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ホイットニー・ヒューストンとゲイリー・ムーア  恵比須堂本店・生駒幹人氏 [生駒幹人のCDウォッチング]

生駒幹人.jpg◆2月11日に衝撃的なニュースが飛び込んできました。
 もうみなさんご存知の「ホイットニー・ヒューストン死去」のニュースでした。
 ホイットニー・ヒューストンは1963年8月9日、ニュージャージー生まれ。母にゴスペル・シンガーのシシー・ヒューストン、叔母に人気歌手ディオンヌ・ワーウィックを持ついわゆる音楽一家で育ったサラブレッドです。



恵比須堂本店 生駒幹人氏

 1985年にアリスタ・レコードからり「そよ風の贈り物」でデビューし、「グレイテスト・ラブ・オブ・オール」「素敵なサムバディ」「すべてをあなたに」など次々とヒットを飛ばし、1992年の映画「ボディガード」からの「オールウェイズ・ラブ・ユー」の大ヒットで日本でも一躍、その名を広く知らしめました。

 その後、ボビー・ブラウンと結婚しますが、ドラッグなどに手を出し低迷期を迎えますが懸命にリハビリを行い2009年アルバム「アイ・ルック・トゥ・ユー」で復活し、2010年には来日公演も行っています。

ホイットニー・ヒューストン.jpg

 個人的ですが、僕の好きなホイットニーの曲は「アイ・ビリーブ・ユー・アンド・ミー」「アイ・ハブ・ナッシング」「オール・ザ・マン・ザット・アイ・ニード」あたりですかね。
 やっぱり、あの素晴らしい歌唱力で歌うバラードは感動を覚えずにいられません。あと、1991年のスーパーボウルで歌ったアメリカ国歌「ザ・スター・スパングルド・バナー」も鳥肌ものでした。

 累計アルバムセールスは1億4千枚以上ともいわれ、アメリカでは4番目に売れている女性歌手としても有名なホイットニー。マイケルに次いで音楽界は偉大なアーチストを失ってしまいました。

Saving All My Love For You-Thank You ,Whitney



 さて、ホイットニー・ヒューストンが亡くなる5日前、2月6日は「泣きのギタリスト」として日本でも人気の高かったゲイリー・ムーアの一周忌でした。

ゲイリー・ムーア.jpg 彼は1952年4月4日、北アイルランドのベルファストに生まれ「スキッド・ロウ」や「シン・リジィ」などのバンドを経て、その後、ソロとなり1979年にシングル「パリの散歩道」をイギリスでヒットさせ、1982年のアルバム「大いなる野望」のヒットで日本でもロック・ファンに広く知られるようになりました。

 晩年はブルースに回帰し好作を発表。そして、21年ぶりの来日公演も実現し、再びゲイリー・ムーア熱が過熱しはじめた矢先の悲劇でした。
 少なからず日本のアーチストとも交流があり、有名なところでは本田美奈子や浜田麻里などに楽曲を提供をしていました。





 なかなかこういう機会がないと思い出さないのは寂しいですが、久々に「パリの散歩道」やシン・リジーの盟友フィル・リノットとの「アウト・イン・ザ・フィールズ」、「奴らは町へ」(シン・リジー)あたりを聴いてみたいと思っています。
(恵比須堂本店 生駒幹人)



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