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鳥羽一郎(日本クラウン)  ヒット曲「兄弟船」誕生秘話を語る  8月放送の「歌に恋して」(J:COM関西) [テレビ]

「兄弟船」は船村先生のメロディー先行で、星野先生が詞を書いたんですー。
去年デビュー35年の節目を迎えた日本クラウンの歌手、鳥羽一郎が2018年7月2日、J:COM関西で放送中の番組「歌に恋して」の8月放送分の収録に出演して、師匠で去年2月に亡くなった作曲家の船村徹の門を初めて叩いたときの手土産は赤福餅だったことや、デビュー曲「兄弟船」にまつわるエピードを語った。

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恩師船村徹の思い出やヒット曲「兄弟船」について話す鳥羽一郎(右)


 船村徹の内弟子として3年を過ごした鳥羽一郎が最初に船村の自宅を、アポなしで手土産に持参したのは地元伊勢名物の赤福餅だったという。「歌は教えない、レッスンしたいならば他の先生のところへ行きなさい、と言われました。歌い手である前に人であれ、ということだったんですね」

 歌手になりたくて上京したのだから、歌を教えてもらえないことには不安はあったようだ。しかし船村が日本コロムビアを退社して1978年頃から始めた、全国の小さな街を訪ね刑務所を慰問し、歌作りの原点に戻ろうとした<演歌巡礼>の旅に同行した鳥羽は「先生の人となりを見て、歌を学ぶことになった」のである。

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鳥羽一郎の新曲は息子が作曲した「儚な宿

 その船村魂を歌い継ぐ演歌巡礼コンサートは、鳥羽をはじめ内弟子5人の会によって、目下、全国を巡回しているが、2018年9月7日には神戸市のオークラホテル神戸でも開催されることになってている。

 長い修業時代を経てようやくデビューが決まる。
 デビュー曲にもらったのが、後に自身の代表曲にもなる、この日の収録でも聴かせてくれた「兄弟船」だった。「デビュー曲候補として挙がってきたのは4曲ありました。先生が推した『南十字星』、レコード会社が勧めた『流氷オホーツク』など。俺は『兄弟船』が好きで、これは周りの評判がいいんですよ、と嘘を言ってデビュー曲にしてもらいました」

■もうちよっと長生きしていてほしかった

 嘘も方便とは良く言ったもので、この嘘が大ヒットに結び付くのだから、世の中は面白い。
 と言うものの、これが売れ始めるのは3年から5年という長い月日を要している。
 「もともとはこの歌は素人さんが書いたもので、北方四島返還など政治色の強い内容であったことから、今のような作品に書き換えられました。先生が先にメロディーを書いて、後から星野先生が全部詞を変えて書かれました」

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鳥羽(中央)も番組のキャッチマークのハートを腕で作ってみせた

 「兄弟船」が売れるまで5年もかかったことについて。
 「歌い手としては歌はじっくりと歌いたい。半年や1年で新曲が出るようでは、ヒットにもつながらない」
 ちょうどカラオケが出始めた頃でもあった。
 「それまでの聴く歌から、歌う歌へと変化する最初の頃だったと思います。それが一層、『兄弟船』をヒットさせる要因にもなったんでしょうね」

■最新曲は「儚な宿(はかなやど)」

 2018年6月13日に出した新曲「儚な宿」は、鳥羽の息子木村竜蔵が曲を書いている。編曲は船村の子息である蔦将包が担当した。「息子は歌手で作曲家、シンガーソングライターです。初めて俺のメイン曲を書いてくれました。演歌なんか歌わない息子ですが、ラブソングのような演歌を書いてくれました」

 番組収録では共演者の渡辺要、みやま健二、福島一らとのトークコーナーも盛り込まれていた。


[J:COM関西 歌に恋して]
https://c.myjcom.jp/jch/p/showa/






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