門倉有希(ビクターエンタテインメント) 大阪でデビュー20周年記念コンサート 全24曲歌う [コンサート]
◆デビュー20周年を迎えている門倉有希が、2013年6月13日、大阪市北区のザ・フェニックスホールで記念コンサート「20th anniversary ~花は咲く~ in OSAKA」を開いた。福島県出身の門倉が、地元が1日も早く東日本大震災から復興することを祈るデビュー20周年記念曲「私は今、生きている」や、最近は歌うことも少ないというデビュー曲の「鴎・・・カモメ」などオリジナルを中心に全24曲を歌った。
歌が大好きで、子どもの頃には歌を歌っては近所のおじさんたちに小遣いをもらっていたことや、年齢をひとつ上の15歳と偽って都はるみ歌謡コンテストに出場して、都から「歌に精進して下さい」と言われたことなど子ども時代のエピソードなど歌手生活20年想い出を語った。
1996年には「女の漁歌」で初めてNHK紅白歌合戦に出場しているが、その前に出た第6回NHK新人歌謡コンテストではグランプリを受賞したものの「本当は『鷗』を歌うはずて゜したが、直前になって『女の-』に変更され、その緊張をコーラをカブ飲みして抑えていた」などの裏話も披露していた。
オープニングは1996年に出したデビュー3作目の「どの底」。さらに「北の駅」(97年)「ナザレの舟唄」(98年)「哀愁エリア」(2001年)と、20年の歩みを綴るかのように歌を進めた。
冒頭から9曲は門倉にとっては比較的初期の楽曲が中心で「口ずさんでもらえるような懐かしい曲を選びました」。
門倉が「忘れられない曲」という「ノラ」と「J」も披露。
この2曲は彼女にとって代表曲と言っても良く、自身ででも「『ノラ』があったからこそ、私の歌をカラオケで歌ってもらえるようになりました」と、話していた。
ラストソングは昨年のベストアルバムからシングルカットし、5月22日に発売した東日本大震災の被災地に思いを込めたメッセージソング「私は今、生きている」。
門倉は「ふるさとの町など被災地への想いを伝えて作ってもらった楽曲で、命と生きるということの大切さを歌っています」と、熱唱ぶりを見せた。
続くアンコールに応えて「2001年猫まつり」「満月」を歌って「20周年と言っても、私にとっては通過点に過ぎません。これからもいい歌を心を込めて歌っていきます」と、語った。
[門倉有希 ビクターエンタテイメントン]
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A007196.html
歌が大好きで、子どもの頃には歌を歌っては近所のおじさんたちに小遣いをもらっていたことや、年齢をひとつ上の15歳と偽って都はるみ歌謡コンテストに出場して、都から「歌に精進して下さい」と言われたことなど子ども時代のエピソードなど歌手生活20年想い出を語った。
1996年には「女の漁歌」で初めてNHK紅白歌合戦に出場しているが、その前に出た第6回NHK新人歌謡コンテストではグランプリを受賞したものの「本当は『鷗』を歌うはずて゜したが、直前になって『女の-』に変更され、その緊張をコーラをカブ飲みして抑えていた」などの裏話も披露していた。
オープニングは1996年に出したデビュー3作目の「どの底」。さらに「北の駅」(97年)「ナザレの舟唄」(98年)「哀愁エリア」(2001年)と、20年の歩みを綴るかのように歌を進めた。
冒頭から9曲は門倉にとっては比較的初期の楽曲が中心で「口ずさんでもらえるような懐かしい曲を選びました」。
門倉が「忘れられない曲」という「ノラ」と「J」も披露。
この2曲は彼女にとって代表曲と言っても良く、自身ででも「『ノラ』があったからこそ、私の歌をカラオケで歌ってもらえるようになりました」と、話していた。
ラストソングは昨年のベストアルバムからシングルカットし、5月22日に発売した東日本大震災の被災地に思いを込めたメッセージソング「私は今、生きている」。
門倉は「ふるさとの町など被災地への想いを伝えて作ってもらった楽曲で、命と生きるということの大切さを歌っています」と、熱唱ぶりを見せた。
続くアンコールに応えて「2001年猫まつり」「満月」を歌って「20周年と言っても、私にとっては通過点に過ぎません。これからもいい歌を心を込めて歌っていきます」と、語った。
[門倉有希 ビクターエンタテイメントン]
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A007196.html
2013-06-18 13:04
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