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はやぶさ、王道のムード歌謡が人気 ニュームード歌謡の「赤坂レイニー・ナイト」 [インタビュー]

◆赤坂、一ツ木通り、薬研坂ーー。ムード歌謡の聖地とも言える東京の地名が散りばめられた、新世代歌謡グループ、はやぶさの日本クラウン移籍第2弾の「赤坂レイニー・ナイト」が、「王道に立ち返ったムード歌謡」と好評である。2024年2月の発売前から予約キャンペーンを展開するなど、リリース後はチャート1位を獲得。「初めてステージを見た人たちも、ショーの終わりには口ずさんでくれている」ほど。ムード歌謡復活へ向けて期待が大きい。

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写真・はやぶさの2人(ヒカル=左=とヤマト)


 「赤坂レイニー・ナイト」は鶴岡雅義と東京ロマンチカの名曲「小樽のひとよ」などを作曲し、ムード歌謡のレジェンドとも言われる鶴岡雅義の手によって作曲された。まさにこれぞムード歌謡ーといった作品なのである。

 はやぶさは元々、ムード歌謡を歌う歌謡グループとして「ヨコハマ横恋慕」で2012年にデビューしている。
 鶴岡雅義とはやぶさは、14年に発売された「ロマンティック東京」(ビクターエンタテインメント)が初顔合わせの楽曲であった。「鶴岡先生のメロディーに、かず翼先生の歌詩が乗ってムード満点」となった作品である。

 この前年、はやぶさはファースト・アルバム「歌謡カヴァーソングス」(6曲を収録)を出しているが、この中で鶴岡の代表作である「小樽のひとよ」を収録した。「これの発売記念イベントに鶴岡先生に来て頂いたんです。それが翌年の『ロマンティック東京』につながった訳です」

 デビュー当時のはやぶさはメインヴォーカルのヒカルヤマトショウヤ(体調不良で18年に引退)の3人で歌っていた。グループは演歌歌手を目指していたヒカルと、幼い頃から石原裕次郎が大好きでムード歌謡を歌ってきたヤマトといった違いもあった。

 そうした違いも生かして、ムード歌謡をはじめ多彩な楽曲に挑戦して、幅広いファン層を獲得していった。

大阪流行歌ライブ (5月15日) 歌うはやぶさ.jpg
写真・大阪発流行歌ライブで歌うはやぶさ(2024年5月15日)

 クラウンへの移籍第1弾は23年2月に出した「外苑西通り」であった。やはり鶴岡による作曲作品である。これに際してヒカルは、例えば語尾をはっきりと表現する演歌とは違う、ムード歌謡独特の声の出し方になどについてレッスンを受けている。
 「歌いじりがじビブラートであったり、声のボリュームも演歌とは全く違うし、戸惑いを感じる事ばかりでした」

 ヤマトも「逆に僕が演歌を歌えと言われると、同じように困惑していたでしょうから、大変だったと思います」と同情する。

 悩んでいるヒカルに鶴岡は東京ロマンチカのヴォーカルだった三条正人の話を聞かせた。三条は1967年に東京ロマンチカに加入して、メインヴォーカルとして「小樽のひとよ」を歌って大ヒットさせている。
 「三条さんも元々は演歌を歌っていたそうで、東京ロマンチカに入ってから苦労してソフトな、あのムードたっぷりな歌い方に変えたというんです。それを聞いて僕ももっと勉強しなければ、と決意を新たにしたんです」

 元東京ロマンチカのメンバーでもあった歌手の浜博也も彼らに「ムード歌謡は聴いている人の邪魔をしない事だよ」とアドバイスを送っている。
 「この言葉も心に刺さりました」とヒカル
 これでもかと言うほどに歌い込まずに、さらりとソフトに聴かせる。ムード歌謡の真髄かもしれないと。

 小学生の時から石原裕次郎の歌を歌っていたというヤマト。そんな歌手になりたい、と夢を描いていた彼にとって鶴岡メロディーは「言葉にはし辛いけれど、古賀メロディーを受け継ぎラテン音楽の影響も受けて、目に見えない独特のムードを作り出しておられます」と、称える。

 誰にでも経験がある、人を恋しく想う心と人に寄り添うような柔らかなメロディーが運んでくれる優しい歌詞。それがムード歌謡だとはやぶさの2人は新たなムード歌謡への挑戦を今、始めたばかりである。


動画・ニュームード歌謡への意気込みを語るはやぶさ

 今年7月31日にはクラウン移籍後初のアルバムを発売する。はやぶさ・大滝ひかる・駿河ヤマトが三つ巴になって歌う、そのタイトルもズバリ「三つ巴」。はやぶさのムード歌謡、ヒカルの演歌、ヤマトのムード歌謡と、ソロも含めて全10曲を収録する。


[はやぶさ オフィシャルサイト]
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[はやぶさ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/hayabusa/news?ima=0718&ct=ryuko








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