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作詞家・伊東ひろしさん(兵庫・尼崎)、90歳を目前にますます盛んな創作意欲 [インタビュー]

◆総合商社日商岩井(現・双日)を56歳で退職後、75歳で演歌・歌謡曲の詞を書く作詞家の世界に入った伊東ひろしさんは、今までに60数曲の作品を在阪の歌手に提供しており、88歳になった今なお元気に詞を綴り続けている。

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作詞家・伊東ひろしさん


 広島県福山市出身の伊東さんは、高校を卒業してすぐに大阪の貿易商社、岩井産業に就職する。会社は1968(昭和43)年に、日商と合併して日商岩井に社名を変更しているが、ほぼ一貫して鉄鋼部門の営業を担当してきた。最終役職は当時、大阪に新たに置かれた関西支店の支店長であった。

 退職後に通い始めたのがカラオケ喫茶店であった。仲間と歌っていて、いつも不思議に感じていたのが「同じ言葉でも、歌の内容によっては文字を変えてもいいじゃないか、ということでした。たとえば<泣く>も、腹の底から泣き叫ぶ場合は<哭く>のほうがいいのではないか」といったことだった。

 そんなことを知り合った作曲家に話したところ、詞を書いてみないか、と勧められたのである。ひやかし半分で書いた詞が、ある日、認められて曲をつけてもらった。これが本格的に作詞の世界にのめり込むきっかけであった。

 「テーマが決まると、資料を調べて書きます」
 会社勤めの時からそうであるように、几帳面な性格から産み出された60数編の作品はどれも、丁寧に書かれたものばかりである。
 たとえば金沢藩の御用商人であった銭屋五兵衛を主人公にした作品「銭屋の三代目」は、北陸を旅した時に見聞きしたことを基に書いているし、「喧嘩祭り」はかつて日商岩井の姫路出張所所長を努めた、兵庫県姫路市で毎年10月に行われる灘のけんか祭りをモチーフに書いた。

 最近では、新型コロナの時代となった令和の世を歌った「令和なげき節」といったユニークな詞もある。

 書いた作品の多くは在阪のプライベート盤の歌手によって歌われているが、まだ曲も付かずに、書き溜めた詞が30編ほどある。伊東さんはそれを「自分が生きた証に世の中に出して残しておきたい」と、創作活動に意欲を見せている。

 その一方で、サラリーマン時代から今まで、62年間をずっと支えてくれている夫人は、現在、介護施設に入居しているが、伊東さんは「今までの自分の人生は何をとっても、周囲の人たちの協力のお陰でした。それにただ感謝しながら、残された日々を暮らせると幸せです」と、話している。








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