SSブログ
インタビュー ブログトップ
前の20件 | -

一条貫太、真っ黒に焼いた精悍な海の男に 「大漁太鼓」 [インタビュー]

◆一段と真っ黒に日焼けした精悍な顔。2024年5月8日にデビュー10枚目のシングル「大漁太鼓」をリリースした一条貫太(日本クラウン)。海を題材にした作品は2枚目のシングル「やんちゃ船」と前作「男の漁場」に次いで3作目である。そんな海の歌に相応しく日焼けサロンで焼いたという。「貫太は令和の海の歌を歌え」という同じレコード会社の先輩歌手で、海の歌を数多く歌う鳥羽一郎の支持を受けて漕ぎ出したところでもある。

一条貫太 大漁太鼓 1.jpg
写真・爽やかな海の男


 前作に続いての海をテーマにした新曲「大漁太鼓」。千葉・銚子市の伝統芸能である銚子ばやしが盛り込まれているなど、大漁を祝う祭りの雰囲気が盛り上がる。威勢のいい男歌だが、決して「気合いを入れ過ぎずに、抜くところは抜くなどして、押し引きをしっかり取ることを心がけてレコーディングに臨みました」と一条。

 これだからこそ、聴くものにとって心地よく耳に入ってくるのだろう。目標とする歌手でもある鳥羽一郎の歌が、「豪快でありながら、聴いていて気持ちがスカッとする」(一条)のは、彼にとって身近な手本でもある。

一条貫太 大漁太鼓 2.jpg

 声を前に出す事もデビュー当時から心がけている。テレビ番組で初めて一緒になった北島三郎の控え室へ挨拶に行った時のことであった。
 「名前を名乗ったのですが、クセで早口になってしまいました。すると、えっ? と問い返されたんです。この時、ゆっくりと話さないと伝わらないよ、と教えられました」

 こうした大先輩たちのアドバイスが一条貫太の歌を育てているようである。

■海の歌を歌い続けたい

 千葉市の海の近くで生まれ育った。海を行き来する船の音や、磯の匂いするような環境であったという。ところが歌は体育館で他人に聴かせるほど好きだったのに、泳ぎは小学生の頃から苦手であった。
 「プールで25メールを泳ぐのが必須課題であったが、それがどうしても出来なくて、夏に補修を受けてなんとかクリア出来ました」

 前作の「男の漁場」は千葉・銚子市でミュージックビデオ(MV)を撮影したが、「こんなに白くては仕事をしていない漁師に見られるぞ」と、肌の白さを指摘された。
 実は男らしさを強調しようと、デビュー2年目から日焼けサロンに通っていたのだが、漁師のそれには到底及ばなかったようだ。
 そこで回数を増やして、より黒くしていったという訳である。


動画・「大漁太鼓」を語る一条貫太

 令和の海の歌をーーと鳥羽に背中を押された一条であるが、それは鳥羽の40周年記念コンサートで鳥羽の「港駅」(1985年)をカバーしたのがきっかけだったという。
 前作では「このまま行け」と合格点をくれたという。今作ではどのような評価が出るのかーー。

 ファンからは「やっぱり声をはる海の歌がいい」と認めるように、彼自身も「色んな歌を幅広く歌っていきたいけれど、たとえば海のご当地ソングなども歌っていきたい」と希望を膨らませる。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[一条貫太 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/ichijyoKanta/top.html
[一条貫太 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/ichijo/news?ima=2647








nice!(0) 
共通テーマ:音楽

新川めぐみ、3年ぶりの新曲「哀しい口紅」 女性の代弁者として歌っていきたい [インタビュー]

◆3年ぶりの新曲「哀しい口紅」(作詞・さくらちさと、作曲・弦哲也、編曲・矢野立美)は今まで以上に思い入れの強い作品ですーー。歌手新川めぐみは開口一番、こう切り出した。女性に共感してもらえる歌を、と希望して出来上がったもので、哀しく沈んだ顔を口紅・化粧で隠す女性心理を突いている。「これからは名曲『ノラ』のような世界を歌っていきたい」ともいう。

新川めぐみ.jpg
写真・3年ぶりの新曲に意欲を見せる新川めぐみ


 日本クラウンに復帰して5作目のシングル「哀しい口紅」を2024年5月8日にリリースした。
 哀しい顔を他人に見せたくない強がりな女性が主人公である。それはまさに新川自身でもあるという。「化粧で誤魔化そうと、哀しみが募るほどそれは厚くなり、お酒で紛らわせたりするようになる」

 毎日の生活の中で心に残った言葉や思い浮かんだフレーズを小まめにメモするのが、ここ最近の習慣になっているという。そのノートに書き留められた言葉に共通するキーワードは女性の代弁者である。
 「女性の心のうちを伝えられるものを歌いたいんです。メモはそのためのもの。カラオケで歌うだけでなく、演歌や歌謡曲を知らない人の耳にも届くような、そんな歌を目指したい」

 そうした遠大な想いを描き続けている彼女はデビュー18年になる。現在のレコード会社に復帰してしばらくしてからだろうか、レコード会社のディレクターなどに作品に対して自分の想いを話せるようになったという。
 それまではあてがいぶちの作品を言われるがままに、カラオケでたくさん歌ってもらえるようにと歌っていたが、それではダメと悟った。

 自分の想いを作品にぶつける事で、チャートのランキングは上がったし、自然とカラオケ発表会で歌われる機会も多くなった。
 机上の空論のような作品と歌唱では伝わらない事を実証したかのようである。

 カップリングの「銀座舟歌」も、哀しみを化粧で隠す、幸せとは縁が薄い女性の心理を歌った同系統の作品である。
 これを作詞した冬弓(ふゆみ)ちひろは、前作のカップリング曲「夜の海峡」に続いて詞を書いているが、新川について「今回の新曲を境にグッと大人っぽくなりました」と評していた。

 事実、新川は「大人の女性を演出するために色っぽい化粧と衣装でジャケットやポスターの写真撮影に臨んだ」といい、口紅も普段は使わない真っ赤な色を選んだという。

 その彼女が目指すのは「6月6日に亡くなられた門倉有希さんが歌った『ノラ』のような歌世界を歌っていく」ことだという。
 今日とあすは京阪神のショッピングセンターでインストアキャンペーンでその姿を見せる。


動画・哀しみを化粧で隠して生きる女性の本音を歌う新川めぐからのメッセージ

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[新川めぐみ オフィシャルサイト]
https://office-m-site.co.jp/
[新川めぐみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/shinkawa/news?ima=3825








nice!(0) 
共通テーマ:音楽

津吹みゆ、演劇に意欲 新曲は哀しいエピソードがいっぱいのなみだ橋を舞台の「会津なみだ橋」 [インタビュー]

◆ 歌手津吹みゆが2024年5月31日、京都リビングエフエム(FM845)で毎週金曜日午後4時から放送のトーク番組、Saoriと林田夏美夏がパーソナリティを務める「はるいろ いろいろ」に初めてスタジオ出演して、今年1月にリリースした新曲「会津なみだ橋」の魅力をアピールすると共に、このところ意欲をみせている演劇について語った。

津吹みゆ はるいろ いろいろ 1.jpg
写真・番組で笑顔で話す津吹みゆ


 津吹みゆは2015年に地元福島を舞台にした「会津・山の神」で、日本クラウンから18歳でデビューしている。番組の1分間自己紹介コーナーでは、デビュー曲をアカペラで歌うなどして、「このコーナーで歌を歌ったのは初めて」とパーソナリティのSaoriを驚かせていていた。

 彼女は大衆演劇や宝塚歌劇の大ファンで知られているが、5月はちょっとした演劇にチャレンジの1ヶ月であったようだ。
 「もともと時代劇とか宝塚歌劇がすごく好きだったんですが、ご縁をもらって、自分のコンサートで速水映人さんと一緒にコメディーのお芝居をさせていただきました」

津吹みゆ はるいろ いろいろ 3.jpg
写真・大好きな芝居に胸を躍らせる

 5月中旬には東京・銀座の博品館劇場で4日間で計6公演に渡って、竹久夢二生誕140年を記念した芝居に挑戦している。

 「これは芝居オンリーで、歌はありませんでした。1幕と2幕で役が変わって、2幕では初めて立ち回りをさせてもらいました。小さい頃から水戸黄門に登場する、格好良くて美しいお銀さんになるのが夢だったんです」

 「出来る事ならお銀さんのようにくの一になりたかったんです。今回は町娘役でしたが、大切な人を守るために戦うという設定でした」
 「イチから立ち回りを教えてもらって、稽古の日から本番の最後まで、すごく楽しかったし、勉強になりました」

 こうした演劇・芝居の体験が本来の歌の仕事に役立ったようでもある。

 「演じながら、この場面、見たことある〜とワクワクしていたんですが、自分の歌のステージに持ち帰った時に、所作だったり目線ひとつ取っても、お客様の受け取り方が変わってくるという事をこの舞台で演じることで感じました。そんなところを意識して、今後に活かして行けたらなあ、と思っています」

津吹みゆ はるいろ いろいろ 2.jpg
写真・パーソナリティの林田からプレゼントをもらって大喜び

 その歌の新曲では久しぶりに地元福島を舞台に歌っている。

 「『会津なみだ橋』がそれです。会津若松に実際にある柳橋がその橋で、通称なみだ橋と呼ばれています。そこを舞台に女性の恋心を歌った、とっても素敵な作品です。タイトルと同じ、♪ 会津なみだ橋 〜 から始まる歌詞がとても好きなんです。たくさん歌って、聴いてくんせ〜 」

 番組では津吹の福島弁と林田・Saoriの但馬弁が行われ


なみだ橋は多くの哀しさをみつめてきた橋(1問1答)

ーー 柳橋がなみだ橋と言われる由来はなんですか。

津吹 戊辰戦争の時に会津藩の方が斬られて亡くなった場所であったり、結構悲しい歴史があるんですよ。また捕らえられたキリシタンの信者が処刑された場所でもあったようですね。
 罪を犯した人が橋のそばにある井戸の水で水盃を交わして、別れを惜しんだとも言われています。そういった悲しい歴史がある場所でもあるから、なみだ橋と言われるようになったそうです。

津吹みゆ はるいろ いろいろ 5.jpg
写真・なみだ橋には悲しいエピソードが詰まっています

ーー そう言った歴史上の事は歌には入っていませんよね。

津吹 入っていませんが、どうしてここを舞台にしたんですか、もっといい所があるんじゃないんですか、と訊いたんです。するとディレクターさんは「ほかの人が舞台にしていない所でヒットは生まれるんだ」という説明でした。

ーー なみだ橋って福島で有名な場所なんですか。

津吹 地元の方は知っておられるでしょうが、知られていないと思います。私は同じ福島県でもちょっと離れている所の出身なんですが、知らなかったです。
 橋といっても小さいんですよ。意識しなければ見逃してしまうくらいです。橋の四つ角には大きな柳の木があって、ドラマにも、絵になりそうな場所です。川はきれいな水が穏やかに流れていて、水草が揺れています。


動画・なみだ橋(柳橋)について話してもらいしました

[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubukiMiyu/top.html
[津吹みゆ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tsubuki/news?ima=0926








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

はやぶさ、王道のムード歌謡が人気 ニュームード歌謡の「赤坂レイニー・ナイト」 [インタビュー]

◆赤坂、一ツ木通り、薬研坂ーー。ムード歌謡の聖地とも言える東京の地名が散りばめられた、新世代歌謡グループ、はやぶさの日本クラウン移籍第2弾の「赤坂レイニー・ナイト」が、「王道に立ち返ったムード歌謡」と好評である。2024年2月の発売前から予約キャンペーンを展開するなど、リリース後はチャート1位を獲得。「初めてステージを見た人たちも、ショーの終わりには口ずさんでくれている」ほど。ムード歌謡復活へ向けて期待が大きい。

はやぶさ 日本クラウンで.jpg
写真・はやぶさの2人(ヒカル=左=とヤマト)


 「赤坂レイニー・ナイト」は鶴岡雅義と東京ロマンチカの名曲「小樽のひとよ」などを作曲し、ムード歌謡のレジェンドとも言われる鶴岡雅義の手によって作曲された。まさにこれぞムード歌謡ーといった作品なのである。

 はやぶさは元々、ムード歌謡を歌う歌謡グループとして「ヨコハマ横恋慕」で2012年にデビューしている。
 鶴岡雅義とはやぶさは、14年に発売された「ロマンティック東京」(ビクターエンタテインメント)が初顔合わせの楽曲であった。「鶴岡先生のメロディーに、かず翼先生の歌詩が乗ってムード満点」となった作品である。

 この前年、はやぶさはファースト・アルバム「歌謡カヴァーソングス」(6曲を収録)を出しているが、この中で鶴岡の代表作である「小樽のひとよ」を収録した。「これの発売記念イベントに鶴岡先生に来て頂いたんです。それが翌年の『ロマンティック東京』につながった訳です」

 デビュー当時のはやぶさはメインヴォーカルのヒカルヤマトショウヤ(体調不良で18年に引退)の3人で歌っていた。グループは演歌歌手を目指していたヒカルと、幼い頃から石原裕次郎が大好きでムード歌謡を歌ってきたヤマトといった違いもあった。

 そうした違いも生かして、ムード歌謡をはじめ多彩な楽曲に挑戦して、幅広いファン層を獲得していった。

大阪流行歌ライブ (5月15日) 歌うはやぶさ.jpg
写真・大阪発流行歌ライブで歌うはやぶさ(2024年5月15日)

 クラウンへの移籍第1弾は23年2月に出した「外苑西通り」であった。やはり鶴岡による作曲作品である。これに際してヒカルは、例えば語尾をはっきりと表現する演歌とは違う、ムード歌謡独特の声の出し方になどについてレッスンを受けている。
 「歌いじりがじビブラートであったり、声のボリュームも演歌とは全く違うし、戸惑いを感じる事ばかりでした」

 ヤマトも「逆に僕が演歌を歌えと言われると、同じように困惑していたでしょうから、大変だったと思います」と同情する。

 悩んでいるヒカルに鶴岡は東京ロマンチカのヴォーカルだった三条正人の話を聞かせた。三条は1967年に東京ロマンチカに加入して、メインヴォーカルとして「小樽のひとよ」を歌って大ヒットさせている。
 「三条さんも元々は演歌を歌っていたそうで、東京ロマンチカに入ってから苦労してソフトな、あのムードたっぷりな歌い方に変えたというんです。それを聞いて僕ももっと勉強しなければ、と決意を新たにしたんです」

 元東京ロマンチカのメンバーでもあった歌手の浜博也も彼らに「ムード歌謡は聴いている人の邪魔をしない事だよ」とアドバイスを送っている。
 「この言葉も心に刺さりました」とヒカル
 これでもかと言うほどに歌い込まずに、さらりとソフトに聴かせる。ムード歌謡の真髄かもしれないと。

 小学生の時から石原裕次郎の歌を歌っていたというヤマト。そんな歌手になりたい、と夢を描いていた彼にとって鶴岡メロディーは「言葉にはし辛いけれど、古賀メロディーを受け継ぎラテン音楽の影響も受けて、目に見えない独特のムードを作り出しておられます」と、称える。

 誰にでも経験がある、人を恋しく想う心と人に寄り添うような柔らかなメロディーが運んでくれる優しい歌詞。それがムード歌謡だとはやぶさの2人は新たなムード歌謡への挑戦を今、始めたばかりである。


動画・ニュームード歌謡への意気込みを語るはやぶさ

 今年7月31日にはクラウン移籍後初のアルバムを発売する。はやぶさ・大滝ひかる・駿河ヤマトが三つ巴になって歌う、そのタイトルもズバリ「三つ巴」。はやぶさのムード歌謡、ヒカルの演歌、ヤマトのムード歌謡と、ソロも含めて全10曲を収録する。


[はやぶさ オフィシャルサイト]
https://8823.click/
[はやぶさ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/hayabusa/news?ima=0718&ct=ryuko








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

寺本圭佑、歌う宅配便が涙の宅配便に 新曲「ほおずり」 実話3部作の第3弾が話題に 賞レースに意欲 [インタビュー]

「望郷本線」「折鶴夜曲 〜おりづるやきょく〜」に次いで、実話3部作の第3弾として歌手寺本圭佑が2024年4月に発売した「ほおすり」(作詞・鮫島琉星、作曲・小田純平、編曲・矢田部正)が話題になっている。この楽曲を担当したフリーの音楽ディレクターの実体験を元に書かれた作品で、通夜から出棺までの間、棺に横たわる母親と息子の2人だけの会話を描いている。休みなく全国でライブ・コンサートを開いて〈歌の宅配便〉と呼ばれてきたが、この3部作では〈涙の宅配便〉と改名されそうなほど、聴く人の涙を誘う。

寺本圭佑 1.jpg
写真・年末の賞レースに意欲を見せる寺本圭佑


 発売をやめた方がいいのでは。歌詞を変えた方がいいよーーなど、今までになかった歌詞だけに、制作陣の間では喧喧諤諤のやり取りがあった。
 「作詞家の鮫島さんが寺本にこれをどうしても歌って欲しい、と強力に押されたこともあって、ゴーサインが出ました」と寺本圭佑

 決して暗く歌うのではなく、明るく歌うことで陥りがちな陰気さをなくした。
 歌は母親の髪の毛を撫でて頬擦りするところで終わり、最後に出棺の合図を示すクラクションの音が静かに響く。

 確かにこうした内容の楽曲は今までになかった。肉親の通夜を体験した人にとってはそのシーンが蘇ってくるだろうし、そうではない20代や30代の若い世代の人たちも「子どもを持つ親として切なさを感じます」と感想を話しているほどである。

 誰もが迎えなければいけない親の死であるが、少なからず母親との別れは「一本刀土俵入り」「瞼の母」など母ものの歌の例を出すまでもなく、多くの人の涙を誘う。

寺本圭佑 2.jpg
写真・5月の大阪発流行歌ライブで歌う

 寺本圭佑の歌唱は21年6月に出した「望郷本線」を境に変化した、と言われている。歌に説得力が感じられるようになったのである。

 師匠であるシンガーソングライター、小田純平から「歌は語るように、そして下手に、聴く人に言葉が伝わるように歌え」とアドバイスを受けたことがある。

 それが形となって現れたのが「望郷本線」からなのである。今まで以上に人々の心を揺さぶる歌唱が出来るようになった。
 寺本は2年前に父親を71歳で亡くしている。これが少なからず歌唱に影響を与えたとも思える。更に今作では「歌っていると、自然と目頭が熱く熱くなって来るんです」と明かす。

 「応援してくれている人たちのためにももっと頑張らなくては、と歌手としての意識も変わってきた」と寺本。
 それだけに今作では、主人公が母に寄せる切ない想いは聴き手にひしひしと伝わって来るのであろう。デビュー15年目にして掴んだ本物の歌手へのスタート地点に立ったようだ、

 23年の第55回日本作詩大賞では15作品がノミネートされたが、その中に鮫島琉星が作詞して寺本が歌った前作「折鶴夜曲~おりづるやきょく~」が入った。
 寺本は「今年も何らかの賞が取れるように頑張って歌っていきます」と、意欲を示している。




※写真・記事の無断使用はお断りします。








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

速実吉平、「心都情夜」でクラウンからメジャーデビュー [インタビュー]

◆人生につまづいた男が再び前を向いて歩き出すーー。歌手、速実吉平が2024年5月8日に日本クラウンからリリースした「心都(みやこ)情夜」(作詞/曲・岩田祐明、編曲・水谷高志)のストーリーである。20年10月にインディーズレーベルで出した楽曲をアレンジした。歌手デビューは50歳を超えてから。京都生まれの京都育ちで、京都が大好き。それでも京都を飛び出して全国を舞台に活動していきたいと意欲をみせる。

速実桔平 1.jpg
写真・「心都情夜」でメジャーデビューした速実吉平


 心都と書いて「みやこ」と読ませる。京都が大好きというだけに、歌詞にも祇園や四条河原町、花見小路と京都の地名が織り込まれている。

 メジャーデビュー曲「心都情夜」は、2020年に辻野康司とのユニットのW店長で1度出している作品である。この時、漫才師、チュートリアルのラジオ番組「キョートリアル!コンニチ的チュートリアル」(KBS京都ラジオ)のエンディング曲にも起用されて、多くの人が知ることになった。

 それが知人の紹介もあって今回、日本クラウンから発売された。新しい楽曲でという勧めもあったが、人生に翻弄されながら前を向いて強く生きていく、まるで自分の人生を写しているかのように、「心都ーー」への思い入れが強かった。

速実桔平 2.jpg
写真・速実吉平

 「歌手デビューしたのは9年前で、すでに50歳を過ぎていました。それまでサービス業などでサラリーマン生活を送っていたんですが、1度しかない人生だけに、好きな歌で人生をかけてみようと決断しました」

 18年にはキングレコードから「迷路(まよいみち) / 嘆きのボレロ」を出した。その2年後に出したのが、「心都情夜」であった。
 しかし世の中はコロナ騒動で、誰もが右往左往していた。ろくな活動が出来ないままにいたら、地元ラジオ局の番組でパーソナリティをやらないか、と声をかけられた。

 去年あたりから徐々に仕事も増えてきた。しかも隣の大阪から声がかかるケースが多いという。
 5月19日には地元京都の祇園にあるスナック「私の部屋」でソロライブを行う。

 何ら先の保証もない歌手業であるが、飛び込んで今年で9年になる。
 「最初は周りからはアホと違うか、と呆れられた。しかし後悔はありません」と、歌の内容通りに歩みを止めずに愚直に前を向いて歩き続けている。

※写真・記事の無断使用はお断りします。









nice!(2) 

金村ひろし、大きな夢の実現に向けて歌い続ける [インタビュー]

◆歌手になったからにはNHK紅白歌合戦に出たいーー。2024年4月15日、音楽番組「プレミアム歌謡ショー」(サンテレビ)の5月放送分の収録会場で、歌手金村ひろしはこう言い切った。大きな夢を持つが、今までの歌手生活も決して1本道でもない。それは ♪ 俺の人生 流れ雲 〜 と歌う最新曲で、8枚目のシングル「人生流れ雲」のようでもある。

IMG_2700(1).jpg
写真・テレビ収録で歌う金村ひろし


 金村ひろしは北陸を地盤に全国で活動する。歌手デビューは2015年3月である。デビュー曲は「立山連峰」(作詞・岬坊真明、作曲・聖川湧)。
 前年に富山県で行われた木田俊之立山連峰リリース記念カラオケ大会の課題曲部門で優勝したのをきっかけに、みちのくレコード(本社・山形県南陽市)からCDを発売したのが第1歩であった。

 金村を歌の道へと突き動かしたのは、01年にNHKのど自慢富山県新湊大会でチャンピオンになったことが大きい。同年度の東京・NHKホールで行われたチャンピオン大会に出場したことで彼は、歌手を目指すことを決心する。

 しかしCDデビューしたものの、しばらくすると歌手を辞めようか、それともこのまま続けるべきかーーと、何度も思い悩む時が続く。

 「デビュー曲に続いて2枚目、3枚目のCDを出すんですが、一向に曲はカラオケに入らないんです。これでは歌をPRしようと思っても、カラオケで配信されないと、思うようにキャンペーンも出来ませんから」

金村ひろし.jpg
写真・自分の人生とも重なる「人生流れ雲」が共感を呼んでいる

 そんな時に地元富山で開かれたイベントに出演した際に、居合わせたシンガーソングライターの小田純平に声をかけられている。これが金村にとっての転機となる。
 18年にはその小田のプロデュースで、「人生風や雲のよに」(作詞・大石敬司 、作曲・小田純平 、編曲・矢田部正)をA-force EXPERTからリリースする事になるが、これを境に運気は上向く。

 23年3月には小田のプロデュースによる、ムード歌謡テイストの歌謡曲「人生流れ雲」(作詞・かず翼、作曲・小田純平、編曲・矢田部正)を日本クラウンから出すなど、着実にステップアップを重ねていった。

■師弟関係を解消

 ところが好事魔多し、である。
 自らの事情でこれまでの小田との関係を解消して、1から出直す姿勢を示したのである。
 しかしながら小田作品の「人生流れ雲」は順調に支持を拡大している。以前、小田からアドバイスされた「歌の主人公になり切って歌うことは忘れずに心がけている」という。

 かず翼作詞の「人生流れ雲」は自らの人生とダブってくるのである。
  ♪ 明日が待ってる 夕陽のむこう 熱い血潮が 燃えてくる 〜 と、1番にある歌詞は我が身の今と同じだし、聴く人も共感するのであろう。人気は徐々に高まってきている。

 5月12日、香川県高松市の高松国際ホテルで行われる北原ミレイディナーショー2024にゲスト出演する。
 高松は金村にとってはデビュー時から応援をする人がいる、第2のふる里と言ってもいいくらいの土地である。

 そんなこともあってか、今年元旦に発生した能登半島地震の被災者支援のためのチャリティーキャンペーンも、この香川県で近々行うという。

 金村は「現在、BSテレビで3本の番組にレギュラー出演していますが、こうした番組を通してたくさんの人たちを勇気づけたり、喜んでもらえる歌を届けて行きたい」と、話していた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[金村ひろし オフィシャルサイト]
http://hiroshi-kanemura.com/








nice!(3) 
共通テーマ:音楽

岸本あずさ、「雨の訪問者」で再デビューへのドラマ  3月27日リリース [インタビュー]

◆歌手岸本くに子が2024年3月27日に芸名を岸本あずさに改名して、新曲「雨の訪問者 / おもいで御堂筋」(両A面)を日本クラウンからリリースする。これで心機一転のデビュー20周年を飾る。遠回りして来た歌手人生を新曲で取り戻せーーとばかりに、改名を後押ししたのは、「雨の訪問者」の作詞・作曲をした作曲家伊藤雪彦であった。

岸本あずさ 1.jpg
写真・20周年で新曲リリースと岸本あずさ(旧・岸本くに子)に改名する


 岸本あずさは2003年に「座禅草」で岸本くに子の名前で演歌・歌謡界にデビューしている。会社勤めをしながらインディーズレーベルのオーディションを受けての歌手デビューだった。
 小学5年の時にフジテレビの「ちびっこ歌まね王座決定戦全国大会」でグランドチャンピオンになるなど、子供の頃から歌が大好きで、いつかは歌手になりたい、と夢を抱いていた彼女にとっては念願の第1歩であった。

 キャリア20年の間にリリースした作品は、今作で5作目と寡作の部類に入る。新曲は17年ぶりである。これには理由があった。
 OLを兼務しながらの歌手稼業では疲れは溜まる一方であったのと、この業界特有の他人に騙されるなどして人間不信にもなっていたという。

岸本あずさ 雨の訪問者.jpg
写真・「雨の訪問者」

 描いていた理想とは程遠く、泣かず飛ばすの状態が長く続いていた。ファンの中にはそんな自分に愛想を尽かせて離れて行く人もいた。

 それでも歌は諦めたくなかった。その気持ちを保ち続けられたのは、父母譲りの性格と父親が亡くなる前に言った一言であったし、今作のきっかけとなった作曲家伊藤雪彦との出会いであった。

■父の死が歌手を続ける決心に

 2020年春から始まったコロナ騒動では仕事は急激に無くなった。まさに弱り目に祟り目である。
 泣き言ばかりは言っておれないので、暇に飽かせて、大好きな美空ひばりの歌を歌ってYouTubeにアップし始めた。ただ歌手に憧れていた子どもの頃のように、楽しく歌っていると周りの評判も良かった。

 ところが悪い事は続くもので、工場を経営していた父親が転倒して頭を強く打ち、くも膜下出血で入院してしまったのである。
 コロナ下ということで、理不尽にも家族ですら面会もままならない状態。ようやく会えたのは、息を引き取る寸前だったという。
 「意識が奇跡的に戻った父が私に『くにちゃん、歌を諦めたらあかんで、頑張るんやで、お母ちゃんを頼んどくで、くにちゃん、ごめんな・・・』って、小さくなった冷たい手で私の手を握ろうとしてきたんです」

 売れない歌手を続ける彼女は、日頃、兄姉からは冷たい目で見られていたという。何度も歌手を辞めようかと考えた事もあった。
 が、この時の父親の最期の言葉を耳にした岸本にとって、「歌手を続ける事は父の遺志と気づかされました」と、親から子へ伝えられる美しい宝物のように、どんな事があっても「歌手を続ける」と決心した瞬間であった。

■伊藤雪彦からの電話

 悲しい父親の死であったが、母親の前では泣き顔を見せないように努め、美空ひばりの歌を歌ってアップし続けていた。
 そんな時に出合ったのが、「別れの宿」という伊藤雪彦の作曲で、美空ひばりが歌っていた楽曲だった。

 「幼い頃から伊藤先生の作品ばかりを歌ってカラオケ大会などでも優勝してきたので、先生の名前は良く知っていましたし、八代亜紀さんが歌った伊藤先生作曲の『恋歌』『おんな港町』は十八番でした」

 偶然に出合った「別れの宿」。その「寂しさあふれる歌詞に、相手の幸せを願う明るい先生のメロディには感動しました」という岸本は、それだけに止まらずに、美空ひばりさんが好きで歌っていることや売れない歌手であることなどを書いたファンレターを伊藤に送っている。

 するとすぐに伊藤から電話がかかってきて、彼女はびっくりしていまう。
 「新曲も出せないし、歌を諦めようと思っていましたなどと話をすると、先生はひばりさんが貴女を連れてきてくれた。ひばりさんも喜んでいるでしょう。絶対に諦めてはいけない。曲を作ってあげるから、今まで貴女が遠回りしてきた分、取り戻をせばいい。人生は波と一緒だから、いい時もあれば悪い時もあると助言をして頂きました」



 その後、手紙でのやり取りもあって、去年2月からは毎月、東京の伊藤のもとへレッスンに通い始めた。
 ある日、伊藤は改名した方がいい、と提案してきた。デビューしてからずっと、本名の邦子から取ったくに子を芸名にしてきただけに、驚きであったし未練もあった。

 「20ほどの新しい名前を紙に書いて、画数も調べて見せてもらいました。数ある中で、一際光り輝いて見えたのが『岸本あずさ』でした」

 これで再出発するからーー。迷いを吹き飛ばした岸本は「お母ちゃんの為にもこの新しい名前で頑張る、と考えると奮い立ってきました」と話す。

■親孝行の〈あずさ号〉出発

 岸本くに子という歌手はいる。その程度であった今まで。
 「親に心配ばかりさせてきたけれど、岸本あずさとしての再デビューは、心配もれあるけれど母は喜んでくれました」と胸を撫で下ろすと共に、希望を大きく膨らませる。

 伊藤雪彦がピアノで弾く新曲「雨の訪問者」を聴いた彼女は思わず泣いてしまったという。その感動を忘れずに、3月27日再出発をする。

岸本あずさ 2.jpg
写真・ラジオ関西での収録。右はパーソナリティの歌手福島はじめ

 4月22日にはラジオ関西で放送される「福島はじめのハピネス歌謡曲」(午後9時30分〜)にゲスト出演して、「雨の訪問者」をアピールする。
 さらに同24日には、東大阪市にあるCDショップ、ミヤコ瓢箪山店で店頭キャンペーンも行うという。
 いずれも「聴いてもらえる人たちの心に歌が届き、喜んでもらえるように歌いたい」と意気込みを見せる。

※写真・記事の無断使用はお断りします。








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

原田波人、フォーク演歌の第1人者を目指す 皆んなに歌ってほしい「万燈籠」 [インタビュー]

フォーク演歌という新しいジャンルを切り拓きたいーー。デビュー3年目の原田波人が(日本クラウン)が大きな夢を抱いている。2022年1月にポップスでデビューして4枚のシングルを出してきたが、24年3月6日にリリースした5枚目のシングル「万燈籠」は、これを作曲した大谷明裕がフォーク演歌と呼ぶほどに、ガラッと趣きを変えている。確立されたジャンルではないというが、原田は「心に寄り添ってくれて、情景が浮かんでくるような曲調の楽曲を歌っていきたい」と、話す。

原田波人 2024.03.18.jpg
写真・デビュー3年目の原田波人


 奈良の春日大社で年2回行われる神事の万燈籠。ここへ2人が一緒に来て愛を誓ったのに、今はその貴方もいない。1人じゃ、とても生きてはいけないーー。そんな女性の切なさを歌う。
 演歌である。NHKのど自慢で長山洋子の「蜩」を歌ってグランドチャンピオン大会へ進み、それが歌手への道へとつながった。

 それだけに演歌は大好きである。今年の初めに歌詞をもらって、大谷のギターに合わせて歌唱レッスンを受けた。こぶしを回して久しぶりに歌う演歌は気持ちが良かった。
 ところが大谷は「抑揚をつけないで、軽く歌ってほしい」と注文を付けた。

原田波人 万燈籠.jpg

 この時初めて大谷の口から〈フォーク演歌〉という言葉を耳にした。大谷は先ごろ亡くなった小金沢昇司に、彼の代表曲となった「ありがとう…感謝」「願・一条戻り橋」などを提供している。原田は「明るい曲調ではないが、人の心に寄り添える」こうした大谷の楽曲が以前から好きだったという。

 デビュー以来ポップスを歌ってきた原田に、ファンの多くは、演歌を歌ってほしい、といった要望を送り続けてきた。もちろんそれは原田の希望でもあった。ディレクターにそれを伝えて、大谷が作曲する事が実現した。

 大谷がフォーク演歌と呼ぶそれは決して確立されたジャンルではない。歌う歌手も小金沢昇司など数えるほどしかいないという。
 しかし世の中では今、昭和歌謡がたくさんの人に支持されているように、人の心に優しい歌が求められている。原田はこのジャンルで第1人者になろうとしているのである。
 「フォーク演歌なら、また女歌なら原田波人と言われるように、このジャンルを切り拓いていきたい」と抱負を語る。


動画・優しくどこか懐かしい曲調です

 デビュー3年目である。「万燈籠」を出してから若いファンも増えてきた。今回の関西キャンペーンでも老若男女、たくさんの人たちが応援に集まったという。
 「原田波人の名前を知ってもらうことはもちろんですが、それ以上に曲を知ってもらってカラオケでたくさん歌ってもらうなど、曲が1人歩きしてくれると嬉しいですね」
 そのためにも全国各地で歌っていけるようにしたいと意気込む。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[原田波人 オフィシャルサイト]
https://p-aurora.co.jp/artist/haradanamito/
[原田波人 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/harada-namito/news?ima=1824&ct=ryuko








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

木下結子、皆さまのおかげでデビュー40年 今夏、大阪・東京で5年ぶりのソロライブ [インタビュー]

「ノラ」「放されて」などのヒット曲で知られる歌手木下結子(ホリデージャパン)が今年、デビュー40年を迎えている。デビューして5年目で歌った「ノラ」は今までに18人の歌手によってカバーされているなど、歌謡曲のスタンダードナンバーとして多くの人たちに口ずさまれている。夏には5年ぶりとなるソロライブを大阪と東京で開催する。

木下結子 2024.02.21 2.jpg
写真・木下結子


 40年という長い年月を歌い続けて来た木下結子が歩んで来た道は決して平坦ではなかった。
 大阪限定盤として日本コロムビアから発売されるはずの「放されて」が1984年、急きょ全国発売に決まって、上京することになった事から、彼女の歌手人生は始まる。

 デビュー5年目の1989年1月には3枚目のシングル「ノラ」を発売している。北から南までこれを届けるため、全国を訪ね歩いて歌っている。

木下結子 ノラ.jpg
写真・発売当時の「ノラ」のジャケット

 その甲斐あって評判を得た「ノラ」は同年5月にファーストアルバム「ノラ」が発売されているし、96年9月には「放されて」とのベストカップリング盤として再リリースされている。
 そして98年8月には門倉有希がカバーシングルをビクターから発売して、さらに多くの人が「ノラ」を知るようになった。

 木下もアルバム「ノラ」を同11月に再リリースしている。
 今では秋元順子なと18人がカバーするほどの人気曲になり、日本の歌謡曲のスタンダードとして定着していると言ってもいい。

■歌に励まされて歌い続けてきた

 「ノラ」の元祖木下が還暦を迎えると、世の中はコロナ大騒動に巻き込まれた。外出することをはじめ、あらゆる活動が自粛を求められるようになった。
 未だかつてない異常事態に、歌手も例外なく歌う場所がなくなった。

 木下も例外ではなかった。歌手を続けるのもこれまでか、と思い悩む毎日が続いた。
 この年の10月にはホリデージャパンに移籍している。悩んだ末の決断であったが、移籍第1弾として出したのが「泣いてもええやろ」であった。

 デビュー曲「放されて」のアンサーソングのような楽曲で、大阪湾を涙でいっぱいにするほどに泣いてもええやろーと歌詞にあるように、自分に素直になると、少しは気持ちも楽になった。

 それから2年後、デビュー記念日の9月21日に、大阪府内に実在する百滝桜(ももたきざくら)をモチーフにした「百滝桜」を出した。
 今度は自分を大いに元気づけてくれる作品であった。

 その歌詞を書いた作詞家の髙畠じゅん子は、「樹齢百数十年の老木となった百滝桜のように、今、美しく花を咲かせる桜木は周りのたくさんの人たちが支えてくれたからです。あなたが40年近く歌い続けて来られたのも、同様にそうした多くの人たちのお陰なのですよ」と、木下に助言している。

木下結子 2024.02.21.jpg
写真・木下結子

 人生はいつでもやり直しが出来るーと木下が歌う「ウヰスキー」と同様に髙畠が送るエールであった。

 4月21日には大阪・堂島のエルセラーンホールで開かれるホリデージャパン歌謡フェスタin大阪に出演するが、40年を飾るのに相応しい歌を聴かせてくれるであろう。

 さらに今夏、5年ぶりにソロライブを大阪と東京で開くという。

 長い年月が経った今も、「放されて」「ノラ」などを聴きたいーといった多くの人からリクエストが絶える事がない。
 木下は「自分の物差しで出来ることを見極めて、1つひとつをこなして行きたいです」と、これからもコツコツと歌い続けていく姿勢を崩さない。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

千葉一夫、川をタイトルに歌った44年 [インタビュー]

◆歌手千葉一夫(73歳)がデビュー44年を迎えている。彼には人生の例えにもされる「川」をタイトルにした楽曲が幾つかある。「カラオケでもたくさん歌われている」という人気曲も多い。

千葉一夫 1.JPG
写真・デビュー44年を迎えている千葉一夫


 千葉のオリジナル曲でタイトルに「川」が付く楽曲は5曲ある。
 「吉野川」(徳島県)「笛吹川」(山梨県)「白雪川」(秋田・山形県)「紀ノ川旅情」(和歌山県)「霧雨川」(架空の川)がそれである。
 実在する川はこのうち4曲だが、いずれも誰もが知る、名のある美しい川である。

 24年2月7日に発売したシングル「山吹の駅」は列車ものの演歌である。このカップリングとして収録されている「男新三流れ旅」は千葉が得意とする股旅もので、川の名前は出て来ないものの、歌詞には ♪ 明日は寝覚床(ねざめ)か 木曽桟(きそかけはし)か 〜 と、ちゃんと川(木曽川)を連想させている。

 流れ者の新三と木曽の急流を掛けたような歌詞は、渡世人の流転の人生そのものを表しているようで、心憎いばかりである。

 一方、表題曲のタイトルにある駅はそこを行き交う様々な人々のドラマの舞台ともなる場所である。川もまた人々の人生そのものに例えられる。やはり人生の舞台なのである。
 いずれも人の生き様を温かく表現するのが人気につながっている。

 1950(昭和25)年8月に千葉県銚子市で生まれた千葉の歌手デビューは80(同55)年である。
 この間のレコーディングは100回近くになるそうだから、そのキャリアの長さが分かる。

 新曲のいずれの楽曲も、キャリア44年の千葉だからこそ歌える、しみじみと人生を感じさせる作品になってるのであろう。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[千葉一夫 オフィシャルサイト]
https://bluesky1982.co.jp/talent/153153.html
[千葉一夫 キングレコード]
https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10093








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

大好きさムード歌謡 去年ソロデビューした駿河ヤマト(はやぶさ) [インタビュー]

◆ 昭和歌謡の人気の高まりとともに、昭和30年代に流行ったムード歌謡曲への関心も高まっている。ところが、かつてムード歌謡曲を歌ってきた歌手たちにも高齢化が目立つ。そんな中で〈全身ムード歌謡曲〉といった若手がいる。新世代歌謡グループはやぶさのメンバーで、ソロ活動もする駿河ヤマト(日本クラウン)がその人。世は空前の昭和歌謡ブームで、彼への注目は高まるばかりである。

駿河ヤマト.jpg
写真・石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」が1番好きだと話す駿河ヤマト


 関西では今、ムード歌謡曲のライブを開催しようーといった動きがある。ムード歌謡曲の良さを往年のファンに味わってもらうというものである。

 「ムード歌謡曲のライブが開かれのならば客で行きますよ」
 歌手としての参加よりも、観客として楽しみたいーそう言って笑わせる駿河ヤマトは、石原裕次郎に憧れて歌手になった、と言ってもいいくらいのムード歌謡曲の大ファンである。

 裕次郎などが出演した30年?40代の映画は百本以上は見ているという。
 「もちろん裕次郎さんの歌はどれも好きで、もしイントロ当てクイズがあれば百点満点ですね」と笑うほど。

 しかも幼い頃の初恋の相手は浅丘ルリ子だというから徹底している。最大のライバルは「男はつらいよ」の寅さんだったようであったが。

■持ち前の低音を生かしたムード歌謡

 去年7月に30歳になった。はやぶさでデビューして12年になるが、その低音を生かしてムード歌謡〈風〉の楽曲を得意としてきた。

 2023年8月にはソロデビュー曲として出した「ズルい男に乾杯 ?」とカップリング曲の「純情25時」は、いずれも〈風〉が取れた正真正銘のムード歌謡曲になっている。

 発売当初はオリコンチャートでも1位を獲得するなど話題になったなど、期待が高まる。


動画・ムード歌謡の灯をもう1度

 ムード歌謡曲の黄金期は昭和30年?40年代であった。平成生まれの彼にとっては遠い昔の話である。
 石原裕次郎の代表曲のひとつ「銀座の恋の物語」が発表されたのも昭和36年であり、大好きな「夜霧よ今夜も有難う」でも昭和42年である。

 昭和30年代にはレコードデビューするバンドや歌手も増加して一大ジャンルを形成したが、今は発売される新曲も少ない。全盛期を知らない若い駿河だが「ムード歌謡曲のファンは多くいます。再びかつてのようなパワフルな時代を」と、期待を寄せている。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[駿河ヤマト オフィシャルサイト]
https://www.nagarapro.co.jp/top/artist/artist.php?id=166
[駿河ヤマト 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/suruga-yamato/news?ima=0535&ct=ryuko








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

恋川いろは、片肌脱いだ華やかな歌と舞で魅了 [インタビュー]

◆扇を片手に片肌を脱いだ華やかな舞と歌ー。ともすれば画一的になりかねないステージに、新鮮な風を吹き込んでくれている恋川いろは(日本クラウン)。キャッチフレーズは「踊るエンカーテイナー」。2歳から岩井流の日本舞踊を習い、歌手デビューする以前の10年前からは踊って歌うスタイルを取り入れてきたが、今は歌って踊る歌手である。

恋川いろは 1.JPG
写真・恋川いろは


 歌手恋川いろはが誕生したのは2019年9月であった。デビュー曲は「恋紅葉(こいもみじ)」(作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋 / テイチクエンタテインメント) カップリング曲は「焼け棒杭」


動画・メジャーデビュー曲「恋紅葉」

 デビューするまでは新舞踊の一蘭春蝶(いちらん・しゅんちょう)の名で踊って歌っていた。
 そんな時に神奈川県で唯一の村として知られる風光明媚な神奈川県清川村の歌を歌っていたところ、「演歌を歌わないか」と、話をもらったのが歌手デビューのきっかけとなった。

 「歌は下手だし演歌なんか歌えないけれど、と思ったんですが、皆んなカラオケは歌っているから」と、押し切られた形であった。

恋川いろは 3.JPG
写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール

 すでに舞踊家としては名前も売れていたので、それを捨てて歌手にという事には反対の声もあったが、勧められるままにテイチクのオーディションを受けることにした。
 ところが結果は散々・・・

 「15曲も歌った挙句、歌は上手くないとCDは売れないよ。選考結果が出たら電話するから、なんて言い捨てられ、これはダメだと思いましたけどね」

 数日して電話がかかってきた。
 「見た目が良かったから、そこは買うよ」と採用が決まった。
 歌を気に入られた訳ではなかったけれど、取り敢えずは歌手デビューは出来ることになった。

■きょうが最後と思って立つステージ

 家には沢山の「恋紅葉」のCDが届いて、えっ、と驚くほど山積みになった。
 それからまもなくコロナ騒動で世の中は歌どころではなくなった。

IMG_8571.JPG
写真・日本クラウン移籍第2弾の「あだなさけ夢のからくり」
IMG_8570.JPG
写真・移籍第1弾の「くれない夜舟」

 それでも歌ってこれを売らなければーと、ツテを頼って鹿児島、広島、兵庫、長野など各地の知人やCDショップを訪ねてキャンペーンを行い、1枚1枚のCDを手売りをして、「今までに3600枚ほど売れました」と、迫力を感じさせる。

 デビューしたものの、コロナのために思ったように歌手活動は出来ない。
 そこで「ユーチューバーになろうと、下手なギター片手に歌って配信を始めたんです。すると入院しているというおじいちゃんやおばあちゃんから、楽しいから次はこの歌を歌ってーなんてリクエストが来るようになったんです」と人気が出てきた。

 そんな恋川のユーチューブチャンネル「ジャノメの小屋」は今もアクセス数を増やしている。


動画・一家総出の楽しい1年前の映像も

 ステージでは彼女の衣装が目を引く。着物からドレスへの早替りもそのひとつである。
 恋川として初出演となった2024年1月25日のKOBE流行歌ライブ(春蝶時代にも1度出演している)でも、着物から大きくスリットの入ったドレスに早着替えして披露するなど観客を楽しませていた。

 「歌に自信がなくて、それを誤魔化すために始めたことなんです」
 と照れ隠しをする彼女だが、CDが売れない時代の新たなパフォーマンスの方法でもあろう。

恋川いろは 2.JPG
写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール

 でも歌は少しずつ上手くなっているよ、と言ってくれる人もいるという。ファンの中には、「その声でお疲れ様でした、と言ってほしい」と、声に魅力を感じる人も少なくはない。

 彼女はある日、作曲家の徳久広司に自分がギターを弾きながら歌っているところの映像を収めたビデオレターを送ったことがある。
 すると「歌も下手だけどギターも下手だなぁーと返事が来たんです」と笑うのだが、彼女は楽しいことが大好きなエンタティナーであり続けたいという。
 
 そんな恋川は連日、全国各地を巡りながらの歌手活動を続けている。
 「これが最後の舞台になるかもしれない、と1回1回を勝負する気持ちで臨んでいます。人との一期一会の出会いによって、ステージを楽しんでもらい、元気になってもらうのが1番です」
 これからの歌手恋川いろはが目指す姿なのである。


動画・早着替えにお面芸、創作舞踊と色んな特技を活かしながら最新曲「あだなさけ夢のからくり」(作詞・朝比奈京仔、作曲・徳久広司)は聴くものを楽しくさせてくれる

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[恋川いろは オフィシャルサイト]
https://koikawairoha.com/
[恋川いろは 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/koikawa/news?ima=2453&ct=ryuko








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

中澤卓也、今年も3月から全国ツアースタート 全公演に参加する熱烈ファンも 2月には新曲も [インタビュー]

◆たくさんのペンライトが揺れる中、「今年も帰って来る事が出来ました」とあいさつした歌手中澤卓也。去年12月のランチショーは満員のファンで盛り上がっていた。相変わらずの人気である。今年はシングル「陽はまた昇る」(タクミレコード、2022年9月発売)のタイプBを2月14日のバレンタインデーにリリースする。3月10日からは全国ツアーもスタートさせる。ファンにとって今年も楽しみな1年になりそうである。

中澤卓也 3.jpg中澤卓也 6.jpg
写真・大阪な新阪急ホテルでのランチショーで 2枚


 中澤卓也28歳。歌手デビューして7年目になる。その彼が去年末に京都のコミュニティFM、エフエム845でインタビューに応えて「今はバンドメンバーと一緒に曲を作って全国を回るツアーを楽しんでいるのが、とても新鮮です」と話した。

 今年3月から始める全国ツアーは去年と同じように、演歌・歌謡曲などを弾き語りを交えて17公演程度を予定している。
 「去年9月のロームシアター京都サウスホールなど、毎年、公演数が増えているのは嬉しいことですし、去年は17公演すべてに来てくれたファンもいました」と中澤。

中澤卓也 2.jpg
写真・今年も全国ツアーに意欲を示す中澤卓也

 今年は3月10日の東京会場のZeppダイバーシティ東京を皮切りに、同23日には神戸朝日ボール、4月6日の新潟・長岡市立劇場が決定している。
 「常にこの新しい気持ちで観客の皆さんに歌を届ける事が出来たらいいですね」

■30歳の節目に向けて充電へ

 去年4月にはアルバム「HANDS MADE」(全7曲)を出している。全曲が新曲で中澤が作詞をして、バンドメンバーたちと楽曲として仕上げたという。「みんなの手で作り上げた」(中澤)、その名の通りにハンドメイドなアルバムなのである。

中澤卓也 5.jpg
中澤卓也 7.jpg
写真・熱烈なファンが集まった23年末のランチショー(大阪新阪急ホテル)

 2月14日にリリースする「陽はまた昇る」タイプBは、カップリングに新曲を収録する新たなシングルである。

 去年は結婚もしてプライベートも変わった。「前を向いて進んで行きます」と話す中澤だが、25年には30歳の節目を迎える。「今年1年、そこへ向けて1段上がるための土台を作る充電の年にしたい」と意欲を見せる。

中澤卓也 1.jpg
写真・FM845の番組「はるいろいろいろ」でギターの弾き語りを披露



動画・2024年の抱負を語る(2023年末に収録)

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[中澤卓也 オフィシャルサイト]
https://www.nakazawatakuya.com/








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

羽山みずき、10枚目のシングル「恋春花」 デビュー10年目に向けてのステップにしたい [インタビュー]

◆元出羽三山の巫女で歌手の羽山みずき(日本クラウン)が2024年1月17日、デビュー10枚目のシングル「恋春花(こいしゅんか)」をリリースした。この日、大阪・心斎橋のライブハウス、BIG CATで開かれた第315回大阪発流行歌ライブで披露した。愛おしい人と添えない切ない女心を歌う。流れる胡弓の音色が哀愁感を誘う。来年の10周年に向けてのステップにしたい、と新曲への意気込みを見せる。


羽山みずき 2024 4.jpg
写真・10年目への意欲を見せる羽山みずき


 歌手デビューのために上京する際、ほら貝と神棚をキャリーバッグに詰めて来ましたー。
 高校を卒業してデビューするまでは巫女を務めていた羽山らしい、歌手への荷物であった。今でもマンションにある神棚には水と米、塩のお供えは欠かさず、毎日手を合わす。

羽山みずき 恋春花.jpg

 「日本人の心の原点ですから。(手を合わせる事で)何かに迷った時には気付かせてもらえる事があります。今まで歌手を続けて来られたのも、神様に守られているのかもしれません」
 デビュー9年目の自らをこう振り返っている。

羽山みずき 2024 1.jpg
写真・大阪流行歌ライブで歌う羽山みずき

 17日に発売した新曲「恋春花」は、今までの羽山みずきのイメージを変えた、初めて歌う曲調だという。
 しかも「違和感なく自然体で歌える作品でもあります。切ない曲ですが、哀しくなり過ぎないように気をつけて歌っています」という歌唱からは、タイトルイメージ通りに綺麗で優しさを感じさせる。

 「メロディといい胡弓の音色など、すごく好きな楽曲です。愛する曲に出会えて幸せです」

 羽山が歌ってきた多くの歌が、聴く人の心を癒してくれている。それを色にたとえると、ふわぁとしたパステルカラーのようである。
 新曲発売日の前日には京都・大阪の2会場でキャンペーンを行なった。会場では「お客さんがすごく盛り上げてくれて、いいスタートが切れました」と羽山。

■2月には初の生バンドライブ

 羽山は1月1日夕刻、特急列車で帰省途中であったが、JR新潟駅で能登半島大地震に遭遇した。乗っていた列車は止まり、山形・鶴岡市の実家から車で迎えに来てもらうまでの約6時間、津波を避けるために駅のホームの待合室で座り続けていた。

 そんな2014年の幕開けであったが、今年は「10周年に向けていいスタートを切りたい」と、まず2月4日には東京都内で初めて生バンドの演奏でライブを開くという。

羽山みずき 2024 3.jpg
写真・生バンドでフォークをカバーする
 
 ワンマンで約1時間半の枠で目下、構成を考えているところである。歌唱するのはほぼカバー曲である。
 「フォークソングやJポップスなど色んなジャンルの歌を取り入れたい」
 中には大好きな「22才の別れ」(伊勢正三)「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ)など彼女らしい選曲も考えている。

羽山みずき 2024 2.jpg

 「自分の思う事に正直に、周りの人のアドバイスにも耳を傾けながら進んで行きたい」
 羽山はきっぱりと言い切った。

 新曲発売日となった1月17日は奇しくも、関西人にとっては忘れる事が出来ない、29年前の阪神淡路大震災が起こった日であった。
 当時3歳であった羽山にとってはほとんど記憶がないというが、この日に優しいメロディの新曲「恋春花」を出したことは忘れられない1曲になるはずである。


動画・新曲「恋春花」をアピールする羽山みずき

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[羽山みずき オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/hayama-mizuki/
[羽山みずき 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/hayama/news?ima=2238 








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

田中あいみ、デビュー4枚目のシングル「私は私・・・」を1月31日にリリース [インタビュー]

◆京都出身のデビュー3年目を迎えた田中あいみ(日本クラウン)がデビュー第4弾のシングル「私は私・・・」(作詞 / 曲・小田和奏、編曲・竹内弘一)を2024年1月31日にリリースする。より私らしさを出せるように、とイメージカラーは大好きなピンクで、「力強さを表した」という。目を閉じて横向きのピンク色で統一されたジャケット写真は、可愛らしさを残しつつも大人っぽさを見せる。辰年生まれの年女でもある。「去年からの勢いをそのまま、さらに登っていきたい」と力強く話してくれた。

田中あいみ 3.jpg
写真・デビュー3年目の意欲を見せる田中あいみ


 新曲の作詞・作曲を担当したシンガーソングライターの小田和奏は、去年9月から東京・神楽坂のライブハウスで始めたマンスリーライブのパートナーでもある。
 出演していたテレビのバラエティ番組をきっかけに紹介してもらったという。

 去年11月に一緒に新曲を作ろうと意気投合して、超スピードで進められてきたプロジェクトでもあった。

田中あいみ 私は私・・・.jpg

 「前作までとガラリと変えて無茶苦茶ポップな、中森明菜さんなどの歌を聴いてきた世代にフィットしそうな楽曲にしてもらいました。演歌じゃない、こういう音楽が好き、と言ってもらえる層は多いと思うし、私らしいとも思ってもらえるんじゃないかな。演歌がいいよ、という人たちにはカップリングの『噂ばなし』をぜひ聴いてほしいです」

 この「噂ばなし」は作詞がかず翼、作曲は西つよし、編曲は竹内弘一である。デビュー曲候補作だったという。しばらく眠っていたが、カラオケ好きな人に受ける楽曲であるだけに、今回、カップリング曲にした。

■定着したマンスリーライブ

 小田と一緒に繰り広げるマンスリーライブは、観客と一緒になって繰り広げられて、関西のノリを感じさせてくれる。演歌・歌謡曲、ポップスありと、なんでも歌う約2時間の謂わばバラエティ音楽ショーてある。
 今年は会場を変えて引き続き、行うことにしている。

田中あいみ 1.jpg

 田中はデビューした22年の第64回輝く!日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞している。その時の盾は今、所属する細川たかし音楽事務所に飾ってあるという。
 この新人賞受賞を境に、彼女は「それまでの田中あいみと大きく変わった」と、打ち明けている。

 「あの重い盾を手にした瞬間から歌手としての自覚が生まれました。あれからは会う人会う人から、おめでとうとかあいみさんと声をかけてもらったりと、1歩上へ登った気持ちになりました。大学生歌手の頃までは少しやさぐれていましたが、それがなくなりました」

 拠点を京都から東京へ変えたのも大きかった。「実家がある京都に居続けていたら、天狗になっていたかもしれませんね(笑)」

田中あいみ 2.jpg
写真・新曲では大人になった〈私〉を感じさせる

 元旦には能登半島を大きな地震が襲うなど暗雲が漂う年明けとなった。自身も4日に親知らずを2本抜いて、しばらくは痛みがひどかった上に顔も腫れるなどして苦しんだという。
 そんな中で師匠の細川たかしが73歳で、一般女性と入籍をしていた、と発表する明るい話題もあった。

 1月12日には細川一門の新春コンサートが東京・日本橋の三井ホールで開かれ、田中も出演した。
 「コンサートの後、奥さまも一緒にお祝いの食事会がありました。仕事面では厳しい方ですが、普段は弟子やスタッフに優しく気遣いを見せてもらえるなど素晴らしい女性です。師匠を支えてくれる、頼り甲斐のある人ですね」


動画・新曲「私は私・・・」をアピールする田中あいみ

 そんな明るいニュースを受けて田中は、2月3日、地元京都市内ののライブハウス、ROOTER×2で新曲発表ライブを開く。
 上向きの運気をさらに高めたい、と意欲十分な年女である。

※写真は・記事の無断使用はお断りします。


[田中あいみ オフィシャルサイト]
https://aimi-official.jp/
[田中あいみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tanaka-aimi/news?ima=4902&ct=ryuko








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

秋山涼子、「春待つ女」 4作目の北海道シリーズ 再び高倉健の映画をモチーフに [インタビュー]

◆デビュー35年の歌手、秋山涼子(テイチクエンタテインメント)が2023年11月に出した「春待つ女」。北海道シリーズの4作目である。制作陣は前作同様に作詞が円香乃、作曲は秋山涼子本人、編曲は伊戸のりお。新たにディレクターを担当したK氏は出身大学が北海道。それならばと今回も舞台を北の地にしたという、意外なエピソードもある。江戸っ子の秋山が前作に続いて曲を書き、三度北海道を歌う。イメージにしたのは高倉健主演の映画「駅 STATION」(1981年、監督・降旗康男)だった。

秋山涼子 3.jpg
写真・シリーズ4作目の「春待つ女」が好調な秋山涼子


 ♪ テレビ相手に 呑むお酒 〜 など、「春待つ女」では高倉の相手役の倍賞千恵子がひとり酒を呑む映画のシーンを思い起こさせる。歌の主人公は倍賞演じる女性と同じように、雪深い北国での生活しか知らない。映画も歌詞も暗いイメージが伴う。
 「メロディーも最初はマイナー調でしたが、『春待つ女』には明るさが似合う、と考えてメジャー調にしました」と秋山。

秋山涼子 春待つ女.jpg
写真・新曲「春待つ女」

 11月に発売してから新曲のジャケットをイメージしたラッピングワゴン車、涼子号で各地を巡って、キャンペーンを展開している。
 「歌いやすいのでしょうか、早くもたくさんの人たちに歌ってもらっています」
 じんわりと心に沁みてくる歌ですねーと言った声もあちこちで聴こえてくる。

 歌には北海道を感じさせる言葉(歌詞)も出てくる。
 ♪ こっこ煮たのが 美味しいのにネェ・・・ 〜 の「こっこ」とは北海道の方言で、魚の卵を煮たもののこと。
 ミュージックビデオでは、事前に用意してもらったタラコを煮たものにつけ合わせる生姜を刻むシーンを、割烹着姿で撮影してもらったという。

■生歌を全国へ届けたい

 シングル「春待つ女」はカップリングに2曲を収録している。江戸っ子の秋山らしい明るく景気のいい音頭調の「恋の屋形船」は、これも秋山本人が作曲している。
 もう1曲はマイナー調の切ない列車演歌「愛終列車」。♪ 生きていきます 東京で いつか来る春 信じたい 〜 と歌うそれは、どこか自身と重ねるところがあるようだ。

秋山涼子 2.jpg
写真・北国を舞台に明るく歌う

 それにしても19年に発売した「海峡なみだ雪」から数えて4作続けての北海道もの。前々作の「終着…雪の根室線」(作詞・円香乃、作曲・松井義久、編曲・伊戸のりお)では、やはり高倉主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」をモチーフにして作られた。
 この楽曲は浅田次郎の小説「鉄道員(ぽっぽや) 」をモチーフにしたという。映画化され、小説・映画共に大ヒットした。

 制作に際しては「出版社に著作権などの確認を取って行われました。小説・映画では舞台の駅名は架空の幌内駅ですが、歌では実際の幾寅駅を使いました」など、今作同様に秋山自身並々ならぬ力の入れようであった。

秋山涼子 1.jpg
写真・ラッピングカー涼子号で歌を届けますと意気込む

 さて、今年も残り少なくなってきたが、2024年はどのような年にしたいか、を尋ねてみた。
 「今年は、コロナ禍で会いたい人にも会えない、がまんを強いられてきた3年間を受けて、ようやく元に戻り始めた1年でした。来年は出来るだけ全国を回って、たくさんの人たちにお会いして、生歌をお届けしたいです」
 
 今夏、初めて京都・舞鶴から約20時間をかけてフェリーに愛車の涼子号を乗せて、北海道・小樽まで渡り道内各地で歌ったバイタリティーを来年も見せてくれそうである。


動画・「春待つ女」をアピールする秋山涼子

写真・記事の無断使用はお断りします。


[秋山涼子 オフィシャルサイト]
http://akiyamaryoko.blog44.fc2.com/
[秋山涼子 テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/akiyama/








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

二見颯一、長編歌謡浪曲に意欲 来年2月には神戸で演歌第7世代コンサート [インタビュー]

◆デビュー5年目を迎え、このところ人気急上昇中の歌手、二見颯一(日本クラウン)が長編歌謡浪曲の修得に意欲を見せている。三波春夫の長女、美夕紀さんに師事している。コンサートやテレビなどで袴をはいてスタンドマイクの前に立って歌う姿を見ることが出来る。将来は長編歌謡浪曲をモチーフにした演歌も歌ってみたい、と希望を語る。

二見颯一 2.jpg
写真・長編歌謡浪曲へも意欲を見せる二見颯一


 身長179センチの細身の体にフィットしたスーツ姿で颯爽とステージに現れる姿は、演歌第7世代と呼ばれる期待の若手演歌歌手そのもののである。

 デビュー5年目の25歳。作曲家水森英夫の門下生である。氷川きよし、山内惠介など同門は数多いが「民謡が武器」というのは彼ひとりである。

 2001年に亡くなった三波春夫の長編歌謡浪曲はデビュー前から大好きだった。公演のビデオを見たり、エッセーを読むなどしていた。
 「哀愁峠」で2019年にデビューすると、所属事務所の社長の紹介で美夕紀さんの門をたたくことになる。

IMG_1952.jpg
写真・23年12月の大阪発流行歌ライブで歌う二見颯一

 その美夕紀さんからは「民謡歌手は言葉をはっきりと表現できる。それを歌謡浪曲でやってほしい」と期待をかけられている。
 得意とするのはみかん船伝説で知られた元禄時代の商人を歌った「豪商一代 紀国屋文左衛門」

 「この歌は三波先生も歌う事は少なかったようです。長編歌謡浪曲は、単に歌うだけでなく、ひとつのドラマ・芝居を1人で演じます。声の出し方、かたり、節回し、そして目線に所作など細かなところにまで注意を払う必要があります。それらに注意しながら、鏡の前に立って練習しています」と二見。

 長編歌謡浪曲を取り入れた演歌にもチャレンジしてみたい、と意気込みも。

■神戸で関西2度目の第7世代コンサートも

 2023年10月に出した新曲「罪の恋」は、年上の女性に恋をした若い男性が主人公。今までの青春歌謡曲ような路線から一気に、二見初の〈大人テイスト〉な楽曲へと階段を上がった作品である。

二見颯一 3.JPG
写真・来年の関西は神戸で幕開け 演歌第7世代のコンサートに出演する

 24年2月23日には神戸国際会館こくさいホールで開かれる「我ら演歌第7世代!スペシャルコンサート」に出演する。
 青山新・新浜レオン・辰巳ゆうと・彩青らと共演するのだが、コンサートでは初めてそれぞれのオリジナル曲をシャッフルするという。
 全国各地で開いているコンサートだが、これは神戸会場ならではの見どころとなりそうである。

 デビュー5年目であるが、コロナ下の2、3年間は歌手としての活動はほぼなかった。そんな時に励みとなったのは好きな絵を描くことだったという。
 そんな中で23年は「充実した1年だった」という。しかも関西では「これまでになく、最も集中して活動できました」と、関西でのファンの拡大につなげている。


動画・新曲「恋の罪」をアピールする二見颯一

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[二見颯一 オフィシャルサイト]
http://bigworld.la.coocan.jp/tal4_futami.html
[二見颯一 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/futami/news?ima=3512&ct=ryuko








nice!(2) 

野中さおり、笑顔笑顔でデビュー35周年 感謝を込めた記念シングル「花絆」 [インタビュー]

◆歌手野中さおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ)がデビュー35周年を迎えている。ファルセットを効かせた歌唱は彼女の大きな魅力であり、歌の哀愁感をよりいっそう高めてくれている。今まで山あり谷ありの歌手人生であったが、「笑顔でいると皆さんに元気になってもらえる」と笑顔と笑い声を絶やさない。35周年記念シングル「花絆」も「笑顔笑顔で皆さんと一緒に歌える作品」だという。

野中さおり 1.JPG
写真・笑顔を絶やさない野中さおり


 デビューは1990年8月。野中彩央里の名前であった。男歌「度胸人生」がデビュー曲で、まだ16歳であった。

 2作目の高知・四万十川を舞台にした「火振り酒」(92年)は、「後々までカラオケ大会で良く歌われている作品で、これを歌ってプロになった後輩歌手もたくさんいます」というほど、当時、話題になった楽曲であった。

 大きな転機になったのは、デビュー5周年記念曲で4枚目のシングル「雪国恋人形」(94年9月)で、今でも野中が歌い続けており、彼女の歌手としての存在感を高めた作品でもある。

 それまで男歌を歌ってきた彼女は、この年から「女歌を歌わせてもらえるようになった」と、大人になった証の作品でもあった。
 これを作曲した岡千秋は、野中のこけしのような表情からイメージして書いた作品だという。

■北京・紫禁城で歌った思い出

 中学生の頃から日本調の歌が大好きだったという野中は、その頃テレビで良く目にしていた芸者歌手市丸に憧れ、20代になると、そうした日本調のお座敷メロディー作品を歌う夢を叶えている。
 デビュー10周年の時、初の全国コンサートツアーを60会場で120公演を行なっているが、「1部はオリジナル曲、2部は日本調の作品をメインにしたステージを行った」ことで、歌手としての幅を広げることになった。

 こうした35年の歌手生活の中で最も忘れられない思い出になったのが、2000年の北京・紫禁城で開かれた「世界遺産を守ろうコンサート」で歌ったことだったという。
 野中は「世界のアーティストで紫禁城で歌ったのは私が最初でした」と、大きな自信につながった出来事として記憶に刻んでいる。

 翌01年には、第1回北京歌謡祭に参加しているし、それより先1991年には、日本・スペイン友好親善「セビリア・フィエスタ」に出演しているなど、海外での活動が相次いだ頃であった。

野中さおり 2.JPG
写真・笑顔笑顔でみんな元気になってほしい

 このように野中はデビュー10年間で多方面で才能を発揮するのであるが、その一方で自身へのプレッシャーが幾つも重なっていく。

 それを振り切るために、ありのままの自分を表現しようーと、気持ちを切り替える。
 それは表情に現れた。
 「いつも笑顔でいると元気になれるし、周りの皆んなも元気になってくれるといいなぁ」
 目を細めた笑顔はいつの間にか、野中さおりのトレードマークになっていった。


■感謝の気持ちを込めて

 野中の楽曲を数多く手掛けてきた作曲家徳久広司は35周年記念曲「花絆」も曲を書いている。
 その作品を野中は「35年間を支えてくれたファンの皆さんをはじめ、たくさんの人々への感謝の気持ちを伝え、笑顔笑顔で皆んなで歌える作品にしてもらいました」と話す。

 気がついたら35年という大きな節目を迎えていたという野中。これからもファルセットを生かした歌声を響かせていく。


動画・デビュー35周年の意欲を語る

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[野中さおり オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/saori-nonaka/
[野中さおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/nonaka.html








nice!(2) 
共通テーマ:音楽

渚月あかり、新曲「雪中花」 5年ぶりにリリース 空白の関西を強化 [インタビュー]

◆歌手の渚月あかり(ホリデージャパン)が2023年8月にリリースした5枚目のシングル「雪中花」(作詞・伊万里湾、作曲・泉盛望、編曲・藤井弘文)の好評を受けて、今まで手薄だった関西地区でのプロモーションを強化している。

渚月あかり 1.jpg
写真・テレビ収録で歌う渚月あかり


 「雪中花」はホリデージャパンから5年ぶりに出した新曲。寒さに耐えて花を咲かすのを待つ花のように、恋しい人を待ち続ける女性の心情を歌ったもの。

渚月あかり 雪中花.jpg

 渚月あかりは新曲について「自然に歌える作品です。自分に合った楽曲にやっと出会えた気持ちです」と、過去の作品を上回る期待感を滲ませる。
 関東・東海地区の放送局が聴取者からのリクエスト・店頭での売れ行きなどを集計した歌謡曲ベスト10でも「発売から2ヶ月以上経過した今でも10位前後のランキングを維持しています」(渚月)というほど。

■12月、サンテレビ・プレミアム歌謡ショーに出演

 こうした状況を受けて、ほとんど〈空白地帯〉だった関西で、10月には東大阪市内のCDショップ、ミヤコ瓢箪山店で店頭キャンペーンを行ったなどファン作りを強めている。

 毎週土曜日午前7時からサンテレビ(神戸市)で放送中の演歌・歌謡曲番組「プレミアム歌謡ショー」には、12月30日放送の番組に出演するのも、関西でのファン作りの一環である。
 その収録が11月13日、大阪市内のホテルで行われて、「雪中花」を歌った。

渚月あかり 3.jpg
写真・「プレミアム歌謡ショー」の収録風景 中央が渚月、左は司会の瀬戸つよし

 さらにきょう、11月14日午後には大阪・岸和田市のCDショップ、ヤングレコード本店で店頭キャンペーンを行うことになっている。

■クビを覚悟したことも

 渚月あかりとしてのデビューは2012年。ホリデージャパンから出した「長良川かくれ藤」が最初のシングルであった。
 それ以前から歌手活動はしている。1993年には田中美妃の名前で、かつて読売ジャイアンツで最強の5番打者といわれた柳田真宏とデュエットした「どうかしてるわ」(博水社「ハイサワー」のCMソング)をポリドールレコードから出して3万枚を売っている。

 その後、フリーボードを経てホリデージャパンに移籍している。前作「済州島」(2018年)からは5年のプランクがある。この間、コロナ騒動もあったが、母親の介護も経験している。

 その母親も亡くなって寂しい想いをしていた彼女。一時は歌手も廃業することを考えていたが、新曲がそれを吹き飛ばしてくれたようである。

 今年4月にはレコード会社から呼び出されたという。「長くCDも出していないし、いよいよクビかと覚悟して顔を出すと、新曲の話を頂いたんです。しかも3曲入りでした」
 これで一気に気が晴れたという。

渚月あかり 2.jpg
写真・自分らしく生きて歌いたい

 「気持ちを持ち変えることにしました。今までは皆んなによく見られたいとか、大好きなオシャレをしたいとか、自分自身を着飾らせていたところがありました。これがストレスにもなっていたんでしょうか、ありのままの自分でいようと思うようになってからは、気が楽になりました」

 そんな吹っ切れた渚月が歌う「雪中花」だけに、より情感が聴く人に届いているのであろう。
 新曲が好評なのが、それを裏付けている。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[渚月あかり ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_na5_na.html








nice!(2) 
共通テーマ:音楽
前の20件 | - インタビュー ブログトップ