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池田輝郎(キングレコード) カップリングにしないで ~ 「ひとりにしないで」 6月にメインでリリース 話題の最新曲「港町しぐれ」のカップリング [インタビュー]

池田輝郎2.jpg◆赤いバラの花を手に籐の椅子に足を組んで腰掛ける池田輝郎。デビュー9年目の池田が今年3月に出した新曲「港町しぐれ」のジャケット写真である。でもこのポーズ、何処かで見た記憶が・・・。そう、日本でも1974年に公開されると世の男性たちをワクワク、ドキドキさせた衝撃的な映画「エマニエル夫人」のカバー写真とそっくりなのである。一部のスポーツ紙は早速それを大きく報じた。ところがエマニエル夫人はバラの花を持っていなかった。実は池田のそれは、エマニエル夫人より2年早く発売されている内山田洋とクール・ファイブの「そして神戸」のシングル盤ジャケットのオマージュだったのである。カップリング曲は池田の作品では初めてのムード歌謡曲「ひとりにしないで」。これが意外と大好評を博し、6月にはこれをメイン曲にしたCDが新たに発売される。今度はどんなジャケットになるのか、今から楽しみである。




 ジャケットが内山田洋とクール・ファイブのオマージュとなった「港町しぐれ」、それに ♪ 駄目よ・・・駄目・・・駄目 駄目なのよ ~ と、流行語を盛り込んで歌うカップリングの「ひとりにしないで」と、どちらも遊び心いっぱいの作品だ。
 とはいうものの、どちらも仁井谷俊也作詞、水森英夫作曲、伊戸のりお編曲の正統派演歌・歌謡曲である。「港町しぐれ」は軽快なリズムに乗って博多、佐世保、下関、丸亀と港町を巡る、未練涙の女歌。「ひとりにしないで」はメジャー歌手になって初めてシングル盤としてレコーディングしたムード歌謡曲。こちらも女歌である。

 ところが発売後、ちょっとした異変があった。カップリングの「ひとりにしないで」の人気が予想に反して急上昇しているのである。池田の高音で伸びのある声が、かつてのムード歌謡全盛時代を想い出させてくれるのだ。ファンからは「カップリングにしないで」とリクエストもあるほどで、カラオケで歌う人も増えているなど、人気は急上昇しているとか。

 この動きにキングレコードも黙ってはいられないと、急きょ、6月24日には新たに「ひとりにしないで」をレコーディングし直して、メイン曲として発売することにした。プロモーションビデオも作ることになった。
 もともと「ひとりにしないで」は、池田が去年リリースした「ネオン舟」と一緒にレコーディングをしていたが、お蔵入りしていた。今年になって「港町しぐれ」の発売に合わせて出番が回って来たわけだが、池田自身も「『ひとりにしないで』がメインかと思ったほどのお気に入りの楽曲でした」と話す。

母音を明瞭に


 池田とムード歌謡の付き合いは長い。
 「初めてレコードを買ったのが中学2年の時で、それが黒沢明とロス・プリモスの『ラブユー東京』でした。繰り返し繰り返し聴いていました」。後に鶴岡正義と東京ロマンチカも聴くようになるなど、ムード歌謡へとのめり込んでいった。
池田輝郎・港町しぐれ.jpg 「ラブユー東京を歌ったロス・プリモスのボーカル、森聖二さんの鼻にかかった歌は天下一品でしたね」。
 以来、いつかはムード歌謡を歌いたいと思ってきた。それが実現したのは4年前だった。同じキングレコードの先輩歌手三船浩が歌ったムード歌謡「男のブルース」をカバーしてアルバムに収録したのだった。
 もちろんシングル盤で発売するのは「ひとりにしないで」が初めてだ。50年近くに及ぶムード歌謡への想いが、シングルCDのメイン曲として形になる。



 池田を見い出した作曲家の水森は常々「言葉が相手に伝わるように、はっきりと声を前に出し、訴えかけるように歌うことが大切」とアドバイスしている。
 ムード歌謡も同じである。ムード歌謡は歌詞を流して歌いがちになる。歌っている本人は、それが気持ちがいいからだ。ところが「聴いているものは、決して気持ちよくない」(水森)のも事実。

 そこで池田は、この歌を歌うのに際して母音の発音に注意を払う。
 「水森先生からデモテープをもらった時、歌詞を流さずに、母音をはっきりと歌うと表現力が増す、と教えられました。ロス・プリモスの森さんの歌も良く聞くと、流さずに母音を明瞭に発音されていますね」
 そうすることでムード歌謡曲としての雰囲気が一段と高まるというのだ。 池田はあの ♪ 駄目よ・・・ のフレーズが最も雰囲気の出せるところとして「ここは少々、オーバー目に歌っています」と、強弱をつけながら歌う。

来年は節目の10周年


 温泉で水森先生から声を掛けられてプロに転身しました-。池田がしばしばステージでも話すエピソードである。
 それからデビューまでのほぼ1年は、水森から与えられた課題曲への挑戦で過ぎた。最初は「深山しぐれ」(門脇陸男)を歌ったが「君には合わない」とダメ。今度は「湯の里慕情」(同)ではどうかと再チャレンジ。練習に練習を重ねてようやくOKをもらった。

 ところがデビューの話は一向に来ない。「声をかけてもらっただけでもラッキーだった」と半ば諦めていたところへ「決まったよ」と水森から連絡が入った。
 「50歳を超えた年齢もあったのか、どこのレコード会社も受け入れてくれなかったんですね。唯一、やってみようとOKを出してくれたのがキングレコードでした」(池田)。

 2007年のことである。池田は52歳になっていた。子どもの頃から歌手になりたいと願ってきたが、地方に住み、30歳を過ぎたあたりで「もうプロ歌手は無理」と諦めていただけに、喜びもひとしおだった。
 その年の4月25日に「湯の里しぐれ」でデビューしたが、それから1年半をかけて全九州をキャンペーンして廻った。ところがステージでは直立不動。歌詞を忘れるほどの緊張ぶりであった。
 次の「雨の夜汽車」ではNHKの歌謡コンサートに2回出演している。うれしさの反面、ここでもやはり緊張の連続で「右手と右足が同時に出て歩いている感じだった」という。それから今年で9年目。

 「何も決まっていることはありませんが、10年というひとつの節目ですから、来年は何かをしないとね」






[池田輝郎 オフィシャルサイト]
http://www.mitsui-ag.com/teruo/
[池田輝郎 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=34464



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