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小川みすず(日本クラウン) 「何でやねん」 3月4日デビューシングル  ちょっとお洒落なサラリとした大阪ソング [インタビュー]

◆人の人生はめぐり合いである。日本クラウンから2020年3月4日、大阪を舞台にした「何でやねん」でデビューした歌手小川みすずからは、そんなことを感じさせてくれる。これが最後のチャンス、とかすかな望みをかけて受けたオーディションは、決勝までは進んだものの最後は見事に落ちてしまう。そこで諦めなかった彼女には、やがて作詞家もず唱平との出会いがやってくる。それから1年、一度はオーディションに落ちたレコード会社からのデビューが決まるという、まさかのドラマが。

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3月4日に「何でやねん」でデビューした小川みすず


 日本クラウンの新人募集オーディションは、応募資格のひとつに35歳まで、といった年齢制限がある。小川みすずはその時、33歳であった。会場で周りを見渡すと10代や20代ばかりである。その年齢差に「もう(合格は)無理」と、歌手への夢は完全に断たれてしまったと思ったほどである。

小川みすず ・何でやねん.jpgこれを受ける6年前、彼女は作曲家水森英夫の門下生を募集するオーディションを受けて合格している。その後、1度は歌手デビューしている。
 門下生となって北九州から上京。東京・阿佐ヶ谷で家賃5万円のアパートに住んで、コンビニや居酒屋でアルバイトをしながら、週に1、2回、水森のレッスンを受ける生活を始めた。2年後には昭和歌謡を歌う女性グループ、MIZUMOのメンバーの1人としてインディーズで世に出たが、夢はあくまでもソロ歌手であったことから、約3年でグループを脱退し、事務所も辞めた。

 色んなオーディション番組を受けながら、ようやくたどり着いたのが日本クラウンの新人オーディションであった。
 そこで歌唱曲に選んだのは、本来明るい歌が好きなのに反して、何と藤圭子の「新宿の女」であった。その歌を聴いた審査員の1人は「幸せ薄い」と批評したほど、その歌声は沈んでいた。
 ところが「ほかにどんな歌が歌えるの」と質問した審査員がいた。この人物が後にもず唱平が、小川のデモテープを持ち込む相手であったのは、 あまりにも偶然すぎるし、彼女の運の良さなのかもしれない。

 薄幸と烙印を押された小川は、北九州へ帰っておいでという母親を「あと3年、自分が納得するまでやりたい」と説得して、東京に残ることを決めた。その頃、遠い親戚から紹介されたのが、現在所属している事務所の社長である。そこで彼女を担当することになったベテランマネージャーを介して、もずを知ることとなる。

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オシャレに大阪を歌う

 作曲家浜圭介が書いた、ちょっとジャジーなメロディーに合わせて、もずが詞を書き、小川が歌う。2018年8月までの約4ヶ月、大阪に住まいを移して彼女はもずによるレッスンを受ける傍ら、大阪の下町の人情と接しながらデビューを目指した。

 デビュー曲になった「何でやねん」は、浜が書いた5曲のうちのひとつであった。
 ♪ 真っ赤に染まった天満橋 〜 ♪ 天神祭の宵のこと 〜 と大阪の風景や、サイナラ、せやのに 〜 など大阪言葉も随所に出てきて、大阪の場末のキャバレーから聴こえてきそうな懐かしい楽曲であるが、決してド演歌に見られるドロドロとした大阪ものとは違い「さらっとしたオシャレな大阪ソング」(小川)になっている。

 作曲した浜は「小細工せずに歌うこと」と、小川にアドバイスしている。これまで声を張って歌うことが多かった、という彼女にとっては、この指摘がまた「一番難しかった」と漏らすほどである。将来は「青江三奈さん、西田佐知子さんのような歌を歌いたい」と夢を膨らませる。

 しかし、一連の新型コロナウイルスの影響で、3月4日にデビューしてからまだ1度も人前で歌ったことがないという。





[小川みすず 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ogawa/whats.html








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