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成世昌平(日本クラウン)  今年も満員の「昌平のおもろい唄の世界」 サンケイホールブリーゼ [コンサート]

成世昌平「博多節/福知山音頭」で日本クラウンからデビューしたのが1985年。34歳の時であった。それから30年。2002年に出した「はぐれコキリコ」はロングセラーを続け、自身の代表曲にまでなった。デビュー30周年を記念して2015年9月に出した新曲が「テルテル坊主」。幼い子どもを育てる母親ながら、1人の女性として男性を愛してしまった。母親か女性かと悩んだ挙句に選んだのは母親の道であったという切ないストーリー。成世はこれを先頃、東京と大阪で開いた30周年記念コンサートでも披露した。

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 「テルテル坊主」は、もず昌平作詞、岩上峰山作曲、前田俊明編曲。母親にとって女としての愛よりも、子どもへの愛が一番であることを歌った作品。成世にとってこの楽曲は、広島県から大阪に引っ越しして苦労して自分を育ててくれた実母が重なるような楽曲である。その母親も今は病の床にあり、彼はそれをコンサートの1部と2部の最後に歌い、母親に贈るかのようでもあった。

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 30周年を記念して行われたコンサート「昌平のおもろい唄の世界」は、2015年11月17日、東京に次いで大阪でも開かれ、会場の大阪・梅田のサンケイホールブリーゼは成世の30周年を祝おうという満員のファンで埋め尽くされた。

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 新曲も含め全25曲を歌うといった熱の入れようのコンサートは、1部は民謡の香りが強い楽曲や「はぐれコキリコ」といったヒット曲も揃え、2部では最近の歌謡曲を中心に聴かせた。

 オープニングでは上方落語の代表作「地獄八景亡者戯」を演ってのけた成世。実は桂米之助のグループで落語を学んだことがあるプロ顔負けの実力派。高校時代に桂米朝の落語を聞いて弟子入りを願い出たが、学校の勉強をしてからでも遅くない、と丁重に断られ、島津製作所に入社したというエピソードもある。

 歌手としてデビューした成世昌平にとって大きな転機となったのは、作詞家もず昌平が書いた「はぐれコキリコ」を歌ったことだった。今にも続くロングセラー作品となったからである。
 そのもずが成世に続いて提供したのが、はぐれコキリコの舞台となった白川郷と同じく日本の秘境と言われる宮崎県椎葉村が登場する「ノスタルジア椎葉」。この日はそれらとともに徳島県民謡の「祖谷の粉ひき唄」を合わせて、日本三大秘境を歌ういった演出も見せた。

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大川ゆり

 2部では成世がステージから客席へ降りて1人ひとりと握手しながらオリジナル曲をメドレーで歌唱した。ゲストコーナーでは、女性4人ユニットGreen2(日本クラウン)が「雨ニモマケズ」を、そのメンバーで現在はソロのシンガーソングライターとしても活躍しているChizu「オレンジノマニキュア」をそれぞれ歌った。また成世門下の大川ゆり「おんな川」を披露した。

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Chizu
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Green2

 コンサートは成世昌平の歌のすべてを見せてくれた内容で、彼の魅力でもある懐かしさと哀しさを帯びた高音の歌声が会場に響き渡たっていた。

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出演者が勢ぞろいしてのエンディング



[成世昌平 オフィシャルサイト]
http://www7b.biglobe.ne.jp/~naruse/index.html
[成世昌平 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/naruse/whats.html










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