◆ある居酒屋で有線放送から音楽が流れていた。どこかで聴いたような曲だと思って耳をすませると、それはインタビューしたばかりの西山ひとみ = 写真左 = の「愛という名の別れ」であった。別れたばかりの出逢い、こんなところであろうとは―。

 その「愛という名の別れ」は、シャンソン風の歌謡曲。今年3月に発売されたばかりだ。彼女が大切にする「シンプルな歌い方」な歌である。
 ハスキーな、あまり聴いたことがない声質だ。彼女にデビューを誘ったテイチクのディレクターも「声が変わっている」と言って、演歌を歌えないかと声をかけたという。



 それから2年、1987年に出したテイチクからのデビュー曲は「難波女の演歌やねん」といった大阪ものの演歌だった。テイチクからリリースしたのはシングルが4枚だが、いずれも演歌。90年の「ふたりの小樽」では作曲家の彩木雅夫とデュエットしている。

 ずぶの素人からのデビューで、当初は「ステージでは歌を歌うことはできるんですが、しゃべることもできませんでした」など、まごつくことばかりだった。そのため体重も激減した。
 でも聴く人たちが歌に共感してくれると「会場の雰囲気が変わっていくのがわかる」という。

 歌手になる前、西山は幼稚園で2年間教員をしていた。子どもと接することが大好きで、父兄からは「先生は天職」とまで言われていた。
 小さな子どもたちを教える難しさは、並大抵ではない。
 ステージ上の西山であっても、幼稚園の教室と同じと思えば、人は耳を傾けてくれるはずだ。演歌歌手時代に学んだのは、そんな基本的なことであったようだ。

 彼女にとって歌は言葉を伝えること―。
 「言葉でドラマを作る」ように歌う。
 とりわけ新曲では、その点に気を配る。
 「メロディーの流れが今までとは違っているためか、1小節1小節が緩やかな流れになっています。一本調子にならないように、音をつなげていくことを考えています」

最新曲の「愛という名の別れ」(左)とテイチク時代の「ふたりの小樽」

 元々は趣味で始めた歌だった。ヴォーカルレッスンではシャンソン、ジャズ、カンツォーネ、リズム&ブルースなどと様々な課題をこなしてきた。しかも演歌・歌謡曲まで。
 そんな幅広さを14、5年前に東京で始めたというライブで思う存分に聴かせてくれる。何が飛び出すかわからない、スリルあふれるライブだという。
 彼女の歌にピアノとバイオリン、シンセサイザーと、いずれも女性がバックで演奏する。

 長く歌ってきたが、これからも「たくさんの人たちと会えて良かったと思えるステージを作っていきたい。関西でもこんなライブができる場所を作って、楽しい輪を広げていきたい」と夢を膨らませる。

◆守備範囲の広さは歌だけではなく、趣味もまた幅広い。
 中でも日曜大工は自宅の改装を手掛けるなどプロ顔負けであるし、大好きな万年筆はプレゼントしてもらったものなど20本を超えるまでで、いずれもこだわりの逸品だという。



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