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80歳の歌手シンジー、心の師は東海林太郎 [インタビュー]

◆歌手デビューは72歳の時であった。2013年に初めてのCD「夢列車」をホリデージャパンから出した。60歳で定年退職してから、今までお世話になった人や町、さらには老人施設を訪ねて歌う<ボランティア歌手>から挑戦し始めた歌への道であった。今年80歳になった歌手、シンジーは九州・福岡を中心に活動し、2020年8月には4枚目になる最新シングル「渡る世間に鬼はなし/母に捧げる歌」を日本クラウンから発売している。学生時代から5年余り続いた東海林太郎との交流が、師匠を持たない彼にとって歌のみならず、「優しさ」「正義感」「言行一致」といった、生き方を教えてくれたという。

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80歳で元気に歌う歌手シンジー

 シンジー、本名は麻生進(あそう・すすむ)という。進をシンと読ませ、72歳の爺(じい)ということから、それをもじって付けた。父は福岡出身、母は佐賀出身という生粋の九州っ子であるが、風貌はインド人のようで、あのインド独立の英雄ガンジーの名をもじったのかと想像させるほどである。

 シンジーの歌手への挑戦は69歳の時であった。2009年4月、秋元康主催の50歳以上を対象にした歌手コンテストに、物は試しとばかりに歌唱音源を送った。2500組の応募者の中から最終選考まで残って、審査員の前で「憧れのハワイ航路」を歌い、秋元の歌手認定証をもらった。

 これをきっかけに自ら名付けたボランティア歌手として、九州の老人施設などを巡り、得意な懐メロを聴いてもらっていた。歌うにつれオリジナル曲が欲しくなってきた。
 「1曲でいい。お世話になった人に届ける100枚だけでもプレスしたい」と、その頃、よく足を運んでいたテレビの歌番組の公開収録で親しくなった番組プロデューサーに相談した。それが72歳でのCDデビューにつながる。

 1枚でいいと思ったCDであったが、2016年からは2年おきに新曲を出している。「アリーパラオ・こんにちは!/パラオ恋しや」(2016年9月、日本クラウン)「ケヤキ・明日なろ・旭川/長崎シャンソン」(2018年4月、同)最新曲「渡る世間に鬼はなし/母に捧げる歌」(2020年8月、同)といった具合に、次々とリリースした。

 中でも「ケヤキ・明日なろ・旭川」は、東海林太郎の生誕120周年を記念したものであった。この年、東海林の生誕地である秋田市を訪問。生誕120周年記念イベントで、番外の歌唱出演をしている。
 シンジーと東海林太郎との交流は、彼がまだ福岡教育大学1回生の時まで遡る。当時から懐メロが好きだったことから、福岡市内の九州温泉センターで開かれていた東海林太郎の歌唱イベントに来ていた。1回目の公演が終わり、ロビーでポスターを見ていた彼に「若いのに僕の歌を聴きに来てくれたんですか」と、東海林が話しかけてきたという。

 2回目の公演までの休憩用に用意されていた旅館に誘われて、そこで1時間余りにわたって大学のこと両親のことなど、訊ねられるままにいろんな話を交わした。
 2度目は東海林から、博多・中洲のクラブで歌うので楽屋まで遊びに来ないか、という葉書をもらって、出かけている。やはりたくさんの会話を交わし、おまけにクラブ最前列の席を当てがってくれて、ショーをみせてくれたのである。

 会ったのはこの2回だったが、それから手紙のやり取りが5年余り続いたという。
 このように間近に接した東海林太郎について「正直で、誠意のある人でした。人を差別しない器の大きな人でもありました。思うようにならない人生でも、優しさを失わず、しかも歩みを止めない、そんな印象を持ちました。僕については、今の麻生さんのままでいいと思います」と話したという。

 そんな東海林の姿を自らの人生に生かし、歌手活を続けてきたシンジーは「まだ80歳です。まだまだ頑張ります」と張り切りを見せる。2021年11月12日には福岡市中央区天神のアクロス福岡円形ホールで、コンサート「シンジー絶唱!昭和はやり唄」を開く。
 オリジナル曲のほか「湖畔の宿」「雨に咲く花」「白虎隊」「バタやんのズンドコ節」「悲しき口笛」「シベリア・エレジー」「長崎の鐘」「渡る世間に鬼はなし」などの歌唱を予定している。








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