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成世昌平、繁昌亭で「三十石船哀歌」歌う  もず唱平・桂福団治らとのトークも [イベント]

◆新曲「三十石船哀歌」を歌う成世昌平(日本クラウン)が2022年6月11日、大阪・天神橋の天満天神繁昌亭で開かれた「三十石夢の通い路 in 繁昌亭」で、江戸時代から明治末期まで、京都・伏見と大阪・八軒家(天満橋)の約45キロの淀川を上り下りした旅客船「三十石船」について、師匠の作詞家もず唱平や落語家の桂福団治らと共に語り合った。新曲など歌も披露した。

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落語家3人ともず唱平、成世昌平で語る三十石船

 三十石夢の通い路 in 繁昌亭は、歌とトークと落語で、かつて京都と大阪を結ぶ主要交通手段であった三十石船について知ってもらおうと開かれた。
 成世昌平が歌う「三十石船哀歌」は、三十石船の1人の船頭が歌った舟唄に魅せられた若い女性の、哀愁あふれる人生を綴った作品である。

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「三十石船哀歌」の作詞者・もず唱平

 歌詞を書いたのは成世の師匠のもず唱平。歴史の詳細な取材に裏付けられた、男女の悲しい物語を得意としており、この作品もそのひとつである。
 最近は1年のうち3分の1は沖縄で暮らし、沖縄音楽を取り入れた新たな作品作りを模索している。この日も沖縄の夏の正装とも言われる「かりゆしウェア」で、初めて繁昌亭の舞台に上がった。

 トークショーには成世ともず、落語家の桂福団治桂福楽、桂福丸も加わって、三十石船の歴史などについて語った。
 成世は民謡歌手で演歌歌手でもある。かつては落語家を目指した時期もあったほど多芸多才。「三十石船哀歌」を歌うに際しても、三十石船について調べており、この日はその一端を話した。

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真剣な表情で三十石船について語る成世昌平

 例えば、米を三十石積める船であった事から三十石船と名付けられたという名前の由来から、定員は28人であったということまで。大阪から京都への下りは1日かかり、人が綱で引いていたなども披歴した。
 伏見には16軒の船宿があって、それぞれ10隻ほどの船を所有していたなど、当時の日本では最も重要な交通機関であったようだが、「1910(明治43)年に京阪電気鉄道が大阪・天満橋駅と 京都・五条駅間を開業したのに伴い、鉄道に取って代わられた」とも。

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「三十石船哀歌」を歌う成世昌平

 歌謡ショーでは、成世が「三十石船哀歌」をはじめ、代表曲の「はぐれコキリコ」「鶴の舞橋」などを歌った。
 成世は「三十石ーを歌わせてもらったのは一生の宝物であると思っています」し話していた。

 最後は桂福丸、桂福楽、桂福団治の順に落語「三十石夢の通い路」をリレー方式で聴かせた。福団治の段で成世が三十石舟唄を唸るといった演出もあって、観客を楽しませた。

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桂福団治ら3人で「三十石夢の通い路」をリレーした

 成世は自身のSNSで「こんなに楽しめる仕事は最高。仕掛け人のもず唱平先生に感謝です。コロナ以降では最高の入場者という事で、福団治師匠にまたやろなと言って頂きました」と書いていた。

※記事・写真の無断使用はお断りします。


[成世昌平 オフィシャルサイト]
http://www.havmercy.co.jp/Naruse/pg88.html
[成世昌平 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/naruse/music?ima=1157&ct=ryuko








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