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美貴じゅん子(テイチク) 25周年記念曲「土下座」で17年ぶりに古巣・テイチク復帰 [インタビュー]

◆♪ 生きることに必死だから ~ 。まるで自身を歌ったかのような歌詞の25周年記念曲「土下座」(作詞・柳田直史、作曲・岡千秋)を2021年4月21日に発売して、古巣のテイチク復帰を果たした美貴じゅん子。25年という長い時間を彼女は「決して歌手としての人生ではなく、新曲を出せないでアルバイトとレッスンに明け暮れた10年を含む、私の人生そのものの集大成の期間なのです」と、明るく言ってのける。8月23日から9月1日まで三重県桑名市の長島温泉湯あみの島では、初めてのワンマン歌謡ショーを開くことになっている。

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「土下座」で17年ぶりのテイチク復帰の美貴じゅん子


 17年ぶりのテイチクへの復帰だという。デビュー曲は1996(平成8)年、テイチクから出した「ほおずき」。23歳であった。ところが2002(同14)年の7枚目のシングル「姫折鶴」を最後に、パッタリと新曲のリリースが止まってしまった。

 「2012(同24)年に徳間ジャパンに移籍するまでの10年間は全く新曲を出せないでいました。日本料理屋さんでアルバイトで仲居さんを8年くらいしてました。この間、歌のレッスンは欠かしませんでしたが、今、コロナ下といった状況の中で、古巣のテイチクから新曲を出せたのは奇跡であり、感無量です」

 この歌手としての空白の10年間を美貴は、決して<休業>とはとらえていない。周りでは歌手を辞めたのとか、結婚したの、と言われてきたが、常に「このままでは終われない。新曲を出さなければと、スポーツクラブに通うなど体調管理と声出し、レッスンは続けていました」と、常にモチベーションを高めていた。

 歌にもある ♪ 挫けそうになっても 死にません 〜 の通りの10年だったのである。

■風変わりなタイトル

美貴じゅん子・土下座.jpg 「土下座」。変わった新曲のタイトルである。
 今回、作品を書いた岡千秋からは「土下座」を含む4曲のデモテープを受け取った美貴は迷わず、「これこそ自分の歌。絶対に歌いたい」と言ってのけた。歌詞に込められた想いが、自身の25年間の想いと一緒だったからである。

 ここでの土下座の意味は、相手に対する敬意や感謝の意味だという。
 「作詞の柳田直史先生に、その意味を教えてもらい、究極の愛の表現なのだと思ったんです。今までお世話になった恩師の聖川湧先生をはじめ、家族や多くの皆さんへの思いなんです」
 と頭を下げる。

 復帰を喜んでくれた1人でもある作曲家の聖川は「よく辞めずにやってきたね。執念だね」と、彼女に言葉を寄せている。

■縁が深い大阪

 実は美貴と大阪は縁が深い。
 デビュー翌年の1997(同9)年に、大阪広告協会が50周年記念のために制作したモニュメント、高さ2m20cmのキタノザウルスを、JR東西線の北新地駅に設置したのだが、その誕生記念ソングを彼女が歌ったのである。
 それはCD「キタノザウルス キ・タ・ノ」として、テイチクから同年7月に発売されている。北新地駅構内では華やかに除幕式が開かれ、歌も披露された。

 それは美貴にとっては忘れられないものとなった。それから24年を経て、今度はキタノザウルスならぬ、美貴自身が<ミキ ガ カエッテ キ・タ・ノ>になったのである。そこには彼女ならではの熱い想いがあったことは言うまでもないが、生まれ月がさそり座ということと関係しているのかもしれない。
 「さそり座生まれって、気難しい反面、とても熱いんですよ。これは、と思うと一途になれます」
ルーツは鹿児島・喜界島という美貴の体の中には、そんな熱情がふつふつと沸き上がっているようである。


[美貴じゅん子 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/mikijunko/
[美貴じゅん子 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/miki/








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