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木本勝治(ホリデージャパン) 情熱見せる3枚目のシングル「海の命花」  青森キャンペーンへ意欲 [インタビュー]

◆新型コロナで消えてしまったような2020年であったが、暮れも押し詰まった頃、3枚目のCD「海の命花」をホリデージャパンから出した木本勝治が、地元東大阪市内の神社で自身初のヒット祈願を行って、歌への強い情熱を見せた。新曲はマグロ漁に命をかける男の意気込みを自ら詞にした。作曲は同じレコード会社の宮路オサムが手がけた。

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海をテーマにした新曲に意欲を見せる木本勝治


 歌と事業は掛け持ち出来ない、と経営していた会社を2013(平成25)年に長男に譲り、大好きな歌の世界に入ったのは8年前。71歳の時であった。
 デビュー曲は「ひとりよがり」(日本クラウン、2013年)であった。16年には「宝の海へ」をホリデージャパンから出している。今回初めて、東大阪市内の長田神社で、発売日の12月23日にヒット祈願を行った。近所のファンなど20人ほどが集まってくれたという。

 木本は「情熱」という言葉を座右の銘とするが、「今作では全国各地のカラオケ喫茶店を訪ねて、頑張ってCDをたくさん売っていきたい」と、今まで見せなかったような強い情熱を見せる。ヒット祈願は、それの意思表示でもあった。

木本勝治・海の命花.jpg 新曲はマグロ漁に夢を託す男たちの生き様を歌う。徳島県南部の美波町で生まれた木本の父もまた、マグロ追い求める漁師であった。彼も船乗りになるため、大阪の専門学校で無線通信士の資格を取る勉強をしていた。
 そんな時、台風による時化で兄や叔父が乗った船が三陸沖で沈没、22人が亡くなるという事故が、進路を変えた。

 時代は家電ブームでもあった。勤めを電器店に求めた木本は、ラジオやテレビなど電気製品の修理をする。そこで8年間勤めて、31歳で独立して、現在の高周波金属熱処理の会社を立ち上げることになる。1973(昭和48)年であった。
 この頃よく歌っていたのが沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」(1978年)であった。

 堀内孝雄、谷村新司などの歌にも影響を受けていた木本のデビュー曲「ひとりよがり」は、アップテンポな歌謡曲であった。
 「元々は演歌は嫌いやったんです。デビュー曲を発売してからキャンペーンに歩くと、歳なんぼや演歌を歌え、と言われたんですわ」

 2作目の「宝の海へ」からは演歌に変更した。しかも自ら作詞を手がけ、かつて憧れた海をテーマに書いている。新曲「海の命花」では、自分の人生を変えることにもなった海難事故の経験から、♪ 妻子(つまこ)の祈り 無事に 無事に 無事に帰れよ 〜 と、航海の安全を祈るなど、心は今も海の男のようである。

 「今までは大阪だけのキャンペーンだったんですが、今作では東北、とりわけマグロ漁の基地でもある青森県・大間へは行ってみたい」
 新曲にかける想いは今まで以上に強い。





[木本勝治 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kimoto_katsuji.html








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