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夏木綾子(キングレコード)  「金沢しぐれ」  旅情を誘うニッポの美を歌った演歌  初の金沢旅行も [インタビュー]

夏木綾子.jpg◆「今年、女友達3人で金沢へ旅行するんですよ」。キングレコードの歌手、夏木綾子が初めての金沢の旅を計画している。ひがし茶屋街、片町、犀川と2018年4月4日に出したばかりの新曲「金沢しぐれ」にも出てくる金沢の名所を訪ね、近江町市場では北陸の美味しいも体験する。金沢の風情を身体いっぱいに感じて「歌の主人公の気持ちになってみたい」と、心を早くも金沢へ向けて弾ませている。










 小雨降る金沢の街を行く女ひとり。そんな姿をメジャーな曲調でしっとりと歌う「金沢しぐれ」は、夏木綾子が「あじさい雨情」(2005年)から歌い続ける雨シリーズである。夏木と言えば雨、雨と言えば夏木と言ってもいいほどに、今まで雨のいろんな趣きを感じさせてくれている。雨は夏木演歌の定石になった。

 今作は、金沢を歩くようにゆったりと歌うそれは、まさに古都散歩の頁をめくるかのように、街のあちこちが目に浮かんでくる。
 「前作で徳島を舞台にした『眉山の雨』を歌って、地方都市の歌への魅力を感じさせられて、今回は行きたい土地に選ぶ人が日本で一番多いという金沢へ飛ぶことになりました」

 CD発売後の反響も良く「歌を聴いて、久しぶりにふる里の金沢へ帰ってみたくなりました」などといったファンレターが届くなど、聴く人の旅情を誘っているようである。

夏木綾子・金沢しぐれ.jpg 古都の風情を一段と感じさせてくれるのが、詞に散りばめられている「暮れなずむ」「そぞろ歩く」「傘をかしげて」「濡れそぼる」といった言葉だろう。
 いずれも日本の風景や人情の細やかさなどを感じさせるものであるが、今では演歌の世界でしか味わうことが出来なくなってしまったのが残念であるが、なればこそ「金沢しぐれ」はニッポンの美を歌った1曲とも言える。

 「3番に<しぐれ月>という言葉出てきますが、これは雨の日に月を言います。濡れているかのようなその姿を、しぐれにたとえています。知らない人が多い言葉ですよね」


 カップリング曲は夏木の母親の出身地、長崎・五島列島を舞台にした「海鳴り情歌」。無事に漁から帰って来てくれるだろうか、と東シナ海を見て恋しい人を待ちわびる歌である。夏木の祖父は五島で漁師をしていたという。彼女がまだ子供の頃、夏休みには毎年、大阪から1週間ほど母と一緒に五島へ行っていた。親戚の子たちと海や山で遊んだ記憶は今も鮮明である。

 「サザエやウニ、アワビを採りに行く祖父に連れられてポンポン船で海へ行きました。祖父が海に潜っている間は、近くの島で遊んでるんですが、楽しい思い出ですね」

 歌はその頃の情景を想い出しながら、「金沢しぐれ」とは正反対に力強く歌う。


 初めての金沢旅行は梅雨入り前に休暇を取って、大阪の女友達と一緒に出掛ける。
 夏木は「美味しいものを味わいたいし、気に入った帯締めや帯揚げを見つけられるといいなぁと思っています。有名な金箔もね。街を歩いて歌の主人公の気持ちになり切りたい」と、期待を膨らませる。

 去年、大阪で25周年記念パーティーを開いた夏木は「今年からは30周年に向けて、健康に気を付けながら、いい歌を歌っていくことを心掛けていきます」と、話していた。






[夏木綾子 オフィシャルサイト]
http://natsukiayako.net/
[夏木綾子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10421






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山口ひろみ(テイチクエンタテインメント) 「紅の雨」 デビュー16年で目指す新しい路線  ドラマチックでしっとりした演歌 [インタビュー]

山口ひろみ.jpg◆こんな山口ひろみがいたんやー!そんな驚きの声も聞こえてきそうな、2018年2月14日に発売された新曲「紅の雨」。スローなメロディーに切ない別れの詞がのる。「新しい路線を目指したい」というレコード会社のディレクターの強い意向で出来上がった。CDジャケットの潤んだ瞳で見つめる山口の写真は、いつにも増して女っぽさが感じられる。本人もお気に入りの1ショットである。


山口ひろみ・紅の雨.jpg









 「紅の雨」は、初めて好きな人に誘われてやって来た静岡県修善寺への旅は、切ない別れの旅だった、という設定である。タイトルの「紅-」は、別れたくないという燃えるような想いが、桜の花さえ紅色に見えてしまうところから付けられた。ドラマチックでありながらしっとりとした歌である。

 今まで歌ってきた楽曲とはガラリと違っている。意外とかまさかとか、といった声も聞かれるが、これは進化する山口ひろみのひとつの側面なのだろう。

 山口の歌は、今作のように歌謡曲寄りでありながらもしっとりとした演歌タッチな「紅の雨」であったり、こぶしの効いた山口のイメージを定着させたデビュー曲の「いぶし銀」、さらには師匠の北島三郎のオリジナル曲をアレンジした自身も大好きだという「その名はこゆき」の3つのタイプに大きく分かれるという。それぞれ違う顔を持つが、どれもが山口ひろみなのである。

 「私は取り立てて個性的でもないけれど、何でも歌えるようになりたい。そこに残っていける歌手になれるポイントがあるように思っています。幹がしっかりとしていれば、どんな歌を歌っても勉強になるはずです」

山口ひろみ2.jpg
私の帰るところは演歌です

 デビュー16年目になる山口がつかんだ、自らの歌世界である。
 「悩んだこともありましたが、10年を過ぎた頃からでしょうか、何を歌っていようと、これが山口ひろみだ、と皆さんが自然と感じてもらえるようになればいいと思うようになったんです」

 確かにデビューから彼女はいろんな歌を歌ってきた。女歌も男歌もあったし、抒情歌もあればブルース調も。デュエットも3曲ある。「どんな歌を歌っても、帰るところは演歌なんです」と、進化し続ける山口にはもう迷いはない。

 今作のカップリング曲「振り向いて」はシャンソンの香りがする歌謡曲で、彼女の器用さを表した1曲だ。衣装も着物よりもドレスが似合う歌で、新しい世界を開いている。

 そんな彼女がさらに新しい挑戦を見せてくれた。
 4月3日から16日までの期間限定だったが、JR大阪環状線の女性専用車両で流れた「おんなのうた」シリーズの「きょうもゴミが出せなかったの歌」を山口が着物姿の演歌歌手として歌ったのである。

 読売テレビが制作したもので、働く女性の"あるある"を1分間の歌「おんなのうた」にして、モヤモヤした気持ちを丸ごと受け止めて前に進もう、というものである。
 その第1弾が「きょうもゴミが出せなかったの歌」であった。環状線での配信終了後は、YouTubeでも配信されて、視聴回数は1か月余りで8万回を超えている。「紅の雨」で切ない女を歌う、同じ歌手なのかと思わせる企画であった。それをこなすのは、やはり大阪・天下茶屋出身の山口ひろみならではなのだろう。


 「紅の雨」のCDに封入されているプレゼント応募券を貼って応募すると、山口が初代の観光大使をしている宮城県女川町の蒲鉾か「紅の雨」のポスターが当たるプレゼントも実施している。





[山口ひろみ オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/hiromi/
[山口ひろみ テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/yamaguchi/






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みやま健二(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  地元京都・亀岡で感涙の「浜撫子」キャンペーン [イベント]

◆ゴールデンウイーク初日の2018年4月28日、徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二が、京都府亀岡市のショッピングセンター、アル・プラザで「みやま健二演歌キャンペーン」を行った。

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たくさんのファンが詰めかけた地元亀岡でのみやま健二のキャンペーン

 みやまの実家のすぐ近くでの開催であり、最新曲「浜撫子」を歌うと、客席からは「ま~ちゃん~(みやまの本名は石村雅夫)と声援が飛んで、みやまも「懐かしさでいっぱいです。皆さんが僕の歌を一生懸命聴いてくださって、こんなに嬉しいことはありません」と、思わず涙する場面も見られたほど。

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<ま~ちゃん~>の掛け声に思わず涙も

 アンコールもあって、地元でのステージは終始暖かい声援で包まれていた。


[みやま健二 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/new_release_detail/id=7699







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原田ヒロシ(ホリデージャパン)、 Live At U6  40周年リサイタルを11月に新歌舞伎座で開催を報告 [ライブ]

◆ホリデージャパンの歌手、原田ヒロシが2018年4月27日、大阪・上六のライブハウス、スターライブU6で、定期ライブ「原田ヒロシ Live At U6」を開き、原田の音楽の原点にもなったという1950〜60年代のロックンロールをはじめ全22曲を聴かせた。また今年11月30日には、歌手生活40周年のリサイタルを大阪・上六の新歌舞伎座で開くことを明らかにした。芝居と歌謡ショーの2部構成になる。

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じっくりと聴かせた原田ヒロシLive At U6

 原田ヒロシは大阪では約20年前から定期ライブを開いている。U 6での開催は6年目になる。今回で10回目というU6ライブでは「原点に戻って、じっくりと歌を聴いてもらうことにうんとごたわった選曲」(原田)で、演歌・歌謡曲、民謡、ビートルズナンバーやロックルロールなど、実に幅広い選曲を凝らした。

 原田は「歌のレパートリーは4000曲ある」というだけに、ジャンルは幅広い。それもそのはずで、ファン層の年齢も上は90歳だいといい、ハワイには300人を超える後援会もあるという。

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ロックンロールから演歌まで幅広く歌った

 神奈川県横浜市出身の原田には、横浜を舞台にした楽曲も少なくない。この日は横浜港開港150周年に合わせて作った「ヨコハマ・ベイ・ブルース」「この指とまれ」「本牧...エレジー」「横須賀演歌」などオリジナルや提供楽曲を披露した。

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11月には新歌舞伎座で40周年記念リサイタルを開く

 アンコールにはデビュー35周年を機に作った「秋時雨」(2013年)を用意。原田ヒロシ作詞・作曲で、中高年男性の哀愁を誘うその歌は、リリースから4年が過ぎたが、静かに人気が高まりつつある。
 在阪の歌手、北沢麻衣(ホリデージャパン)のカバー曲「銀次 -GINJI-」を久しぶりに聴かせた。

 この日、ファンを一番喜ばせたのは新歌舞伎座での初公演決定のニュースであっただろう。ライブ会場のU6とは目と鼻の先にある新歌舞伎座ではあるが、今までは「出演者の楽屋見舞いに行ったものの、舞台に上がったことはなかった」(原田)だけに、今から公演の内容にあれこれと考えを巡らせる。

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ファンの飛び入りも

 計画では一幕一場の30~40分程度の芝居・時代劇を1部に、2部を自身の歌謡ショーにする。原田は「これで夢の一つが叶うことになった」と話していた。


 次回の原田ヒロシU6ライブは5月30日を予定している。


[原田ヒロシ ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ha1_hh.html







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「渡辺要物語 歌は心の港」 第8回 別れ [インタビュー]

二代目若乃花に抱かれる渡辺愛一郎.jpg渡辺要(日本クラウン)は2016年6月21日、人形・くいだおれ太郎で知られた大阪・道頓堀のビルの地下にあるライブハウス・道頓堀ZAZAで開かれた「道頓堀SUPER歌謡劇場」のステージに立っていた。彼はこの5日前に最愛の長男、愛一郎を43歳の若さで亡くしたばかりであった。あまりにも突然のその死は、要を奈落の底へ突き落したかのようであった。嘆き悲しむ要を慰めるかのように、同劇場を主宰する作曲・作詞家の中村泰士は彼の横に立ち「ええ歌を歌いまっしゃろう、このおっさん。この前、息子を亡くしたばっかりなんですわ」と彼独特の言い回しで、客席に向かって要への応援を呼びかけた。







第56代横綱の2代目若乃花に抱かれる愛一郎、要鮨で

 渡辺要にとって愛一郎は、結婚8年目でようやく出来た1人息子で、要鮨のお坊ちゃまとして、文字通り目の中に入れても痛くないほどに溺愛して育てた。それだけに息子の死を知らされた要の悲しみは尋常ではなかった。

 東京の母親の元から高松に戻った愛一郎は、高松市立四番丁小学校(現・新番丁小学校)の4年に編入した。同時に少年野球チームに入ると、すぐにレギュラーになったほど運動神経は抜群であった。
 県下トップクラスの香川県立高松高校への進学者が多いことでも知られた同市立紫雲中学へ進んでからも、部員が150人もいた野球部に入り「1年からベンチ入りしており、店にあった宴会用の太鼓を持って応援にも行った」と、要は周囲も憚らずにあらんばかりの親バカぶりを見せていた。


渡辺要2.jpg 志望していた高松高校の受験には失敗した。私立の大手前高松高校へと進学する。大学は母親の千恵子が住んでいた実家からも近い、東京の亜細亜大学に入学した。母親と長く別れて暮らした寂しさを癒すことが出来れば、と要の計らいで一緒の生活を選んだ。月々10万円を仕送りしたという。

 大手前高松高校では、成績順に1組から6組までのクラス編成がされていた。入学当初は6組だった愛一郎だが、2年で3組、3年では1組に進むなど優秀ぶりを見せた。
 クラスの入れ替えはテストの成績で決められていた。

 「テストでクラスで1番を取った時には、愛一郎は喜び勇んで帰ってきて、店に立っている僕に報告してくれました。祝いや、と叫んで赤飯を炊いて鯛の活造りを作ったもんです。小学生の頃には遠足や運動会となると、従業員が、親っさん弁当作りますわ、といって豪華な弁当を作ってくれて、それを持たせました。クラス全員の弁当を作ったろか、と言ったこともありました」

「道頓堀SUPER歌謡劇場」(2016.6.21)で歌う渡辺要

 さすがに愛一郎も、そんな父親に「恥ずかしいからやめてくれ」と断っている。

 大学生生活は4年間、東京で過ごし、卒業後はそのまま東京で就職している。

 そんな愛一郎の身体に変化が見られるようになったのは、27歳になった頃からであった。
 ある日突然、母親の千恵子が慌てふためいて「愛一郎がおかしい。押し入れに入って出てこない」と、電話がかかってきたのが始まりだった。
 要は信じられなかった。いつも活発に野球をするなどパワフルなイメージしかなかった息子が、そんなことになるなんて嘘だとしか思えなかった。

 「なにをアホなことを言うてるんや。そんなことになるわけがないやろう」
 要は千恵子を怒鳴りつけた。

 高松に帰りたいという愛一郎の希望通りに戻らせると、まるで子供みたいに「父さん・・・」と、か細いで話しかけてくるだけであった。ボールを追ってグラウンドを走っていた元気な愛一郎とは、まったく別人になっていたのである。
 病院での診断はうつ病だった。「改善はするが、完全には治らないだろう」とも宣告された。

 病状を心配して千恵子が東京から駆け付けると、愛一郎は「2度と来るな、帰れ」と母親をまったく受け付けようとはしない。


 離婚して東京へ戻った千恵子には新しい男性がおり、彼女の両親が亡くなると家に入れて愛一郎と3人での生活が始めていた。医者は「それが原因で自分の居場所がなくなった、と思わせるようになり、病気を悪化させたのだろう」と推測するのだった。


続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第7回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-25
「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-24
「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-09
「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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川上大輔(日本クラウン) 「パズルを解かないで」  ミステリアスで切ないラブソング  関西発のラジオパーソナリティーもスタート [インタビュー]

川上大輔1.jpg◆少しミステリアスでアンニュイな歌い出しが、この歌の魅力を増している。この先、物語がどのように展開していくのか、とまるでミステリー小説を読むかのように、聴く者をぐんぐんと惹きつける。2017年に日本クラウンに移籍した歌手、川上大輔が、18年2月に出したシングル「パズルを解かないで」である。川上はこの作品を「僕の中にあるものを最もよく引き出してくれているし、これから進む道を想像させてくれている」と説明する。デビュー6年目の彼に新たなショーが始まるのかもしれない。










 淡々としたメロディーが流れ、それに乗せた詞は男女2人が会話するかのように、歌のストーリーは展開していく。
川上大輔・パズルを解かないで.jpg 主人公は「一途に年上の女性に恋い焦がれる、どこまでもピュアな男性」(川上)であり、彼女のミステリアスな心の内を知ろうとすればするほど、胸は苦しくなる。そんな「パズルを解かないで」は、切ないラブソングなのである。

 レコーディングで川上は何度か歌っているが「ファーストインスピレーションで最初に歌ったものが、ライブのように演奏と一体感が出て、作品として面白味が出ていた」ことからそれが採用された。


 川上は演歌・歌謡界で活躍する若手イケメン歌手、演歌男子。の1人としてテレビやライブなどに出演している。それは演歌・歌謡曲の新しい訴求手段であるわけで、彼にとっても「おかげで新しいファン開拓につながっている」という。
 新曲「パズルを解かないで」のキャンペーンでも、<だいちゃん、だいちゃん>の掛け声も多く「年々、応援がふえている」(同)と、喜びを隠せないようである。

 「パズルを解かないで」のカップリングには「シャボン玉の恋」が収録されている通常版のほか、もう1曲「鳥の歌」とDVDをプラスした豪華版の2タイプが用意されている。DVDは「パズルを解かないで」のミュージックビデオと、そのビデオのメイキング版も収められている。

川上大輔2.jpg


 この楽曲は映画を見ているに、聴く者のイメージを膨らませてくれる。歌謡曲を5年間歌ってきた川上であるが、自身にとって大きな区切りとなるデビュー10年目に向けては「ミュージカルなど歌以外にもやってみたいことはある」と、夢を膨らませている。

 川上が「この作品は今までのどの作品よりも、僕という人間を表現してくれており、これから歩もうとしている道を想像させてくれている」というように、新曲は彼の次のステップを暗示しているようだ。
 デビュー以来、川上は個性的な「プラチナボイス」と呼ばれるハイトーンな声でファンを魅了してきたが、同時に「どんな言葉が相手の胸にささるのか、そして聴いてもらえるのか」を常に考えきた表現者でもあり、「パズルを解かないで」は、その問いに答える新たな1曲なのだ。


 関西で初めて、このほど毎週木曜日夕方の時間帯に、ラジオ番組のパーソナリティーもスタート。これをきっかけに、月に1回程度の来阪が実現し「ラジオ以外にも店頭ライブなど関西のファンとの絆を深めるきっかけにしたい」と意欲を見せている。






[川上大輔 オフィシャルサイト]
http://daisuke1112.jp/
[川上大輔 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kawakami/whats.html







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「渡辺要物語 歌は心の港」第7回 長男誕生 [インタビュー]

渡辺要 2018.04.03.jpg◆この頃はまだ渡辺要の興味は歌よりも、鮨店の経営の方が大きかった。
 オープンした要鮨は連日のように順番を待つ人たちの行列が出来ていた。鮨店にしては珍しく「もういいわ、というほどにお客が来た」(渡辺)ほどで、街の人たちの間では「伝説的な繁盛ぶりだった」と、オープン時の盛況ぶりは長く語られ続けていた。

 それは彼のこだわりの成果でもあった。店舗は経営コンサルタントのセミナーにも参加して、念入りに話を聞き、インテリアなど一流の店作りをした。1フロア25坪の店は1階がカウンターとテーブル席、2階に個室を4部屋作って、支店経済の街と言われる高松の社用族が接待に使える高級店にした。

 3階は住まいにした。
 新店舗をオープンした翌年、1973(昭和48)年5月20日に長男愛一郎が誕生している。要が惚れて惚れて惚れぬいて一緒になった妻、千恵子との結婚生活8年目の時であった。

テレビ番組「歌に恋して」で歌う渡辺要(2018.4.3)

 桃栗3年柿8年ではないが、待ちに待った誕生の喜びを隠せない渡辺は、自転車のペダルを踏み、尻が痛くなるのも忘れて、約3時間をかけて実家がある香川県木田郡西植田村の、母親が眠る墓で長男の誕生を報告に行っている。

 「母は末っ子の要の子供を見るまでは死なれへん、と言いながら死んで行ったんですが、ようやく喜ばせることが出来ると思ったんです」
 母親の話をするとき、要の眼には涙が滲んでくる。
 報告を終えて、高松への帰りは「車に乗せてやる」という農家を営む兄・勇が、普段は農作業に使っている軽トラックに自転車を積んで、送ってくれた。

■6年間作り続けたパパ弁

渡辺要・鮨職一代.jpg 要と千恵子の間に出来た子供は愛一郎ひとりであった。それだけに宝物のように育てたのであったが、夫婦はどちらも気が強くて、引かない性格であったことから、愛一郎誕生前から良く衝突していた。
 喧嘩するたびに千恵子は東京の実家へ戻っている。

 「帰るたびに、僕が白旗を挙げて迎えに東京まで行くんですわ。すると女房は『ほら見なさい、私がいないと困るでしょ』と食ってかかってくるから、また喧嘩して、ひとりで高松に戻ったことしばしばでした」

 惚れて一緒になった仲やのに、2人はこうした衝突を何度も何度も繰り返している。


1991年3月リリースの「鮨職一代」は渡辺の鮨職人時代の意気込みを歌った
全すし連推薦曲にもなっている

 繁盛している鮨店のオーナーで、まだ30代の若さであったから要は、夜の街でも良くモテていたという。事実「誤解を招くようなこともあった」といい、愛一郎が小学2年になると、千恵子はついに息子を連れて東京へ帰ってしまい、2年もの間帰ってこなかった。

 千恵子の実家は東京・渋谷で乾物問屋をしていたが、渡辺が結婚を申し込んだ時にはすでにそこは倒産して、雨漏りがするような借家に引越しをしていた。彼女は7人兄妹の長女だった。
 結婚当初にそこを訪ねた要は、若くて勢いがあったのであろう、男気を出して「この家を建て替えてやると宣言したんです。当時は300万円もあれば家一軒が建っていたので、建て替えの頭金にと、取り敢えず50万円を渡して、家を建てた後のローンも毎月10万円ずっ支払った」という。

 千恵子が実家に戻るたびに、元軍人で頑固な父親は「要のどこが悪いんだ」と、自分の娘をたしなめていた。2年間もの期間、戻った時もそのように説得して、子供が4年生になる直前にふたりを高松に戻している。
 2人が帰ってホッと胸をなでおろしていた要だったが、それもつかの間、1ヶ月ほどして、今度は千恵子は子供と離婚届を置いて、またまたひとりで実家に戻ってしまったのである。

 それでも要は「いつか戻って来たときのことを考えて離婚届には印鑑を押さないで待っていた」が、商売をしながらの父子家庭は楽ではなかった。
 愛一郎には中学3年までの6年間、毎日弁当を持たせていた。朝6時に起きて弁当作りをして、それから子供と一緒に市場へ買い出しに行く。市場の食堂で朝ごはんを食べて学校へ行かせるという毎日であった。


続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-24
「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-09
「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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「渡辺要物語 歌は心の港」第6回  高松・ライオン通りに出店 [インタビュー]

渡辺要 2018,03.11.jpg◆渡辺要は鮨店を経営しながら少しづつ歌の道へと入っていく。
元々子供の頃から歌を歌うのが大好きだった要は、小学3、4年になると自転車に乗って1人で、たとえ1時間ほどかかる場所であっても、素人のど自慢コンクールがあると聞くと、良く飛び入り参加して歌っていた。

 歌うのはいつも三橋美智也や三波春夫であった。参加すると、きまって熱演賞などをもらっており、母親を喜ばせるのが自慢だった。彼は今でもその頃を「賞品はタワシとか餅焼き網とかが専らでしたが、たまに酒の一升瓶ということもあって、兄貴たちが喜んでくれた」と懐かしそうに振り返る。

 要は8人兄姉の末っ子である。一番上は女で、その下に男が5人続き、さらに女、そして要であった。実は彼の後に双子が生まれているが、誕生してすぐに亡くなっている。
 三男の勇は渡辺よりも歌は上手かったようで、同じようにコンクールに参加しては優勝していた。

<歌の原点は村ののど自慢大会だった>

 もっともこの頃はまだ歌手になるなんて、思いもしていなかった。
 それでも母親のミノルにとっては、歌が上手い要は自慢の子供だったのだろう、近所で祝い事があると彼を連れていっては、歌を歌わせていた。村の者たちも黙ってはいない。「僕、上手いね」と言って、10円や20円をくれていた。歌でお金を稼げると知った最初であったのだろう。

■背伸びしてでもヤレ!

 そんな歌好きな子供だったが、大阪で寿司職人の見習いを始め、高松に戻って自分の鮨店を持った要に、歌を歌う余裕が出来るのは、ずっと後になってからである。

 高松で最初に持った店の隣が空いたので、そこも借りて店を倍に広げた。
 信用を付けるには土地を持たなければ、と考えて27歳で土地付き店舗を買うことになったのは、それからしばらくしてからである。

 そのきっかけとなったのが、広げた店を立ち退くことになったからだった。
 家主から「老朽化した今の2階建ての建物を3階建てのビルに建て替えたいので、新しくするまでいったん店を出て欲しい」と、一時的な立ち退きを求められた。
 その間の生活補償金として1ヶ月10万円を支払ってもらえるし、新しいビルが出来たら優先的に、再び入居出来るといった好条件だった。

 「その頃は夫婦で1ヶ月10万円、3ヶ月で30万円あれば生活出来たので、それで了承して店を出ることにしました」

渡辺要 若き日.jpg 意外と素直に要求を受け入れたのだが、そうではないテナントもいた。
 同じビルには5店舗が入っていた。そのうちのリーダー格であった1店舗の店主が「共同戦線を張って、提示されている補償金額以上にもらえるように交渉しよう」と持ちかけてきたのである。
 そんな策を弄することが嫌いな要は、即座に断った。すると5店舗からは村八分にされてしまった。顔が会っても、誰も口を聞いてくれないのである。

 そんなことは意に介さない要だったが、気分のいいものではない。とりあえずは仮営業をする店舗を探すことにするが、それが伝説の鮨店となる土地付き店舗に巡り合うことになるのである。

 店舗探しに協力してくれたのは、酒を仕入れていた酒屋の社長であった。
 ある日、高松市内の飲食店街では1等地であるライオン通りの、しかも角地の物件が売りに出ている、と持ち込んできた。
<若き日の渡辺要>
元は美術工芸品を商っていた3階建てのビルだというのである。価格は約4000万円もしていた。

 「当時の僕には目が飛び出るような金額で、到底手が出るようなものではありませんでした。しかし酒屋の社長は、気に入った物件ならば予算がオーバーしても価値があれば頑張って買うべきや。いらなくなったら売ったらええんや、と背中を押してくれたんです」

 要はその言葉に勇気付けられて買うことを決めたものの、銀行は融資してくれない。すると酒屋の社長が「自分が銀行に2000万円を預金するから、それを担保にしたらいい」と言って援助してくれた。
 最初は仮営業が出来る店舗を探す程度のつもりが、話はどんどん大きくなって、なんと要鮨は晴れて高松を代表する繁華街に店をオープンすることになったのである。

 そんな時、立ち退いたビルのオーナーが、当初の約束だから補償金の30万円は受け取って欲しいとやって来た。しかし渡辺は「僕の人生観に合わないから」と言って、受け取ることを固辞した。

 曲がったことが嫌いな頑固な性格は今も同じようである。


続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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みやま健二(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  62歳のバースディーパーティー  歌手仲間が歌で祝福  今夏には新曲リリース [イベント]

◆メジャー2枚目のシングルを今夏リリースすることが決まっている徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二が2018年4月23日、62歳の誕生日を迎えたが、前日の4月22日、大阪府茨木市のカラオケ喫茶店・RAKUでバースディーパーティーを開いて、オリジナル曲6曲を歌った。集まったファンからはたくさんの誕生日プレゼントが贈られて満悦のみやまに、ファンクラブのメンバーや歌手仲間の光岡洋(日本クラウン)福島一(ホリデージャパン)三浦潤が歌のプレゼントをした。

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みやま健二の誕生日を祝うファンクラブの会員

 ファンクラブの会員20余人が集まった。2016年8月に「浜撫子」でメジャーデビューして、今年で歌手デビュー18年目のみやま健二は「普段はあまり歌っていないオリジナル曲も交えて、歌を聴いてもらいます」と、最新曲の「浜撫子」「俺のいい女」「納沙布ざんげ」「京都恋めぐり」「俺のみち」「泪橋」の6曲を歌った。

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62歳を迎えたみやま健二

 バースデーケーキのプレゼントなどたくさんの贈り物に囲まれたみやまに、会員はカラオケで、歌手仲間の光岡洋が「よかにせ節」福島一は「津軽恋ふぶき」三浦潤も「神戸・・・ひとり」と、自身のオリジナル曲を歌って誕生日を祝った。
 また、みやまファンクラブTシャツなどが当たるビンゴゲームなどで会場は盛り上がったが、最大の爆笑と拍手が送られたのは三浦潤とそのマネージャーによる、昭和の人気漫才師、人生幸朗・生恵幸子のぼやき漫才の物真似。

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人生幸朗・生恵幸子のぼやき漫才の物真似で沸かせた三浦潤とマネージャーのうちもといさおさん

 予定している新曲については、カップリングはすでにレコーディングを終えているが、メイン曲は4月25日に東京のスタジオで行う。
 その発売を受けて9月1日には、大阪・淀屋橋の朝日生命ホールで新曲発表会を開く。

 ファンクラブの竹岡勝会長は「新曲が出ると聞いて楽しみにしています。『浜撫子』以上にヒットするように、会員皆さんで頑張って応援していきましょう」と、激励した。

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あと10年、20年と歌い続けると話すみやま健二

 みやまは「あと10年は歌い続けたいと思います。10年後にはさらに10年と言っているでしょうが。迫っている新曲の発売にも全力を投球していきます」と、歌への意欲を見せていた。


[徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/new_release_detail/id=7699







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キングレコード歌謡文化アカデミー、椎名佐千子の「舞鶴おんな雨」を課題曲に指導者歌唱講習会  岡千秋が歌唱法伝授   ミニライブも  新大阪 [イベント]

◆自分なりに歌の映像を描きながら発声してみる-。キングレコード歌謡文化アカデミー(KBA、三田誠理事長)が、2018年4月22日、傘下の歌唱教室の指導者や生徒などを対象に、大阪市淀川区の大阪ガーデンパレスで開いた指導者歌唱講習会で、講師を務めた作曲家の岡千秋は、椎名佐千子が歌う新曲「舞鶴おんな雨」(2018年1月発売)の歌唱方法をアドバイスした。この日はまた、椎名のミニライブも行われた。

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KBA指導者歌唱講習会で「舞鶴おんな雨」の歌唱指導をする岡千秋


 指導者歌唱講習会は年に1回、指導者や生徒などに向けてキングレコードの歌手の最新曲を課題曲に、作曲を手掛けた作曲家から直接に歌唱のノウハウを教えてもらうというもの。毎回、東京・大阪・福岡の3会場で行われている人気イベント。
 今年は椎名佐千子「舞鶴おんな雨」が選ばれ、作曲をした岡千秋が実際に歌いながら、歌唱のポイントを伝授した。

 大阪会場には地元関西をはじめ東海、中国などから約50人が参加した。
 「舞鶴おんな雨」の1番を3つのブロックに分けて、実際に岡が歌っていく方法で「歌い出しは低い音ですが、しっかりとためて歌ってください。普段しゃべっているような感じで、力を入れないで歌うのがコツです」と、細かくしかも分かりやすく教えた。

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力を入れずに、自信をもって歌いましょう-などと丁寧にアドバス

 さらに「その後は、強く、リズムに乗って、徐々にふくらませ、最後はそのまま強く歌い上げていきます」とも。

 受講者4人が登壇して、1人ずつ1コーラスを歌い、アドバイスを受けるコーナーもあって、岡は「歌が暗くならないように、喉をしっかりと開いて楽に歌ってください」や「1つひとつの音を丹念に出しましょう」などと、繰り返し繰り返し時間をかけてアドバイスしていた。

 受講した指導者は「丁寧な指導で分かりやすくて良かった」と満足していた。岡も「この歌は渾身の力を込めて曲を書きました。それだけに評判も上々のようです。皆さんの力で彼女の代表曲にしてください」と話していた。

 椎名佐千子によるライブも行われ、「舞鶴おんな雨」のほか「哀愁日本海」前作の「ソーラン鴎唄」を歌った。前夜に急きょ決めたという「浪花恋しぐれ」(1983年)を岡と椎名がデュエットするといった豪華なプレゼントもあって、受講者たちは大喜び。

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岡千秋・椎名佐千子の「浪花恋しぐれ」で会場を沸かせた

 椎名も「別れた人を忘れられずにいるけれど、前を向いて生きていこうといった主人公の心境を理解して、それぞれの表現方法で歌って下さい。歌ってもらうことがヒットにつながります」と、呼びかけていた。

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ミニライブで「舞鶴おんな雨」を歌う椎名佐千子

 また椎名は、6月17日放送予定のNHKのど自慢に出演することも報告していた。会場が兵庫県三木市ということもあって、この日参加した指導者たちに「ぜひ応募して『舞鶴おんな雨』を歌ってください」とアピールしていた。

 講習会後の懇親会の席では、岡や椎名と記念撮影をする人たちが引きも切らなかった。





[キングレコード歌謡文化アカデミー]
http://www.kingrecords.co.jp/KBA/







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KOBE流行歌ライブ、山口ひろみがお色気ふりまく ! 青木美保・瀬口侑希・みうら晶朗も出演 [ライブ]

◆♪ アァ アァ ~ テイチクエンタテインメントの歌手、山口ひろみがお色気路線に変更か ? 2018年4月19日に神戸・新開地で開かれた第163回KOBE流行歌ライブに出演した山口は〈今月のテーマ曲〉のコーナーで色っぽい溜息まじりに「伊勢佐木町ブルース」を歌って会場を沸かせた。「マネージャーに笑いを取ってこい、と言われて選曲しました。もうやりません」と照れ臭そうにしていた。ライブにはこのほか青木美保(キングレコード)瀬口侑希(日本クラウン)みうら晶朗(ビクターエンタテインメント)も出演して最新曲などを歌った。

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第163回KOBE流行歌ライプの出演者たち


 こぶしの効いた演歌や切ない女心を歌った恋歌など、幅広いジャンルをこなす山口ひろみが「伊勢佐木町ブルース」が歌ったのは、毎回、ライブ冒頭で出演者が、テーマに沿って自分で選曲した歌を1曲ずつ歌うコーナー。今月のテーマは「美人女性陣が歌う艶歌」。

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山口ひろみ

 リハーサルではこの歌を飛ばして音合わせをしていた山口だったが、本番では147センチの小さな身体で精一杯のお色気を出していた。
 この日披露した、2月に発売したばかりの21枚目の新曲「紅の雨」では、プロモーションビデオ(PV)で初の入浴シーンを披露しており、何でもやりますが信条の彼女の面目躍如ぶりを見せていた。

 このビデオの撮影では「自分の背中にホクロがあるのを初めて知った」り、師匠の北島三郎からは「肌だけはきれいやな」とほめられるなど、思わぬ余禄(!?)もあったようである。

 ちなみに山口にとって神戸の街は「初恋の人と初めてデートで来た場所」といい、思い出深くて艶っぽい街であることも、お色気度合いを増したのかもしれない。



 神戸は地元という瀬口侑希は、同級生が客席から熱心に声援を送るなど、人一倍の応援を受けるなどホームグラウンドでのライブを楽しんでいた。
 ドレスから着物に衣装を替えて1作1作艶っぽさを増している彼女は、山口と同い年だが歌謡界ではデビュー18年というから、少し先輩になる。



 5月2日にはオリジナルの代表作から書き下ろし曲2曲の計30曲を収録した2枚組みのCDアルバム「瀬口侑希ツインパック」を発売するが、ライブでは去年12月に出したCDアルバム「瀬口侑希プレミアムベスト」(13曲収録)の中から「不如帰」「海峡わかれ雨」「津軽の春」などを歌うとともに新曲「雪舞い岬」を聴かせた。

 テーマ曲コーナーでは新曲の作曲を手がけた鈴木淳が、ちあきなおみに書いた「x+Y=LOVE」を歌った。

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瀬口侑希

 今年でデビュー35周年を迎えている青木美保〈悲恋の女王〉の異名を持つ。叶わぬ悲しい恋を切なさいっぱいに歌う。そんなキャッチフレーズをもらうきっかけとなった前作の「秋燕」は途中に一拍置く歌唱が評判になったが、今なおカラオケでも人気だという。
 それに次ぐ今作「花海棠」も散りゆく桜と恋の別れを重ねて、悲恋度数を一段と高めて歌う。

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青木美保

 この「花海棠」では、2月にキングレコード関口台スタジオでカラオケ大会の決勝大会を開き、悲恋の女王を競ってもらったばかり。

 会場ではまた、30周年記念曲の「海鳥よ」(2014年)のタイトルコールがあると「わぁ? この歌、好き?」といった声も聞かれた。壮大なこの楽曲ですでに彼女は悲恋の女王への階段を昇り始めていたようである。テーマ曲コーナーで歌った「舟宿にて・・・」(1997年)はテレビの2時間ドラマで劇中歌として取り上げられて話題になったほどで、デビュー13年目の歌である。

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みうら晶朗

 今月から始まったスリーマンス・アーティストコーナーには、シンガーソングライターとしても活躍するみうら晶朗が6月まで出演する。この日は去年9月に出した「望郷五木くずし」など3曲を歌った。






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第260回大阪発流行歌ライブ、山口ひろみ・高橋樺子・北沢麻衣・池上園美が出演 [ライブ]

◆女性ばかり4人が顔を揃えた。2018年4月18日、大阪・心斎橋で開かれた第260回大阪発流行歌ライブは、北島三郎を師と仰ぐテイチクエンタテインメントの山口ひろみが4年ぶりに出演した。平和をキーワードに歌い続ける作詞家もず唱平の秘蔵っ子・高橋樺子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)OSK日本歌劇団(OSK、旧大阪松竹歌劇)出身で杉本眞人の愛弟子・北沢麻衣(ホリデージャパン)も。推薦曲コーナーでは、去年、CDデビューした池上園美(ウェブ・クウ)が歌った。

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第260回大阪発流行歌ライブの出演者たち


 トリで出演したのは山口ひろみ。デビュー16年目のベテランで、大阪・天下茶屋の出身で生粋の浪花っ子。この日、自身のコーナー最初の曲は今なお人気の高いデビュー曲「いぶし銀」だった。
 本人も大好きだという1曲「その名はこゆき」は、彼女がまだ北島三郎の内弟子時代にレッスンを受けた北島の楽曲で、「ぜひ歌いたい、と先生(北島)に直訴した」ことで、継ぐことが実現した。切なさを情感いっぱいに歌う山口の真骨頂である。

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山口ひろみ

 新曲「紅の雨」では、プロモーションビデオ(PV)の撮影で入浴シーンのリクエストにも応えた秘話も披露。北島からは「肌は綺麗」と褒めてもらったと笑っていた。ライブでは新曲をアピールするとともに「どうぞ毎日、入浴シーンのビデオも見て下さいね」と、PVの売り込みも忘れていなかった。



 高橋樺子と言えば、白いパンツにポロシャツ姿で東北大震災の復興支援曲「がんばれ援歌」を歌い続ける歌手で知られる。久しぶりのこの日のステージは、赤いドレスだった。2018年1月、実に3年半ぶりに出したデビュー3枚目のシングル「四丁目のスナック」を披露した。この歌で全国スナックを元気付ける応援大使に任命されたという。

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高橋樺子

 カップリングの「宗右衛門町ブルース」「アイ ラブ 大阪」も聴かせた。宗右衛門町ブルースはオリジナル歌手の平和勝次が全国で続けるチャリティーコンサートに、高橋が出演していることからカバーが決まったという。



 北沢麻衣はOSKの養成所時代には一番苦手だったというダンスを交えたステージを披露してくれた。デビュー33年のベテラン。杉本眞人作品の「私の胸をかじる人」で旧ポリドールからデビューし、「銀次 ーGINNJIー 」「港のセレナーデ」など話題作を出したが、その後は目立った動きはなかった。
2013年にやはり杉本による「御堂筋線で・・・ / 道頓堀(とんぼり)リバーサイドブルース」でメジャー復帰。この日も歌った。

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北沢麻衣

 同じ杉本作品の新曲「真っ赤なワイン / Fifty–Fifty Love」でも、北沢は泣いて 泣いて泣いて 泣いて 泣いて 〜 と泣き続け、さらに待って 待って 〜 と待たされる悲しい女を歌い、ステーしーてでは自身の歌世界を存分に披露してくれた。



 池上園美はCDデビュー曲の「YUMENO NO RAN 〜夢魁〜」を歌った。ムードコーラスグループの三浦京子&ハニーシックスのメンバー、三浦久雄のプロデュースでデビューが実現している。大阪市内でカラオケ喫茶店を経営するが「ずっとマイソングが欲しかった」と、デビューを喜ぶ。

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池上園美

 ライブでは歌わなかったものの、カップリング曲の「うた仲間、こい仲間」は作詞家TOJAとのデュエット曲である。


[大阪発流行歌ライブ]
http://hayariutalive.com/






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三浦京子&ハニーシックス(ホリデージャパン) 「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」 誰もが振り向く大阪タイトルのムード歌謡曲 [インタビュー]

三浦京子とハニーシックス.jpg◆甘い歌声、軽快なメロディー。まさにこれがムードコーラスの王道だろう。ホリデージャパンのムードコーラスグループ、三浦京子&ハニーシックスが2017年8月に出して、大阪を舞台に歌う「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」が好評だ。その彼らは芸能生活53年というキャリアの長さもさる事ながら、兄妹だけで構成するコーラスグループは、日本はいうに及ばず、世界でも珍しいという。しばらくムード歌謡からは離れ、人生の応援歌や母への感謝をテーマに歌っていたが、再びのそれにメンバーの4人は水を得た魚のようである。







三浦京子&ハニーシックス
四男の三浦久雄さん(左)と末っ子で長女の三浦京子さん

 ハニーシックスと言えば、♪ 泣いているのか 笑っているのか 〜 とシャンプーのCMとの相乗効果もあって大ヒットした「ふりむかないで」「よせばいいのに」など数々のムード歌謡曲で知られている。
 10年前にリーダーで長兄の弘が70歳を機に脱退したが、その後、1994(平成6)年にデビュー以来使い続けてきた三浦弘&ハニーナイツのグループ名を、新たに「三浦京子&ハニーシックス」に変えている。

三浦京子とハニーシックス 大阪ナイト.jpg 今作のメイン曲「大阪ナイト」は作詞が新人作詞家のTOJA、作曲はハニーシックスのメンバーで三男の三浦ハルオ(春男)、編曲はハニーシックスの作品を数多く手がけてきている隼トシヒデである。
 カップリング曲の「北の新地の意気地なし」も作詞はTOJA。作曲は中山ひさしで編曲は隼トシヒデ。

 TOJA(トージャ)とは聞き慣れない名前だったが、なんとその正体は大阪・茶屋町でライブレストラン、ボニーラを経営すんる寿和徳社長であるという。演歌・歌謡曲のライブが開かれることも少なく場所だけに、ここに三浦京子&ハニーシックスが立つ日もあるのかも知れない。

 知人を介してハニーシックスが彼と出会ったのは17年2月だった。このところ新曲はムード歌謡から離れていたが、原点に戻ってムード歌謡曲を歌いたいーと、メンバーの誰もが思っていた時だった。ファンからも「路線が変わってしまってつまらない」といった声も聞こえていた。

 「大阪にいい詞を書いている人がいる」と紹介されたTOJAは、2度目の青春時代を始めようとする50代の男女を描いたシンプルな「大阪ナイト」を書いていた。グループの作品の多くを作曲しているハルオは、それを読んで「これは飽きのこないいい曲が出来るよ」と言い切ったほど、この作品でムード歌謡曲にもう一度、風を起こそうと期待を込めた。

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作詞家のTOJA(右)と三浦京子&ハニーシックス

 それからというものハニーシックスは、大阪にいるTOJAと何度も何度も携帯電話で「ここを書き直して」と調整を繰り返しながら、共同で楽曲作りを進めていった。決して〈まあいいか〉といった妥協も手抜きをすることはなかった。
 「ビクター時代にヒット賞をもらった作品など僕たちの音楽はすべて、このように丁寧に手作りをしてきました。だからヒット賞ももらえました」

 大手レコード会社のような面倒な会議もなく、発売は8月23日に決まった。
 こんな具合だから楽曲が出来上がるまでに、ハニーシックスたちの間には作品への愛情がどんどんと高まった。自然と歌う詞の行間にもムードが満ちた。
 もともと歌うことや楽器を演奏して、喜んでもらうのが楽しくて始めた兄妹コーラスグループだけに、ショッピングモールであろうと場末のカラオケ喫茶店であろうと、歌う場所は選ばない。
 メンバーの久雄と京子は「新曲キャンペーンでは何十年ぶりにCDの手売りをしましたよ」と、そ表情は楽しそうである。

■兄妹仲良く歌う

三浦京子とハニーシックス ハニーシックス物語.jpg 今のグループの前身となる三浦弘&ハニーナイツは長男弘、次男貞夫、三男春男、四男久雄、末っ子で長女の京子の5人で1965(昭和40)年に、ハワイアンバンドとして結成されたのだが、それ以前、1958(昭和33)年に兄妹5人でハワイアンバンドのアロハブラザーズを作っている。

 久雄は「町のお祭りで歌ったのが初めての舞台だった」といい、末っ子のの京子はまだ5歳ということもあって「小さくて可愛いためか、出場するコンテストではどこでも優勝していた」など、行くところどこでも人気者だったという。

 1960(昭和35)年、兄妹5人のハワイアンバンドは日本アルミニウム工業(現・ナルコ岩井)が提供していた番組「子供の王様」に東京から招かれて出演している。その時の模様が「ハニーシックス物語 兄妹ともに歩んだ45年」(三浦京子&ハニーシックス著、河出書房新社)に添付されているCDに収録されている。

 その頃、小学校5年の京子はウクレレを弾いていた。中学1年の久雄はでやはりウクレレを担当。貞夫は中学3年でサイドギター、春雄は中学3年でベースギターてあった。彼らのレパートリー曲はすでに300もあったという。

 すでに成人していたバンドのリーダーで長兄の弘は、番組司会者に訊ねられて「兄妹ばらばらになるのは嫌だから仲良く歌おう-とバンドを作った」と、バンド結成の目的を話している。
 その弘は、体力に限界を感じたとして2008(平成20年)に70歳になったのを機に、グループから身を引き、以後、グループ名を三浦京子&ハニーシックスに改めている。

■変わらぬハニーサウンド

 ハニーシックスは1976(昭和51)年から2005(平成17)年までビクターに在籍した。しかしこの間にレコード会社とそれを取り巻く業界の環境は、悪化の一途をたどり、連日のように夜遅くまでレコーディングに追われてムード歌謡を歌ってきた彼らも、新たな挑戦をかけて1995(平成7)年に出した「命燃やして」のヒットを最後に新たにCDが出せなくなってきた。

 その時の様子を前の「ハニーシックス物語」で彼らは「深それまでと打って変わって、新たなCDを出してもらえる状態ではなくなっていた」と吐露している。





 ハワイアンで始まったハニーシックスの歌はムード歌謡曲へと変わったが、間近に迫る60周年に向けて彼らは「音楽の流行に乗るつもりはなく、これぞハニーサウンドと言われるサウンド」を目指し続ける。

 「ハニーシックスの音楽を必要としてくれる場があれば、どこへでも馳せ参じます」

 「大阪ナイト / 北の新地の意気地なし」を歌う三浦京子&ハニーシックスの甘い歌声が、あちらこちらの街に響いてきそうだ。


[三浦京子&ハニーシックス オフィシャルサイト]
http://www.honeysix.com/index.html
[三浦京子&ハニーシックス ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ha2_honey_2.html







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みやま健二(徳間ジャパンコミュニケーションズ)、西川ひとみ歌謡教室発表会ゲスト出演 [イベント]

◆ゲスト歌唱も入れると出場・出演者の数が170余人にもなる西川ひとみ歌謡教室(本部・大阪府高槻市)の発表会が、2018年4月15日、大阪・吹田市の千里万博公園にある阪急エキスポパークホテルで、ほぼ半日をかけて行われた。徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二がゲスト出演し、最新曲の「浜撫子」などを歌った。

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みやま健二


 結城彩や元宝塚花組の絵莉千晶など13人のゲスト歌手が歌った中で、みやま健二はラストに登場。客席を回ってカバー曲を歌うとともに、「浜撫子」「泪橋」「京都恋めぐり」など自身の代表曲を歌った。
 応援に駆け付けた人たちの中には、歌に合わせて踊る光景も見られた。

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閉会のあいさつをする西川ひとみさん

 みやまは8月29日に新曲をリリースするが、9月1日にはその新曲発表会を大阪・淀屋橋の朝日生命ホールで開くことになっている。


[みやま健二 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/new_release_detail/id=7699







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第5回震災復興チャリティー歌謡ショー、絶好調な純烈が歌って跳ねた 人気の純烈劇場では悪の大魔王と対戦  神戸・レバンテホール [イベント]

◆神戸市在住の歌手、星まさるが5年前から毎年春に開催している、被災地復興の支援金を募る「震災復興チャリティー歌謡ショー」が、2018年4月15日、神戸市垂水区の勤労市民センター・レバンテホールで行われ、新曲「プロポーズ」で今年のNHK紅白歌合戦への出場を目指している、日本クラウンのムードコーラスグループ、純烈が去年に引き続いて出演。メンバーのひとりで先日、タレントのLiLiCoとの結婚を発表して話題になった小田井涼平は「毎日、チューをしている」と、新婚生活の熱々ぶりを披露した。

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 今年で5回目になる震災復興歌謡チャリティーショーに、2年連続して出演した純烈に熱い声援を送ろうと、開場と同時にたくさんのファンが場内に駆け込むなど、前回を上回る彼らの人気の高さを見せていた。

 そんな中、注目の小田井は「LiLiCoの旦那で有名になってしまいました。毎朝チューをしているのは愛しているからなんです。早くコウノトリが飛んできてくれると嬉しいし、年を取ってからは2人で縁側でお茶を飲むのが夢です。こんな話をしているとファンがどんどん引いてしまわないか心配なんですが・・・」と、客席のペンライトの灯りの数を数えていた。

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LiLiCoの旦那として一躍有名になった小田井涼(左)

 去年から歌謡ショーの人気コーナーになっている小芝居「純烈劇場・悪の大魔王」は、星まさる演じる悪の大魔王を正義の純烈戦隊が懲らしめる、といった単純明快な勧善懲悪ストーリー。悪の限りを尽くす大魔王にとどめの一撃となったのが、小田井の〈必殺技・毎朝チュー光線〉であった。

 小田井はまた、女子プロレスラーでもあるLiLiCoとは「知名度の格差が大きいです。完全に尻に敷かれています」と笑わせると、会場からは〈頑張って〉の可愛い声援も飛んでいた。

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純烈劇場・悪の大魔王蘇る

 純烈劇場には、このほかジャジーな歌で客席を魅了した松浦ゆみ(エイフォース・エンタテイメント)がバスガイド役、姫路出身でデビュー3年目の城山みつき(テイチクエンタテインメント)は観光バスの乗客、司会の牛尾淳は運転手、星まさる後援会の女性たちは買い物客で出演して会場を沸かせた。

■来年は4月27日に開催

 歌謡ショーでは純烈は2018年2月に出した新曲「プロポーズ」のほか「愛でしばりたい」「六本木は嫌い」「恋は火祭り」「大阪ロマン」などを歌った。
 彼らは今年デビュー8年目で、グループ結成11年になる。平均身長183センチ、同年齢40歳で紅白歌合戦へ出場して親孝行をすることを1番の悲願としている。



 松浦ゆみは最新曲の「ハート・ブレイク・カフェ」や同カップリング曲「あぁ・・・切ないね」「涙のラブバラード」「裏窓」などを歌唱。ジャジーな小ジャズを得意とし、「あぁ・・・」は演歌っぽいブルースの新境地。今年デビュー18年。

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松浦ゆみ(左)と城山みつき

 城山みつきは新曲の「姫路恋ごよみ」「あばれ度胸船」「大漁おんな節」「かもめ」を歌った。デビー3年で「響く低音、弾ける高音が得意」としている。

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星まさる

 歌謡ショーのホストでもある星は「晩秋の恋」「小さな合鍵」「神戸の女(ひと)」「ありがとう愛する貴方へ」を歌い「去年を上回る数の人たちにご覧頂けました。復興支援にも協力いただけ感謝します」と、来年の第6回歌謡ショーへの来場を呼びかけていた。

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純烈のバックコーラスで歌う星、松浦、城山

 この日はまた、各地の震災で亡くなった人たちに黙祷を捧げるとともに、自民党副幹事長の関芳弘衆議院議員と白国高太郎神戸市会議員、兵庫県看護連盟の井上とし子氏も出席して、復興支援協力への感謝を述べた。
 集められた支援金は毎日新聞社を通じて東北、熊本などの被災地に贈られる。また第6回震災復興チャリティー歌謡ショーは、同じレバンテホールで2019年4月27日に開かれる。






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安倍里葎子(テイチクエンタテインメント) 神戸ライブ Vol.12 「恋人気分で」「愛のきずな」など全14曲歌う [ライブ]

◆年2回の開催が恒例となっているテイチクエンタテインメントの歌手、安倍里葎子の神戸ライブが、2018年4月13日夜、神戸市中央区のライブハウス・チキンジョージで行われ、新曲の「恋人気分で」など14曲を歌った。安倍は「2020年にはデビュー50周年を迎えます。それを目指して歌い続けていきます」と語り、意気込みを感じさせていた。

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「恋人気分で」に並々ならぬ力を入れている


 初めて参加したといったファンも多く見受けられ、今回で12回目を迎えた神戸ライブ。安倍里葎子の新曲やヒット曲を聴いてもらおうと、春と秋の年2回、チキンジョージを会場に定期的に開催している。

 オープニングは「恋人気分で」。去年リリースして以来、心機一転、ふる里札幌でのコンサートなど全国で活動を展開している。それはデビュー曲の「愛のきずな」以来と言ってもいいくらいの熱の入れようである。この日は新曲をエンディングも含めて2度歌ってアピールした。

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ヒット曲からカバー曲まで歌う安倍里葎子

 「恋人気分で」のカップリングには歌手、タケ・ウケタとデュエットしている「狸小路の夜は更けて」「感じるままに私を抱いて」の2曲を収録している。
 ライブでは、先の川中美幸特別公演で初めて大阪・新歌舞伎座にも出演した神戸ライブのゲスト、DiceK(ダイスケ)と「狸小路の ー 」を歌った。彼はオリジナル曲「桜月夜 〜 千年恋詩 〜 」も聴かせた。

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ゲストとデュエットする安倍里葎子

 もう1人のゲスト、ボーカリストのボビーとは、橋幸夫とデュエットして大ヒットした「今夜は離さない」などを歌った。

 安倍はまた、デビュー40周年記念曲として、札幌で彼女をスカウトした作曲家、平尾昌晃が書いた「愛の命日」も歌った。

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50周年に向けて意欲を見せる安倍里葎子

 次回の神戸ライブは10月26日に、同じチキンジョージで開かれる。


[安倍里葎子 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/abe-ritsuko/






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演歌ジャックス、湯原昌幸・黒川英二をゲストに5月放送分を収録 新曲「風のララバイ」「俺を咲かせてくれた花」を披露 [テレビ]

◆ミリオンセラー「雨のバラード」湯原昌幸(テイチクエンタテインメント)がニューシングル「風のララバイ」を2018年4月18日に出す。同4月11日、大阪市内で行われたテレビ番組「演歌ジャックス」の5月放送分の収録にゲスト出演して「スケール感いっぱいに歌って」と、新曲をアピールした。同じ番組のもう1人のゲスト、黒川英二(日本クラウン)は4月4日に出したデビュー15周年記念シングル「俺を咲かせてくれた花」を歌い「今作に入れた3曲は僕の歌手生活の今までを表すものです」と、新曲にかける想いの程を話していた。

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ゲストも参加する「演歌ジャックス」名物の童謡・唱歌コーナー


 「演歌ジャックス」は奈良テレビ放送(毎週水曜日午後2時から)J:COM11チャンネル(同火曜日午前10時から)九州宮崎12チャンネル(同月曜日午前8時からのほか毎日再放送)などで放送されている。この日は5月5週分の収録が行われた。

 出演したのは湯原昌幸、黒川英二のゲストのほか、レギュラーの林よしこ、MARI、TAIKI、小川リエ、青海涼、新星民(シン・ソンミン)岩井都美子、延歌姫(ヨン・カビ)たちで、いずれも最新曲などを歌った。

■洋画のようなスケール感ある「風のララバイ」

 「雨の次は風でしょう」と、大人の男と女の別れをまるで映画音楽のように大きなスケールのメロディーにのせた「風のララバイ」を歌った湯原昌幸は、1年ぶりの演歌ジャックスへの出演であった。
湯原は「最初は語るように、後半は思い切りスケール感を出します」と解説し、どこか洋楽っぽい楽曲に、ヒットの予兆を感じ取っていたようである。

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湯原昌幸

 「風のララバイ」のCD購入者対象に川柳コンテストを行う。2016年に出したシングル「マッチ」の発売に合わせても実施したが、好評だったことから、引き続いて第2弾を行うことになった。

 優秀な作品には、風にちなんでダイソン製扇風機(1人)や湯原自身が選ぶワインとテキーラのセット、風のララバイ特製扇子が当たる。CDに封入された応募券を葉書に貼って送る(詳しくは湯原のテイチクオフィシャルサイトを参照)。

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ゲストコーナーの湯原昌幸

 一時は70キロ近くあった体重も「徐々にダイエットして今は60キロ程度」になっている。そのお陰であろうか、歌う際のアクションも一段と切れ味が良くなったようである。

■黒川を盛り上げる3人の楽曲が詰まった15周年記念シングル

 テレビドラマ「大川越前」など俳優業が忙しい黒川英二は、新曲「俺を咲かせてくれた花」で、ようやく歌手業に専念出来そうである。美樹克彦の作詞・作曲である。今の僕があるのもお前のお陰・・・別れた男女が偶然に出会ったが、今でも好きだよと言えずに別れる2人を、つぶやくように歌う。

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黒川英二

 番組司会の小池史子は「声が魅力的」と、黒川の低い声にぞっこんな様子。その黒川は「声の通りが悪いので、何度も聞き返されることがあるんですよ」と、それはそれなりに苦労もあるようだ。

 今作はカップリングに「涙のエアポート」「黒潮ヤンチャ船」の2曲を収録している。すがあきらと橋田充哲がそれぞれ作曲した作品である。
 すがは高知から歌手を目指して関西に出てきた時に最初に門をたたいた恩師で、美樹克彦の許へ修業に送り出した本人でもある。橋田は出身地の高知で歌を最初に教わった人である。

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ゲストコーナーの黒川英二(中央)

 このように3曲が収められた今作は、歌手黒川英二が生まれる前から今に至るまでの歴史を綴ったような1枚なのである。黒川は「3人の恩師が僕を盛り上げてくれています。皆さんにはどれかの曲がフィットするでしょう。これから全国津々浦々を回って歌っていきます」と話していた。


■レギュラー出演陣

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林よしこ(左)MARI

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TAIKI(左)小川リエ

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青海涼(左)新星民(シン・ソンミン)

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岩井都美子(写真左・左)延歌姫(ヨン・カビ)

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司会・小池史子(左)新星民(シン・ソンミン、左)と延歌姫(ヨン・ガヒ)









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石原詢子(ソニー・ミュージックダイレクト) 東京・大阪で詩吟教室スタート 亡父の行く行くは1000人規模の流派へ 「遥かな道 / 細石~さざれいし~(詩吟「細石」入り)」 デビュー30周年記念シングル第2弾 [インタビュー]

石原詢子.jpg◆20数年前に64歳で亡くなった父親、石原源風との約束を果たすことが出来たーと話す、今年、デビュー30周年を迎えているソニ・ミュージックダイレクトの歌手、石原詢子が、2018年4月から東京と大阪で詩吟教室を始めている。4月11日には30周年記念シングル第2弾の「遥かな道」(作詞・冬弓ちひろ、作曲・岡千秋、編曲・南郷達也)を出した。長い人生の道のりを頑張って生きていこう、という、まさに自分と重ねた応援歌のような作品である。9月には30周年記念リサイタルも予定しており、歌に詩吟に、新たなステップへ向けて意欲を見せている。










 「もし30年前の自分に会えることが出来るとしたら、きっと30年後にいいことがあるから頑張ってね、と自分に声をかけたい」
 石原詢子はデビュー30周年を迎えた今を、このように語っている。

石原詢子・遥かな道.jpg まだレコード盤だったデビュー曲「ホレました」から数えて、新曲「遥かな道」は37枚目のシングルになる。30周年の節目に相応しい内容の楽曲であり、石原は「人生の中ではくじけそうになることも度々ありますが、今作の歌詞はそれに負けないで頑張ろって生きていこう、と歌っています」と、あらゆる人に当てはまる新曲へ期待を寄せる。

 一方、カップリング曲「細石 〜 さざれいし 〜 (詩吟「細石」入り) 」(作詞・鮫島琉星、作曲・岡千秋、編曲・南郷達也)は、歌の中に珍しい詩吟入りといった、詩吟の師範ならではの楽曲である。

 CDは通常盤のほかに、コンサートでファンの方からのリクエストが多い「みれん酒」「逢いたい、今すぐあなたに…。」を収録した初回生産限定お得盤も出している。

 発売日には大阪市内のイオンモールで新曲キャンペーンを行い、笑顔で「遥かな道」の発売をアピールしたした。翌日の12日には大阪・堺市のおおとりウイングスと兵庫・西宮市の阪急西宮ガーデンズでも発売記念キャンペーンを行う。

■約束を果たして揖水流家元

石原詢子・遥かな道 お得盤.jpg 石原の父親は厳格で、娘の詢子が歌手になるのに際して、彼女と幾つかの約束を交わしている。その後、デビューして5作目の「北しぐれ」(1993年)を歌っていた頃に、今度は彼女の進路を左右するような重要な話を持ち出している。
 自ら立ち上げた詩吟揖水(いすい)流の家元だった父親が詢子に求めたのは、自分に代わって家元を継ぐことであった。

 12歳から揖水流の師範代でもあった彼女ではあったが、すでに歌手として軌道に乗り始めた頃でもあり、受け入れることは出来ず「50歳になったら跡を継ぐ」と、家元は兄に譲ることにした。

「遥かな道 初回生産限定お得盤」

 「その頃はまさか50歳まで歌手を続けているとは思ってもいなかったので、そのような約束をしたのですが、その直後に父と母を相次いで亡くしたこともあり、50歳になった今、約束を守らないで後悔するのが嫌でした」

 継がないといった選択肢もあった訳だが、敢えて多忙を極める歌手業との2足のわらじを履くことを選んだのである。
 「不安はありましたが、詩吟の良さを伝えるのがわたしの使命だと考えて踏み切りました。詩吟のいいところは、奥深い漢詩の世界を体験できることと、限界まで声を出すことなどで健康向上にもつながります」

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4月から東京、大阪の2教室で始めた詩吟教室(写真は東京教室)

 4月から彼女が石原美風の吟号で開講した東京・新宿文化センターと大阪・天満橋の教室では、かつてテレビなどで石原が吟じる姿を目にしたことがあるという60-70代のファンを中心に、それぞれ男女20人が、石原の教えに合わせて発声練習を始めている。
 教材は彼女の父親が作った、中国の詩人・朱熹が書いた漢詩「偶成(ぐうせい)」を題材にしたもので、それを基に詩と節を教えている。

 「いずれは地元の岐阜をはじめ各地に教室を広げて、10年先には1000人規模の流派に成長させたい。今作カップリング曲のように、演歌・歌謡曲の中に詩吟を挿入する吟詠歌謡コースも作ることが出来るといいですね」

 石原の<遥かな道>への夢は広がるのである。

■9月に記念リサイタル

 ここまで歌手を続けているとは思いもしなかったのだが、30周年を契機に様々なイベントも予定している。

 2018年6月24日には大阪府堺市でサマーディナーショーを、9月5日には東京・中野サンプラザで30周年記念リサイタルを開く。リサイタルには10年来の浪曲の師匠でもある二葉百合子がゲスト出演することになっている。

 石原は新たな挑戦である詩吟家元という道と「さらにこれからも男歌であろうとセリフ入りであっても、ジャンルを問わずにチャレンジして歌って行きたい」と、歌の道を極める覚悟である。





[石原詢子 オフィシャルサイト]
http://junko-ishihara.com/
[石原詢子 ソニー・ミュージックダイレクト]
http://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/







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水沢明美(日本クラウン)  「水沢明美コンサート 2018」  来年の30年へ向けての〈飛躍をテーマ〉に 兵庫・伊丹 [コンサート]

◆歌手生活30周年を来年に控えた日本クラウンの歌手、水沢明美が2018年4月9日、兵庫県伊丹市の伊丹アイフォニックホールで、飛躍をテーマにコンサートを開いた。今年2月7日に出した新曲「一点物 / 雪に咲く花」を披露するとともに、懐かしい「二度ぼれ酒」や前作の「紅散華」など全17曲を歌った。ゲストには去年日本クラウンに移籍したデビュー23年になる矢吹春佳と今年3月に日本クラウンからデビューしたばかりの現役大学生の一条貫太といった、ベテラン・新人の2人が出演して華を添えた。「一点物」の作曲家・水森英夫も顔を見せ「譜面に正確に声を当てた発声がいい」と水沢を称えた。

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来年歌手生活30年を迎える水沢明美

 「一点物」は作詞がいとう彩、作曲が水森英夫。水沢が「得意中の得意とするジャンルとする楽曲」(日本クラウン大喜田一人ディレクター)に」仕上がっており、♪ 夢だと 笑われようと 匙(さじ)を投げるな 勿体無いじゃないか 〜 とリズミカルに歌う、応援歌のような作品である。水沢にとっての応援歌はなんと12年ぶりだという。

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あいさつをする水森英夫(左から2人目)

 応援にやって来た水森英夫は「(年齢・キャリアに関係なく)すべての要素がうまく重なった時にスターが作られる。水沢さんにとっての(チャンス)はこれから」とエールを送った。作詞家のいとう彩はまた、水沢の華奢な身体と重ねて「1番の冒頭の歌詞のように、小さくても大きく翔(はば)たく人もいます」と、自らの詞を例えた祝辞を語った。

 それらの声に応えて水沢は、新曲「一点物」をコンサートのオープニングとエンディングに1度ずつ聴かせた。

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新曲は久しぶりの応援歌、リズミカルに歌う

 1990年に「恋は女の花舞台」で日本クラウンからデビューして、今まで29年間に出したシングル枚数が、今作の「一点物 / 雪に咲く花」を含めて36枚になる水沢明美は「来年歌手生活30周年を迎えることになりました。この間に沢山の財産を作ってもらいました」と話し、自身の新旧作品を織り交ぜて歌った。

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 前半では水沢が客席を回りながら「さんさ恋しや」「母恋だより」「因幡なさけ唄」「春の坂道」「演歌みたいな人生だけど」「二度惚れ酒」のオリジナル6曲をメドレー。会場いっぱいに埋め尽くしたファンと握手をしていた。
 後半は新曲のカップリング曲「雪に咲く花」をはじめ「さんさ恋しや」のカップリング曲「鴨川しぐれ」、さらには2008年に出した「残月はぐれ節」2000年の「玄海一代」を歌った。

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矢吹春佳(左)と一条貫太

 ゲストの矢吹春佳はデビュー曲「恋情話」(1995年)と、18年ぶりに去年、日本クラウンから出した新曲「恋しずく」など3曲を、またこの日が初の大ホールでの歌唱という一条貫太はデビュー曲の「ふたりの始発駅」とカップリング曲「潮風列車」を歌った。

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楽しんでもらえることを大切に歌い続ける水沢明美

 水沢は来年、日本クラウンからデビューして30年になるが、1970年には出身地の宮崎県で民謡名人位を獲り、82年にはサンケイ民謡大賞・総理大臣賞を受賞するなど、元は民謡歌手として活動していた。その間も加えると「芸道50年」という大ベテランである。
 民謡・演歌とジャンルは異なるが、彼女は「皆さんに楽しんでもらうことを一番に考えてきました。これからも一生懸命に精進していきます」と30周年へ向けての意欲を見せた。


[水沢明美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/mizusawa/whats.html








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MARI CDデビュー記念ライブ開く 「男と女の第2章」 予想以上の反響 大阪・京橋 / ベロニカ [ライブ]

MARI 5.jpg◆奈良放送テレビやJ:COMなどで放送されているテレビ番組「演歌ジャックス」に出演している歌手、MARIが、2018年4月8日、大阪市城東区のライブレストラン・ベロニカで、CDデビューを記念したライブを開き、デビュー曲で夢を叶える第1步となる「男と女の第2章」を披露した。



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 オープニングは、3年前の演歌ジャックスの番組収録を兼ねたディナショーに初登場した時と同じ、網タイツのバニーガール姿で「愛の水中花」(松坂慶子)を歌って登場。得意のコスプレパフォーマンスぶりを見せたくれた。

 念願のCDデビュー曲は「男と女の第2章」。2018年1月24日にアクトラスレコードからリリースしている。作詞は荒木とよひさ、作曲は古川三四郎、編曲川村栄二。高音を響かせてのそれは、自分から去っていった男性に、いつまでも私のことを忘れずに心に留めておいてーと歌うバラード。

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 MARIが「すでに多くの人に歌われており、予想以上の反響を感じています」と挨拶すると、演歌ジャックスのスポンサーでもあるカラオケレインボーを運営するコスモコーポレーション(本社・奈良県天理市)の琴平能弘社長も「いい曲になりました」と、CDデビューを祝った。

 カップリングは軽快なダンス歌謡「ダンスDEムーチョ」(作詞・高橋光太郎、作曲・古川三四郎、編曲・山田恵範)。

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 この日はこの2曲を聴かせた。
 MARIは「関係者からデビー曲は、前川清さんのヒット曲『男と女の破片(かけら)』(1991年)と同じく、作詞が荒木とよひさ先生で、編曲も川村栄二先生です。まさに〈男と女シリーズ〉で、同様にヒットの予感がする、といったうれしいエールの言葉をもらいました」と、明かした。

 ライブではデビュー曲以外にも、オールディーズの名曲を披露するとともに、彼女が大好きな越路吹雪や由紀さおり、いしだあゆみ、園まりのヒット曲もカバーした。

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 MARIは「まだ試行錯誤していますが、CDデビューという夢がかないました。発売と同時にカラオケにも配信され、評判も良くて嬉しいです」と、喜びを語っていた。


 この後5月20日にはまた、野中彩央里、清水まり子らが出演する、所属レコード会社の第1回歌謡フェスティバルにも出演が決まっている。










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