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佐々木麻衣、特訓を耐えて去年「約束岬」でデビュー 目指すは紅白出場 [インタビュー]

◆星一徹のスパルタ教育によって巨人の星飛雄馬が誕生したように、去年、21歳で日本クラウンから「約束岬」(作詞・旬一、作曲・南乃星太、編曲・伊戸のりお)で歌手デビューした佐々木麻衣もまた、幼児期から熱心な母親のプロ歌手へ向けての指導を受けてきた。5歳になるとそれは作曲家平尾昌晃に託されたが、「歌手になるためのトレーニングに明け暮れた私に青春はなかった」という佐々木がこのほど、初めての関西キャンペーンで大阪を訪れて、2024年6月18日、インタビューに応えて「紅白出場を目指します」と、力強く目標を語った。

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写真・約束ポーズをする佐々木麻衣


 佐々木麻衣は身長170センチのすらりとした容姿端麗なお嬢さんである。とても厳しいトレーニングを耐え抜いた人とは思えない。
 所属事務所のプロフィール欄には初ステージは2歳10ヶ月だと書いてある。その後、神野美伽をはじめ千昌夫、大川栄策など有名演歌歌手30余人の前座を務めたという。
 五月みどりもその1人だが、「このまま頑張れば歌手になれるよ」と言って、彼女はハンカチを2枚プレゼントしてくれた。

 「嬉しくて、この言葉は決して忘れることはありませんでした」
 今も自分を励ます言葉として記憶し続けている。

 前座時代には舞台袖から、そうした歌手たちの歌唱やトーク、身振りなどステージングの全てを見て覚えた。母親からはまず自己紹介の仕方を叩き込まれた。「恥ずかしくて、つい下を向いてしまうクセがあるんですが、それは徹底的に直されました」

 幼稚園では友だちに「わたし演歌歌手になりたい」と宣言していたそうだが、母娘の目標のプロ歌手に向けて母親の猛烈な指導は毎日続いた。
 「起きて3時間を経ないと声が出ないから、と言ってその間は椅子の上に立たされるんです。ステージに立っているつもりで、足の位置や手や目線の動きまで、細かく教え込まれました。母のいう通りに出来なければ、パシッと足をたたかれました」

 5歳になると平尾昌晃の音楽教室で指導を受けるようになるが、中学、高校まで音楽が全てという生活が続いた。
 そんな時、母親が大好きであった歌手、瀬口侑希のテレビ番組で行われたオーディションコーナーで歌ったところ、最終選考の4人に選ばれた。それがレコード会社の目に留まって、「約束岬」での歌手デビューへとつながっていく。

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写真・紅白を目指します

 デビュー曲の「約束岬」を手にした佐々木は「明るくて爽やかな作品で、これから明るい歌を歌っていけるのが嬉かった」という。カップリングの「二人でお酒を」は1974年にリリースされて、梓みちよが歌ってヒットしている。師匠でもある平尾昌晃が作曲した作品であることから収録した。

 佐々木は1歳の頃からドライブに連れて行かれることが多かった。その車内で頻繁に耳にしていたのは森雄二とサザンクロスの歌だったという。そんな事もあって、「演歌・歌謡曲、ムード歌謡は大好きで、それを歌ってたくさんの人たちに愛され、紅白歌合戦に出場できる歌手になりたい」と話す。


動画・デビュー曲「約束岬」をアピール

※写真・記事の無断使用はお断りします。 


[佐々木麻衣 オフィシャルサイト]
@sasakimai0922 (X)
[佐々木麻衣 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/sasaki-mai/news?ima=4152&ct=ryuko








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