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夏木綾子(キングレコード)  デビュー25周年  大阪で育まれた演歌歌手への道  記念曲「雪舞い桜」 [インタビュー]

夏木綾子2小.jpg◆デビュー25年を迎えているキングレコードの歌手、夏木綾子を育てた大阪の街。デビュー曲「浪花の母」はそのタイトルの通り、大阪を舞台に歌手夏木の原点を歌っている。それ以降も大阪を歌った楽曲は4曲ある。大阪は夏木の中で忘れられない街として生き続けている。子供の頃に住んだ通天閣のある新世界など、大阪では20年の時を過ごしている。そんな想いを込めて2017年3月8日に出したデビュー25周年記念曲「雪舞い桜」のカップリングには、浪曲を挿入した「浪花の母 ~ 25周年バージョン ~ 」を収録した。


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 デビュー25周年記念で34枚目のシングル「雪舞い桜」。25周年を飾る記念曲に相応しい美しいタイトルである。
 夏木綾子はこの楽曲を最初に手にした時の印象を「まるで1枚の美しい風景画を見ているような気持ちになりました。伴奏の琴の音が、恋に落ちていくひとりの女性の心のうちをドラマチックに表現しており、ドラマのストーリーと映像が自然と浮かんできました」と述懐している。

 この楽曲を「歌いごたえがある歌」だという夏木が、最後の ♪ 雪舞い桜 〜 と歌って感情をぐっと高ていくのを見ていると、本人がまるで主人公に成りきって歌の世界へと入り込んでいるようでもある。

夏木綾子4.jpg

 夏木の歌には「雪」「花」「雨」「海峡」などと、いくつかのキーワードがある。女唄だけでなく、男唄も歌っている。
 「バラードもサンバにも挑戦しましたよ。今回、カップリングの『浪花の母 -- 』には、25周年バージョンということで浪曲も入れました」

 「何か新しいことにチャレンジするのが楽しみなの」と、挑戦欲の旺盛な夏木は今、ステージで自分が歌う演歌に合わせてバイオリンを弾いてみたい、と新たな取り組みに意欲を燃やす。

■福岡生まれの浪花っ娘

 20歳を前にして夏木綾子は生まれた福岡へ母親と一緒に戻っている。それまで大阪で飲食店を営んでいた母親が、体調を崩したためであった。
 歌手への第一歩は、川中美幸の「越前岬」(岸本健介作曲)が大好きだった母親の知人に紹介してもらった、作曲家の岸本健介氏との出会いだった。歌手になりたいと願っていた夏木は母が亡くなってから、岸本氏を頼って上京することになる。

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岸本健介氏(左)と夏木綾子

 ところが夏木は「弟子は取らない」と、岸本氏から断られているのだが、作詞家の田村和男氏が仲介して弟子入りが実現している。

 大阪時代は小さな小料理屋を営んでいた母親は天王寺、新世界、道頓堀などと20年近くの間に場所を転々と変えて、ひとりで夏木を育てた。
 店か新世界の大衆演劇の劇場の近くにあった頃、店の掃除にやってきていた女性は、掃除を素早く終えると、幼い夏木を散歩に連れていくと言って、劇場で芝居を見ていた。もちろん夏木は女性に連れられて、毎日、大衆演劇を見ていたのである。

 このことを母親は知っていたのかは分からないが、母親の夢だった娘を歌い手にすることに、劇場の舞台で繰り広げられる歌と踊りを見たこの時の体験は、今から思えば少しは役立っているのかもしれない。

■ゆったりと歌っていきたい

 母親の夢を夏木が叶えるのは、母の死後になってしまったが、見事に果たした。ところが好きな歌は歌えるが、それは決して華やかなものではなかった。デビュー当時は岸本氏がギターを弾いて、夏木が歌うといった2人3脚のキャンペーンを続けてレコードを売って歩いた。
 「先生が組んだ行程に合わせて行くのですが、列車やクルマを使って九州から石川県まで歌ったこともありました」

 自分のレコードをかけてもらいたい一心で、全国に700ヶ所近くあったという有線放送の送信所にも出かけている。

 こうしてデビューしてからは脇目も振らずに「必死で突進してきた」という夏木、これからは「焦らずに、少しゆったりとした気持ちで歌っていきたい。頂いた歌をいろんな角度から勉強して、深く理解していくこともしてみたい」と話している。




[夏木綾子 オフィシャルサイト]
http://natsukiayako.net/
[夏木綾子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10421




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