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レーモンド松屋、新曲「四万十青春ストーリー」 原点回帰した男の切ない恋物語り [インタビュー]

レーモンド松屋(ユニバーサルミュージック)が約1年ぶりにニューシングル「四万十青春ストーリー」を2022年9月7日にリリースしている。デビューシングルとなった「安芸灘の風」(10年)への原点回帰であり、かって小さなライブを繰り返していた四万十市やその周辺のショッピングセンターで耳を傾けてくれた人たちへ感謝の気持ちを示すものでもある。

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自身の原点・四万十を歌うレーモンド松屋


 レーモンド松屋はメジャーデビューする以前の10数年間、地元愛媛県をはじめ中四国各地のショッピングセンターなどで頻繁にミニライブを行なっていた。
 高知市から四国地方の南西部を経由して松山市に至る国道56号線上にある四万十市へも何度となく通い、オリジナル曲、昭和の名曲やオールディーズなどを1回1時間から2時間をかけて歌ってきた。彼が〈吟遊詩人〉と言われる由縁も、ここらあたりに端を発するのであろう。
 それだけにそこは「心のふるさと」と呼ぶにふさわしい、忘れられない土地になっている。

 「四万十青春ストーリー」には第3セクターのくろしお鉄道中村線、国道56号線、秋の大祭では流鏑馬も行われるという高岡神社、四万十川に架かる赤鉄橋、そして日本一の清流と称えられる四万十川の霧といった具合に、いずれも四万十のシンボルが登場する。
 そうした場所をミュージックビデオでは紹介しているが、スタッフを車の助手席に乗せて撮影した。その映像は、四万十の魅力を旅情感たっぷりに伝えている。

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「四万十青春ストーリー」

 自らが作詞・作曲・編曲を手がけた。70〜60代に好きな人が多いというフォーク・ロック・歌謡曲の要素を取り入れた。
「歌うには少し難しいアップビートな曲調ですが、切ない男心も感じてもらえ、歌詞をかみしめると映像も浮かんできます。『安芸灘の風』など初期の作品への原点回帰でもありますが、新たな要素を盛り込みました」

■陽水がシンガーソングライターの原点

 シンガーソングライターのレーモンドの体の中には、常に昭和歌謡のリズムとそれによって描き出されるドラマが棲みついている。彼の楽曲の多くが同世代からの支持を得ている要因でもある。
 ハードロックなビートだけど、歌の世界は昭和歌謡・演歌なのである。
「春日八郎、三橋美智也、美空ひばりなど昭和を代表する歌手たちの歌もまた、ロック、ジャズなど格好いい洋楽の要素を含んでいました」

 そんなシンガーソングライターの原点ともなったフォークソングをカバーしたのが、「四万十 ー」と同時発売した5枚目のアルバム「歌謡クラシックスV〜僕たちの青春フォークソング〜」である。
 全16曲を自らが編曲して収録している。うち「終(つい)の住処(すみか)」など3曲は新曲。収録曲の大半は自身の作詞・作曲・編曲の作品だが、セルフカバーのほか井上陽水の「心もよう」りりぃの「私は泣いています」なども含まれている。

レーモンド松屋・歌謡クラシックスV~僕たちの青春フォークソング~.jpg
「歌謡クラシックスV〜僕たちの青春フォークソング〜」

 「心もよう」はレーモンドにとっては忘れられない大切な1曲である。「この作品に出合っていなければ、シンガーソングライターになっていなかった」というほど、後々の曲作りに多大な影響を与えているからである。ハイトーンな声質も陽水に似ていることから、一時は陽水かと見紛う人たちもいたほどであるという。

■氷川きよしに3年連続楽曲提供

 3年近くにもなるコロナ下でも、レーモンドは数多くの昨日を作り続けていた。代表的なところでは、氷川きよし(日本コロムビア)に提供する楽曲を3曲制作している。
 コロナ下1年目の2020年にはアルバム「生々流転」に収録された「紅ドレス」、去年は同「南風吹けば」に「千年先までも」を提供。そして今年は6月に発売された同「氷川きよし オリジナル コレクション Vol.01〜演歌&歌謡曲の世界〜」に「夜のぬくもり」が収録されている。
 自身のオリジナル曲を作りながらの仕事であり、その人気ぶりと、多忙だったことがうかがえる。

 その合間を縫うように、50ccのバイクで瀬戸内沿いから背後にある石鎚山の麓まで、ゆっくりとツーリングを楽しむゆとりは、海辺に立てば遠くは今治や来島海峡の大島までもが見える四国に住み続けるからこそ出来るぜい沢でもある。

 12月9日には東京都台東区の浅草花劇場で、「レーモンド松屋 東京ライブ2022」を開く。新曲「四万十青春ストーリー」のほか、ニューアルバム「歌謡クラシックスV〜僕たちの青春フォークソング」の収録曲などを歌う。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[レーモンド松屋 オフィシャルサイト]
http://raymondm.com/
[レーモンド松屋 ユニバーサルミュージック]
https://www.universal-music.co.jp/raymond-matsuya/








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瀬口侑希、好調スタートした「誘惑のスキャンダル」 心地よいリズム 11月にはコンサートも [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、瀬口侑希が2022年8月24日に出した新曲「誘惑のスキャンダル」が好評である。9月5日付けオリコン週間ランキングでは初登場2位(演歌・歌謡曲部門)で、サウンドスキャンジャパンでも初登場2位にランキングされた。洋楽のようなおしゃれ感あるタンゴ調のリズムが心地よく、聴く人を魅了しているようだという。11月に東京で単独コンサートも予定している。

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瀬口侑希


 シングル30作目になる「誘惑のスキャンダル」は、評判が高かった前作「運命の悪戯」の続編として制作された。今作はかず翼に作詞を依頼、作曲は徳久広司である。
 どこか「スリリングなタイトル」という瀬口侑希は、秘密にしなけれはいけない甘い恋に酔いしれる女性の揺れる心を、セクシーに憂いを込めながらも軽快に歌って、「リズムにのって体を動かしなが歌ったり、聴いてもらえるといいです」と話す。

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「誘惑のスキャンダル」

 衣装は前作に続いてドレス。今回は切ない心のうちを表すように、憂のあるワインレッドである。靴をはじめ口紅、ネイルカラーも全て同系色で統一した。視線を感じるジャケット写真もお気に入りのワンショットである。

 カップリングの「ジョージ」(作詞・かず翼、作曲・徳久広司)は、ジャズティストなおしゃれ感あふれる1曲。「レコーディングはライブ感覚のセッション形式で行った」といい、表題曲の「誘惑のスキャンダル」とともに大人の歌謡曲で、「雰囲気を楽しみながら、聴いてもらえるといいです」と、瀬口。

 5月からはBS12チャンネルで「瀬口侑希のホットミュージック」をスタートさせている。毎週水曜日午前4時30分からの30分番組で、ゲストを招いて新曲を届けるといった内容。自身の「誘惑のスキャンダル」をも後押ししている。

 長らくコロナで活動が制限されていたが、去年9月からは東京でコンサートを再開させている。今年も11月4日に、東京都北区の北とぴあ つつじホールで、作・編曲家の若草恵のピアノによる生バンドで「瀬口侑希コンサート2022〜今あなたに逢いたい〜」を行う。

 ゲストに六本木ヒロシを迎え、長編歌謡浪曲「瞼の母」の歌謡劇を盛り込む。股旅姿の忠太郎を瀬口が演じ、母親役を六本木が扮するという。去年のコンサートから芝居を取り入れているが、歌以外にも見どころいっぱいのコンサートになりそうである。




 来年には、「八尾しぐれ」以来、沢山のファンを作ってきた富山市内でもコンサートを予定しているし、「地元神戸でも私の足跡を見てもらえる内容のものを行いたいですね」と、意欲をみせる。

※記事・写真の無断使用はお断りします。


[瀬口侑希 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/seguchiYuki/top.html
[瀬口侑希 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/seguchi/news?ima=0943








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木下結子、デビュー38年を語る 作詞家髙畠じゅん子と対談 Vol.1 [インタビュー]

◆9月21日が38回目のデビュー記念日である歌手木下結子が、2022年のその日に新曲「百滝桜(ももたきざくら)」(作詞・髙畠じゅん子、作曲・都志見隆、編曲・猪股義周)をホリデージャパンから発売する。表題曲の「百滝桜」は木下の出身地の近く、大阪・和泉市にある樹齢100年を超える大阪府の天然記念物にも指定されている「若樫の百滝桜」を歌ったものである。これを作詞した髙畠と木下の対談がこのほど、大阪市内で行われた。その模様を3回に分けて「Music news jp」同YouTubeチャンネルでお届けする。

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作詞家髙畠じゅん子(右)と木下結子が初対談


 この楽曲の作詞を担当した髙畠は、木下が2012年に日本クラウンから出した「ウヰスキー」の作詞をして、以来、彼女の作品を書き続けている。

木下 作品を書いてもらうようになって10年ににりますが、それまでに5年近くのお付き合いがありますね。先生が作詞家の世界に入られてどれくらいになられるのでしょうか。

髙畠 音楽の世界に入って40数年になります。作詞家としてのデビューするきっかけはシャンソン歌手の石井好子さんが募集されていた作詞部門で優勝したのがきっかけでした。この時に書いたのは、歌謡曲詞でしたね。
 その後、先ごろ亡くなられた松平直樹さんから頼まれて書いたのが、「さようなら幸せに」(1975年)でした。これは中川博之先生が曲を付けて、森雄二とサザンクロスが歌いました。ムード歌謡の作詞家としてのスタートでした。

木下 私は先生が書かれた「足手まとい」(作詞・髙畠じゅん子、作曲・中川博之、1977年)を良く口ずさんでいました。その楽曲が先生の存在を知るきっかけになりました。

髙畠 貴女が歌手になるきっかけはなんだったのですか。

木下 近所の商店街で開かれていたのど自慢などで歌うようになったのが、最初だったと思います。それから泉佐野市内にあったレコード店に通ってレコードを買うようになりました。ミズキ演歌堂というその店の社長さんは関西レコード商業組合の重鎮で、私が歌が好きで、あちこちで歌っていた事を知っていたこともあって、「デモテープを作って売り込んでみようか」と言ってくれたんです。サラリーマンだった三門忠司さんを歌手デビューさせた実績がありましたから、私にも声がかかったんです。

髙畠 このころレコード店と言えば、メーカーに物を言える力を持っていましたからね。それがきっかけで日本コロムビアに入ったんですよね。

木下 レコードメーカーに持ち込んで3社目で決まったと思います。大阪ローカルで売り出すというこで、大阪を舞台にした「放されて」というデビュー曲をもらったんです。

髙畠 でも名門のコロムビアですからすごいですよ。

木下 最初は信じられなかったですね。会社の第1制作という部門には美空ひばりさんや都はるみさんなど錚々たる顔ぶれの大先輩方がいっぱいいらっしゃるんですから。24歳になっていました。こんなことってあるのかなぁ、と思いましたが、とにかくがむしゃらに頑張りました。
 すると大阪ローカル発売だったのを全国発売に変更されることになり、しかも所属事務所はサンミュージックに決まりました。あれよあれよという間の出来事でした。

髙畠 トントン拍子に進むたびに、そのチャンスをきちんと掴んでいったところが立派ですよ。サンミュージックといえば、当時はとても強い事務所でしたからね。

木下 東京での活動は8年ほどで、その後大阪に戻ってきました。(僅かな期間でしたが)そこでの体験が、大阪で1人で活動する際に大いに役立ちました。今、それをつくづく思います。沢山の人に動いてもらわないと、1人では何も出来ないという事です。
 先生との出会いもファンの方からの紹介でしたから。その辺は次回に。

 木下結子のホリデージャパン移籍第2弾の「百滝桜」は、2022年9月21日に発売される。この日、大阪・心斎橋で開かれる大阪発流行歌ライブに出演が決まっており、これを披露することになっている。

 「百滝桜」のカップリング曲は「アカマンマ」 (作詞・髙畠じゅん子、作曲・都志見隆、編曲・猪股義周)で、やはり高畠が作詞をしている。♫ あなたの居場所で 咲きなさい 〜 と、娘に向ける母親の愛を歌った涙を誘う佳作。
 スペシャルトラックとして、「ステージではしばしば歌ってきた」(木下)という、やしきたかじんの「東京」 (作詞・及川眠子、作曲・川上明彦、編曲・牧野三朗)をアレンジを変えてカバー収録している。よりスマートになった「東京」は必聴である。

※記事・写真の無断使用はお断りします。




[木下結子 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/kinoshitayuiko/
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html








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川野夏美、「空席」 大人のラブソング ワクワクして歌う新たな歌世界 [インタビュー]

◆皆さんしみじみと聴き入ってくれていますー。川野夏美(日本クラウン)が2022年6月に発売した「空席」を聴いた人たちの反応である。部屋も引き払って一緒に旅立とう、と一大決心をして空港へやって来たけれど、隣の席は空いたまま。貴方は最後の最後になって背中を向けた。切ない涙を流しながら、主人公の女性は離陸と共に別離の覚悟を決める。作詞は本橋夏蘭、作曲は杉本眞人である。

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新曲の「空席」はロングヒットの兆しも


 今までにもドラマチックな悲しい恋の数々を歌ってきた川野夏美が表す、新たな恋物語である。歌の後半の歌詞、♫ 涙ひとすじ テイク・オフ 〜 女性が愛を捨て、旅へ飛び立つ瞬間であり、この歌の内容を最も良く物語っている。
 聴く人たちの心のうちが最大に盛り上がるところでもあろう。

川野夏美 空席.jpg

 やっぱりと苦笑いして搭乗口をくぐっていく主人公、川野は「引き返さずに飛行機に乗ってしまうのには共感します。でも彼のことは大好きだったと思いますよ」と話す。作詞の本橋が女性の心理を巧みに表現する。

 まるでテレビドラマを見ているかのように、聴くものを歌物語の中に引き込ませてくれる。だからであろう、6月8日に発売されて今なおオリコン演歌・歌謡曲チャートでは13位(9月5日付け)にランキングされている。

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大阪発流行歌ライブで歌う川野夏美

 川野が主人公に共感するのと同じように、聴く人たちもまた同じように共感を示し、自らも歌うからであろう。
 「歌の世界観を想像して貰えるように歌っています。楽しんで聴いてもらえると嬉しいです」と川野。

ギターに挑戦中

 彼女がコロナ下で新たに始めた事がある。コロナ以前から「チャレンジしてみたい」と考えていたのであるが、ある日思い切って町のギター教室に飛び込んだという。
仕事で出かける時も必ずギターは欠かさず、楽屋でも弾いている。
 「毎日、触っていると小さな変化があるようで、周りの人たちが良くなったね、なんて言ってくれるのが嬉しいです。大人になって新しいことを始めるのは楽しいし、やりたい事は直ぐにでも取りかかるようにしています」

 10月16日には東京・江東区の江東公会堂(ティアラこうとう)で、「川野夏美コンサート2022」も開く。
 もしかするとギターの弾き語りも聴けるかもしれない。

※記事・写真の無断使用はお断りします。




[川野夏美 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/kawanoNatsumi/top.html
[川野夏美 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/kawano/news?ima=5231








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真木ことみ、来年2月にはデビュー30周年を記念して夢の大阪コンサートを開催  記念曲「くれないの糸」も好評 [インタビュー]

◆デビュー30年目を迎えている歌手真木ことみ(日本クラウン)が、大阪で初めて単独の記念コンサートを2023年2月8日に大阪国際交流センター大ホール(大阪市天王寺区)で開く。デビューしてから最も多く訪れているという大阪であるが、「いつか開きたかった夢のコンサート」に新曲「くれないの糸」と共に胸を躍らせている。

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デビュー30年目の真木ことみ


 真木ことみは1993年に「橋」でデビューし以来、新曲をリリースする度に大阪でのキャンペーンを欠かさないが、「大阪はデビューしてから1番来ている土地です」といい、デビュー当時は夜キャンペーンも頻繁に行っている。
 「スナックなどを1日7〜8ヶ所を回るのですが、終わるのは夜の12時を過ぎることもあって、眠くて訪ねた先では倒れそうになったこともありました。宿泊先のホテルでは出発時間に目が覚めた事も」

 そんな思い出いっぱいの大阪だけに、単独コンサートを開くのは長年の念願であった。30年の間には全国70ヶ所でコンサートを開いてきたが、不思議と開催地に大阪はなかったのである。
 コンサートは開催まであと5ヶ月後に迫ったが、今は歌う楽曲選びを楽しんでいるという。

 ひと足早く2022年8月11日には、東京・池袋で30周年記念ディナーショーを開いているが、真木のデビュー当時から応援団長である元プロ野球選手で読売ジャイアンツの中畑清も来演、デュエットも披露している。

 真木は8月3日に30周年記念曲「くれないの糸」(作詞・朝比奈京仔、作曲・弦哲也)を出している。前作の「天の糸」(同)から続く〈糸シリーズ〉である。

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好評な「くれないの糸」

 一途な恋への想いの深さを紅という色で表現しており、主人公になり切って切々と歌う。聴き応えたっぷりな作品で「ことみちゃんにピッタリな作品」という評価も聞かれる。
 真木自身も「今まで全ての楽曲で丁寧に歌うことを心がけてきましたが、この作品ほど歌い方に気を配っている作品はありません」

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大阪発流行歌ライブで熱唱する真木ことまみ

 それが「ゆったりと歌える余裕を生み出して、きめ細やかな表現につながっている」のであって、真木の作品に向ける真摯な気持ちがより良く現れているようである。

 この作品で更なるステップを目指したい真木がいう「他人と比べる事なく、自分のペースで歩んでいきたいです。歌手としてはやはり、曲をヒットさせるのが1番ですが、皆さんに楽しんで喜んでもらい、また聴きたいと思ってもらえるように心がけたい」は、デビュー当時と変わりない。

※写真・記事の無断使用はお断りします。




[真木ことみ オフィシャルサイト]
https://www.makikotomi.com/
[真木ことみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/maki/news?ima=3519







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湯原昌幸、人生の生き様が一筋の光が差すよに散りばめられた 聴けば聴くほど味わいある 「何もない手のひらは」 [インタビュー]

◆聴けば聴くほどに味わい深いー。湯原昌幸(テイチクエンタテインメント)が2022年7月に出した「何もない手のひらは」は今、評価がじわじわと高まっている。心の安らぎを感じさせるこの歌は、元気であった戦後の昭和時代を代表する1人である坂本九の世界が令和の今に蘇ったようでもある。

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湯原昌幸


 湯原の妻である歌手でタレントの荒木由美子は毎日のように、食事を作りながら「何もない手のひらは」を繰り返し聴いているという。新曲が出た時のいつもの光景であるのだが、今回ばかりは少し様子が違う。
 「最初はそれほどでもなかったけれど、聴けば聴くほどに、心に沁み渡って、味わい深い歌に感じられる」というのである。

 湯原も「彼女の感想がいつも参考になるんです」と、彼女の耳に全幅の信頼を置く。

 同様にこうした評価は各方面から聴こえてくる。派手さはない楽曲であるが、人の生き様が散りばめられた歌詞は、聴くものの心を打つし、メロディーがさらにそれを倍加させている。
 多くの人の琴線に触れたのであろう。作詞は田久保真見、作曲は田尾雅実である。♫ 何もない手のひらは 何かをつかめる 〜 そして♫ ふと繋げばふたりになる〜

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 湯原は今まで「等身大のリアルな瞬間瞬間を切り取って歌を歌ってきた」というが、今作ではほのぼのとして伸びやかな世界観を表現した「人生の生き様を散りばめた歌」というように、これがとりわけ、同世代の人たちの心を捉えているようなのである。

 再来年には77歳になり、喜寿を迎えることになる。「いつまで歌えるかは分からないが、当分はこの作品を歌い続けたい」と言い、今だから表現できるこの味わいは、きっと彼の代表曲にもなるだろうと期待を寄せる向きも少なくはない。
 しかも湯原の「楽曲との巡り合いが歌手人生の寿命を決めることになる」といった持論からすると、彼の場合は優に80歳を超えそうな気配でもある。

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坂本九ワールドに迫る湯原昌幸

 「当初は坂本九さんの楽曲のリメイクも考えたんですが、それではあまりに能がないし、九さんの作品をベースに、坂本九ワールドの新しい作品を作ることにしました」
 「九さんがいた頃の昭和は明るくて誰もが前向きで、社会は右肩上がりでした。そのパワーを元気のない令和の今に注入したい」

 日本が元気で躍動感があった戦後の昭和時代。映画も歌謡曲も輝いていた。そんな元気を、振り返るだけではなく体現してみたい、そうした想いが感じられる作品のようだ。

 湯原は「難しい歌ではありません。ふと鼻歌に出てくるように、気軽に歌って、聴いてほしい歌です」と話している。

※写真・記事の無断使用はお断りします。




[湯原昌幸 オフィシャルサイト]
http://www.havmercy.co.jp/yuhara/pg80.html
[湯原昌幸 テイチクエンタテイメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/yuhara/








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大江裕、「すごいね」といわれる歌手に そんな願いをこめた「願い星」 9月には北島兄弟で新曲も [インタビュー]

◆久しぶりに会った歌手大江裕(日本クラウン)はすっきりとした体形になっていた。「デビュー当時の80キロ台に戻りました」というから20キロほどのダイエットである。油物は控えて野菜中心の食生活にした成果だという。新曲「願い星」(作詞/作曲・原譲二、編曲・遠山敦)のタイトルにある〈願い〉がダイエットであった訳ではない。閉塞感が漂う今の世の中だからこそ、「明るい未来に向かって歩いて行こうよ」という師匠で、これを作詞・作曲をした北島三郎の想い(願い)が込められた作品なのである。

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スリムになって夢を語る大江裕


 同じ事務所の北山たけしとの演歌デュオ北島兄弟のメンバーである大江裕は、新型コロナで外出を制限されたり、仕事がなく自宅にいる時間が増えたこの2年間は「(北山兄さんに)いつも電話をかけて、励まし合って過ごしてきました」という。こんな時だからこそ、今年2月に出した「願い星」が多くの人を励ます。

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 「夢を諦めてほしくないんです。必ずかなう時がくるからです。僕もさんまさんのテレビ番組に申し込んで出演出来たから、憧れの(北島)先生のもとで歌を歌うことができるようになったのですから」

 歌うことが好きだった大江が「歌手を仕事に出来た事はパッピーです。だからこそ、1曲1曲を感謝の気持ちを込めて歌っています」と話す。
 新曲は、夢を諦めないで前を向いて頑張っていこうよーと呼びかける応援歌なのである。コロナの時代という未体験の時間を過ごしてきたからこそ歌えるのかもしれない。

 「上京して19歳の時から1人住まいをはじめ、洗濯をしたり食事を作ったりと無我夢中でした。歌手になって観客の皆さんの前で歌えるのも当たり前だと思っていました。そうじゃないことをコロナで教えられました。こんなところから感謝の気持ちや負けてたまるか、といった気持ちが湧いてきました」

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 演歌だけに縛られることなく何でもチャレンジしたい、と新たな目標に向けて意欲を燃やす。「今は詞や曲を書いてみたりして、新たな自分を見出そうともしていますが、本筋を外すことなく他人がやらない事をやってみたい」

 北島兄弟では9月に久々に新曲を出すという。表題曲の「俺節」は、1992年に小林ひさしが日本クラウンから発売した同名曲のリメイク盤。
 「支えあって歩んでいこうといった、これも応援歌ですね」

 大江は「今の自分には〈凄いね〉と云われる楽曲がないんです。歌い出しで人を感動させ、人の心を震わせることが出来る先生のような歌手を目指してチャレンジしたい」と大きな夢を持つ。
 もちろん「女手一つで育ててくれた母親を幸せにしてあげたい」のが1番であるのは言うまでもないのであるが。



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[大江裕 オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/yutaka/
[大江裕 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/ohe/news?ima=3205








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大沢桃子、〈てんでんこ〉たくさんの人たちに伝われーと歌う「命の道 合唱バージョン」 [インタビュー]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、大沢桃子が、三陸地方に伝わる「てんでんこ」(自分の命は自分で守れ.という意)の言葉を歌詞に盛り込んだ「命の道」は2021年7月に発売されたが、それを自身の出身高校である岩手県立大船渡高校の生徒たちと合唱した「命の道 合唱バージョン」を22年7月13日に発売している。11年前に故郷の岩手県大船渡市にも甚大な被害をもたらした東日本大震災の教訓とも言える、その言葉を歌で伝えたいという彼女の熱い想いは母校をも動かした。

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故郷の教えを歌で伝える大沢桃子


 8月末に大船渡高校の学園祭で生徒たちが「命の道 合唱バージョン」を歌うのに続いて、9月4日には大沢桃子が地元の市民文化会館で3年ぶりに歌うコンサート「縁歌の女神~今届けたい歌がある~大沢桃子コンサート エレキDE演歌2022」では、市民合唱団と高校生たちがジョイントして歌う。

 歌の中に「てんでんこ」という言葉が20回も出てくる。故郷に古くから伝わるこの教えを、多くの人に伝えていきたい。それによって沢山の命が救われる。それの手伝いができれば、と大沢が考えたのが高校生たちと歌う「命の道 合唱バージョン」であった。
 ことし2月から「生徒たちと一緒に歌って、命を救われる手伝いがしたい」と、大船渡高校と電話で連絡を取り始めたのが最初であった。
 しかし簡単には進まなかった。新型コロナの感染問題や高校には合唱部がなかったなど、いくつもの問題があったからだ。

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 何度も連絡を取り合って、ようやく1、2年生の音楽の授業で4月から取り上げてもらえることが決まった。肝心のCDへのレコーディングは30人ずつ、昼休みを利用して、5月末に2日間に渡って音楽教室で行うことになった。
 当然、生徒たちはマスクを取って歌うのだが、担当教師はこの時「初めて生徒たちの素顔を見た」と、笑ったほどであった。

 数多く岩手県を題材にした作品を発表してきた大沢であったが、この作品ほど思い入れが強く、難航したものはなかったようだ。それが7月13日に発売され、オリコン初登場では59位だったが、2週目の8月1日付では32位に浮上するなど、じわじわと「命の道 合唱バージョン」は評価を高めつつある。

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KOBE流行歌ライブで歌う大沢桃子

 発売日には神戸市内でキャンペーンを行った。「11年前の東日本大震災では、阪神淡路大震災の時のお返しとばかりに、いち早く神戸の人たちが復興支援に大船渡に駆け付けてくれました」と大沢。
それに応えるかのように、「命の道 合唱バージョン」を響かせると「涙を浮かべながら聴いてもらったりして、とても嬉しかったです」

 その大沢は「1人でも多くの人に聴いてもらいたいです」と話している。

※写真・記事の無断使用はお断りします。






[大沢桃子 オフィシャルサイト]
https://bspro.jp/momoko/
[大沢桃子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/oosawa.html








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氷室一哉、カッコいいムード歌謡 加門亮を歌い継ぐ第2の裕次郎 [インタビュー]

◆ムード歌謡の氷室一哉の世界を満喫してもらいますー。2022年8月13日、東京・港区の六本木クラップスで、氷室がムード歌謡曲など14〜15曲を歌う新曲「アカシア物語」発売記念ライブが開かれる。同5月25日にデビューしたばかりの彼の魅力を思う存分に満喫できる最高の機会となることだろう。

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加門亮再来の呼び声が高い氷室一哉


 身長183センチ、股下90センチの格好良さがウリの歌手、氷室一哉は只今41歳。ムード歌謡曲を歌ってサマになる年齢である。同じレコード会社だった加門亮の世界を歌い継ぐ。デビューシングル「アカシア物語」には、カップリング「忘れないで」と共に、加門が歌った「無情のブルース」も収録している。

 キャンペーンでも氷室はムード歌謡の魅力をたっぷりと聴かせてくれる。
 定番とも言える「小樽のひとよ」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)のほか、「ヘッドライト」(徳久広司)「最後にもう一度」(アローナイツ)も堪能させてくれる。

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 デビューまでは「やしきたかじんさんが歌っていたような都会的なポップス調の歌を歌っていました」という。その都会ぽさを今回、珍しくなったスリーピースに込めた。ネクタイも少し太めで、「昭和の格好良さを彷彿させた」のである。
 これも聴く人見る人の目を「1秒でも自分に向けさせたい」といった〈モデルアーティスト〉を目指すという思いからである。
 キャンペーンのステージでも、カメラに向かってポーズを取るなど、サービスを欠かさない。

 表題曲の「アカシア物語」は「若い人たちにも聴いてもらえると思う。古さを感じさせせないんです」
デビュー早々には「コレは誰が歌っているの」といった問い合わせがたくさん寄せられたほどだ。

 ムード歌謡にはグループコーラスとソロの2通りがある。氷室が目指すのは後者の石原裕次郎や加門亮などのような世界を目指すソロである。
「ささやいたり優しさを研究するなど、先人たちの魅力に近づくように」と、努力を惜しまない。

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 「男の挽歌」と題した来月13日の発売記念ライブは、ワンドリンク・軽食付きで1万円。午前11時受付開始。詳しくはオーシャンパシフィック・ホリデーまで。電話:03-5402-6270

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[氷室一哉 オフィシャルサイト]
https://win-promotion.net/himuro/
[氷室一哉 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_himuro_kazuya.html







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夏木綾子、30周年記念曲「海峡の湯」 ダイナミックな物語性が聴く者を引き込む  デビュー曲あっての今作 [インタビュー]

◆歌手夏木綾子(キングレコード)がデビュー30周年を迎えている。2022年1月1日に発売した記念曲「海峡の雪」(作詞・瀬戸内かおる、作曲・岸本健介)が、デビュー曲「浪花の母」から数えて41作目になる。この作品があったから頑張る事ができた30年であった、と夏木は話す。

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デビュー30周年を迎えた夏木綾子


 夏木綾子が持ち前の太い声で歌う「海峡の雪」は、ドラマチックな恋物語を一段と盛り上げてくれる。夏木は「格好いい演歌で、歌っても聴いてもいい作品」だという。その通りオリコン初登場は2位にランキングされていたし、2週目も4位と発売直後から好スタートを切っている。

 30周年記念曲に相応しく、聴き応えのある楽曲であるのだが、もしかすると歌手を目指していた30数年前の夏木自身の心の内と重なる歌詞でもあるような気がする。

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30周年記念曲「海峡の雪」

 彼女のデビューを見ることなく、50歳で亡くなった夏木の母親が好きだった「越前岬」(川中美幸)という歌を作曲した岸本健介に会って、弟子入りを頼もうと夏木は何度も東京の岸本邸を訪ねている。しかしその都度断られている。

 歌手になる事は母娘の熱い願いであった。しかもその第1歩と思っていた弟子入りを断られては、夢が挫折してしまう。心が折れそうでもあった。
 まさに「海峡の雪」の歌い出しにある、♫ 私の夢が 消えてゆく 〜 と同じ気持ちだったのではないか。

 歌の主人公と違って、彼女は岸本の夫人と話す機会を得ることで弟子入りが叶い、当時住んでいた福岡から東京へレッスンに通い、デビューにこぎつける。

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30年で様々な女性を歌ってきた

 「天にも昇る喜びと感動でいっぱいで、涙涙涙でした。デビュー曲は母と歩んできた、2人の人生を歌にした内容でした」
 夏木は当時の想いを、このように「海峡の雪」のリーフレットに書いている。

 デビュー曲「浪花の母」から今作の「海峡の雪」まで一貫して、女性を歌ってきた夏木であるが、その時代によって主人公の性格は変化すると共に、歌のスタイルも変わっていく。

 「デビュー当時はヨイショと張り切って歌う内容か多かったのですが、10年も経つと王道演歌になり、さらに年数を重ねると女性の切なさが増しました。どれも自分では決して体験できないものを演じてきたのですが、人生の教科書でもありました」

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デビュー曲があったから今がある

 デビュー曲をもらった時、夏木は岸本のから「これが売れなかったら、次はないと思うように」と言われている。
 キャンペーに次ぐキャンペーンをこなして、見事に想いに応えた彼女は、「浪花の母」を20万枚を超えるロングセラー作品にまで育てている。「その頑張りがあったからこそ、30周年を迎えられた」と夏木はその頃を振り返る。

 夏木の太い声とダイナミックな物語性、そして30年のキャリアの重みが、「海峡の雪」の魅力を押し上げていることには違いない。




※記事・写真の無断使用はお断りします。



[夏木綾子 オフィシャルサイト]
http://natsukiayako.net/
[夏木綾子 キングレコード]
https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10421








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津吹みゆ、好調「壇ノ浦恋歌」 少し大人っぽくなった 10月には初の時代劇挑戦 [インタビュー]

津吹みゆ(日本クラウン)の新曲「壇ノ浦恋歌」を聴いて、坂本冬美の「火の国の女」を連想してしまった。女の燃える情念を歌っているからである。「今までオリジナル曲で歌ったことのない楽曲で、いきなり大人っぽくなりました」と津吹は、作曲家の四方章人や担当ディレクターに歌い方を教えてもらっての体当りでレコーディングに臨んでいる。チャート誌のランキングも2位でスタートするなど、発売後の評判は上々である。

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新境地に挑む津吹みゆ


 CDショップの店頭データと直結したランキングを売りにするサウドスキャンでは1位を獲得、オリコンでは2位、4月のUSEN月間リクエストでは1位といった具合に、「壇ノ浦恋歌」は好調な滑り出しであった。

 「デモミュージックを聴いてとても歌いたい楽曲だったことが、とても嬉しかったです」

 3月30日に発売されて3日後には、歌唱教室の課題曲にもしてもらったなど、嬉しい輪が一気に広がりを見せている。5月19日にはKOBE流行歌ライブで、関西では初めて生歌を披露して、演歌・歌謡曲ファンからたくさんの拍手を受けていた。

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 「端唄が挿入されている部分は発声を変えるなど、大人っぽい歌い方に変えています。唸りも入れたんですよ」
 と話す津吹はデビュー以来、望郷モノなど清純路線で歌ってきただけに、戸惑いながらもひとりカラオケボックスで歌い方を工夫していった。

 その際嬉しい事があった、とインタビューで声を弾ませて話してくれた。
 「カラオケボックスで練習をしていた時、マスクをしていたにも関わらず出会った中年の女性から『津吹みゆちゃん?』と声をかけられたんです」
 初めての事ではなかったものの、デビューして7年になるが、新人のように初々しさを感じさせるのである。

時代劇に挑戦

 津吹の宝塚歌劇好きは良く知られているが、今年10月19日には東京・浅草公会堂で行われる「松井誠 錦秋浅草特別公演」に出演して、時代劇に初挑戦する。
 公演には松井誠のほか島津悦子(キングレコード)大空亜由美(日本クラウン)らも出演し、芝居と歌の見どころ聴きどころ満載だという。

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5月のKOBE流行歌ライブで

 「松井誠さんの舞台は何度も見ていますが、今回初めて出演の話を頂きました。松井さんは日本クラウンからCDを出しておられますし、私が『夕花火』という楽曲をリリースした時、松井さんに添え舞を踊ってもらって以来、何かにつけて気にかけてもらっています」

 祖父の影響を受けたのか、小さな頃の夢は、女忍者くノ一になるのが夢だったというほど時代劇や大衆演劇も大好きだったという。津吹は「10月は大半が浅草公会堂での仕事になりそうです」と、早くも胸を弾ませている。

※写真・記事の無断使用はお断りします。




[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubukiMiyu/top.html
[津吹みゆ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tsubuki/news?ima=2643








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吉幾三(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 新歌舞伎座で芸能生活50周年記念特別公演 6月4日から 記念アルバム全5巻は来春完結 [インタビュー]

◆歌手の吉幾三が山岡英二の名前でデビューして2022年3月で50周年を迎えている。中学校卒業後に上京して師事した作曲家の故米山正夫から教えられた「物事は大らかにを考えよ」を守り続けてきた。芝居と歌謡ショーからなる50周年記念の特別公演を2022年6月4日から12日まで大阪・新歌舞伎座で開くほか、記念アルバム全5巻(第1巻は既発売)を発売して、これまで歌ってきた作品400余曲のうち、本人が厳選したオリジナル50曲を新収録する。歌謡ショーには弟子の真田ナオキ(テイチクエンタテインメント)のサプライズ出演もありそうだ。

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6月の新歌舞伎座特別公演に向けて意欲を語る吉幾三


 吉幾三の新歌舞伎座特別公演は3年ぶりである。芝居と歌謡ショーの2部構成で、1部は原案・音楽、主演吉幾三による下町の人情を描いた心にしみるコメディー「親はがっかり!子はしっかり!」
 吉の役は妻を亡くした物流会社の社長。その長女で会社経営を手伝う出戻り娘に芳本美代子、会社の古株社員に島崎和歌子、吉の親友で不動産会社社長に佐藤B作なども出演する。

 22年3月に名古屋・御園座で行った同じ内容である。
 今回、配役では名古屋公演で曽我廼家寛太郎が務めた不動産会社社長を佐藤B作が代わって演じる。吉は「手を替え、品を替えて面白くする」と太鼓判を押す。公演中3日に1回は新たなアドリブが飛び出すのも、芝居を面白くしてくれる。その数は「台本にして5、6ページになる」というから、出演者も大変である。

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■50周年記念アルバムは来春完結

 50周年を迎えている吉幾三の歌手デビューは、ヤンマーディーゼル(現・ヤンマーホールディングス)のコマーシャルソング「恋人は君ひとり」を山岡英二の芸名で発売した1973年3月1日であった。
 それから50年、この間に発売してきた楽曲は400曲余にもなる。この中には「ヒット曲もあれば、なぜ売れないのだろう、というものもありました」というが、「どれも思い出のある作品ばかり」である。

 「パリに行く前に書いたパリの歌を、実際に現地へ行ってみると感じるところが違って、書き換えたものもあります。また、今ではこんな優しい女性はいないと思うような女歌もありました」

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 22年3月に発売した50周年記念アルバム第1巻「ピアノと吉」には、千昌夫に提供してヒットした「津軽平野」(1984年3月)をはじめ、「雪國」(1986年2月)など10曲を収録している。
 5巻全てが完結するのは来年1月か2月で、第3巻は北海道から沖縄まで線路のある風景や季節を歌う楽曲を揃え、4巻では曲のイントロに語りを入れ、5巻は演歌からレゲエまでなど、「歌い継いでもらいたい作品」を選ぶ。

 このアルバムでは全収録曲をキーを変えずに、新たに歌い直している。その際に頭をよぎったのが師匠・米山正夫の「大らかに物事を考えなければいけない。人に歌を教えたり、生き方であったり、人生とは何か」といった音楽以外の教えであったという。

■人生、頼り頼られをテーマに2部の歌謡ショー

 アルバムと同時に吉の作詞・作曲による記念シングルの第1弾「頼り頼られ・・・」も同時発売している。これで彼は、1人では生きていけなかった自身の人生を振り返るように歌う。
 今年2月にはペースメーカーを入れ換えており、「その時にまさに頼り頼られて生きていることを実感した」といい、そんな中から生まれた。

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 この作品は6月4日から始まる新歌舞伎座特別公演2部のタイトル「頼り・・・頼られ・・・ありがとう」にも採用されており、「雪國」「酒よ」「酔歌」などヒット曲の数々を歌う歌謡ショーのテーマでもある。
 歌謡ショーではまた、友人のコメディアン志村けんさん(享年70)のために書いた「二人のブルース」を歌うほか、ラストソングには争いをやめようと訴える「天空へ届け」(新曲のカップリング曲)を予定する。

 名古屋公演でもサプライズで出演した真田ナオキは、新歌舞伎座公演の期間中にも出演があるという。
 かつて1日に80本ほど吸っていた煙草も7年前にやめて、今は1日に4000歩は歩くというウオーキングにも精を出すなど、69歳を迎えた今、「まだ大阪で公演をしていない芝居があるので、あと1、2年は新歌舞伎座でやりたいな」と意欲を見せる。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[新歌舞伎座 吉幾三特別公演]
https://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/20220604.html
[吉幾三 オフィシャルサイト]
https://441930.jp/
[吉幾三 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/yoshi.html








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葵かを里(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 初の信州を舞台にした新曲「諏訪の御神渡り」 全国カラオケ大会も [インタビュー]

◆舞いながら歌う演歌歌手の葵かを里が2022年3月に新曲「諏訪の御神渡り(おみわたり)」を発売している。約3年ぶりに大阪と神戸の流行歌ライブに出演して、新曲のメイン曲とカップリング曲を披露した。

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葵かを里


 来月でデビュー18年目を迎える。今までに京都・奈良の古都と北陸・金沢などを歌ってきたが、今回初めて舞台を信州・諏訪に移している。

 御神渡りは氷が張った真冬の諏訪湖で、氷の<山脈>が出来る神秘的な自然現象をいう。その氷の道は、諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへと渡る恋の道であるというロマンチックな言い伝えがある。
 それを今作では、♬ 今すぐ逢いに来て 〜 と男女の恋にたとえて歌っている。

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「諏訪の御神渡り」

 楽曲では御神渡りが出来る際の音をイメージして、それをイントロで和太鼓の音で印象的に表現している。この作品では、得意の舞も演じてみせている。

 カップリング曲の「人情酒場」は、葵が茶野香のペンネームで作曲した作品でもある。

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舞いながら歌う葵

 新曲CDに封入された応募券で参加できる、「諏訪の御神渡り」「人情酒場」「女の花を咲かせます」を課題曲にした全国カラオケ大会を開催し、9月25日には長野県諏訪市の下諏訪総合文化センターで決勝大会を開く。

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[葵かを里 オフィシャルサイト]
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[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
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和田青児(日本クラウン)、新曲「里ごころ」 土の匂いがする望郷演歌のシンガーソングライター [インタビュー]

◆「お前は土の匂いがする歌が似合うよ」と、師匠である北島三郎から、下積み時代にそう言われたと和田青児は話している。事実、デビュー曲「上野発」は、そんな匂いのする望郷歌であった。そして2022年2月22に出した新曲「里ごころ」(作詞 / 作曲・星つかさ)は、東北・福島県で生まれ育った彼の望郷の想いを歌い綴った1曲である。新型コロナの騒動の影響で、思うように故郷に帰ることができなかったり、親の顔も満足に見ることが出来ない人も少なくはない。こんな今の時勢を掛け合わせた作品である。

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故郷への想いを歌い続ける和田青児


 和田青児が星つかさのペンネームで作詞・作曲をしている。その最新曲が「里ごころ」である。分かりやすい言葉で綴られた歌詞には、故郷への優しい想いが詰まっている。すでに実家もなくなった故郷であるが、和田はここ2年間、福島へは帰っていない。しかし「どのような形でも故郷はいいものです」と、この作品にそうした想いを込めた。
 前作の「望郷の道」もタイトル通りに望郷もの。まさに望郷演歌は和田そのものを表すジャンルになってきているのである。

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 北島三郎の元で11年間 の付き人生活を過ごした後、北島三郎プロデュースの「上野発」で、日本クラウンからデビューを果たした和田は、2012年に師匠の北島音楽事務所から暖簾分けを受けて独立している。この間、詞を書きメロディーを考える師匠の姿を見ており、子供の頃から芝居の脚本を書いたり、文章を書くことが好きだったことも手伝って「いつかは自分も師匠のように歌を書いてみたい」と、思うようになる。

 そんな和田が、星つかさのペンネームでデビューしたのは2016年の「燃えて咲け」であった。この作品で作詞・作曲を行なっている。以来、今作の「里ごころ」まで、8作続けて自ら作って歌っている。演歌のシンガーソングライターなのである。

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 作品の数々はやはり北島三郎の影響を大きく受けているのであろうか。
 「元々はやはりそうだったと思いますが、そればかりでは今の自分はなかったと思います」
 そう答える和田は、沢山の人の歌詞を読み、メロディーに耳を傾ける。最近は韓国の男性ヒップホップグループ、BTSばかりを聴いている。「リズム感、音のピッチ、表現など、どれを取っても素晴らしいですね」

 こうした新しい音楽を聴くのも3人の子供たちの影響だという。その子供たちも和田の作品など昭和歌謡に新鮮さを感じているといい、そんな家庭内の音楽の融合が作品作りの下地になって生まれた「里ごころ」なのである。

 「やはり歌手にとっては生の歌を皆さんに届けるのが本来の醍醐味です。そこにこそ歌手としての存在価値があるはずです」
 先ごろ出演した大阪発流行歌ライブ、KOBE流行歌ライブでも歌える喜びを全身で表していた。
この2年余、歌えなかった時のストレスを、この新曲で一気に解消したいようである。





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[和田青児 オフィシャルサイト]
https://www.seiji-wada.com/
[和田青児 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/wada/news?ima=4431








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みちのく娘、笑顔で元気を届けて4年 新曲「みちのく恋の花 / 悲しいときは」も好調 [インタビュー]

◆歌謡ユニットみちのく娘!が約半年ぶりに大阪にやって来た。山形県山形市出身の工藤あやの、同鶴岡市出身の羽山みずき、福島県矢吹町出身の津吹みゆの東北出身で、同世代の女性歌手3人による歌謡ユニットである。東日本大震災で東北を応援してくれた人たちに元気な姿を発信し、皆んなに幸せと勇気・元気を与えていきたいーと、2018年に結成して活動を続けてきた。新型コロナの影響で、ここ2年余は思うような活動もままならないが、「幼稚園や高齢者施設へも訪問して、歌と踊りで元気と勇気を届けたい」と話している。

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結成4年目のみちのく娘! 左から羽山みずき・工藤あやの・津吹みゆ


 「当初は1年の期間限定だったんです」
 リーダーの工藤あやのはこのように、1年限りのユニットであったと話すが、「いつも悔いが残らないように活動している」と、ユニットは結成して4年目に入ってシングルCDは3枚、アルバムも1枚を出すほど、演歌女子アイドルユニットとして人気を得るまでになった。

■アナログからデジタル

 長引く新型コロナの影響下で、彼女たちの活動・生活も大きく変わった。
 3人での稽古はテレビ電話によるオンラインであるし、ライブもサイン会もインターネットを介するようになった。ただ「揃って行うマスクを付けての稽古では、お互いの表情が分かりにくい」のがネックだとか。

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 写真を撮るのが趣味だという津吹みゆだが、「(仕事以外では)外出するのが億劫になりました。去年からは自宅で水彩画を書いてます」というし、羽山みずきのように「粗大ゴミの処分の申し込みもすべてインターネットなんです」と、元来アナログ人間だったのが、デジタルの勉強をするようになったケースもある。
 工藤は「料理をしたり、アクセサリーなどハンドメイド作品を作ってます。自分と向き合う時間が増えたかな」とも。

 演歌でも生配信イベントが一般的になってきている。羽山は月1回、LINEライブを行う。「自宅からの配信が多いので、リラックスしているプライベートと、仕事を切り替えるのが難しい」ようである。
 工藤は「配信中に携帯電話が落ちて、一瞬、洗濯物が映ったことがありました」と笑ってみせる。
 しかし、こうしたネット配信は3人にとって「伝える楽しみが、今まで以上に分かってきた」ようである。

■幸せになってもらえる歌を届ける

 性格の違う3人のソロ歌手がユニットを組んだ「みちのく娘!」
 ユニットのリーダーとしての責任感が出てきたという工藤、「結成前は我が強くて周りの目が気になって仕方なかったのですが、今は自分を理解するようになったし、相手のことを考えるようになりました」と、ユニットによってソロ歌手としても成長出来たようである。

 羽山は歌の技術など色んな面でコンプレックスを持っていたというが、「3人一緒に稽古していると、今まで1人だと分からなかったものが見えるようになってきました」と、自信を取り戻したかのように笑顔をみせる。
 津吹は工藤や羽山とは逆に、「周りを見ることがなくマイペースな性格なんです。でもユニットという共同での活動を通して、表現の幅や発信の仕方を学びましたし、ひとつのことをやり遂げる嬉しさを体験しました」と話す。

 みちのく娘!には、アレクサンドル・デュマの「三銃士」に出てくる「1人はみんなのために、みんなは1人のために」の言葉がピッタリなようである。



 そんな彼女たちが目指すのは、悲しい時も笑顔で明日の夢をーと、去年12月に出した3枚目のシングル「みちのく恋の花」のカップリング曲「悲しいときは」のように、多くの人たちに笑顔と元気を届けて、幸せになってもらえる歌を届けること。

 今年、3人はそれぞれ、ニューシングルをリリースしている。工藤は約2年ぶりの新曲「白糸恋情話」(2022年1月26日)を、羽山は4月6日に「こころ町」を出したばかり。津吹はちょっと大人っぽくなってデビュー10作目の「壇ノ浦恋歌」を3月に発売しているなど、ソロ歌手としても充実感いっぱいである。

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[みちのく娘]
https://www.michinokumusume.com/
[工藤あやの 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.arder-jiro.co.jp/ayano/
[津吹みゆ 日本クラウン]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubukiMiyu/top.html
[羽山みずき 日本クラウン]
https://ameblo.jp/hayama-mizuki/








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小川みすず、日本で1番ラッキーな演歌歌手  デビュー第2弾「空行く雲よ」を発売 [インタビュー]

◆もず唱平作詞、浜圭介作曲の「何でやねん」で2020年3月、日本クラウンからデビューした小川みすず。その直後から新型コロナウイルスの蔓延で、デビューキャンペーンなどあらゆる活動がストップして2年間、周りからは「日本で1番不幸な新人演歌歌手」とまで思われた。しかしその年の暮には、思いもよらぬ明石家さんまのテレビ番組に電話出演を果たして、電話越しに歌を全国に届けるなど、一転して「日本で1番ラッキーな演歌歌手」になった。その彼女が2年ぶりに新曲「空行く雲よ」(作詞・もず唱平、作曲・浜圭介)を出した。

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「空行く雲よ」の振付のポーズをとる小川


 デビュー曲からガラッと印象を変えて、昭和リズム歌謡の現代版といわれる「空行く雲よ」は、美空ひばりの「真赤な太陽」ピンキーとキラーズの「恋の季節」を彷彿させるような、歌って踊れる明るく元気な楽曲である。
 ポスターも昭和を感じさせるデザイン。「実際より年上に見える」といった声もあるが、話題性は十分のようだ。
 重厚な文芸作品を得意とするもずとは思えぬ、テレビの朝ドラを想像させるような詞であるが、浜のメロディーが懐かしいリズム歌謡という新しい世界に変えてしまった。

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歌って踊れる明るい「空行く雲よ」

 発売後の東京都内や北関東のCDショップの店頭キャンペーンでは、「キャッチーな楽曲で、楽しんでいるよ」といった声も聞かれるなど、滑り出しの反響は上々。
 新たに撮ったアーティスト写真では、浜圭介の妻で元歌手の奥村チヨから譲り受けた真っ赤な衣装を身につけている。
 「赤と黄色の2着を頂いて、ジャケット・ポスター写真にと思ったのですが、スリットが前面に深く入っているで、ちょっと恥ずかしくて」

 小さい頃からど演歌が好きだったという。デビュー前は都はるみ、村田英雄、島津亜矢などの歌を歌っていたが、もずと出会って「君は演歌の声ではない。ジャズやブルース、昭和歌謡がいい」と指摘された。

 演歌を得意と思ってきた小川、これには一体〈何でやねん〉とショックであった。それにイチから挑戦し、繰り返し歌った。「演歌はこぶしを回したり、しゃくったりして歌うと形になりますが、先生が言われたサラッとした歌は、その中に哀愁を込めるのが大変難しいのです」

 難儀していると「作り過ぎずに、話すように淡々と歌うことで詞が生きてくる」とアドバイスをもらったのが良かった。スムーズにレコーディングに臨めた。

[新月]?世の中で一番不幸な演歌歌手

 小川がデビューしたのは2020年3月。さぁ、これからという矢先に新型コロナウイルスの影響を受けて、歌謡界はあらゆる活動が出来なくなってしまった。彼女もご多分に漏れず、自宅に閉じこもる日々が増えた。やることと言えば歌のレッスンか筋トレ。それにYouTube配信であった。

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1番不幸な新人演歌歌手が1番ラッキーに

 そんなある日、テレビCMで、フジテレビ系列で毎年クリスマスの深夜に生放送されるバラエティ番組「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」(明石家サンタ)で、不幸な話を募集していることを知った。
 それにキャンペーン用の葉書を使って、「今年「何でやねん」でデビューした新人歌手です。歌うことも出来ず、不幸の極みです。なんでやねん」と書いて応募した。

 その不幸ぶりがさんまの目に留まり、クリスマスイブにさんまから生電話がかかり、デビュー曲の一節を歌うことも出来た。生放送で全国に流れるという一大ハプニングになった。
 すると今度は、番組を見たBSフジのディレクターから「応援のきっかけになれば」と、歌番組への出演のオファーがあり、去年6月に放送された。
 この後もテレビで見たよ、といって声をかけてくれる人たちが増えるなど、1番不幸な新人歌手は、一瞬にして1番ラッキーな歌手になってしまった。

 そのラッキーで、 ? 吉報知らせる 鰯雲 ? と、デビュー第2弾の「空行く雲よ」の歌詞の通りに、今年もいい知らせがやって来ますようにと、屈託のない笑顔を見せてくれた。

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[小川みすず オフィシャルサイト]
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[小川みすず 日本クラウン]
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原田波人(日本クラウン) 今度の新人は〈純度120%の歌声〉 和歌山出身の19歳 [インタビュー]

◆数少ない和歌山出身の男性歌手として2022年1月に「永遠の一秒 ~ Stretched love ~」で日本クラウンからデビューした原田波人。まだ19歳である。誕生月は9月であり、その若々しい歌声を「19歳を使えるうちに使いたい」と10代最後の今、その若々しい歌声を存分に響かせる。その自分らしさを発揮できる歌手になるのが今の目標だという。

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期待の19歳の新人・原田波人


 男性歌手全盛の演歌・歌謡界であるが、その一角にまたまた有望な新人が加わった。主流の第7世代ならぬ、新たな第8世代の筆頭に原田波人はなるのかもしれない。
 「10代と20代では全然違うという気がするんです。だから残りの半年間に10代を使い切りたい」

 ディレクターは原田を「19歳とは思えない色気がある」と表現した。取り分けその歌声は、〈純度120%〉のキャッチフレーズのように多くの人を引きつけるようである。
 「少々、音を外しても、元気で爽やかに歌ってほしい」の注文の通り、型にはまらない「自分にしか歌えないジャンルを目指したい」と、新人原田には頼もしさも感じさせる。

 歌好きの祖父の影響を受けて、幼稚園の頃から演歌を歌っていた。中学2年の時に出たNHKのど自慢で長山洋子の「蜩」を歌って、今月のチャンピオンに選ばれた。
 この時、現在の所属レコード会社の日本クラウンからオーディションを受けないか、と誘いがあったが、この時は断っている。グランドチャンピオン大会に出場したかったからであった。

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 翌年に出場したその大会では落選したものの、再度、日本クラウンから誘われ、今度は2つ返事で承諾した。それから2年間、奈良市まで月1回のボイストレーニングに通った。そして受けた演歌・歌謡曲新人歌手オーディションでは準グランプリを獲得して、デビューへの切符を手にした。高校2年の時であった。

 原田の声のキーは高い。自然と女性歌手の歌を数多く歌うようになっていた。「石川さゆりさんをはじめ伍代夏子さん、藤あや子さんの歌を良く歌っていました。キーもほとんどそのままです」

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得意のポーズを頼むと・・・魚のポーズだという

 デビュー曲「永遠の一秒」カップリングの「ふるさとの景色」のいずれも、作詞が伊藤美和、作曲は夢人ゆうき、編曲は椿拓也である。「最初に曲をもらってからレコーディングまでには1年弱かかりました。補作があったり、最初は演歌でしたが、歌謡曲調に変更があったりしました」

 新御三家をモチーフにしているといい、70年代80年代のアイドルソングのようで、どこか懐かしさを感じさせる。
 原田は「スカッと歌えるソングにもなっていますので、カラオケで歌って心をスカッとしてもらいたいです」と呼びかける。

 3月20日には和歌山市内で里帰りライブを開いてもらうなど、地元では久々の新人歌手の登場に期待が高まっている。




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[原田波人 オフィシャルサイト]
https://twitter.com/popoy_official?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
[原田波人 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/harada-namito/news?ima=3115&ct=ryuko








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入山アキ子、出会いと運と縁で歌い続けてこられた 「人生七曲り」キャンペーンで明かす [インタビュー]

◆あの日あの人に出会ったから今があるー。入山アキ子(テイチクエンタテインメント)の新曲「人生七曲り」は、自らが「運と縁に助けられてここまで来た」という自身の半生を綴ったような、そんな歌である。2022年2月4、5の両日、大阪・堺市内と大阪市内で行った歌唱キャンペーンでは、忘れられない出会いの数々を披露してくれた。また歌う元看護師として「体にも心にも良い歌を皆さんに届けたい」とする一方で、事務所の電話番号を公開して健康に役立つ情報提供やアドバイスをする「よりそいホットライン」を開設しているなど優しさを見せる。

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大阪・堺市内のキャンペーン先で歌う入山アキ子


 数多くの出会いを重ねて来た入山であるが、歌手の道を歩むようになって彼女に大きな影響を与えた3人の人物を亡くしている。1人は6年間の闘病の末に8年前に旅立ったマネージャーであった。そして去年にはステップアップの道筋を作ってくれた事務所の和久井保社長を、さらには師匠で作曲家の鈴木淳の2人を相次いで見送ることになった。

 いずれも言葉にもならないほどの悲しい出来事であったが、そのつど大きな成長を見せてきたのも事実。これこそ彼女がいう「運と縁」なのであろう。
 デビューからずっと入山を見続けていた鈴木とは多くの思い出があるが、忘れられないのは鈴木のレッスンを受けていた時のこと。


 「先生がアコちゃん、いい曲が出来上がったよ、と大きな声で叫ぶので、地下のスタジオまで降りて行くと、これはいいと言ってひとり頷いておられるんです」

 この時に出来上がったのが ♬ 燃える 〜 で始まる「紀淡海峡」なのである。
 マネージャーを亡くして沈んでいた入山にとっては、元気を取り戻すこの上ないプレゼントになった。しかも初めての関西を舞台にした作品は、大市場へ打って出る大きな武器ともなったのである。
 事実、この作品は紀淡海峡の地元和歌山をはじめ、広く関西で彼女の名前を浸透させる大きな弾みとなった。

 和久井との別れは入山にとっては名状し難いものであったであろう。前川清など数多くの歌手を育てた80歳を過ぎた元名マネージャーの和久井が「入山がたった1人でドタバタしている」のを見かねて、手を差し伸べてくれたのである。
 あの和久井さんがー彼女にはとても信じられない話であったし、また去年3月に届いた訃報も信じられないものであった。これからという時であったからこそ、そのショックは大き過ぎた。

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「目指すはテッペン」

 それでも入山はここでも「運と縁」を手にする。音楽プロデューサーの松崎澄夫がプロデュースをして、「春一番」をはじめキャンディーズの楽曲の作曲などを数多く手掛けた穂口雄右が「今度は大人の歌謡曲を」と、作詞と作曲をした「人生七曲り」がそれであった。
 その歌は ♬ あなたについていけば 辿り着くのね 〜 で終わる。「あなた」は和久井の盟友である松崎や穂口たちに代わったが、その遺志は固く守られて行くであろう。

 そうした数々の運と縁で入山が「目指すのはテッペン」と言い切る。遺志に背くことなく「人生七曲り」のヒットへ向けて連日連夜、駆け回っているのもそのためである。。

※記事・写真の無断使用はお断りします。


[入山アキ子 オフィシャルサイト]
https://入山アキ子.jp/
[入山アキ子 テイチクエンタテイメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/








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4代目桂春團治、73歳で歌手デビュー 人生を刻みこんだ「大阪人情しぐれ」 [インタビュー]

◆落語家の4代目桂春團治が73歳で、自らの人生を刻み込んだ、まるでお好み焼きのような楽曲「大阪人情しぐれ」をフリーボードから発売して歌手デビューした。来年2月には大阪・心斎橋の角座で歌謡ショーを予定している。

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73歳で歌手デビューした4代目桂春団治


 桂春團治を歌った演歌は今までに京山幸枝若の「浪花しぐれ 桂春団治」と都はるみの「浪花恋しぐれ」の2曲が知られているが、「大阪人情しぐれ」4代目が自らが自身の落語家人生を歌ったものである。
 「これまでは破天荒な芸人春團治が描かれてきました。確かに酒も女では先の3人の春團治と肩を並べることはできるけど、昔から一門では女房は泣かしたらあかん、と言われ続けきました」と春團治
 その<女房> は、かつてビクターの歌手としてグンゼのCMソングなどを歌っていた恵レイシーである。

 そんな「大阪人情しぐれ」は、一緒に夢を見てきた世話女房を労る、実話のような夫婦歌なのである。昔、中村美律子に節回しのレッスンを受けたことがあるというが、「歌は下手です。56年になる自分の落語家人生を歌わせてもらいました」と控えめ。しかしさすがこだわりを持つ大阪弁の台詞は、噺家の真骨頂を発揮している。
 落語家4代目桂春團治の芸道を歌っているものの、同時に同年代に人たちに、一生懸命生きて欲しい、といったメッセージを送る応援歌でもあるという。

 実は24、5年前に1度レコーディングをした経験がある。デモテープの段階で周囲から「これは売れへんで」と言われて発売せずに終わっている。
 2度目の挑戦となった今回は「♬ 熱い鉄板 お好み焼きに 苦労刻んで 隠し味 〜 と歌詞もあるように、大阪を舞台にしたお好み焼きのように気楽に聴いて、歌ってもらえる歌です」と、上々の出来栄えのようである。

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「大阪人情しぐれ」を作曲した田浦高志(右)と

 これの作曲を手がけたのは、大阪・ミナミなどで長く流しをやってきた演歌師、田浦高志。「語りかけるように歌っておられます」と、落語家ならではの歌に敬意を評する。

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[松竹芸能 桂春團治]
https://www.shochikugeino.co.jp/talents/katsuraharudanji/








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MOKKEI、明るく元気にしてくれる2ndシングル「赤い花が咲いたら」をリリース [インタビュー]

◆関西で活動するMOKKEIが2021年11月24日、伊藤雪彦作詞・作曲による、2枚目のシングル「赤い花が咲いたら」(日本クラウン)を出した。カップリングには「老いてなお花となる」「愛の絆」を収録している。

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かつての仕事場だった京都・祇園白川を散策するMOKKEI


 MOKEEI 赤い花が咲いたら.jpg前作までのMOKKEIのイメージをがらりと変える穏やかな歌声は、鬱屈としたコロナ社会を吹き飛ばしてくれる、明るくて爽やかで可愛らしささえ感じる演歌である。
 表題曲の「赤い花が咲いたら」は、第34回日本レコード大賞を受賞した大月みやこの「白い海峡」(1992年) や石原裕次郎の「おもかげの女」などの伊藤雪彦が作詞・作曲している。



 MOKKEIが友人の紹介で伊藤と会ったのは、ほぼ1年前だった。自ら書いた詩に曲を付けてもらうのが目的であった。それは「年老いても夢を持って元気に生きてほしい」という願いを込めた内容のものであった。
 初めての出会いから、レコーディングを含めて4、5回、彼女は住まいのある京都から伊藤がいる東京へと足を運んでいる。

 そこでMOKKEIは ♬ 二人で仲良く 生きて行く (中略) いついつまでも 〜 と歌う「赤いー」をメイン曲にすることで、より訴えたい想いが明確になる、と判断すことになる。持ち込んだ自作詩の「老いてなお花となる」は伊藤が曲を書き、やはり自作の「愛の絆」と共にカップリングにした。

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 来年4月で72歳になるという彼女にとっても、この「赤いー」は作品は自身へ向けての応援歌でもある。
 コロナ1色で過ぎたような2020、21年の2年であったが、歌手のほかにも新たな音楽作品を自作したり、愛媛県に本社を置くインターネットラジオのインタビュアーとして活動してきた彼女は、「むしろこの2年は充実していました」と、目を輝かせるほどである。

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KBS京都ラジオの徳部番組で新曲を発表する

 12月18日には、京都市上京区のKBSホールから中継されるKBS京都ラジオの開局70周年特別番組「サンクス70」(午前9時〜午後4時)で、MOKKEIは新曲「赤い花が咲いたら」を披露することになっている。午後12時30分頃の放送だという。

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