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木下結子、2種類あったデビュー曲「放されて」 今月21日がデビュー記念日 [インタビュー]

◆歌手、木下結子がデビュー36年を迎えている。デビュー曲は作詞・吉田旺、作曲・徳久広司の「放されて」(日本コロムビア)である。そのデビュー曲には2種類のレコードが存在する。今月はデビュー記念月である。

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「放されて」①
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「放されて」②


 「放されて」は、男に<放された>女がひとり、寂しさを紛らわすかのように気取ってグラスを傾ける。それでもやはり、哀しいし泣けてくる。そんなどうしようもない心は、いっそひと思いに淀川に放して忘れしまおうーと、優しい大阪弁が印象的な歌謡曲である。
 発売された1984(昭和59)年の12月には全日本有線放送大賞に、ほかの9作品と共にノミネートされている。

 木下は高校を卒業して大阪の番組制作・音楽スタジオ会社でOL生活を2年ほどしている。その後、カラオケ音多歌手などを経て、その年の9月21日に歌手デビューしている。24歳になっていた。

 実は「放されて」は当初、関西限定のローカル盤として発売される予定だったのである。
 デビュー当時、木下が所属していた芸能事務所のサンミュージックには都はるみがいて、現役最後のアルバムとなった「夫婦坂」に、新人の木下のデビュー曲をカバー収録することになった。
それに際して「放されて」を聴いたサンミュージックの担当者が「大阪だけではもったいない楽曲」と、全国発売へと格上げして、木下を東京のサンミュージックに呼び寄せることになった。

木下結子.jpg
木下結子

 その際に「ジャケット写真を新たに撮り直す」ことになり、2種類の「放されて」が誕生することになる。
 2種類存在する「放されて」はまだ、レコード盤であった。写真1と同2である。
1は大阪で制作したもの。2は東京で制作されている。どちらも同じ音源で、ジャケット写真を変えただけである。

 サンミュージックに入った木下が東京へ引越ししたのは、その年の11月末であった。「放されて」の発売日から約2ヶ月あったが、その間、それまで住んでいた大阪・泉佐野市の実家を出て、大阪市内のホテル住まいをしている。

 事務所のマネージャー、レコード卸のライラック商事の担当者と一緒にデビュー曲のキャンペーンのためであった。昼間は当時、関西だけでも400ヶ所はあったという有線放送会社の放送所を訪ねてのPR。そして夜は曽根崎新地や道頓堀のスナックで歌唱キャンペーンという毎日であった。
「スナックではミュージックテープが10本1束で、飛ぶように売れました」

 その頃のサンミュージックには森田健作、太川陽介、牧村三枝子をはじめ、今も在籍するそうそうたる顔ぶれが揃っていたし、同期にはアイドルの岡田有希子がいなど、毎日が「ふわふわとしていた」と回想している。

 歌の舞台を歩くウオーキング会「歌を歩く」の第2回目は今月、「放されて」を取り上げる。


[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/








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