木下結子、皆さまのおかげでデビュー40年 今夏、大阪・東京で5年ぶりのソロライブ [インタビュー]
◆「ノラ」「放されて」などのヒット曲で知られる歌手木下結子(ホリデージャパン)が今年、デビュー40年を迎えている。デビューして5年目で歌った「ノラ」は今までに18人の歌手によってカバーされているなど、歌謡曲のスタンダードナンバーとして多くの人たちに口ずさまれている。夏には5年ぶりとなるソロライブを大阪と東京で開催する。
写真・木下結子
40年という長い年月を歌い続けて来た木下結子が歩んで来た道は決して平坦ではなかった。
大阪限定盤として日本コロムビアから発売されるはずの「放されて」が1984年、急きょ全国発売に決まって、上京することになった事から、彼女の歌手人生は始まる。
デビュー5年目の1989年1月には3枚目のシングル「ノラ」を発売している。北から南までこれを届けるため、全国を訪ね歩いて歌っている。
写真・発売当時の「ノラ」のジャケット
その甲斐あって評判を得た「ノラ」は同年5月にファーストアルバム「ノラ」が発売されているし、96年9月には「放されて」とのベストカップリング盤として再リリースされている。
そして98年8月には門倉有希がカバーシングルをビクターから発売して、さらに多くの人が「ノラ」を知るようになった。
木下もアルバム「ノラ」を同11月に再リリースしている。
今では秋元順子なと18人がカバーするほどの人気曲になり、日本の歌謡曲のスタンダードとして定着していると言ってもいい。
■歌に励まされて歌い続けてきた
「ノラ」の元祖木下が還暦を迎えると、世の中はコロナ大騒動に巻き込まれた。外出することをはじめ、あらゆる活動が自粛を求められるようになった。
未だかつてない異常事態に、歌手も例外なく歌う場所がなくなった。
木下も例外ではなかった。歌手を続けるのもこれまでか、と思い悩む毎日が続いた。
この年の10月にはホリデージャパンに移籍している。悩んだ末の決断であったが、移籍第1弾として出したのが「泣いてもええやろ」であった。
デビュー曲「放されて」のアンサーソングのような楽曲で、大阪湾を涙でいっぱいにするほどに泣いてもええやろーと歌詞にあるように、自分に素直になると、少しは気持ちも楽になった。
それから2年後、デビュー記念日の9月21日に、大阪府内に実在する百滝桜(ももたきざくら)をモチーフにした「百滝桜」を出した。
今度は自分を大いに元気づけてくれる作品であった。
その歌詞を書いた作詞家の髙畠じゅん子は、「樹齢百数十年の老木となった百滝桜のように、今、美しく花を咲かせる桜木は周りのたくさんの人たちが支えてくれたからです。あなたが40年近く歌い続けて来られたのも、同様にそうした多くの人たちのお陰なのですよ」と、木下に助言している。
写真・木下結子
人生はいつでもやり直しが出来るーと木下が歌う「ウヰスキー」と同様に髙畠が送るエールであった。
4月21日には大阪・堂島のエルセラーンホールで開かれるホリデージャパン歌謡フェスタin大阪に出演するが、40年を飾るのに相応しい歌を聴かせてくれるであろう。
さらに今夏、5年ぶりにソロライブを大阪と東京で開くという。
長い年月が経った今も、「放されて」「ノラ」などを聴きたいーといった多くの人からリクエストが絶える事がない。
木下は「自分の物差しで出来ることを見極めて、1つひとつをこなして行きたいです」と、これからもコツコツと歌い続けていく姿勢を崩さない。
※写真・記事の無断使用はお断りします。
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html
写真・木下結子
40年という長い年月を歌い続けて来た木下結子が歩んで来た道は決して平坦ではなかった。
大阪限定盤として日本コロムビアから発売されるはずの「放されて」が1984年、急きょ全国発売に決まって、上京することになった事から、彼女の歌手人生は始まる。
デビュー5年目の1989年1月には3枚目のシングル「ノラ」を発売している。北から南までこれを届けるため、全国を訪ね歩いて歌っている。
写真・発売当時の「ノラ」のジャケット
その甲斐あって評判を得た「ノラ」は同年5月にファーストアルバム「ノラ」が発売されているし、96年9月には「放されて」とのベストカップリング盤として再リリースされている。
そして98年8月には門倉有希がカバーシングルをビクターから発売して、さらに多くの人が「ノラ」を知るようになった。
木下もアルバム「ノラ」を同11月に再リリースしている。
今では秋元順子なと18人がカバーするほどの人気曲になり、日本の歌謡曲のスタンダードとして定着していると言ってもいい。
■歌に励まされて歌い続けてきた
「ノラ」の元祖木下が還暦を迎えると、世の中はコロナ大騒動に巻き込まれた。外出することをはじめ、あらゆる活動が自粛を求められるようになった。
未だかつてない異常事態に、歌手も例外なく歌う場所がなくなった。
木下も例外ではなかった。歌手を続けるのもこれまでか、と思い悩む毎日が続いた。
この年の10月にはホリデージャパンに移籍している。悩んだ末の決断であったが、移籍第1弾として出したのが「泣いてもええやろ」であった。
デビュー曲「放されて」のアンサーソングのような楽曲で、大阪湾を涙でいっぱいにするほどに泣いてもええやろーと歌詞にあるように、自分に素直になると、少しは気持ちも楽になった。
それから2年後、デビュー記念日の9月21日に、大阪府内に実在する百滝桜(ももたきざくら)をモチーフにした「百滝桜」を出した。
今度は自分を大いに元気づけてくれる作品であった。
その歌詞を書いた作詞家の髙畠じゅん子は、「樹齢百数十年の老木となった百滝桜のように、今、美しく花を咲かせる桜木は周りのたくさんの人たちが支えてくれたからです。あなたが40年近く歌い続けて来られたのも、同様にそうした多くの人たちのお陰なのですよ」と、木下に助言している。
写真・木下結子
人生はいつでもやり直しが出来るーと木下が歌う「ウヰスキー」と同様に髙畠が送るエールであった。
4月21日には大阪・堂島のエルセラーンホールで開かれるホリデージャパン歌謡フェスタin大阪に出演するが、40年を飾るのに相応しい歌を聴かせてくれるであろう。
さらに今夏、5年ぶりにソロライブを大阪と東京で開くという。
長い年月が経った今も、「放されて」「ノラ」などを聴きたいーといった多くの人からリクエストが絶える事がない。
木下は「自分の物差しで出来ることを見極めて、1つひとつをこなして行きたいです」と、これからもコツコツと歌い続けていく姿勢を崩さない。
※写真・記事の無断使用はお断りします。
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html