃弥呼という名前を聞いて「私は卑弥呼」を作る話を進めたという。
歴史好きな女性を<歴女>と言うが、妃弥呼はデビュー曲に続く歴史ものを歌うことで、新たな”歴女演歌”というジャンルを築くチャンスにあるのかもしれない。
邪馬台国があったとされる大和(奈良県)では、今年、平城遷都1300年祭が繰り広げられている。
それをアピールするには最適な歌として「奈良県内を中心にキャンペーンを展開しています」という。
彼女を応援しようと、9月25日に奈良市内の護国神社境内で行われる名月の会への出演をバックアップするCDショップもある。
◆卑弥呼は弥生時代の女性であるが、現代の妃弥呼は昭和57年生まれ。沖縄県石垣島で生まれた。
5歳の時に大阪へ移り住んでいる。また、<沖縄の歌姫>と言われている夏川りみの親戚にあたる。
彼女は本名も日弥呼(ひみこ)である。
「小学生の頃嫌いでしたが、歴史上の女性と同じ名前と言うことで、いろいろと勉強して、今では好きな名前」
沖縄を離れて長いが「今でも沖縄言葉と大阪弁が混じっています。ゴーヤ料理も大好き」だし、沖縄は身体にしみ込んでいる。
ステージでは和服とともに、必ず沖縄の紅型をまとって歌う。
デビューは2007年3月だ。
明治の大阪・堀江で起こった凄惨な6人斬り事件でただ1人生き残った17歳の芸妓妻吉(後に出家して大石順教尼を名乗る)の人生を演歌で歌った「無手の花」(作詞安居愛子、作曲島豊、日本マーキュリーレコード)のオーディションに合格してCDデビューを果たした。
沖縄時代からカラオケ大会に出ていた。
テレサテンの「時の流れに身をまかせ」などが大好きで、これが歌手を目指すきっかけになった。
母親でマネージャーの道上杉美さんは、最初は歌手になることに反対だった。
だから学校を卒業後は看護師になった。
でも「ある日手術室にいた時、母から電話がかかってきて、歌手になりたいでしょ、とオーディションへの出演を勧められたんです」という。
母親の理解もあって、トントン拍子でオーディション合格し、歌手デビューと進んできた。
いろんなジャンルの歌を歌うが「演歌は一番難しいですね」と、勉強を続ける。
今はキャンペーンやテレビ出演の合間をぬって、老人ホームなどへ歌の慰問なども行っている。
どんな歌手を目指している―。
「私の歌を聴いてもらって、歌詞に感動してもらえるようになりたいです」
現代のヒミコは、さわやかな女性だった。
[妃弥呼の扉]
http://ameblo.jp/himikohimiko/
[妃弥呼プロフィール]
http://1st.geocities.jp/kinkiyaeyama/himikopurofuil.htm
卑弥呼と言えば、日本の古代史に登場する邪馬台国の女王である。この曲は、それを主人公に歌う壮大な歴史演歌である。
曲のストーリーは、卑弥呼が現代に生まれ変わり、やはり今に転生している愛しい男性を探し求めるといった、SFロマン小説といった内容だ。
もちろん卑弥呼を題材にした演歌は初めてだろうし、歌うのが妃弥呼というのも因縁を感じさせる。
曲調はアップ・テンポで起伏が激しく、不思議なムードが漂う曲でもある。
それを彼女はたんたんと歌う。
女の情念を感じさせるドロドロとした演歌ではなく、27歳の若い妃弥呼が描く、さわやかな青春ドラマのようでもある。
「変わった楽曲ですが耳に留まりやすいと思います。卑弥呼がもし恋をしたら、こんな恋いかな、と想像して卑弥呼になり切って歌っています」
カップリングの「山吹情話」を作曲した安藤実親さんが、妃弥呼という名前を聞いて「私は卑弥呼」を作る話を進めたという。
歴史好きな女性を<歴女>と言うが、妃弥呼はデビュー曲に続く歴史ものを歌うことで、新たな”歴女演歌”というジャンルを築くチャンスにあるのかもしれない。
邪馬台国があったとされる大和(奈良県)では、今年、平城遷都1300年祭が繰り広げられている。
それをアピールするには最適な歌として「奈良県内を中心にキャンペーンを展開しています」という。
彼女を応援しようと、9月25日に奈良市内の護国神社境内で行われる名月の会への出演をバックアップするCDショップもある。
◆卑弥呼は弥生時代の女性であるが、現代の妃弥呼は昭和57年生まれ。沖縄県石垣島で生まれた。
5歳の時に大阪へ移り住んでいる。また、<沖縄の歌姫>と言われている夏川りみの親戚にあたる。
彼女は本名も日弥呼(ひみこ)である。
「小学生の頃嫌いでしたが、歴史上の女性と同じ名前と言うことで、いろいろと勉強して、今では好きな名前」
沖縄を離れて長いが「今でも沖縄言葉と大阪弁が混じっています。ゴーヤ料理も大好き」だし、沖縄は身体にしみ込んでいる。
ステージでは和服とともに、必ず沖縄の紅型をまとって歌う。
デビューは2007年3月だ。
明治の大阪・堀江で起こった凄惨な6人斬り事件でただ1人生き残った17歳の芸妓妻吉(後に出家して大石順教尼を名乗る)の人生を演歌で歌った「無手の花」(作詞安居愛子、作曲島豊、日本マーキュリーレコード)のオーディションに合格してCDデビューを果たした。
沖縄時代からカラオケ大会に出ていた。
テレサテンの「時の流れに身をまかせ」などが大好きで、これが歌手を目指すきっかけになった。
母親でマネージャーの道上杉美さんは、最初は歌手になることに反対だった。
だから学校を卒業後は看護師になった。
でも「ある日手術室にいた時、母から電話がかかってきて、歌手になりたいでしょ、とオーディションへの出演を勧められたんです」という。
母親の理解もあって、トントン拍子でオーディション合格し、歌手デビューと進んできた。
いろんなジャンルの歌を歌うが「演歌は一番難しいですね」と、勉強を続ける。
今はキャンペーンやテレビ出演の合間をぬって、老人ホームなどへ歌の慰問なども行っている。
どんな歌手を目指している―。
「私の歌を聴いてもらって、歌詞に感動してもらえるようになりたいです」
現代のヒミコは、さわやかな女性だった。
[妃弥呼の扉]
http://ameblo.jp/himikohimiko/
[妃弥呼プロフィール]
http://1st.geocities.jp/kinkiyaeyama/himikopurofuil.htm
Live&動画共有ができるサイトみつけました♪
ライブクラブというところです→http://www.liveclub.jp
by yadokari (2010-08-09 12:18)