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見納めだっせ! 通天閣劇場 OSAKA 演歌コンサート  叶麗子、平和勝次、浅田あつこ、坂井一郎ら歌手12人が消え去る通天閣劇場を惜しむ  徳間ジャパン [イベント]

◆25年の歴史を閉じる通天閣劇場を惜しむかのように、通天閣名物の紙テープが何度もステージを舞い、威勢のいい歓声が飛び交った。大阪・新世界の通天閣地下にある通天閣劇場で、2013年6月27日、会場いっぱいの人たちで埋まった「見納めだっせ! 通天閣劇場 OSAKA 演歌コンサート」(主催・徳間ジャパンコミュニケーションズ)。出演者の1人でいくつもの伝説を作ってきた通天閣の歌姫叶麗子は、その名前を全国に知られるきっかけを作った「夫婦みち」を歌うと、目には涙がにじんでいた。

通天閣1.jpg
ラストは全員で「王将」を歌った

 通天閣劇場は1989(平成元)年にオープンした。それがきょう28日正午からの「~また逢う日まで~ 通天閣歌謡劇場」(主催・松竹芸能)で完全に幕を閉じてしまう。
 通天閣歌謡劇場は今まで週1回、開かれてきた。その間には叶をはじめ通天閣の女王曽野恵子、通天閣のプリンセス生駒尚子、通天閣の貴公子林健二、通天閣のアイドル弥栄真里子などのスターを生んできた。

叶麗子2.jpg 昭和の大ヒット曲「王将」の碑が経つ通天閣、新世界からは、70数曲とも言われる数々の演歌を生み出されてきた。その象徴のように思われてきた通天閣劇場だが、決して永遠ではなかった。地下の有効活用を考える通天閣を運営する通天閣観光(大阪市浪速区、西上雅章社長)にとって閉館は、苦渋の選択でもあったようである。

 劇場は消え去るが、大阪演歌の<発火点>とも言われるその土地が持つ熱い心まで消してはいけない、と企画されたのが「見納めだっせ! 通天閣劇場 OSAKA 演歌コンサート」だった。
 徳間ジャパンコミュニケーションズが、在阪の歌手に呼びかけて叶麗子、平和勝次、浅田あつこ、坂井一郎、水瀬あやこ、西本真詞、林健二、車恩心、にしきこうじ、新庄哲也、樹あい、征木祐二の12人が集まった。


通天閣の歌姫、叶麗子


 それぞれ2曲ずつ、オリジナル曲やカバー曲の中から大阪を舞台にした演歌を選び歌った。
 叶麗子は<れいこちゃ~ん>の掛け声と紙テープが飛ぶ中、デビュー曲の「通天閣人情」を歌った。続いてNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」の劇中でも、オーロラ輝子(河合美智子)が歌ってヒットした「夫婦みち」を、♪ うちはほんまに悲しいわ ~ と光り輝く通天閣の模型を頭に載せながら歌い、閉館への想いを重ねていた。

 平和勝次はまた、通天閣とは目と鼻の先にあった吉本興業の劇場「新花月」に出演していたなど、新世界や通天閣への想いを語り、大ヒット曲「宗右衛門町ブルース」を歌った。

平和勝次2.jpg叶麗子1.jpg

















平和勝次(左)と叶麗子

 この日、司会を務めたのは今年9月にデュエット曲「大阪バッテリー」を出すことが決まっている浅田あつこと坂井一郎。浅田は「たそがれの御堂筋」と「大阪おばけ」を、坂井は「大阪で生まれた女」と「なにわ風」を歌った。
 浅田はテレビ「ふたりっ子」にオーロラ輝子の友だち役で出演したが、そのシーンはカットされたなどのエピソードも披露しながら、「浪花の演歌の火を消したらあかんなぁ~」と呼びかけ、最後は出演者全員で村田英雄の「王将」を歌って幕を閉じた。


浅田・坂井.jpg
歌とともに司会でも活躍した浅田あつこ(左)と坂井一郎

 約2時間半の演歌コンサートは、用意された200席ほどの客席はいっぱいで、立ち見も出るほど。きょう正午からの2回公演で閉館してしまうが、30日には叶麗子たち通天閣歌謡劇場に出演してきた主だった歌手たちと一緒に、新世界を練り歩いて、劇場の存続のたの署名を求めるという。


[徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/






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