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湯原昌幸(テイチクエンタテインメント)  34年ぶりテイチクカムバック曲は「ないものねだり」 大人のしてはいけない恋を軽やかに切なく歌う [インタビュー]

湯原昌幸.jpg湯原昌幸が34年ぶりにテイチクにカムバックした。歌わせたい楽曲ができた―と旧知のディレクターからのオファーに応えたものだった。提示された楽曲は歯切れがよくシンプルなメロディーであった。カップリングの「引き潮」(作詞・田久保真見、作曲・田尾将実、編曲・矢野立美)と同時に示された「ないものねだり」(同)は、湯原そのものといった楽曲で、グループサンズ調のシンプルな歌謡曲をコンセプトにしたものだった。「どれがいい」と訊ねられた湯原は「ないもの ― 」がメインでいい、と即断した。カムバック第1弾はその時に決定した。









 キャニオン、トリオ、アップフロントを経て、120万枚を売った「雨のバラード」の古巣へ戻った。
 「メジャーとしての安心感がありますね。でもコンスタントに実績を残さないと、すぐに掘り出されるといった危機感はありますよ。年齢も年齢だけに、ガツ~ンと言わさないとまずいですよね」

 カムバックに際してディレクターが用意したのは3、4曲あったという。そのうちの2曲が、今回発売された。
「ないものねだり」は、シンプルイズベストをコンセプトにした、軽やかで切ない大人の恋歌である。今までのヒット曲の多くが、シンプルな楽曲ですがすがしくて、日本人の心の琴線にふれるといった要素を多分に含んでいることを考慮している。
 「今まではステージでは自由にシンプルに歌ってきましたが、レコーディングではどうしてもあれこれ制約を受けていた」と湯原。


ないものねだり.jpg そんなストレスを発散するかのように「ないものねだり」は、伸びやかに歌い、往年の湯原を見る想いがする。
「売れるための方程式はありません。キャンペーンをやったらと言って必ず売れるとは限りません。でもこの賭けが楽しくて50年やってきました」

 湯原は「ヒット曲は時代と添い寝する」ものとみている。大ヒット曲の「雨のバラード」が売れたのも、時代と楽曲がマッチしたからだという。
 その「雨のバラード」にヒットの火が付いたのは関西だった。


 この歌が発売されたのは1971(昭和46)年4月1日である。梅雨のシーズンに向けて売り出そうというねらいだった。ところが梅雨になっても売れないし、蝉がうるさく鳴き始めても一向に売れない。
その頃、湯原は「弾き語りで月間100万円は稼いでいた」という時代であるから、売れなくても・・・といった思いも頭の片隅にはあったが、ある日「関西で話題になっている」と声が聞こえてきた。
それがヒットへの第一歩だった。

 そのジンクスをかついで今回の「ないものねだり」も、関西キャンペーンに力を入れる。流行歌ライブなどへの出演にもラブコールを送る。





 来年は芸能生活をはじめて50年になる。東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年に歌手としてスタートを切っている。
 年齢は66歳になった。そんなこともあってか、健康には人一倍気を使う。毎朝に欠かさないトマトジュース、生野菜、、ヨーグルトといった具合。

 自宅にはクローゼットを改装して防音を施したカラオケルームを3年前に作ったのも、普段から声を出して喉を暖めておくようにするため。
 3人程度は十分入れる広さはあるが、余人を入れずに「納得いく喉を保つため」の歌唱練習室なのである。ステージで突然声が出なくなってしまったのがきっかけで作った。
 「15分ほどおしゃべりをして、うんと咳払いをしたら、今度はちゃんと歌えたのです。冷や汗ものでしたが、急に歌い過ぎてオーバーヒートしたんでしょうね」

 ところが「気分は30歳台ですよ。介護保険の受給案内がきた時には、金庫にしまいましたよ」と、今なお青春真っただ中でいるようだ。


[湯原昌幸 オフィシャルサイト]
http://www.havmercy.co.jp/yuhara/pg80.html
[湯原昌幸 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/yuhara/


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