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浜博也(テイチクエンタテインメント) 新曲「東京泣きぼくろ」 東京ロマンチカ時代をほうふつさせるムード歌謡 [インタビュー]

浜博也2.jpg浜博也 = 写真・右 = が2010年9月に出した「東京泣きぼくろ」は、彼が縣浩也として鶴岡雅義と東京ロマンチカの3代目リードボーカルで歌っていた頃を思い出させてくれる。来年でデビュー30年周になるベテランは、ステージでエンタティナーぶりを如何なく発揮して観客を楽しませてくれる。




東京泣きぼくろ.jpg

 「ビッグヒットがなかったぼくが30年間やってこれたのも、エンタディナーを追求してきたからです」
 浜はそう言い切ってはばからない。

 1982年から続けていた東京ロマンチカのボーカルを94年にやめた浜は、ソロ歌手として独立した。故浜田幸一氏に勧められてオリジナルのムード歌謡「男のロマン」を出したりもするが、結果は散々で、CDは売れなかった。
 この間、音楽事務所も所属せずレコード会社もなく、営業で食べていたという。


 転機は09年にやって来た。
 その年の11月に覆面歌手、ザ・マイクハナサンズの名前で「今夜の主役は私です!」 を出した。懐かしの歌謡コーラスグループのムード歌謡曲のサビを集めてメドレーで歌ったものだった。
 カラオケの定番にもなった。
 「東京ロマンチカ時代を思い出させてくれたのか、この歌を歌ったことによって<東京泣きぼくろ>が生まれた」

 実はザ・マイクハナサンズとして歌う前、浜は歌手をやめようと思っていた。
 「もう、ぼくの声質は受け入れられないのではないか」と悩んでいたのだ。
 ところが「今夜の主役は私です!」が有線リクエストで1位になってしまったのだ。
 これによって悩みは吹き飛んだという。
 「いい作品さえもらえれば必ず売れる。そして力味が抜けたとき、ヒットが出るはず」
浜はこの時、そう確信した。



 30年間、歌手を続けてきた浜が体得したのは「歌い手は決して歌の中に入り込んではいけない、ということでした。主人公になってはいけない、ということです。ドラマを歌を聴いている人に伝える、それが歌手です」という言葉は説得力があった。

音楽の力を信じて


浜博也.jpg◆ムード歌謡とは別の顔を浜は持っている。
 デビュー25周年記念曲として2007年に自ら作詞・作曲をして出した「夢あるかぎり」がそれである。
 この楽曲は、がん患者の命を救ったというエピソードもある。
 元々はソロとして独立してこれといった仕事がないとき「自分を励まそうと作った曲」だった。
 あちこちで歌っている間に、CD化を求める声に後押されてリリースされたものだった。










 夢と希望を与えてくれる楽曲として、今なを静かな人気を保っている。ある成人式の入場行進曲に使われたこともあるという。

 「音楽には力があります。今まで何度も歌をやめようかと思ったことはあります。しかしぼくの歌を支えにした、という声を聞くとやめられなかった」

 東日本大震災では、今まで当たり前だったことが崩れてしまった。かつて同じ大きな被害を受けた神戸で、浜にインタビューしたその日「元気になった神戸のパワーを、この歌にのせて東日本に届けたい」とエールを送っていた。
  未曾有の被害をもたらした東日本大震災によって打ちのめされた人々を元気づける歌なのかもしれない。



[浜博也]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/hama/




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