宮路オサム(ホリデージャパン)、新曲「あんたの女」で 帰って来た”おさむちゃん” [インタビュー]
◆あの殿キンの宮路オサム(おさむ) = 写真・右 = が帰って来た。そんな思いをさせてくれるのが、ホリデージャパン移籍第1弾の「あんたの女」だ。かつての大ヒット曲「なみだの操」を再現するようなメロディーは、昭和を生きてきた仲間たちに送る<まだまだ、これから頑張れる>というメッセージであり、歌手としての格好よさのアピールだという。
宮路オサムは、昭和の歌謡曲全盛時代を生きてきた歌手だ。
1973(昭和48)年11月に殿さまキングスのボーカルとしてシングル「なみだの操」をリリースし、300万枚近い爆発的なヒットを記録させている。
その宮路が今年8月に64歳を迎え、再スタートを切っている。
ビクターレコードに18年、EMIミュージック・ジャパンに18年間在籍して、今年、ホリデージャパンに移籍した。
移籍第1弾の作品は「あんたの女」(作詞・鈴木紀代、作曲・宮路オサム、編曲・牧野三朗 )だ。
移籍の動機は何だったのだろうか。
「会社には大事にされて居心地は良かった。しかし昔はすごかったけれど、と言って奥座敷に仕舞い込まれているような気持でした」
話の中で彼は「いつまでも格好いい宮路オサムでいたい」と漏らした。その彼にとって、大事にされるだけの環境が居たたまれなくなったようなのだ。
ここ数年、宮路は「何を歌えばいいのか」と模索を続けてきた。
思い至ったのは「歌手は役者だ」ということだ。お客がいて、歌によって演じる者がいる。まさに大衆演劇のようなものだ。観客と共感し合える歌を一緒に歌いたかったのだあろう。
ビクター、EMIと36年間を歌い続けてきて、「お客さんが求めているのは、殿キンの<おさむちゃん>だった、ということがわかった」と宮路。
昭和の歌謡曲全盛時代を共に過ごしてきた60代の人たちは、その多くが自分たちが歌える歌を探している<置き去りにされた>世代だという。
それに応えるしかない。かつて歌ったあのメロディーを蘇らせよう。宮路はそう決断した。
しかし所属していたEMIでは「そうした楽曲の企画は難しい」と、受け入れられることはなかった。
そんな時、ホリデージャパンの亜樹広俊社長と食事をする機会を得た宮路は、思い切って自分の思いをぶつけてみた。
「自分の思いは外れるかもしれないけれど、夢に乗ってくれませんか」
すると亜樹は、躊躇うことなく「宮路さんの夢を買いたい」と答えたという。
義理堅い宮路は、今度はEMIの市井三衛社長にあいさつに出向いている。市井は「夢に乗れなくてごめんね」と言って、宮路の再出発を祝ったという。
◆移籍第1弾「あんたの女」は、昭和の歌謡曲に戻った。
業界の多くの人たちは「売れるわけないだろうと、思っていたようだ」という。
「<いい歌>とは、歌いやすくて、覚えやすい、そして買ってもいいと思える歌だ」と、宮路はいう。
かつて演歌は北海道でヒットの火が付き、それが大阪に飛び火して全国へと広がっていった。「あんたの女」が発売されて、北海道の放送局では演歌・歌謡曲部門で1位、総合でも4位という上位にランキングされているという。
「今度は大阪から」と、関西でのキャンペーンに力を入れ始めた。
70年代に「なみだの操」を歌っていたのは、宮路と同世代の60歳代や70歳代になっている。そうした人たちからキャンペーンの行く先々で、「おさむちゃん」コールが呼び起こる。
「同時代を生きてきた仲間たちに頑張っている姿を見せたい」
宮路は今、格好いいオヤジを目指す。
[ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/menu/home02.htm
宮路オサムは、昭和の歌謡曲全盛時代を生きてきた歌手だ。
1973(昭和48)年11月に殿さまキングスのボーカルとしてシングル「なみだの操」をリリースし、300万枚近い爆発的なヒットを記録させている。
その宮路が今年8月に64歳を迎え、再スタートを切っている。
ビクターレコードに18年、EMIミュージック・ジャパンに18年間在籍して、今年、ホリデージャパンに移籍した。
移籍第1弾の作品は「あんたの女」(作詞・鈴木紀代、作曲・宮路オサム、編曲・牧野三朗 )だ。
移籍の動機は何だったのだろうか。
「会社には大事にされて居心地は良かった。しかし昔はすごかったけれど、と言って奥座敷に仕舞い込まれているような気持でした」
話の中で彼は「いつまでも格好いい宮路オサムでいたい」と漏らした。その彼にとって、大事にされるだけの環境が居たたまれなくなったようなのだ。
ここ数年、宮路は「何を歌えばいいのか」と模索を続けてきた。
思い至ったのは「歌手は役者だ」ということだ。お客がいて、歌によって演じる者がいる。まさに大衆演劇のようなものだ。観客と共感し合える歌を一緒に歌いたかったのだあろう。
ビクター、EMIと36年間を歌い続けてきて、「お客さんが求めているのは、殿キンの<おさむちゃん>だった、ということがわかった」と宮路。
昭和の歌謡曲全盛時代を共に過ごしてきた60代の人たちは、その多くが自分たちが歌える歌を探している<置き去りにされた>世代だという。
それに応えるしかない。かつて歌ったあのメロディーを蘇らせよう。宮路はそう決断した。
しかし所属していたEMIでは「そうした楽曲の企画は難しい」と、受け入れられることはなかった。
そんな時、ホリデージャパンの亜樹広俊社長と食事をする機会を得た宮路は、思い切って自分の思いをぶつけてみた。
「自分の思いは外れるかもしれないけれど、夢に乗ってくれませんか」
すると亜樹は、躊躇うことなく「宮路さんの夢を買いたい」と答えたという。
義理堅い宮路は、今度はEMIの市井三衛社長にあいさつに出向いている。市井は「夢に乗れなくてごめんね」と言って、宮路の再出発を祝ったという。
◆移籍第1弾「あんたの女」は、昭和の歌謡曲に戻った。
業界の多くの人たちは「売れるわけないだろうと、思っていたようだ」という。
「<いい歌>とは、歌いやすくて、覚えやすい、そして買ってもいいと思える歌だ」と、宮路はいう。
かつて演歌は北海道でヒットの火が付き、それが大阪に飛び火して全国へと広がっていった。「あんたの女」が発売されて、北海道の放送局では演歌・歌謡曲部門で1位、総合でも4位という上位にランキングされているという。
「今度は大阪から」と、関西でのキャンペーンに力を入れ始めた。
70年代に「なみだの操」を歌っていたのは、宮路と同世代の60歳代や70歳代になっている。そうした人たちからキャンペーンの行く先々で、「おさむちゃん」コールが呼び起こる。
「同時代を生きてきた仲間たちに頑張っている姿を見せたい」
宮路は今、格好いいオヤジを目指す。
[ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/menu/home02.htm
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