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三浦京子&ハニーシックス(ホリデージャパン) 「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」 誰もが振り向く大阪タイトルのムード歌謡曲 [インタビュー]

三浦京子とハニーシックス.jpg◆甘い歌声、軽快なメロディー。まさにこれがムードコーラスの王道だろう。ホリデージャパンのムードコーラスグループ、三浦京子&ハニーシックスが2017年8月に出して、大阪を舞台に歌う「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」が好評だ。その彼らは芸能生活53年というキャリアの長さもさる事ながら、兄妹だけで構成するコーラスグループは、日本はいうに及ばず、世界でも珍しいという。しばらくムード歌謡からは離れ、人生の応援歌や母への感謝をテーマに歌っていたが、再びのそれにメンバーの4人は水を得た魚のようである。







三浦京子&ハニーシックス
四男の三浦久雄さん(左)と末っ子で長女の三浦京子さん

 ハニーシックスと言えば、♪ 泣いているのか 笑っているのか 〜 とシャンプーのCMとの相乗効果もあって大ヒットした「ふりむかないで」「よせばいいのに」など数々のムード歌謡曲で知られている。
 10年前にリーダーで長兄の弘が70歳を機に脱退したが、その後、1994(平成6)年にデビュー以来使い続けてきた三浦弘&ハニーナイツのグループ名を、新たに「三浦京子&ハニーシックス」に変えている。

三浦京子とハニーシックス 大阪ナイト.jpg 今作のメイン曲「大阪ナイト」は作詞が新人作詞家のTOJA、作曲はハニーシックスのメンバーで三男の三浦ハルオ(春男)、編曲はハニーシックスの作品を数多く手がけてきている隼トシヒデである。
 カップリング曲の「北の新地の意気地なし」も作詞はTOJA。作曲は中山ひさしで編曲は隼トシヒデ。

 TOJA(トージャ)とは聞き慣れない名前だったが、なんとその正体は大阪・茶屋町でライブレストラン、ボニーラを経営すんる寿和徳社長であるという。演歌・歌謡曲のライブが開かれることも少なく場所だけに、ここに三浦京子&ハニーシックスが立つ日もあるのかも知れない。

 知人を介してハニーシックスが彼と出会ったのは17年2月だった。このところ新曲はムード歌謡から離れていたが、原点に戻ってムード歌謡曲を歌いたいーと、メンバーの誰もが思っていた時だった。ファンからも「路線が変わってしまってつまらない」といった声も聞こえていた。

 「大阪にいい詞を書いている人がいる」と紹介されたTOJAは、2度目の青春時代を始めようとする50代の男女を描いたシンプルな「大阪ナイト」を書いていた。グループの作品の多くを作曲しているハルオは、それを読んで「これは飽きのこないいい曲が出来るよ」と言い切ったほど、この作品でムード歌謡曲にもう一度、風を起こそうと期待を込めた。

三浦京子とハニーシックス TOJA.jpg
作詞家のTOJA(右)と三浦京子&ハニーシックス

 それからというものハニーシックスは、大阪にいるTOJAと何度も何度も携帯電話で「ここを書き直して」と調整を繰り返しながら、共同で楽曲作りを進めていった。決して〈まあいいか〉といった妥協も手抜きをすることはなかった。
 「ビクター時代にヒット賞をもらった作品など僕たちの音楽はすべて、このように丁寧に手作りをしてきました。だからヒット賞ももらえました」

 大手レコード会社のような面倒な会議もなく、発売は8月23日に決まった。
 こんな具合だから楽曲が出来上がるまでに、ハニーシックスたちの間には作品への愛情がどんどんと高まった。自然と歌う詞の行間にもムードが満ちた。
 もともと歌うことや楽器を演奏して、喜んでもらうのが楽しくて始めた兄妹コーラスグループだけに、ショッピングモールであろうと場末のカラオケ喫茶店であろうと、歌う場所は選ばない。
 メンバーの久雄と京子は「新曲キャンペーンでは何十年ぶりにCDの手売りをしましたよ」と、そ表情は楽しそうである。

■兄妹仲良く歌う

三浦京子とハニーシックス ハニーシックス物語.jpg 今のグループの前身となる三浦弘&ハニーナイツは長男弘、次男貞夫、三男春男、四男久雄、末っ子で長女の京子の5人で1965(昭和40)年に、ハワイアンバンドとして結成されたのだが、それ以前、1958(昭和33)年に兄妹5人でハワイアンバンドのアロハブラザーズを作っている。

 久雄は「町のお祭りで歌ったのが初めての舞台だった」といい、末っ子のの京子はまだ5歳ということもあって「小さくて可愛いためか、出場するコンテストではどこでも優勝していた」など、行くところどこでも人気者だったという。

 1960(昭和35)年、兄妹5人のハワイアンバンドは日本アルミニウム工業(現・ナルコ岩井)が提供していた番組「子供の王様」に東京から招かれて出演している。その時の模様が「ハニーシックス物語 兄妹ともに歩んだ45年」(三浦京子&ハニーシックス著、河出書房新社)に添付されているCDに収録されている。

 その頃、小学校5年の京子はウクレレを弾いていた。中学1年の久雄はでやはりウクレレを担当。貞夫は中学3年でサイドギター、春雄は中学3年でベースギターてあった。彼らのレパートリー曲はすでに300もあったという。

 すでに成人していたバンドのリーダーで長兄の弘は、番組司会者に訊ねられて「兄妹ばらばらになるのは嫌だから仲良く歌おう-とバンドを作った」と、バンド結成の目的を話している。
 その弘は、体力に限界を感じたとして2008(平成20年)に70歳になったのを機に、グループから身を引き、以後、グループ名を三浦京子&ハニーシックスに改めている。

■変わらぬハニーサウンド

 ハニーシックスは1976(昭和51)年から2005(平成17)年までビクターに在籍した。しかしこの間にレコード会社とそれを取り巻く業界の環境は、悪化の一途をたどり、連日のように夜遅くまでレコーディングに追われてムード歌謡を歌ってきた彼らも、新たな挑戦をかけて1995(平成7)年に出した「命燃やして」のヒットを最後に新たにCDが出せなくなってきた。

 その時の様子を前の「ハニーシックス物語」で彼らは「深それまでと打って変わって、新たなCDを出してもらえる状態ではなくなっていた」と吐露している。





 ハワイアンで始まったハニーシックスの歌はムード歌謡曲へと変わったが、間近に迫る60周年に向けて彼らは「音楽の流行に乗るつもりはなく、これぞハニーサウンドと言われるサウンド」を目指し続ける。

 「ハニーシックスの音楽を必要としてくれる場があれば、どこへでも馳せ参じます」

 「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」を歌う三浦京子&ハニーシックスの甘い歌声が、あちらこちらの街に響いてきそうだ。


[三浦京子&ハニーシックス オフィシャルサイト]
http://www.honeysix.com/index.html
[三浦京子&ハニーシックス ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ha2_honey_2.html







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