SSブログ

福島はじめ(日本クラウン) 「女の時雨」 メジャーデビュー曲    初の女歌に<はじめちゃんコール> [インタビュー]

福島はじめ 4.png福島はじめ、デビュー23年目の日本クラウンの歌手である。その名前の通り福島県出身で、東日本大震災では被災して避難所生活を送る。その中から、歌手としての再起を誓う。それから8年。麻こよみ、徳久広司のコンビによる「女の時雨」でメジャーデビューを果たす。メジャーとは言え、まだ無名に近いが、いずれは大きなステージへと飛躍する実力は十分との評価も。今、そのステップを踏み出したところである。



福島はじめ・女の時雨.png








 福島はじめが歌手への第1歩を踏み出したのは、福島県南相馬市から単身京都にやって来た21歳の時だった。京都に着いて、真っ先に訪ねたのは高校時代に出場したカラオケイベントで名刺をもらっていた、作詞家清水峰湧が社長をする事務所だった。
 「高校3年の時にテレビで見た美空ひばりスペシャルの番組に触発されて、歌を一から勉強したくなって、清水先生に手紙を出したんです」
 返事をもらって、福島は地元で清水と会った。
 本気でやりたいのか、と清水に訊ねられて「大学へ行って勉強するつもりで京都で歌の勉強をする」と答えて入門が決まった。

福島はじめ.png 京都での生活には親からの仕送りはあったが、先斗町の京料理店・山とみで調理補助をしたのをはじめカラオケボックス、引っ越し会社などでアルバイトをして生活費を稼いだ。事務所社長の付き人や先輩歌手が出演するテレビ番組のADを務めるなど下積みの生活が続いた。

 そこでの下積み生活から得たものは ー 。
 「歌は教えてもらえないことの辛さはありました。そんな中でも将来、売れた時に恥ずかしくない姿を見せたい、とにかく今は自分で勉強して多くのことを吸収しようという思いでいっぱいでしたね」

 京都に来た翌年、高田まさひろの名前で日本クラウンから「女のかさね夢 / ひとり旅」を出してCDデビューしている。4年後、今度は大阪の事務所に移っていた。芸名も椿あきらに変えて、2枚目のCDになる「海は命さ / 福島慕情」を日本コロムビアから出していた。この時期に全国で飛び込みキャンペーンの過酷さを味わっている。
 「タウンページでスナックを探して訪ね歩きました。1つのスナックビルで100軒ほどのスナックを1軒1軒ドアを叩いていくんです。それでも歌わせてもらえるのは2軒程度といったこともありました」

 仙台では表につまみ出されたし、北海道では酔っ払いに絡まれて蹴られたこともあった。惨めな気持ちになったが、それでも「負けないぞ、といった気持ちだけで頑張りました。歌わせてもらえなくても、ありがとうございました、の言葉は忘れたことはなかった」

 門前払いばかりでも続けられたのは「歌をたくさんの人に届けたい、という思いがあったから」だった。しかも1度、歌を聴いてもらうことができると、引きつけられる、といった歌には自信を持っていた。まだ25歳の時であった。

■震災からの再起

 2011年になると椿あきらは、大阪の事務所から東京の事務所に移籍していた。その年の2月には、そこを辞めてふる里、福島県南相馬市に帰省していた。
 同3月11日午後2時46分、東北をはじめ東日本全体に未曾有の被害をもたらした東日本大震災が南相馬の町をも襲った。実家は海から1キロメートルほどの所にあったが「実家はもちろん町全体が壊滅状態でした。幸い母が営んでいた居酒屋は難を逃れたので、そこの床に新聞紙を敷いて生活する状態」だった。

 救援物資の配給があってもガソリンがないので取りに行けなかったし、1ヶ月も風呂に入ることが出来ない状態が続いた。そうした生活の中でも彼は避難所を回ってボランティア活動励んでいた。
すると大阪のファンが「こっちにおいでよ」と救いの手を差しのべてくれた。早速、母親を伴って大阪へ移るが、そこでの避難生活は3年にも及んだ。
 そうして生まれたのが、ふる里を歌った原田伸郎作詞作曲の「おかえり」(マースジャパン)だった。

福島はじめ 3.png

 あの頃、合言葉のように誰もが頑張れと言って被災地を励ましていた。でも、この歌はそうではなかった。
 「そんなに頑張らなくてもいいよ。もっと気持ちを楽に持って、歌うことが今の悲しみを癒してくれて、立ち直る力を与えてくれる、という内容でした」

 震災から5年、南相馬も落ち着いてきた頃、彼はレーベルを今度はホリデージャパンに変えた。演歌歌手としての位置付けを明確にするのが狙いだった。そこでは「津軽恋ふぶき / 安達太良カントリーロード」(2016年)を1枚だけ出したが、その頃に今、所属している事務所と親しく付き合うようになった。
 そしていよいよ2018年10月には、日本クラウンのオーディションを受けて念願のメジャーデビューを果たすことになる。

■念願のメジャーデビュー

 福島は日本クラウンからメジャーデビューするに際して、芸名を三たび変えることにした「一(はじめ)」を平仮名の「はじめ」にしたのである。今度こそヒットチャートに加われる曲に、と満を持して出したのは、通算9枚目のシングルにして初めての女歌となった「女の時雨」である。
 マスコミや業界関係者も招いて、かつてやったことのないほどの盛大な新曲発表会を開いている。東日本大震災の日「今に見ていろ、歌で見返してやる」と、天を仰ぎ見た時のことを思い起こすかのように、彼はステージに立っていた。

福島はじめ 2.png

 「女の時雨」のレコーディングを控えて、移動の車の中は言うに及ばず、どこにいても納得いくまで何度も詞を読んで、切ない気持ちを表現するための練習を繰り返した。「そのうちに主人公は辛い人生の人なんだ、と思えるようになって涙が出てきたんです」

 カップリング曲の「夢屋台」と共に、作詞は麻こよみ、作曲は徳久広司である。当初、メイン曲候補は「夢屋台」だったという。ところが麻はレコーディングの日に「『女の時雨』って良くない?これ絶対にいいですよ」と言い出して、ついにメイン曲とカップリング曲を逆転させてしまったのだ。

 麻の閃きと福島の主人公に成り切るまでの歌い込みが、女の哀切をここまで表現できる演歌歌手を誕生させることになった。

■夢へ熱く燃える

 夢の第1ステップに踏み出した福島だが、当面の目標は・・・?
 「僕は実績を積んでメジャーデビューした訳でもないから、人一倍勉強しないと勝ち残れないと思っています。その上で歌謡ショー番組をやりたいですね。ほかの番組と正面から戦える内容のものをね」

 小柄で童顔な福島だが、その体の中は誰にも負けないといった、熱く想いが燃えているようである。


[福島はじめ オフィシャルサイト]
https://warakasu.jimdofree.com/福島はじめ/
https://ameblo.jp/fukushima-hajime/
[福島はじめ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/fukushima/whats.html







nice!(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 4