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「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業 [インタビュー]

◆中学生の渡辺要(日本クラウン)はとにかく早く家を出て働きたかった。名古屋のミシン工場に職を得たのもそのためだったが、長続きはしなかった。四国へ戻った彼は実家へは帰らずに、見つけた働き先は坂出市にあった蒲団店だった。住み込みであった。ところがここでも彼は我慢できなかった。
 「親方に使われるのはいいが、仕事が終わると使いっ走りや、店の子供を肩車をして商店街を歩かされたりして面倒をみせられる。それが嫌で堪らなかった」
 いつしか「こんなことをしていたら、あかん」と思うようになっていた。

渡辺要・母親と.jpg
寿司屋を開業した当時の渡辺要と亡き母とのツーショット

 店の近くには何店舗かの商店が並んでいたが、その中に1店の寿司屋があった。次郎長寿司というその店の板前がさらしを締めた上に法被を羽織り、頭にははち巻をした威勢良く出前をする姿が、渡辺の目にもしばしば入っていた。
 「颯爽と歩くその姿が格好いいんですよ」
 見るほどに寿司屋への憧れが増す彼は、ある日、想いを募らせてその寿司屋を訪ねた。
 「なんや、僕」
 突然やって来た子供の来店に少々いぶかり顔の大将に、渡辺は「寿司屋になりたいんや」と答えると、意外にもすんなりと「働きに来い」と承諾してくれた。

 念願かなって寿司屋で働き始めた渡辺は「いっぺん旅に出てこい」と、大阪・法善寺横丁の寿司店・すし半へ修業に出された。
 香川の田舎と違って大阪のミナミは賑やかで刺激的だった。彼の心をわくわくさせ、いっぺんに舞い上がらせてしまった。
 「天にも昇る気分で、何やら自分がエリートになったようにも思えてきました」
 と言っても観光客ではなく、修業の身である。毎日、朝早くに起きて店に出て、親方の包丁を研いで、朴の木で出来た高下駄を石粉で磨く。

 刃はピカピカに、柄も真っ白に磨き終わると、まな板に布巾を敷いて、その上に並べると、今度は板前全員が板場の隅に並んで、親方を迎えるのである。少しでも磨き漏れがあると、大目玉をくらう。
 ある日「誰や、これを磨いたんは」と親方が語気を荒げた。親方に気に入られていたことを知っている同僚は、渡辺を突いて身代わりを強要する。
 仕方なく「はい、僕です」と名乗り出ると親方は「ちゃんと磨いとけ」と言っただけで事は収まった。

 「親方はすべて分かっていたんですんね」

渡辺要・ファンに囲まれて.jpg
昔も今も渡辺要の周囲はファンでいっぱい

 渡辺はいつもどうしたら相手が喜ぶか、をいつも考えていたという。
 「要領がいいと言うか、顔色ばかり伺っていました。しかも動作も機敏でした」
 板前もうだつが上がらない者は巻き寿司ばかりを担当させれたし、テイクアウトのみやげ物係といった具合なのである。
 彼は早くから客の前で寿司を握っていた。それも声が人一倍大きくて、威勢が良かったからで、その前にはいつも客が座っていた。

 「いらっしゃいと大きな声で客を迎え、客を喜ばせる。寿司を美味しく感じさせるために、手際よくご飯とネタを取って、それを頭の上でさっと握っていました」

 さばきが早く、見せる寿司屋を演じていたそれは、客を退屈させないパフォーマンスはすぐに評判となった。
 1人の若い女性が店にやって来たのは、そんな時だった。後に妻となる千恵子であった。


【渡辺要物語 歌は心の港 プロローグ】
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23

[渡辺要 オフィシャルサイト]
http://www.kaname8739.com/index.html







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