福島はじめ(日本クラウン) 歌の力で福島を勇気付けたい 3.11、ラジオで語る [ラジオ]
◆東日本大震災から8年の2019年3月11日、ラジオ大阪の番組「熟メン!野村啓司です」に出演した福島県南相馬市出身で、震災では実家が津波で流された歌手の福島はじめ(日本クラウン)が、復興しつつあるふる里に「歌で元気と笑顔を届けたい」と話した。
「福島を背負って歌います」という福島はじめ
福島はじめは2011年3月11日の震災当日、南相馬市に帰省していた。実家は津波で流されるといった被害に遭ったものの、少し高台にある母親が営む居酒屋に居合わせたことから、彼は難を逃れることができた。
「小さな頃から津波が来たらどう対応するか、などを学習してきたけれど、今になってあの時に何も出来なかった自分を後悔をしています」
そう話す彼は、今の自分をもらった命として「福島のために役立てたい」と、震災を機に芸名を福島一(現在は福島はじめ)に変え、ふる里復興を願って歌い続けている。
復興のためにと、避難所を回って歌を届けるボランティア活動にも通った。
そこでは「漁師町の人からは海の歌のリクエストもたくさんありました。皆さんからは<来てもらって良かった><心の癒しになった>などと声をもらい、音楽(演歌)の力が如何に大きいかを知ることが出来ました」という。
大きな被害に見舞われた南相馬市も徐々に復興が進んでいるというものの「まだ街に帰って来られない人も多く、人口の減少も著しい。そうした中では心のケアが必要であり、歌を届けることで皆さんを勇気付けていきたい」と福島。
番組では新曲の「女の時雨」も放送された。
福島が出演した「熟メン!野村啓司です」は、演歌歌手をゲストに迎えて放送するなど、演歌情報をたくさん放送してきたが、3月28日で放送を終了することになっている。
[福島はじめ オフィシャルサイト]
https://warakasu.jimdofree.com/福島はじめ/
「福島を背負って歌います」という福島はじめ
福島はじめは2011年3月11日の震災当日、南相馬市に帰省していた。実家は津波で流されるといった被害に遭ったものの、少し高台にある母親が営む居酒屋に居合わせたことから、彼は難を逃れることができた。
「小さな頃から津波が来たらどう対応するか、などを学習してきたけれど、今になってあの時に何も出来なかった自分を後悔をしています」
そう話す彼は、今の自分をもらった命として「福島のために役立てたい」と、震災を機に芸名を福島一(現在は福島はじめ)に変え、ふる里復興を願って歌い続けている。
復興のためにと、避難所を回って歌を届けるボランティア活動にも通った。
そこでは「漁師町の人からは海の歌のリクエストもたくさんありました。皆さんからは<来てもらって良かった><心の癒しになった>などと声をもらい、音楽(演歌)の力が如何に大きいかを知ることが出来ました」という。
大きな被害に見舞われた南相馬市も徐々に復興が進んでいるというものの「まだ街に帰って来られない人も多く、人口の減少も著しい。そうした中では心のケアが必要であり、歌を届けることで皆さんを勇気付けていきたい」と福島。
番組では新曲の「女の時雨」も放送された。
福島が出演した「熟メン!野村啓司です」は、演歌歌手をゲストに迎えて放送するなど、演歌情報をたくさん放送してきたが、3月28日で放送を終了することになっている。
[福島はじめ オフィシャルサイト]
https://warakasu.jimdofree.com/福島はじめ/