山田壽一、発売後10年を経ても人気が衰えないカップリング曲「愛しくて切なくて愛は遠すぎて」 [インタビュー]
◆ 歌手山田壽一が2015年にリリースした「愛しくて切なくて愛は遠すぎて」(作詞・たきのえいじ、作曲・たきのえいじ)が、10年近くたった今なお、聴く人の心を捉えて離さない。

写真・テレビ収録で「愛しくて切なくて愛は遠すぎて」を歌う山田壽一
「愛しくて切なくて愛は遠すぎて」は、山田のデビュー曲「風ごよみ」(作詞/作曲・たきのえいじ)のカップリング曲として発売された。
出逢いも別れもすべて運命で、共に生きた日々は遠くなったけど、貴方のことは忘れないーーそんな内容の歌である。
切なさを誘うスローなメロディーが ♬ 風が鳴いています 窓の向こうで 〜 と始まる歌詞によって、グッと胸に沁み込んでくる。
しかもラストでは ♬ 叶うならもう一度 あの日に帰れたら 〜 とくるから、感極まってくる。
それだからであろうか、「震災で被害を受けた岩手県釜石市へキャンペーンに出向いた際には、歌を聴いて涙する人もいました」というほど。
日本の演歌・歌謡曲ファンが多い台湾のカラオケ好きな人からは、「台湾でぜひ歌ってほしい、と依頼を受けて現地まで出向いたこともあった」
こうした好評ぶりを受けて、18年にはこの年の5月にリリースした「日向恋しや」(作詞・たきのえいじ、作曲・たきのえいじ、編曲・石倉重信)のカップリング2曲のうち1曲に「愛しくて 切なくて 愛は遠すぎて」を収録した。
翌19年にはまた、初のアルバム「心唄 ファーストアルバム」を発売し、ここに「愛しくてーー」を入れているなど、山田は「より多くの人たちに人気の歌が届くように配慮しています」と話している。
※写真・記事の無断使用はお断りします。

写真・テレビ収録で「愛しくて切なくて愛は遠すぎて」を歌う山田壽一
「愛しくて切なくて愛は遠すぎて」は、山田のデビュー曲「風ごよみ」(作詞/作曲・たきのえいじ)のカップリング曲として発売された。
出逢いも別れもすべて運命で、共に生きた日々は遠くなったけど、貴方のことは忘れないーーそんな内容の歌である。
切なさを誘うスローなメロディーが ♬ 風が鳴いています 窓の向こうで 〜 と始まる歌詞によって、グッと胸に沁み込んでくる。
しかもラストでは ♬ 叶うならもう一度 あの日に帰れたら 〜 とくるから、感極まってくる。
それだからであろうか、「震災で被害を受けた岩手県釜石市へキャンペーンに出向いた際には、歌を聴いて涙する人もいました」というほど。
日本の演歌・歌謡曲ファンが多い台湾のカラオケ好きな人からは、「台湾でぜひ歌ってほしい、と依頼を受けて現地まで出向いたこともあった」
こうした好評ぶりを受けて、18年にはこの年の5月にリリースした「日向恋しや」(作詞・たきのえいじ、作曲・たきのえいじ、編曲・石倉重信)のカップリング2曲のうち1曲に「愛しくて 切なくて 愛は遠すぎて」を収録した。
翌19年にはまた、初のアルバム「心唄 ファーストアルバム」を発売し、ここに「愛しくてーー」を入れているなど、山田は「より多くの人たちに人気の歌が届くように配慮しています」と話している。
※写真・記事の無断使用はお断りします。
歌手渡辺要、死去 79歳 眠るような最後 [訃報]
◆今にも起き出して得意の冗談でも言い出しそうな安らかな〈寝顔〉で横たわっていたーー。マグロ漁師の熱い生き様を歌った「大間崎漁歌」(作詞・水木れいじ、作曲・岡千秋、編曲・伊戸のりお)などで知られる演歌歌手の渡辺要(わたなべ かなめ)さんが2024年7月10日午後9時30分、がんのため大阪市住吉区の自宅で眠るように死去した。79歳だった。葬儀は7月14日、大阪市阿倍野区のやすらぎ天空館で行われた。初秋の頃、大阪と香川でお別れの会を開くという。
写真・北島三郎に憧れ続けた渡辺要さん 2021年7月8日撮影
中学卒業後に大阪市内の鮨店で修業を積み、20代で高松市内の1等地に要(かなめ)鮨を開店した。天皇陛下にも献上するほど評判の腕前と共に、アイディアに富む商法で顧客を増やし、著名人も多く来店する四国1の有名鮨店に成長させた。
子どもの頃から歌が好きで北島三郎に憧れて、鮨店を開業してからも歌のイベントに出演するなど、暇を見つけては歌い続けていた。
そんなある日、作詞・作曲家の石坂まさをと出会い、彼の強い勧めもあって、鮨店時代の名声をかなぐり捨てて、一転してプロ歌手の道へと進む決断をする。
「鮨職一代」(全すし連推薦曲)で1991(平成3)年に歌手デビュー。94(平成6)年には兄弟力士で角界を沸かせた若乃花と貴乃花の応援歌「若と貴」をリリースして、ふんどし姿でステージに上がるなどして観客を驚かせた。
歌の世界でもアイディアを駆使したが、確かな歌唱力と共に軽妙なトークと人懐っこさが多くのファンを作った。
代表曲の「大間崎漁歌」では2007(平成19)年度 の日本クラウン敢闘賞を受賞している。同賞は11(平成23)年度に歌手道20年の記念曲「望郷月夜酒」でも受賞した。
また09(平成21)年度に「女のちぎり」で、10(平成22)年度には「人生男節」で日本クラウン シングルヒット賞を受賞している。
出身地香川県の金毘羅宮を舞台にした「讃岐の女」を03(平成15)年にリリースして、これを機に〈こんぴら観光親善大使〉に任命された。
鮨職人出身だけに食には旺盛だった。大阪市内の鮨店で毎年、マグロの解体ショーを行い、自ら握った鮨をファンに振る舞って人気を博した。
自らの好物は肉や魚、取り分け鰻には目がなく、亡くなる2日前には近親者に何か食べたい物はないか、と訊かれて「鰻を食べたい」と答えて元気に平らげたというほど。
一方で甘いものも大好きで、楽屋にはいつもファンから差し入れられたぼた餅などがあった。「元気が一番」と、大いに人生を楽しんだ渡辺であるが、その歌声が聴かれなくなったのは寂しいことである。
なお、筆者は生前から「渡辺要物語」を取材、その1部を執筆してきたが近々完結させ、出版する予定である(そ)。
2024-07-11 04:42
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