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西川ひとみ(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  移籍第1弾「望郷おんな花」  自身初の唸り演歌  やって来たチャンスを予感 [インタビュー]

西川ひとみ.jpg◆巡ってきた大きなチャンスをしっかり掴んで大輪の花を咲かせますーと、意気込むのは徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、西川ひとみ。2017年2月8日に出した新曲「望郷おんな花」は、彼女が初めて唸りを取り入れた本格演歌。東京での店頭キャンペーンでは予想以上の成果をみせるなど、1ヶ月足らずでCDの販売枚数は大きく伸びているという。


西川ひとみ・望郷おんな花.jpg










 デビューして23年目になる。そのうち7年間は歌手生活を休止している。
 日本クラウンから1994(平成6)年に、関西汽船50周年記念曲として出した「別府航路」がデビュー曲だった。高校時代から地元熊本県八代市から東京へ通ってレッスンを受けていた。それを経て、ようやくデビューしている。ところが4年後、脳梗塞に倒れた母親の介護のため、せっかく手にした歌手を休業する事態に陥ったのである。

 幸いにも母親は快復して、介護の手から離れたこともあって、2006(平成17)年には復帰を果たす。日本クラウンから「ゆうすげ雨情」で再デビューにこぎつけたのである。カップリングにはデビュー曲の「別府航路」を再収録して再起を期した。
 復帰2曲目の「寄り添い花」は「そこそこ売れた」(西川)が、翌平成20年にホリデージャパンに移籍。その第1弾となったのが実母を歌った「母恋たより」で、今もキャンペーンなどでも歌い続けている。


西川ひとみ2.jpg 今年、徳間ジャパンへ移籍したが「今までは波乱に満ちた歌手人生」と、自ら振り返るほどである。
 「デビュー曲の失恋ものをはじめ可愛い女性路線、さらに不倫もの母ものなど、いずれもしっとり演歌ばかりを歌ってきたんです。ところが本来のわたしは失恋しても後を引かない、サッパリとした男のような強い性格なんです」

 いつかそんなきっぷのいい女性を歌ってみたい、と思い続けていた。それが今回の移籍で実現する。移籍がが決まった西川のディナーショーを、東京都内の会場で見ていた作詞家の志賀大介が「彼女はしっとり演歌の路線ではないよ」と言って書いたのが「望郷おんな花」だった。

 しかもそれが、今まで西川が感じたことのない手応えを実感させているのである。「これはいける。もしかすると・・・一生のうちでもそう多くはないチャンスなのかもしれない」。
 そのように彼女が胸を高鳴らせるのには理由がある。発売直後に東京のCDショップ3店舗で行った店頭キャンペーンでは「300枚ものCDが売れた」(西川)というのであるから、確かにうなづける。しかも発売1ヶ月間では1万枚に迫る勢いだともいう。

■浪曲師のDNA

 西川が初めて歌うという唸り演歌「望郷おんな花」は、5行詞の最初の3行は語るように歌っている。ところが4行目の後半からは「一転して、2階3階席まで届くようにぶつけるように歌い、5行目の ♪ こころは錦の ~ は、さらにスケールを大きく歌い上げます。歌っていて最も気持ちのいいところですね」と西川。
 ここが聴くものの胸に響き、CDの販売にもむすびついているようだ。

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 西川の父親は松平円十郎という浪曲師であった。浪曲は習ったことがないとはいうものの彼女は「DNAは受け継いでいるのでしょうか。『望郷 - 』にある浪曲の節回しなどは自然と出てきました。レッスンでは『くさく歌って』と注文がありましたが、その<くさく>は節回しなんですね」と、子どもの頃憧れていた 都はるみのように唸り演歌を自分のものへと昇華させようとしている。

 しっとり演歌から唸り演歌へと変えた西川は、今回、移籍するにあたって3ヶ月で10キログラムのダイエットを成し遂げている。ディレクターからの注文に応えたというのだが、好きな日本酒も断ち、トマトを食べ続けて、見違えるようになった。衣装の和服を着た姿も「きれいに品の良い着姿になりました」と西川は笑う。

■関西でも知名度アップへ

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 3月6日から8日まで 関西キャンペーンをこなした。期間中には大阪では初めての店頭歌唱キャンペーンも行なって、次のステップへの足がかりを作っていた西川は「関西ではまだ無名に等しいので、西川ひとみの名前をこれから広めていきたい」と、大きな声で宣言していた。



[西川ひとみ オフィシャルサイト]
http://nishikawa-hitomi.com/
[西川ひとみ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/id=8481




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