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島津悦子(キングレコード) 「海峡みなと」  映画を見るような新たな海峡演歌  カップリングは自身の作曲  最初で最後? [インタビュー]

島津悦子.jpg◆こんな海峡演歌はなかったね ー 。フェリー乗り場の近くだろうか、うらびれた居酒屋で無口な男と苦労がにじむ女、互いに知らない同士が酒を飲んでいる。いつしか心が寄り添って、一緒に旅でもするか・・・と見つめ合う。まるで映画のワンシーンかのようである。キングレコードの歌手、島津悦子のデビュー30周年記念シングル第2弾の「海峡みなと」。2018年1月1日にリリースされた。作詞は去年10月に亡くなった仁井谷俊也である。20周年記念シングルの「おんなの日本海」も仁井谷が書いていた。10年前よりも今のほうが地に足がついて歌えるようになったという。


島津悦子・海峡みなと.jpg









 寂しい男と女が結びつく。良くある話である。「海峡みなと」では、それの舞台を港の居酒屋に置いた。生きることに疲れたふたりがここで出会って、意気投合する。良くある海峡演歌と言えば、海峡を臨む寒々とした港町で、別れた人を想ったり、過ぎた切ない日々への訣別を歌っている。
 「そこが他と違うんですよね。恐らく仁井谷先生が病床で書かれたのでしょうが、この作品は、黙っていても映像が目に浮かんできます」

島津悦子2.jpg これのプロモーションビデオ(PV)には、もちろん島津悦子本人が出演しているのだが「私が配役を決めるとすれば、迷わずに主人公の男性は高倉健さん、女性は吉永小百合さんですね」と島津。仁井谷が元気だったらPVには、絶対に出演していたであろう、と彼女は残念がる。
仁井谷は2014年10月発売の「惚れたのさ」では、夫役としてそのPVに出演しており、なかなかの〈名俳優〉ぶりで知られていた。
 「ご覧になった方から、本当の旦那さんですか、と訊ねられたこともあって、それを伝えると先生はうれしそうな顔をしておられました」

 「海峡みなと」は、まるで最後の力を振り絞って書いたかのような作品である。島津がこの歌詞を手にしたのは、30周年記念作品の第1作の「大菩薩峠」を受け取った去年2月だった。1年間温めてようやく形になったが「先生には私の歌は聴いてもらえなかった」と悔やむ。

 島津のシングル作品は、デビュー曲「しのび宿」(1988年)から今作の「海峡みなと」まで、30年で53作になる。デビュー曲は自身唯一のレコード盤だった。

 「生きてきた半分以上の年月を歌ってきたことになります。皆さんの支えがあったからこそですが、良くぞここまで歌わせてもらったと思います。デビュー当時には30年後のことなどは想像も出来ませんでしたが、これから先の30年は自分がどんな姿かが良く分かりますね」

 去年は金沢、鹿児島、東京・浅草の3ヵ所で30周年記念コンサートを行ってきたこともあって「月日が経つのが早かったですね。それに三味線と端唄の習い事とも始めたこともあって特に忙しかった」という。
 三味線、端唄は記念コンサートで披露している。スポーツジムへも通うなど体力作りに励むなど「ステージでは10年前よりも落ち着いて歌うことが出来るようになりました」と、その変化を語る。

■背中を押してもらった最初で最後の1曲

 カップリング曲の「人生は夢のように」は、作曲が島津の手によるもので「自分で書くのは最初で最後の作品です」と照れて見せる。
「30周年なので詞を書いてみないか、と話を頂いたのですが、それは無理ですと断ったところ、日頃歌っているので作曲なら何とか出来るのでは、と書いてみました」

島津悦子3.jpg

 若々しく島津の声は「子供たちに夢は必ずかなう、と人の人生を大切さを伝えたかった」という彼女の想いをそのままのせている。
 コーラスで歌えるものを書きたかったと言い、演歌を歌う島津悦子のイメージは一切無視して出来上がっている。





[島津悦子 オフィシャルサイト]
http://www.shimazu-etsuko.net/
[島津悦子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10397







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