高橋樺子、西成のマザー・テレサを歌う「さっちゃんの聴診器」 新曲発売記念ライブ開く 大阪・十三 GABU [ライブ]
◆大阪から沖縄に活動拠点を移している歌手高橋樺子(UTADAMA MUSIC)が新曲「さっちゃんの聴診器」(作詞・もず唱平、作曲・矢島敏)の発売日の2023年1月26日、大阪・十三のライブハウス、246LIVEHOUSE GABUで新曲発売記念ライブを開いた。新曲は沖縄の島唄と本土のやまとうたの〈混血〉ソングを目指す沖縄発新レーベルのUTADAMA MUSICの第1弾で、西成のマザー・テレサと呼ばれ34歳の若さで亡くなった女医の矢島祥子さんへの哀悼歌である。
大阪・十三のGABUで歌う高橋樺子
オープニングで高橋樺子は「さっちゃんの聴診器」を披露。♫ もっと生きたかった この町で 〜 で始まるこの歌は、高橋らを伴って沖縄に移住した作詞家もず唱平が22年に立ち上げた沖縄発の新レーベル、UTADAMA MUSICが初めて世に問うニューシングルである。
高橋にとっては「四丁目のスナック」以来、5年ぶりのシングルになる。
「さっちゃん」の想いが届けと歌う高橋樺子
「さっちゃんの聴診器」の主人公のさっちゃん(矢島祥子さん)は、大阪・西成でホームレスや日雇い労務者など地域の人たちを診療し続けたが、若くして死ななければならなかった。その無念を歌ったのが「さっちゃんの聴診器」である。
歌の主人公の実兄がリーダーの夜明けのさっちゃんズ
作曲をした矢島敏はさっちゃんの実兄。彼女が生きた町が舞台となる「釜ヶ崎人情」を、かつて彼がライブで歌った時のこと。そこで偶然にも、歌の詞を書いたもず唱平と出会ったのてあるが、それがきっかけで今作の制作につながったという。
この日のライブでも矢島は、バンドグループ夜明けのさっちゃんズのリーダーとして参加。演奏などで高橋の歌をを盛り上げた。
夜明けのさっちゃんズのメンバーと
震災被災地など行っている健康体操も披露
さっちゃんは研修医時代に沖縄で働いている。これも不思議な因縁であるのだが、彼女はその後、大阪の病院に就職して、西成のあいりん地区でホームレスの医療などを行うボランティア活動にも従事することになる。
その献身的な活動から〈西成のマザー・テレサ〉とまで呼ばれるが、09年に亡くなっている。
彼女の志を広く世に伝えようと、「さっちゃんの聴診器」を歌う高橋は、11年に東日本大震災の被災地の人々を元気づける歌として作られた「がんばれ援歌」で歌手デビューしている。
以来〈平和〉をテーマに歌い続けており、「さっちゃんー」も新たな形の平和を考えさせる作品として注目されている。
やっぱり「がんばれ援歌」
ライブで高橋は「がんばれ援歌」「四丁目のスナック」などのオリジナル曲や、もず作品の中から「花街の母」「釜ヶ崎人情」「はぐれコキリコ」などのヒット曲、さらにはUTADAMAレーベルの未発表オリジナル作品の「うりずんの二人」など3曲も披露した。
自らは新レーベル会社の社長には就かず、顧問であるというもずは、拠点を沖縄に置いたことについて、この日、次のように話した。
「歌作りの根本には、ワールドミュージックとの混血(異文化の融合)によって生まれているという現実があります。沖縄は同じ国内でありながら、全く違う音楽が存在する土地であることが、その大きな理由です」
沖縄での音楽作りの持論わ語るもず唱平
また高橋は久々の大きな会場でのライブを終えて、「今は沖縄をベースに一生懸命突っ走っている状況です。これからも頑張っている私を見ていてほしいです」と、集まったファンに呼びかけていた。
沖縄から世界へ
高橋は今後、2月15日には大阪・心斎橋のBIG CATでの大阪発流行歌ライブに出演するほか、同19日には沖縄県那覇市のメインストリート国際通りで路上ライブを予定。「さっちゃんの聴診器」を聴かせる事になっている。
※写真・記事の無断使用はお断りします。
[高橋樺子 オフィシャルサイト]
https://utadama-music.com
[高橋樺子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/takahashi_hanako.html
大阪・十三のGABUで歌う高橋樺子
オープニングで高橋樺子は「さっちゃんの聴診器」を披露。♫ もっと生きたかった この町で 〜 で始まるこの歌は、高橋らを伴って沖縄に移住した作詞家もず唱平が22年に立ち上げた沖縄発の新レーベル、UTADAMA MUSICが初めて世に問うニューシングルである。
高橋にとっては「四丁目のスナック」以来、5年ぶりのシングルになる。
「さっちゃん」の想いが届けと歌う高橋樺子
「さっちゃんの聴診器」の主人公のさっちゃん(矢島祥子さん)は、大阪・西成でホームレスや日雇い労務者など地域の人たちを診療し続けたが、若くして死ななければならなかった。その無念を歌ったのが「さっちゃんの聴診器」である。
歌の主人公の実兄がリーダーの夜明けのさっちゃんズ
作曲をした矢島敏はさっちゃんの実兄。彼女が生きた町が舞台となる「釜ヶ崎人情」を、かつて彼がライブで歌った時のこと。そこで偶然にも、歌の詞を書いたもず唱平と出会ったのてあるが、それがきっかけで今作の制作につながったという。
この日のライブでも矢島は、バンドグループ夜明けのさっちゃんズのリーダーとして参加。演奏などで高橋の歌をを盛り上げた。
夜明けのさっちゃんズのメンバーと
震災被災地など行っている健康体操も披露
さっちゃんは研修医時代に沖縄で働いている。これも不思議な因縁であるのだが、彼女はその後、大阪の病院に就職して、西成のあいりん地区でホームレスの医療などを行うボランティア活動にも従事することになる。
その献身的な活動から〈西成のマザー・テレサ〉とまで呼ばれるが、09年に亡くなっている。
彼女の志を広く世に伝えようと、「さっちゃんの聴診器」を歌う高橋は、11年に東日本大震災の被災地の人々を元気づける歌として作られた「がんばれ援歌」で歌手デビューしている。
以来〈平和〉をテーマに歌い続けており、「さっちゃんー」も新たな形の平和を考えさせる作品として注目されている。
やっぱり「がんばれ援歌」
ライブで高橋は「がんばれ援歌」「四丁目のスナック」などのオリジナル曲や、もず作品の中から「花街の母」「釜ヶ崎人情」「はぐれコキリコ」などのヒット曲、さらにはUTADAMAレーベルの未発表オリジナル作品の「うりずんの二人」など3曲も披露した。
自らは新レーベル会社の社長には就かず、顧問であるというもずは、拠点を沖縄に置いたことについて、この日、次のように話した。
「歌作りの根本には、ワールドミュージックとの混血(異文化の融合)によって生まれているという現実があります。沖縄は同じ国内でありながら、全く違う音楽が存在する土地であることが、その大きな理由です」
沖縄での音楽作りの持論わ語るもず唱平
また高橋は久々の大きな会場でのライブを終えて、「今は沖縄をベースに一生懸命突っ走っている状況です。これからも頑張っている私を見ていてほしいです」と、集まったファンに呼びかけていた。
沖縄から世界へ
高橋は今後、2月15日には大阪・心斎橋のBIG CATでの大阪発流行歌ライブに出演するほか、同19日には沖縄県那覇市のメインストリート国際通りで路上ライブを予定。「さっちゃんの聴診器」を聴かせる事になっている。
※写真・記事の無断使用はお断りします。
[高橋樺子 オフィシャルサイト]
https://utadama-music.com
[高橋樺子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/takahashi_hanako.html