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もず唱平作詞家50周年記念スペシャルコンサート  川中美幸・鳥羽一郎・鏡五郎・松前ひろ子・長保有紀・三門忠司・成世昌平・塩乃華織・高橋樺子  もず作品を歌う  大阪・枚方市民会館 [コンサート]

「釜ヶ崎人情」「花街の母」など数多くのヒット曲の作詞者として知られる大阪在住のもず唱平作詞家50周年を記念したスペシャルコンサート第5弾が、2018年6月5日、大阪府枚方市の枚方市民会館で開かれた。もずの愛弟子や詞を提供する演歌界のトップ歌手9人が作品を歌い、50年という長いキャリアに敬意を払った。もずは「師匠である詩人の故・喜志邦三先生がいなければ、この日を迎えることは出来なかった。ここまで来られたことを心の中で先生へ報告しています」と話し、これからの作詞活動へも意欲を示した。

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もず唱平(左から2人目)と作詞家50周年を祝う出演者たち
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勢ぞろいした出演歌手

 去年9月から行われてきたスペシャルコンサートは、もずが42年間住み続けている枚方市にある市民会館での開催が最終会場となった。出演歌手も川中美幸(テイチクエンタテインメント)鳥羽一郎(日本クラウン)鏡五郎(キングレコード)松前ひろ子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)長保有紀(日本クラウン)三門忠司(テイチクエンタテインメント)成世昌平(日本クラウン)塩乃華織(同)高橋樺子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)のもずに縁がある9人。地元市民をはじめ出演歌手のファンなど、会場いっぱいの約1500人が詰めかけた。

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川中美幸
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鳥羽一郎

 オープニングは出演者それぞれが、もず作品のオリジナル曲などを聴かせた。
 鳥羽一郎は大阪・岸和田市にある漁港、春木港を歌った「泉州春木港」(1992年)とアルバム収録曲の「メリケン波止場」(2008年)を歌うと、川中美幸「宵待ちしぐれ」(2002年)と、17歳の時に春日はるみの名前でワーナーパイオニアからのデビュー曲「新宿天使」(1973年)を選んだ。

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鏡五郎(左)と松前ひろ子

 このほか、もずのリクエストに応えて鳥羽が「虫けらの唄」(1979年)を、川中も「浪花人情ラムネの玉やんの唄」(1984年)を歌った。もずとは39年の付き合いになるという鳥羽は「まだ故・船村徹先生の付き人をしていた頃に、関西に来ると必ずもずに会っていた」と振り返っていた。

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鳥羽一郎と想い出を語るもず唱平(左)

 作詞家もず唱平の誕生は、渋谷天外の元で目指していた劇作家への道を断念したところから始まる。その後に詩人の喜志邦三に師事するのだが、その時、もずが喜志に放った言葉が「作詞家にでもなろうと思う」だった。その不遜な一言に喜志は「でもで出来る仕事はないよ」と穏やかに返したという。
 それをきっかけに本格的に作詞家への勉強をすることになるのだが、なかなか目が出ない。そんな時に飛び込んできたのが、河内音頭の音頭取りであったが、その実、月の大半を釜ヶ崎で労務者として働いて生計を立てていた三音英次から「歌を書いてくれ」といった依頼だった。

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長保有紀
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三門忠司
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成世昌平

 もずの作品の多くは浪花を舞台にし、そこに暮らす人々の人情や街の佇まいが登場している。しかも資料を丹念に調べた、事実に基づくノンフィクション的な内容というのが特徴である。三音に書いて、後に60万枚ともいわれるヒット作になった作詞家デビュー曲「釜ヶ崎人情」(1967年)でも、実際に釜ヶ崎へ足を運び、蚕棚と呼ばれる1泊50円だった三段ベッドの宿泊所で南京虫に悩まされながら、日雇い労務者の苦悩を取材している。

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塩乃華織(左)と高橋樺子

 この日、鏡五郎が歌った「花火師かたぎ」(2015年)や成世昌平「はぐれコキリコ」(2002年)塩乃華織「ほっといてんかあんな阿保」(2013年)高橋樺子「がんばれ援歌」(2011年)も、そんな1曲である。
 また三門忠司「雨の大阪」(1991年)長保有紀「人生(ブルース)」(2016年)松前ひろ子「銀座小路」(2015年)と、それぞれもず作品を歌った。

 もずは「このように皆さんに祝っていただいて感謝に堪えません、長年住んでいる枚方市民のコーラス歌も2、3作書いているが、いちか世に出せるとうれしい」と話していた。









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