原田ヒロシ(ホリデージャパン)、デビュー30周年記念コンサート メルパルクホール大阪でファイナル公演 [コンサート]
◆「30周年の締めくくりを大阪で開くことを忘れるところでした」
メルパルクホール大阪のステージに立った
原田ヒロシ = 写真・右 = は、第一声をあげた。
30周年記念コンサートは、5月に横浜・鶴見公会堂で開催したほか、8月には東京・銀座の博品館劇場でも開催している。
それらに次ぐ2010年11月29日の大阪公演では、ちあきなおみの「紅い花」に始まり、新曲の「相馬恋しや」、カップリングの「余市駅」など25曲を歌った。
原田がデビューしたのは1980年(昭和55)年だった。
テイチクから出した「ロンリー・ガール/思い出の街角」がデビュー曲だった。
「この年には話題になる曲がたくさん出た」と原田。
コンサート4曲目に歌ったのも、同じ80年にデビューしたシャネルズのヒット曲「ランナウエイ」だった。
続いて歌ったのは、もんた&ブラザースの「ダンシング・オールナイト」で、やはりその年のヒット曲であった。
その年末に発表された日本レコード大賞最優秀新人賞は、「哀愁でいと」でデビューした田原俊彦の「ハッとして!Good」。
歌唱力では自信があった原田だが「新人賞はマッチに奪われた」と、会場を笑わせていた。
30年を振り返って原田は、「今までポップス、ブルース、歌謡曲など、いろんな歌を歌ってきました。しかし、後世に残せる歌がなかったのは自分の力不足です。でも、こんな素晴らしい歌もあります」と、2005年に出した「人情酒場」を披露した。
80年にレコードデビューした原田は、ロックやソウル、ブルース、ジャズ、演歌、歌謡曲、そして民謡といった具合に、ジャンルにこだわらず<歌にこだわる流行歌手>として活躍してきた。
この日も、そうした幅広さを思う存分に楽しませてくれた。
コンサート最後半で飛び出した「ルイジアナママ」では、客席の中高年人たちも立ち上がってリズムを取っていたほどだ。
◆30周年を機に原田はレコード会社をホリデージャパンに移籍している。
その第1弾として出したのが、10年8月発売の新曲「相馬恋しや」(作詞・原田ヒロシ、作曲・同、編曲・牧野三朗)だ。
もちろんコンサートでも披露してくれた。
本人は「特に意識して作ったものではない」と否定しているが、井澤八郎が歌った昭和の名曲「あゝ上野駅」の続編とも言われるほど、哀愁に富んだ曲である。
そんなこともあって、じわじわと人気は上がっており、会場でも大きな拍手が聞かれた。
カップリングの「余市駅」も作詞曲ともに原田が手がけている。
北海道・函館本線にある駅を舞台に歌ったもので、余市駅では「列車が着くたびに曲が流れている」(原田)というほど。
客席にはまた、キングレコードの演歌歌手、中村美律子の姿も見られた。原田と中村は、かつて中村が司会を務めていた大阪の毎日放送の人気番組「乾杯トークソング」に、4回出演したのをきっかけに交流が続いている。
中村が客席を立ち上がって「ヒロシさん~良かったよ~」と声援を送る一幕もあった。
[原田ヒロシ オフィシャルWEBサイト]
http://www.hiroshi-no-heya.com/
メルパルクホール大阪のステージに立った
原田ヒロシ = 写真・右 = は、第一声をあげた。
30周年記念コンサートは、5月に横浜・鶴見公会堂で開催したほか、8月には東京・銀座の博品館劇場でも開催している。
それらに次ぐ2010年11月29日の大阪公演では、ちあきなおみの「紅い花」に始まり、新曲の「相馬恋しや」、カップリングの「余市駅」など25曲を歌った。
原田がデビューしたのは1980年(昭和55)年だった。
テイチクから出した「ロンリー・ガール/思い出の街角」がデビュー曲だった。
「この年には話題になる曲がたくさん出た」と原田。
コンサート4曲目に歌ったのも、同じ80年にデビューしたシャネルズのヒット曲「ランナウエイ」だった。
続いて歌ったのは、もんた&ブラザースの「ダンシング・オールナイト」で、やはりその年のヒット曲であった。
その年末に発表された日本レコード大賞最優秀新人賞は、「哀愁でいと」でデビューした田原俊彦の「ハッとして!Good」。
歌唱力では自信があった原田だが「新人賞はマッチに奪われた」と、会場を笑わせていた。
30年を振り返って原田は、「今までポップス、ブルース、歌謡曲など、いろんな歌を歌ってきました。しかし、後世に残せる歌がなかったのは自分の力不足です。でも、こんな素晴らしい歌もあります」と、2005年に出した「人情酒場」を披露した。
80年にレコードデビューした原田は、ロックやソウル、ブルース、ジャズ、演歌、歌謡曲、そして民謡といった具合に、ジャンルにこだわらず<歌にこだわる流行歌手>として活躍してきた。
この日も、そうした幅広さを思う存分に楽しませてくれた。
コンサート最後半で飛び出した「ルイジアナママ」では、客席の中高年人たちも立ち上がってリズムを取っていたほどだ。
◆30周年を機に原田はレコード会社をホリデージャパンに移籍している。
その第1弾として出したのが、10年8月発売の新曲「相馬恋しや」(作詞・原田ヒロシ、作曲・同、編曲・牧野三朗)だ。
もちろんコンサートでも披露してくれた。
本人は「特に意識して作ったものではない」と否定しているが、井澤八郎が歌った昭和の名曲「あゝ上野駅」の続編とも言われるほど、哀愁に富んだ曲である。
そんなこともあって、じわじわと人気は上がっており、会場でも大きな拍手が聞かれた。
カップリングの「余市駅」も作詞曲ともに原田が手がけている。
北海道・函館本線にある駅を舞台に歌ったもので、余市駅では「列車が着くたびに曲が流れている」(原田)というほど。
客席にはまた、キングレコードの演歌歌手、中村美律子の姿も見られた。原田と中村は、かつて中村が司会を務めていた大阪の毎日放送の人気番組「乾杯トークソング」に、4回出演したのをきっかけに交流が続いている。
中村が客席を立ち上がって「ヒロシさん~良かったよ~」と声援を送る一幕もあった。
[原田ヒロシ オフィシャルWEBサイト]
http://www.hiroshi-no-heya.com/
私も観に行きました。
素晴らしいコンサートでしたね。
何歌っても上手すぎる(笑)
こんな歌手がブレイクしないのが不思議です。
演歌歌手ってイメージは全然ありません。
頑張っていただきたい一級の歌い手さんだと応援しています。
by ゴキゲン天使 (2010-12-13 22:07)