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原田波人、フォーク演歌の第1人者を目指す 皆んなに歌ってほしい「万燈籠」 [インタビュー]

フォーク演歌という新しいジャンルを切り拓きたいーー。デビュー3年目の原田波人が(日本クラウン)が大きな夢を抱いている。2022年1月にポップスでデビューして4枚のシングルを出してきたが、24年3月6日にリリースした5枚目のシングル「万燈籠」は、これを作曲した大谷明裕がフォーク演歌と呼ぶほどに、ガラッと趣きを変えている。確立されたジャンルではないというが、原田は「心に寄り添ってくれて、情景が浮かんでくるような曲調の楽曲を歌っていきたい」と、話す。

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写真・デビュー3年目の原田波人


 奈良の春日大社で年2回行われる神事の万燈籠。ここへ2人が一緒に来て愛を誓ったのに、今はその貴方もいない。1人じゃ、とても生きてはいけないーー。そんな女性の切なさを歌う。
 演歌である。NHKのど自慢で長山洋子の「蜩」を歌ってグランドチャンピオン大会へ進み、それが歌手への道へとつながった。

 それだけに演歌は大好きである。今年の初めに歌詞をもらって、大谷のギターに合わせて歌唱レッスンを受けた。こぶしを回して久しぶりに歌う演歌は気持ちが良かった。
 ところが大谷は「抑揚をつけないで、軽く歌ってほしい」と注文を付けた。

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 この時初めて大谷の口から〈フォーク演歌〉という言葉を耳にした。大谷は先ごろ亡くなった小金沢昇司に、彼の代表曲となった「ありがとう…感謝」「願・一条戻り橋」などを提供している。原田は「明るい曲調ではないが、人の心に寄り添える」こうした大谷の楽曲が以前から好きだったという。

 デビュー以来ポップスを歌ってきた原田に、ファンの多くは、演歌を歌ってほしい、といった要望を送り続けてきた。もちろんそれは原田の希望でもあった。ディレクターにそれを伝えて、大谷が作曲する事が実現した。

 大谷がフォーク演歌と呼ぶそれは決して確立されたジャンルではない。歌う歌手も小金沢昇司など数えるほどしかいないという。
 しかし世の中では今、昭和歌謡がたくさんの人に支持されているように、人の心に優しい歌が求められている。原田はこのジャンルで第1人者になろうとしているのである。
 「フォーク演歌なら、また女歌なら原田波人と言われるように、このジャンルを切り拓いていきたい」と抱負を語る。


動画・優しくどこか懐かしい曲調です

 デビュー3年目である。「万燈籠」を出してから若いファンも増えてきた。今回の関西キャンペーンでも老若男女、たくさんの人たちが応援に集まったという。
 「原田波人の名前を知ってもらうことはもちろんですが、それ以上に曲を知ってもらってカラオケでたくさん歌ってもらうなど、曲が1人歩きしてくれると嬉しいですね」
 そのためにも全国各地で歌っていけるようにしたいと意気込む。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[原田波人 オフィシャルサイト]
https://p-aurora.co.jp/artist/haradanamito/
[原田波人 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/harada-namito/news?ima=1824&ct=ryuko








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木下結子、皆さまのおかげでデビュー40年 今夏、大阪・東京で5年ぶりのソロライブ [インタビュー]

「ノラ」「放されて」などのヒット曲で知られる歌手木下結子(ホリデージャパン)が今年、デビュー40年を迎えている。デビューして5年目で歌った「ノラ」は今までに18人の歌手によってカバーされているなど、歌謡曲のスタンダードナンバーとして多くの人たちに口ずさまれている。夏には5年ぶりとなるソロライブを大阪と東京で開催する。

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写真・木下結子


 40年という長い年月を歌い続けて来た木下結子が歩んで来た道は決して平坦ではなかった。
 大阪限定盤として日本コロムビアから発売されるはずの「放されて」が1984年、急きょ全国発売に決まって、上京することになった事から、彼女の歌手人生は始まる。

 デビュー5年目の1989年1月には3枚目のシングル「ノラ」を発売している。北から南までこれを届けるため、全国を訪ね歩いて歌っている。

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写真・発売当時の「ノラ」のジャケット

 その甲斐あって評判を得た「ノラ」は同年5月にファーストアルバム「ノラ」が発売されているし、96年9月には「放されて」とのベストカップリング盤として再リリースされている。
 そして98年8月には門倉有希がカバーシングルをビクターから発売して、さらに多くの人が「ノラ」を知るようになった。

 木下もアルバム「ノラ」を同11月に再リリースしている。
 今では秋元順子なと18人がカバーするほどの人気曲になり、日本の歌謡曲のスタンダードとして定着していると言ってもいい。

■歌に励まされて歌い続けてきた

 「ノラ」の元祖木下が還暦を迎えると、世の中はコロナ大騒動に巻き込まれた。外出することをはじめ、あらゆる活動が自粛を求められるようになった。
 未だかつてない異常事態に、歌手も例外なく歌う場所がなくなった。

 木下も例外ではなかった。歌手を続けるのもこれまでか、と思い悩む毎日が続いた。
 この年の10月にはホリデージャパンに移籍している。悩んだ末の決断であったが、移籍第1弾として出したのが「泣いてもええやろ」であった。

 デビュー曲「放されて」のアンサーソングのような楽曲で、大阪湾を涙でいっぱいにするほどに泣いてもええやろーと歌詞にあるように、自分に素直になると、少しは気持ちも楽になった。

 それから2年後、デビュー記念日の9月21日に、大阪府内に実在する百滝桜(ももたきざくら)をモチーフにした「百滝桜」を出した。
 今度は自分を大いに元気づけてくれる作品であった。

 その歌詞を書いた作詞家の髙畠じゅん子は、「樹齢百数十年の老木となった百滝桜のように、今、美しく花を咲かせる桜木は周りのたくさんの人たちが支えてくれたからです。あなたが40年近く歌い続けて来られたのも、同様にそうした多くの人たちのお陰なのですよ」と、木下に助言している。

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写真・木下結子

 人生はいつでもやり直しが出来るーと木下が歌う「ウヰスキー」と同様に髙畠が送るエールであった。

 4月21日には大阪・堂島のエルセラーンホールで開かれるホリデージャパン歌謡フェスタin大阪に出演するが、40年を飾るのに相応しい歌を聴かせてくれるであろう。

 さらに今夏、5年ぶりにソロライブを大阪と東京で開くという。

 長い年月が経った今も、「放されて」「ノラ」などを聴きたいーといった多くの人からリクエストが絶える事がない。
 木下は「自分の物差しで出来ることを見極めて、1つひとつをこなして行きたいです」と、これからもコツコツと歌い続けていく姿勢を崩さない。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html








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千葉一夫、川をタイトルに歌った44年 [インタビュー]

◆歌手千葉一夫(73歳)がデビュー44年を迎えている。彼には人生の例えにもされる「川」をタイトルにした楽曲が幾つかある。「カラオケでもたくさん歌われている」という人気曲も多い。

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写真・デビュー44年を迎えている千葉一夫


 千葉のオリジナル曲でタイトルに「川」が付く楽曲は5曲ある。
 「吉野川」(徳島県)「笛吹川」(山梨県)「白雪川」(秋田・山形県)「紀ノ川旅情」(和歌山県)「霧雨川」(架空の川)がそれである。
 実在する川はこのうち4曲だが、いずれも誰もが知る、名のある美しい川である。

 24年2月7日に発売したシングル「山吹の駅」は列車ものの演歌である。このカップリングとして収録されている「男新三流れ旅」は千葉が得意とする股旅もので、川の名前は出て来ないものの、歌詞には ♪ 明日は寝覚床(ねざめ)か 木曽桟(きそかけはし)か 〜 と、ちゃんと川(木曽川)を連想させている。

 流れ者の新三と木曽の急流を掛けたような歌詞は、渡世人の流転の人生そのものを表しているようで、心憎いばかりである。

 一方、表題曲のタイトルにある駅はそこを行き交う様々な人々のドラマの舞台ともなる場所である。川もまた人々の人生そのものに例えられる。やはり人生の舞台なのである。
 いずれも人の生き様を温かく表現するのが人気につながっている。

 1950(昭和25)年8月に千葉県銚子市で生まれた千葉の歌手デビューは80(同55)年である。
 この間のレコーディングは100回近くになるそうだから、そのキャリアの長さが分かる。

 新曲のいずれの楽曲も、キャリア44年の千葉だからこそ歌える、しみじみと人生を感じさせる作品になってるのであろう。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[千葉一夫 オフィシャルサイト]
https://bluesky1982.co.jp/talent/153153.html
[千葉一夫 キングレコード]
https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10093








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大好きさムード歌謡 去年ソロデビューした駿河ヤマト(はやぶさ) [インタビュー]

◆ 昭和歌謡の人気の高まりとともに、昭和30年代に流行ったムード歌謡曲への関心も高まっている。ところが、かつてムード歌謡曲を歌ってきた歌手たちにも高齢化が目立つ。そんな中で〈全身ムード歌謡曲〉といった若手がいる。新世代歌謡グループはやぶさのメンバーで、ソロ活動もする駿河ヤマト(日本クラウン)がその人。世は空前の昭和歌謡ブームで、彼への注目は高まるばかりである。

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写真・石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」が1番好きだと話す駿河ヤマト


 関西では今、ムード歌謡曲のライブを開催しようーといった動きがある。ムード歌謡曲の良さを往年のファンに味わってもらうというものである。

 「ムード歌謡曲のライブが開かれのならば客で行きますよ」
 歌手としての参加よりも、観客として楽しみたいーそう言って笑わせる駿河ヤマトは、石原裕次郎に憧れて歌手になった、と言ってもいいくらいのムード歌謡曲の大ファンである。

 裕次郎などが出演した30年?40代の映画は百本以上は見ているという。
 「もちろん裕次郎さんの歌はどれも好きで、もしイントロ当てクイズがあれば百点満点ですね」と笑うほど。

 しかも幼い頃の初恋の相手は浅丘ルリ子だというから徹底している。最大のライバルは「男はつらいよ」の寅さんだったようであったが。

■持ち前の低音を生かしたムード歌謡

 去年7月に30歳になった。はやぶさでデビューして12年になるが、その低音を生かしてムード歌謡〈風〉の楽曲を得意としてきた。

 2023年8月にはソロデビュー曲として出した「ズルい男に乾杯 ?」とカップリング曲の「純情25時」は、いずれも〈風〉が取れた正真正銘のムード歌謡曲になっている。

 発売当初はオリコンチャートでも1位を獲得するなど話題になったなど、期待が高まる。


動画・ムード歌謡の灯をもう1度

 ムード歌謡曲の黄金期は昭和30年?40年代であった。平成生まれの彼にとっては遠い昔の話である。
 石原裕次郎の代表曲のひとつ「銀座の恋の物語」が発表されたのも昭和36年であり、大好きな「夜霧よ今夜も有難う」でも昭和42年である。

 昭和30年代にはレコードデビューするバンドや歌手も増加して一大ジャンルを形成したが、今は発売される新曲も少ない。全盛期を知らない若い駿河だが「ムード歌謡曲のファンは多くいます。再びかつてのようなパワフルな時代を」と、期待を寄せている。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[駿河ヤマト オフィシャルサイト]
https://www.nagarapro.co.jp/top/artist/artist.php?id=166
[駿河ヤマト 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/suruga-yamato/news?ima=0535&ct=ryuko








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恋川いろは、片肌脱いだ華やかな歌と舞で魅了 [インタビュー]

◆扇を片手に片肌を脱いだ華やかな舞と歌ー。ともすれば画一的になりかねないステージに、新鮮な風を吹き込んでくれている恋川いろは(日本クラウン)。キャッチフレーズは「踊るエンカーテイナー」。2歳から岩井流の日本舞踊を習い、歌手デビューする以前の10年前からは踊って歌うスタイルを取り入れてきたが、今は歌って踊る歌手である。

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写真・恋川いろは


 歌手恋川いろはが誕生したのは2019年9月であった。デビュー曲は「恋紅葉(こいもみじ)」(作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋 / テイチクエンタテインメント) カップリング曲は「焼け棒杭」


動画・メジャーデビュー曲「恋紅葉」

 デビューするまでは新舞踊の一蘭春蝶(いちらん・しゅんちょう)の名で踊って歌っていた。
 そんな時に神奈川県で唯一の村として知られる風光明媚な神奈川県清川村の歌を歌っていたところ、「演歌を歌わないか」と、話をもらったのが歌手デビューのきっかけとなった。

 「歌は下手だし演歌なんか歌えないけれど、と思ったんですが、皆んなカラオケは歌っているから」と、押し切られた形であった。

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写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール

 すでに舞踊家としては名前も売れていたので、それを捨てて歌手にという事には反対の声もあったが、勧められるままにテイチクのオーディションを受けることにした。
 ところが結果は散々・・・

 「15曲も歌った挙句、歌は上手くないとCDは売れないよ。選考結果が出たら電話するから、なんて言い捨てられ、これはダメだと思いましたけどね」

 数日して電話がかかってきた。
 「見た目が良かったから、そこは買うよ」と採用が決まった。
 歌を気に入られた訳ではなかったけれど、取り敢えずは歌手デビューは出来ることになった。

■きょうが最後と思って立つステージ

 家には沢山の「恋紅葉」のCDが届いて、えっ、と驚くほど山積みになった。
 それからまもなくコロナ騒動で世の中は歌どころではなくなった。

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写真・日本クラウン移籍第2弾の「あだなさけ夢のからくり」
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写真・移籍第1弾の「くれない夜舟」

 それでも歌ってこれを売らなければーと、ツテを頼って鹿児島、広島、兵庫、長野など各地の知人やCDショップを訪ねてキャンペーンを行い、1枚1枚のCDを手売りをして、「今までに3600枚ほど売れました」と、迫力を感じさせる。

 デビューしたものの、コロナのために思ったように歌手活動は出来ない。
 そこで「ユーチューバーになろうと、下手なギター片手に歌って配信を始めたんです。すると入院しているというおじいちゃんやおばあちゃんから、楽しいから次はこの歌を歌ってーなんてリクエストが来るようになったんです」と人気が出てきた。

 そんな恋川のユーチューブチャンネル「ジャノメの小屋」は今もアクセス数を増やしている。


動画・一家総出の楽しい1年前の映像も

 ステージでは彼女の衣装が目を引く。着物からドレスへの早替りもそのひとつである。
 恋川として初出演となった2024年1月25日のKOBE流行歌ライブ(春蝶時代にも1度出演している)でも、着物から大きくスリットの入ったドレスに早着替えして披露するなど観客を楽しませていた。

 「歌に自信がなくて、それを誤魔化すために始めたことなんです」
 と照れ隠しをする彼女だが、CDが売れない時代の新たなパフォーマンスの方法でもあろう。

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写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール

 でも歌は少しずつ上手くなっているよ、と言ってくれる人もいるという。ファンの中には、「その声でお疲れ様でした、と言ってほしい」と、声に魅力を感じる人も少なくはない。

 彼女はある日、作曲家の徳久広司に自分がギターを弾きながら歌っているところの映像を収めたビデオレターを送ったことがある。
 すると「歌も下手だけどギターも下手だなぁーと返事が来たんです」と笑うのだが、彼女は楽しいことが大好きなエンタティナーであり続けたいという。
 
 そんな恋川は連日、全国各地を巡りながらの歌手活動を続けている。
 「これが最後の舞台になるかもしれない、と1回1回を勝負する気持ちで臨んでいます。人との一期一会の出会いによって、ステージを楽しんでもらい、元気になってもらうのが1番です」
 これからの歌手恋川いろはが目指す姿なのである。


動画・早着替えにお面芸、創作舞踊と色んな特技を活かしながら最新曲「あだなさけ夢のからくり」(作詞・朝比奈京仔、作曲・徳久広司)は聴くものを楽しくさせてくれる

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[恋川いろは オフィシャルサイト]
https://koikawairoha.com/
[恋川いろは 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/koikawa/news?ima=2453&ct=ryuko








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中澤卓也、今年も3月から全国ツアースタート 全公演に参加する熱烈ファンも 2月には新曲も [インタビュー]

◆たくさんのペンライトが揺れる中、「今年も帰って来る事が出来ました」とあいさつした歌手中澤卓也。去年12月のランチショーは満員のファンで盛り上がっていた。相変わらずの人気である。今年はシングル「陽はまた昇る」(タクミレコード、2022年9月発売)のタイプBを2月14日のバレンタインデーにリリースする。3月10日からは全国ツアーもスタートさせる。ファンにとって今年も楽しみな1年になりそうである。

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写真・大阪な新阪急ホテルでのランチショーで 2枚


 中澤卓也28歳。歌手デビューして7年目になる。その彼が去年末に京都のコミュニティFM、エフエム845でインタビューに応えて「今はバンドメンバーと一緒に曲を作って全国を回るツアーを楽しんでいるのが、とても新鮮です」と話した。

 今年3月から始める全国ツアーは去年と同じように、演歌・歌謡曲などを弾き語りを交えて17公演程度を予定している。
 「去年9月のロームシアター京都サウスホールなど、毎年、公演数が増えているのは嬉しいことですし、去年は17公演すべてに来てくれたファンもいました」と中澤。

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写真・今年も全国ツアーに意欲を示す中澤卓也

 今年は3月10日の東京会場のZeppダイバーシティ東京を皮切りに、同23日には神戸朝日ボール、4月6日の新潟・長岡市立劇場が決定している。
 「常にこの新しい気持ちで観客の皆さんに歌を届ける事が出来たらいいですね」

■30歳の節目に向けて充電へ

 去年4月にはアルバム「HANDS MADE」(全7曲)を出している。全曲が新曲で中澤が作詞をして、バンドメンバーたちと楽曲として仕上げたという。「みんなの手で作り上げた」(中澤)、その名の通りにハンドメイドなアルバムなのである。

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写真・熱烈なファンが集まった23年末のランチショー(大阪新阪急ホテル)

 2月14日にリリースする「陽はまた昇る」タイプBは、カップリングに新曲を収録する新たなシングルである。

 去年は結婚もしてプライベートも変わった。「前を向いて進んで行きます」と話す中澤だが、25年には30歳の節目を迎える。「今年1年、そこへ向けて1段上がるための土台を作る充電の年にしたい」と意欲を見せる。

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写真・FM845の番組「はるいろいろいろ」でギターの弾き語りを披露



動画・2024年の抱負を語る(2023年末に収録)

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[中澤卓也 オフィシャルサイト]
https://www.nakazawatakuya.com/








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羽山みずき、10枚目のシングル「恋春花」 デビュー10年目に向けてのステップにしたい [インタビュー]

◆元出羽三山の巫女で歌手の羽山みずき(日本クラウン)が2024年1月17日、デビュー10枚目のシングル「恋春花(こいしゅんか)」をリリースした。この日、大阪・心斎橋のライブハウス、BIG CATで開かれた第315回大阪発流行歌ライブで披露した。愛おしい人と添えない切ない女心を歌う。流れる胡弓の音色が哀愁感を誘う。来年の10周年に向けてのステップにしたい、と新曲への意気込みを見せる。


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写真・10年目への意欲を見せる羽山みずき


 歌手デビューのために上京する際、ほら貝と神棚をキャリーバッグに詰めて来ましたー。
 高校を卒業してデビューするまでは巫女を務めていた羽山らしい、歌手への荷物であった。今でもマンションにある神棚には水と米、塩のお供えは欠かさず、毎日手を合わす。

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 「日本人の心の原点ですから。(手を合わせる事で)何かに迷った時には気付かせてもらえる事があります。今まで歌手を続けて来られたのも、神様に守られているのかもしれません」
 デビュー9年目の自らをこう振り返っている。

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写真・大阪流行歌ライブで歌う羽山みずき

 17日に発売した新曲「恋春花」は、今までの羽山みずきのイメージを変えた、初めて歌う曲調だという。
 しかも「違和感なく自然体で歌える作品でもあります。切ない曲ですが、哀しくなり過ぎないように気をつけて歌っています」という歌唱からは、タイトルイメージ通りに綺麗で優しさを感じさせる。

 「メロディといい胡弓の音色など、すごく好きな楽曲です。愛する曲に出会えて幸せです」

 羽山が歌ってきた多くの歌が、聴く人の心を癒してくれている。それを色にたとえると、ふわぁとしたパステルカラーのようである。
 新曲発売日の前日には京都・大阪の2会場でキャンペーンを行なった。会場では「お客さんがすごく盛り上げてくれて、いいスタートが切れました」と羽山。

■2月には初の生バンドライブ

 羽山は1月1日夕刻、特急列車で帰省途中であったが、JR新潟駅で能登半島大地震に遭遇した。乗っていた列車は止まり、山形・鶴岡市の実家から車で迎えに来てもらうまでの約6時間、津波を避けるために駅のホームの待合室で座り続けていた。

 そんな2014年の幕開けであったが、今年は「10周年に向けていいスタートを切りたい」と、まず2月4日には東京都内で初めて生バンドの演奏でライブを開くという。

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写真・生バンドでフォークをカバーする
 
 ワンマンで約1時間半の枠で目下、構成を考えているところである。歌唱するのはほぼカバー曲である。
 「フォークソングやJポップスなど色んなジャンルの歌を取り入れたい」
 中には大好きな「22才の別れ」(伊勢正三)「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ)など彼女らしい選曲も考えている。

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 「自分の思う事に正直に、周りの人のアドバイスにも耳を傾けながら進んで行きたい」
 羽山はきっぱりと言い切った。

 新曲発売日となった1月17日は奇しくも、関西人にとっては忘れる事が出来ない、29年前の阪神淡路大震災が起こった日であった。
 当時3歳であった羽山にとってはほとんど記憶がないというが、この日に優しいメロディの新曲「恋春花」を出したことは忘れられない1曲になるはずである。


動画・新曲「恋春花」をアピールする羽山みずき

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[羽山みずき オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/hayama-mizuki/
[羽山みずき 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/hayama/news?ima=2238 








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田中あいみ、デビュー4枚目のシングル「私は私・・・」を1月31日にリリース [インタビュー]

◆京都出身のデビュー3年目を迎えた田中あいみ(日本クラウン)がデビュー第4弾のシングル「私は私・・・」(作詞 / 曲・小田和奏、編曲・竹内弘一)を2024年1月31日にリリースする。より私らしさを出せるように、とイメージカラーは大好きなピンクで、「力強さを表した」という。目を閉じて横向きのピンク色で統一されたジャケット写真は、可愛らしさを残しつつも大人っぽさを見せる。辰年生まれの年女でもある。「去年からの勢いをそのまま、さらに登っていきたい」と力強く話してくれた。

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写真・デビュー3年目の意欲を見せる田中あいみ


 新曲の作詞・作曲を担当したシンガーソングライターの小田和奏は、去年9月から東京・神楽坂のライブハウスで始めたマンスリーライブのパートナーでもある。
 出演していたテレビのバラエティ番組をきっかけに紹介してもらったという。

 去年11月に一緒に新曲を作ろうと意気投合して、超スピードで進められてきたプロジェクトでもあった。

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 「前作までとガラリと変えて無茶苦茶ポップな、中森明菜さんなどの歌を聴いてきた世代にフィットしそうな楽曲にしてもらいました。演歌じゃない、こういう音楽が好き、と言ってもらえる層は多いと思うし、私らしいとも思ってもらえるんじゃないかな。演歌がいいよ、という人たちにはカップリングの『噂ばなし』をぜひ聴いてほしいです」

 この「噂ばなし」は作詞がかず翼、作曲は西つよし、編曲は竹内弘一である。デビュー曲候補作だったという。しばらく眠っていたが、カラオケ好きな人に受ける楽曲であるだけに、今回、カップリング曲にした。

■定着したマンスリーライブ

 小田と一緒に繰り広げるマンスリーライブは、観客と一緒になって繰り広げられて、関西のノリを感じさせてくれる。演歌・歌謡曲、ポップスありと、なんでも歌う約2時間の謂わばバラエティ音楽ショーてある。
 今年は会場を変えて引き続き、行うことにしている。

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 田中はデビューした22年の第64回輝く!日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞している。その時の盾は今、所属する細川たかし音楽事務所に飾ってあるという。
 この新人賞受賞を境に、彼女は「それまでの田中あいみと大きく変わった」と、打ち明けている。

 「あの重い盾を手にした瞬間から歌手としての自覚が生まれました。あれからは会う人会う人から、おめでとうとかあいみさんと声をかけてもらったりと、1歩上へ登った気持ちになりました。大学生歌手の頃までは少しやさぐれていましたが、それがなくなりました」

 拠点を京都から東京へ変えたのも大きかった。「実家がある京都に居続けていたら、天狗になっていたかもしれませんね(笑)」

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写真・新曲では大人になった〈私〉を感じさせる

 元旦には能登半島を大きな地震が襲うなど暗雲が漂う年明けとなった。自身も4日に親知らずを2本抜いて、しばらくは痛みがひどかった上に顔も腫れるなどして苦しんだという。
 そんな中で師匠の細川たかしが73歳で、一般女性と入籍をしていた、と発表する明るい話題もあった。

 1月12日には細川一門の新春コンサートが東京・日本橋の三井ホールで開かれ、田中も出演した。
 「コンサートの後、奥さまも一緒にお祝いの食事会がありました。仕事面では厳しい方ですが、普段は弟子やスタッフに優しく気遣いを見せてもらえるなど素晴らしい女性です。師匠を支えてくれる、頼り甲斐のある人ですね」


動画・新曲「私は私・・・」をアピールする田中あいみ

 そんな明るいニュースを受けて田中は、2月3日、地元京都市内ののライブハウス、ROOTER×2で新曲発表ライブを開く。
 上向きの運気をさらに高めたい、と意欲十分な年女である。

※写真は・記事の無断使用はお断りします。


[田中あいみ オフィシャルサイト]
https://aimi-official.jp/
[田中あいみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tanaka-aimi/news?ima=4902&ct=ryuko








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秋山涼子、「春待つ女」 4作目の北海道シリーズ 再び高倉健の映画をモチーフに [インタビュー]

◆デビュー35年の歌手、秋山涼子(テイチクエンタテインメント)が2023年11月に出した「春待つ女」。北海道シリーズの4作目である。制作陣は前作同様に作詞が円香乃、作曲は秋山涼子本人、編曲は伊戸のりお。新たにディレクターを担当したK氏は出身大学が北海道。それならばと今回も舞台を北の地にしたという、意外なエピソードもある。江戸っ子の秋山が前作に続いて曲を書き、三度北海道を歌う。イメージにしたのは高倉健主演の映画「駅 STATION」(1981年、監督・降旗康男)だった。

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写真・シリーズ4作目の「春待つ女」が好調な秋山涼子


 ♪ テレビ相手に 呑むお酒 〜 など、「春待つ女」では高倉の相手役の倍賞千恵子がひとり酒を呑む映画のシーンを思い起こさせる。歌の主人公は倍賞演じる女性と同じように、雪深い北国での生活しか知らない。映画も歌詞も暗いイメージが伴う。
 「メロディーも最初はマイナー調でしたが、『春待つ女』には明るさが似合う、と考えてメジャー調にしました」と秋山。

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写真・新曲「春待つ女」

 11月に発売してから新曲のジャケットをイメージしたラッピングワゴン車、涼子号で各地を巡って、キャンペーンを展開している。
 「歌いやすいのでしょうか、早くもたくさんの人たちに歌ってもらっています」
 じんわりと心に沁みてくる歌ですねーと言った声もあちこちで聴こえてくる。

 歌には北海道を感じさせる言葉(歌詞)も出てくる。
 ♪ こっこ煮たのが 美味しいのにネェ・・・ 〜 の「こっこ」とは北海道の方言で、魚の卵を煮たもののこと。
 ミュージックビデオでは、事前に用意してもらったタラコを煮たものにつけ合わせる生姜を刻むシーンを、割烹着姿で撮影してもらったという。

■生歌を全国へ届けたい

 シングル「春待つ女」はカップリングに2曲を収録している。江戸っ子の秋山らしい明るく景気のいい音頭調の「恋の屋形船」は、これも秋山本人が作曲している。
 もう1曲はマイナー調の切ない列車演歌「愛終列車」。♪ 生きていきます 東京で いつか来る春 信じたい 〜 と歌うそれは、どこか自身と重ねるところがあるようだ。

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写真・北国を舞台に明るく歌う

 それにしても19年に発売した「海峡なみだ雪」から数えて4作続けての北海道もの。前々作の「終着…雪の根室線」(作詞・円香乃、作曲・松井義久、編曲・伊戸のりお)では、やはり高倉主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」をモチーフにして作られた。
 この楽曲は浅田次郎の小説「鉄道員(ぽっぽや) 」をモチーフにしたという。映画化され、小説・映画共に大ヒットした。

 制作に際しては「出版社に著作権などの確認を取って行われました。小説・映画では舞台の駅名は架空の幌内駅ですが、歌では実際の幾寅駅を使いました」など、今作同様に秋山自身並々ならぬ力の入れようであった。

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写真・ラッピングカー涼子号で歌を届けますと意気込む

 さて、今年も残り少なくなってきたが、2024年はどのような年にしたいか、を尋ねてみた。
 「今年は、コロナ禍で会いたい人にも会えない、がまんを強いられてきた3年間を受けて、ようやく元に戻り始めた1年でした。来年は出来るだけ全国を回って、たくさんの人たちにお会いして、生歌をお届けしたいです」
 
 今夏、初めて京都・舞鶴から約20時間をかけてフェリーに愛車の涼子号を乗せて、北海道・小樽まで渡り道内各地で歌ったバイタリティーを来年も見せてくれそうである。


動画・「春待つ女」をアピールする秋山涼子

写真・記事の無断使用はお断りします。


[秋山涼子 オフィシャルサイト]
http://akiyamaryoko.blog44.fc2.com/
[秋山涼子 テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/akiyama/








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二見颯一、長編歌謡浪曲に意欲 来年2月には神戸で演歌第7世代コンサート [インタビュー]

◆デビュー5年目を迎え、このところ人気急上昇中の歌手、二見颯一(日本クラウン)が長編歌謡浪曲の修得に意欲を見せている。三波春夫の長女、美夕紀さんに師事している。コンサートやテレビなどで袴をはいてスタンドマイクの前に立って歌う姿を見ることが出来る。将来は長編歌謡浪曲をモチーフにした演歌も歌ってみたい、と希望を語る。

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写真・長編歌謡浪曲へも意欲を見せる二見颯一


 身長179センチの細身の体にフィットしたスーツ姿で颯爽とステージに現れる姿は、演歌第7世代と呼ばれる期待の若手演歌歌手そのもののである。

 デビュー5年目の25歳。作曲家水森英夫の門下生である。氷川きよし、山内惠介など同門は数多いが「民謡が武器」というのは彼ひとりである。

 2001年に亡くなった三波春夫の長編歌謡浪曲はデビュー前から大好きだった。公演のビデオを見たり、エッセーを読むなどしていた。
 「哀愁峠」で2019年にデビューすると、所属事務所の社長の紹介で美夕紀さんの門をたたくことになる。

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写真・23年12月の大阪発流行歌ライブで歌う二見颯一

 その美夕紀さんからは「民謡歌手は言葉をはっきりと表現できる。それを歌謡浪曲でやってほしい」と期待をかけられている。
 得意とするのはみかん船伝説で知られた元禄時代の商人を歌った「豪商一代 紀国屋文左衛門」

 「この歌は三波先生も歌う事は少なかったようです。長編歌謡浪曲は、単に歌うだけでなく、ひとつのドラマ・芝居を1人で演じます。声の出し方、かたり、節回し、そして目線に所作など細かなところにまで注意を払う必要があります。それらに注意しながら、鏡の前に立って練習しています」と二見。

 長編歌謡浪曲を取り入れた演歌にもチャレンジしてみたい、と意気込みも。

■神戸で関西2度目の第7世代コンサートも

 2023年10月に出した新曲「罪の恋」は、年上の女性に恋をした若い男性が主人公。今までの青春歌謡曲ような路線から一気に、二見初の〈大人テイスト〉な楽曲へと階段を上がった作品である。

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写真・来年の関西は神戸で幕開け 演歌第7世代のコンサートに出演する

 24年2月23日には神戸国際会館こくさいホールで開かれる「我ら演歌第7世代!スペシャルコンサート」に出演する。
 青山新・新浜レオン・辰巳ゆうと・彩青らと共演するのだが、コンサートでは初めてそれぞれのオリジナル曲をシャッフルするという。
 全国各地で開いているコンサートだが、これは神戸会場ならではの見どころとなりそうである。

 デビュー5年目であるが、コロナ下の2、3年間は歌手としての活動はほぼなかった。そんな時に励みとなったのは好きな絵を描くことだったという。
 そんな中で23年は「充実した1年だった」という。しかも関西では「これまでになく、最も集中して活動できました」と、関西でのファンの拡大につなげている。


動画・新曲「恋の罪」をアピールする二見颯一

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[二見颯一 オフィシャルサイト]
http://bigworld.la.coocan.jp/tal4_futami.html
[二見颯一 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/futami/news?ima=3512&ct=ryuko








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野中さおり、笑顔笑顔でデビュー35周年 感謝を込めた記念シングル「花絆」 [インタビュー]

◆歌手野中さおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ)がデビュー35周年を迎えている。ファルセットを効かせた歌唱は彼女の大きな魅力であり、歌の哀愁感をよりいっそう高めてくれている。今まで山あり谷ありの歌手人生であったが、「笑顔でいると皆さんに元気になってもらえる」と笑顔と笑い声を絶やさない。35周年記念シングル「花絆」も「笑顔笑顔で皆さんと一緒に歌える作品」だという。

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写真・笑顔を絶やさない野中さおり


 デビューは1990年8月。野中彩央里の名前であった。男歌「度胸人生」がデビュー曲で、まだ16歳であった。

 2作目の高知・四万十川を舞台にした「火振り酒」(92年)は、「後々までカラオケ大会で良く歌われている作品で、これを歌ってプロになった後輩歌手もたくさんいます」というほど、当時、話題になった楽曲であった。

 大きな転機になったのは、デビュー5周年記念曲で4枚目のシングル「雪国恋人形」(94年9月)で、今でも野中が歌い続けており、彼女の歌手としての存在感を高めた作品でもある。

 それまで男歌を歌ってきた彼女は、この年から「女歌を歌わせてもらえるようになった」と、大人になった証の作品でもあった。
 これを作曲した岡千秋は、野中のこけしのような表情からイメージして書いた作品だという。

■北京・紫禁城で歌った思い出

 中学生の頃から日本調の歌が大好きだったという野中は、その頃テレビで良く目にしていた芸者歌手市丸に憧れ、20代になると、そうした日本調のお座敷メロディー作品を歌う夢を叶えている。
 デビュー10周年の時、初の全国コンサートツアーを60会場で120公演を行なっているが、「1部はオリジナル曲、2部は日本調の作品をメインにしたステージを行った」ことで、歌手としての幅を広げることになった。

 こうした35年の歌手生活の中で最も忘れられない思い出になったのが、2000年の北京・紫禁城で開かれた「世界遺産を守ろうコンサート」で歌ったことだったという。
 野中は「世界のアーティストで紫禁城で歌ったのは私が最初でした」と、大きな自信につながった出来事として記憶に刻んでいる。

 翌01年には、第1回北京歌謡祭に参加しているし、それより先1991年には、日本・スペイン友好親善「セビリア・フィエスタ」に出演しているなど、海外での活動が相次いだ頃であった。

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写真・笑顔笑顔でみんな元気になってほしい

 このように野中はデビュー10年間で多方面で才能を発揮するのであるが、その一方で自身へのプレッシャーが幾つも重なっていく。

 それを振り切るために、ありのままの自分を表現しようーと、気持ちを切り替える。
 それは表情に現れた。
 「いつも笑顔でいると元気になれるし、周りの皆んなも元気になってくれるといいなぁ」
 目を細めた笑顔はいつの間にか、野中さおりのトレードマークになっていった。


■感謝の気持ちを込めて

 野中の楽曲を数多く手掛けてきた作曲家徳久広司は35周年記念曲「花絆」も曲を書いている。
 その作品を野中は「35年間を支えてくれたファンの皆さんをはじめ、たくさんの人々への感謝の気持ちを伝え、笑顔笑顔で皆んなで歌える作品にしてもらいました」と話す。

 気がついたら35年という大きな節目を迎えていたという野中。これからもファルセットを生かした歌声を響かせていく。


動画・デビュー35周年の意欲を語る

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[野中さおり オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/saori-nonaka/
[野中さおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/nonaka.html








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渚月あかり、新曲「雪中花」 5年ぶりにリリース 空白の関西を強化 [インタビュー]

◆歌手の渚月あかり(ホリデージャパン)が2023年8月にリリースした5枚目のシングル「雪中花」(作詞・伊万里湾、作曲・泉盛望、編曲・藤井弘文)の好評を受けて、今まで手薄だった関西地区でのプロモーションを強化している。

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写真・テレビ収録で歌う渚月あかり


 「雪中花」はホリデージャパンから5年ぶりに出した新曲。寒さに耐えて花を咲かすのを待つ花のように、恋しい人を待ち続ける女性の心情を歌ったもの。

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 渚月あかりは新曲について「自然に歌える作品です。自分に合った楽曲にやっと出会えた気持ちです」と、過去の作品を上回る期待感を滲ませる。
 関東・東海地区の放送局が聴取者からのリクエスト・店頭での売れ行きなどを集計した歌謡曲ベスト10でも「発売から2ヶ月以上経過した今でも10位前後のランキングを維持しています」(渚月)というほど。

■12月、サンテレビ・プレミアム歌謡ショーに出演

 こうした状況を受けて、ほとんど〈空白地帯〉だった関西で、10月には東大阪市内のCDショップ、ミヤコ瓢箪山店で店頭キャンペーンを行ったなどファン作りを強めている。

 毎週土曜日午前7時からサンテレビ(神戸市)で放送中の演歌・歌謡曲番組「プレミアム歌謡ショー」には、12月30日放送の番組に出演するのも、関西でのファン作りの一環である。
 その収録が11月13日、大阪市内のホテルで行われて、「雪中花」を歌った。

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写真・「プレミアム歌謡ショー」の収録風景 中央が渚月、左は司会の瀬戸つよし

 さらにきょう、11月14日午後には大阪・岸和田市のCDショップ、ヤングレコード本店で店頭キャンペーンを行うことになっている。

■クビを覚悟したことも

 渚月あかりとしてのデビューは2012年。ホリデージャパンから出した「長良川かくれ藤」が最初のシングルであった。
 それ以前から歌手活動はしている。1993年には田中美妃の名前で、かつて読売ジャイアンツで最強の5番打者といわれた柳田真宏とデュエットした「どうかしてるわ」(博水社「ハイサワー」のCMソング)をポリドールレコードから出して3万枚を売っている。

 その後、フリーボードを経てホリデージャパンに移籍している。前作「済州島」(2018年)からは5年のプランクがある。この間、コロナ騒動もあったが、母親の介護も経験している。

 その母親も亡くなって寂しい想いをしていた彼女。一時は歌手も廃業することを考えていたが、新曲がそれを吹き飛ばしてくれたようである。

 今年4月にはレコード会社から呼び出されたという。「長くCDも出していないし、いよいよクビかと覚悟して顔を出すと、新曲の話を頂いたんです。しかも3曲入りでした」
 これで一気に気が晴れたという。

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写真・自分らしく生きて歌いたい

 「気持ちを持ち変えることにしました。今までは皆んなによく見られたいとか、大好きなオシャレをしたいとか、自分自身を着飾らせていたところがありました。これがストレスにもなっていたんでしょうか、ありのままの自分でいようと思うようになってからは、気が楽になりました」

 そんな吹っ切れた渚月が歌う「雪中花」だけに、より情感が聴く人に届いているのであろう。
 新曲が好評なのが、それを裏付けている。

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[渚月あかり ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_na5_na.html








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山口ひろみ(テイチクエンタテインメント) じわじわと人気高まる再スタート第1弾の「三井の晩鐘」 [インタビュー]

◆歌手山口ひろみが2023年8月16日に「三井(みい)の晩鐘」(作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋、編曲・猪股義周)をリリースした。デビュー21年目。強い女を感じさせる歌である。じわじわと評判を高めており、9月20日には大阪・心斎橋のBIG CATで開かれた大阪発流行歌ライブに久しぶりに出演して、新曲などを披露した。

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写真・新曲に21年目の飛躍をかける山口ひろみ


 「三井の晩鐘」は男女共に10代20代の若い人たちが共感してくれていますー。
 最近のカラオケのユーザー層を分析した結果であるという。もちろん中核を担うのは60歳代の世代であるが、「アイドルでもないのですから、若者に支持されるはっきりとした理由は分からない」(山口)が、「ちょっと上級者向けの歌だからかな」と推測したりもする。

 この新曲の主人公は ♪ くれてやります 男をひとり 〜 と冒頭で歌われている通りに、強がりの女性である。これが今の若い世代に受けるのか、はたまた演歌が珍しくて若者に逆に評価されているのか、その辺りは分からないが、本人にとって嬉しい反応ではあることに違いない。

 確かに今までの彼女の歌以上に、歌全体に力強さを感じさせる。
 新曲の作曲を岡千秋が担当すると決まった時、山口は岡に電話で「売れなければ(歌手を)辞める覚悟なのでいい曲を書いて欲しい」と要望したという。主人公を地で行く〈強い女〉である。
 楽曲の冒頭には篠笛や琵琶の音が入っている。これも「和楽器を入れてみたら」といった彼女の意見が採用されたものである。

■三井寺の鐘の音に涙も

 ところで三井の晩鐘で知られた鐘は滋賀県大津市の三井寺にある。石山秋月や瀬田夕照など琵琶湖周辺の風景や名所を選んだ近江八景のひとつである。また宇治平等院の鐘、高雄神護寺の鐘と共に天下の3銘鐘とも呼ばれている。
 その梵鐘をテーマに麻こよみと岡が情感・哀愁ある楽曲に仕上げた。

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写真・大阪発流行歌ライブで歌う山口ひろみ

 レコーディングでは作曲の岡からは「最初の歌詞は語りだから、歌わないで語るように。しかも歌は腹の底から声を出して全身で表現するように、とかなり怒られました」と山口は振り返る。
 アレンジが出来上がった時、初めてそれを聴いた彼女は「感動して思わず泣いてしまいました」という。発売前の今夏、鐘がある三井寺を実際に訪ねている。そこに立ち、自ら鐘をつき、その音をを耳にすると、より主人公の気持ちち近づくことが出来たようである、

 晩鐘で知られる三井寺は紅葉の名所でもある。色づく季節に向けて新曲「三井の晩鐘」は益々、若者の間でも話題になるかもしれない。「カラオケ教室では課題曲に選定される動きも見られる」(山口)など、今年後半に向けての期待曲として盛り上がりそうである。

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写真・地元関西の歌で盛り上げを図る山口ひろみ
 
 カップリング曲は、「しょくいくぼうさいのうた」(作詞・山口ひろみ・中村詩織、作曲・HANZO、編曲・金沢重徳)。
 食育防災アドバイザーの資格を持つ山口が、食育・防災の大切さを呼びかける楽曲である。山口は食育普及活動家で料理研究家でもある中村詩織と共に作詞を担当している。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[山口ひろみ テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/yamaguchi/








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伊達悠太(テイチクエンタテインメント) 「土砂降りの雨だから」 情景が浮かんでくるような歌を [インタビュー]

◆憧れの歌手はちあきなおみさん、神野美伽さん、島津亜矢さんー。「情景が浮かんでくるような歌が歌えるようになりたい」そう話すのはテイチク移籍5作目の新曲「土砂降りの雨だから」(作詞・朝比奈京仔、作曲・杉本眞人、編曲・猪股義周)が、初のオリコンチャート1位を獲得するなど好調な伊達悠太である。アマチュア時代からいつかは歌ってみたかった、という作曲家杉本眞人の作品に前作「涙のララバイ」に続いて挑戦している。

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写真・さわやか笑顔の伊達悠太


 笑顔が爽やかな35歳である。生まれは北海道伊達市。2004年NHK「のど自慢」出演したのをきっかけにスカウトされて07年に16歳で上京するが、一向にこれといった仕事にもありつけず鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

 そんな時、足げく通って歌っていたカラオケスナックで千昌夫のマネージャーに出会ったのをきっかけに千の前歌を、といった話をもらう。「ふたつ返事でOKした」のは言うまでもなかった。
 「前歌を歌うことは勉強にもなって、楽しかったんですが、なかなかデビューも出来ないし、もう諦めて北海道へ帰ろうかな、と考え始めていたんです」
 すると千昌夫がプロデュースした「望郷赤とんぼ」という作品で、芸名も伊達ゆうたとして、徳間ジャパンからメジャーデビューといった話をもらった。

 ようやく夢の実現である。しかしここからもまた、千に付いて長い試練の期間であった。「今でも歌う前は緊張の連続なんですが、その頃はステージに立つ前は震えが止まりませんでした。でも、今はイントロが流れてくるとスイッチが入って緊張は解れますが」

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写真・憧れの杉本作品でチャート1位の伊達悠太

 伊達は中学の時に聴いた杉本眞人の作品「北の鴎唄」(作詞は里村龍一)に衝撃を受けて以来、杉本の大ファンになったという。この後、やはり杉本が作曲したちあきなおみの「かもめの街」を聴き、さらに好きの度合いが高まっていった。

 デビューしてしばらくすると移籍の話が持ち上がった。
 「テイチクに移籍する時、ディレクターに『杉本眞人さんの歌が歌いたい』と言ったんですが、まだ早い、と即座に断られてしまいました」
 ところが前作を制作するのに際して、再び希望を述べたところ、今度は「よし、それで行こう」とOKが出た。
 「この時は嬉しかったですね。思わず心の中でよぅしゃ、と叫んでいました」

 その前作「涙のララバイ」はレコーディングに3時間もかかったという。
 「杉本先生からは腹から声を出せ。叫べー。色々と注意をされて最後は声がカラカラでした。かしこまって歌っていたんですね」

 今作の「土砂降りの雨だから」はスムーズに録音できた。
 杉本からは「上手く歌おうとするな。言葉を置いて歌え、とアドバイスされた」という。
 でも、この時の伊達にはその言葉の意味がよく分からず、頭を抱えてしまった。
 そんな時だった。「以前にメロディーの見えないところに休符を置け、いったアドバイスを受けた事を思い出したんです。それを試してみたところ目の前が一気に明るくなり、リクエスト通りのレコーディングが出来ました」と胸を撫で下ろす一幕もあった。

 2作続けての杉本眞人作品を歌うことに幸せを感じる伊達。ある日、杉本がパーソナリティを務めるラジオ番組に出演した時のこと。
 「土砂降りーの楽曲は伊達なら歌えるだろうと思って書いた。ちあきなおみのような情景が浮かぶ歌手になってほしい」
 杉本はこう彼に求めた。この時から伊達にとって新たな目標が出来た。

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写真・情景を表現できる歌手にと伊達悠太

 元々新曲をもらうと何度も歌詞を読んで主人公の心理を理解しようと努めていたが、今度はそれに加えて歌のドラマを構築して、その中で登場人物が生き生きと動あて、聴く人が映像でも見ているかのような情景描写を加える努力を始めた。

 「ステージごとに情景描写を変えるのも楽しいです」

 テレビドラマを見るのも参考になるという。実際の恋愛は事務所も禁止していないようであるから、これからはリアルな勉強もあるのかもしれない。
 今、新たなステップに向けて動き始めている。



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[伊達悠太 オフィシャルサイト]
https://www.noreason.jp/tag/dateyuta/
[伊達悠太 テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/date/








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舞乃空(まのあ)、デビュー第2弾シングルは「約束」 11月にはふるさとでファーストコンサートも [インタビュー]

◆ どこかへ出かけてみたくなるような、爽やかな歌声が印象的である。歌手舞乃空(日本クラウン)が2023年8月2日に出した、デビュー第2弾のシングル「約束」(作詞・金子麻友美、作曲・金子麻友美、編曲・SHIKI)は、透き通るような美しい、男性目線のバラードである。11月には地元でファーストコンサート開催も決まっている。

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写真・舞乃空


 歌う高校生として今年2月にデビューした舞乃空。ジャケット写真はセーラー服姿であった。それから半年が経った。
「初めて経験することが多くて、ただただ緊張ばかりで、1日が終わるとどっと疲れる毎日です」

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写真・「約束」のジャケット

 月に1度、ラジオ番組「いいね! イマうた 舞乃空です」(ラジオ大阪、毎週火曜日午後9時から)の収録のためにふるさとの大阪へ帰るが、その際に実家で飼っている愛犬にあうのが心癒される瞬間だという。

 歌手と並行して将来は犬や猫など動物の保護施設を作りたい、というのが夢だというほどの動物好き。「歌う女ムツゴロウ」が目標のようである。
 グッズのTシャツには動物のイラストが入るほど。
 ただ東京の生活ではその動物を飼えないのが残念だとか。

 デビュー第2弾の「約束」はデビュー曲同様に、男性目線で歌った作品である。果たされなかった約束は過ぎ去った夏の思い出でにすぎないのかーと、忘れられない女性に想いを馳せる、そんな歌である。
 「歌の内容についてはあまり説明したくないんです。聴く人が感じたままの歌であってほしいから」

 歌の好反響に伴い、千葉県市原市で撮影したという美しい映像のミュージックビデオ(MV)も評判。目的もなくどこか遠くへ出かけてみたい、といった旅情を誘うような映像でもある。

 そんな歌なのかもしれない。自然がいっぱいの場所を選んで、ドローンを駆使しながら撮影したという。
 30分に1本しかやって来ない列車を待って、カメラを向けるという苦労話も。

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 23年11月11日には初のコンサートを、ふるさとの大阪府藤井寺市にあるパープルホールで開く。タイトルも「MANOA ZOO」。舞乃空の動物園である。動物好きな彼女らしいネーミングである。

 詳細はこれからというが、会場全体を動物園に見立てるとか、色々とアイディアを練っているところである。

 休日はキッチンに立つことが多い。
 「実家にいる頃から料理が大好きで、特にだし巻きは母親に代わって私が担当でした」というほどの腕前だとか。
 「白だしにマヨネーズを加えて、強火でさっと焼くんです。そうすることで焼き目も入らず、綺麗なだし巻きが出来上がります」

 ご飯が大好きで、ご飯のおかずはご飯、というほどの白米党。
 太るのも気にはなるが、仕事で行く先々でおいしいものを食べるのが楽しみ。先日行った福岡では「ラーメンにもつ鍋、小倉牛などがおいしかった」といい、来週行く予定の名古屋ではひつまぶし、手羽先などと思案中である。



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[舞乃空 オフィシャルサイト]
https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/manoa/
[舞乃空 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/manoa/news?ima=5719&ct=ryuko








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永井みゆき、秋の花をモチーフにした「津屋川みれん / 金木犀」 秋には岐阜・津屋川でイベントも [インタビュー]

◆ 真っ赤な色鮮やかな彼岸花と橙黄色の花を咲かせて甘い香りを放つ金木犀。どちらも秋に美しい花を咲かせる。それをモチーフに歌った歌手永井みゆき(テイチクエンタテインメント)の新曲「津屋川みれん / 金木犀」(2023年6月リリース)が好評である。彼女お得意のご当地ソング。8月23日にはデビュー以来、最多出演を記録する大阪発流行歌ライブで歌ったし、10月29日には歌の舞台になっている津屋川がある岐阜県海津市の産業感謝祭でも歌を披露することになっている。

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写真・永井みゆき、新曲「津屋川みれん」が好調


 毎年秋には岐阜県海津市を流れる津屋川の堤防3キロに渡って、約10万本の彼岸花が咲くという。市の名所でもある。
 それを背景に赤々と燃えるような切ない恋心を歌ったのが「津屋川みれん」(作詞・麻こよみ、作曲・宮下健二、編曲・南郷達也)である。

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写真・ジャケット

 永井か宮下健二の作品を歌うのは初めてである。印象的なのが 1番の♫ 未練の色か 赤々と 〜 2番の ♫ 心の痛み ちりちりと 〜 3番の ♫ 口紅よりも 赤々と 〜 と、言葉が繰り返される麻の歌詞である。

 ここを宮下は頭の言葉、たとえば1番ならば未練の「み」赤々の「あ」にアクセントをつけて歌うように、とアドバイスしたという。
 それによって「聴く人の印象に残る表現になるし、聴き心地が良くなる」というのである。
 これが多くの人に「今までの歌とイメージが違うね」と、指摘させるところなのでもある。

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 永井によると、宮下は初めて彼女の作品を書くのに際して、過去の歌を全て聴いたという。その上で「私に最も合う歌を考えてもらった」のが、今作「津屋川みれん」なのである。
 「先生の『津屋川みれん』を生歌で聴いて、渋くてハスキーで、なんて素敵な声なんだろう、といっぺんにファンになってしまいました」と永井。

■花の里を歌う

 今回、新曲を出すに際して、永井はご当地もので綺麗な花が咲いている土地をーと、作詞家の麻に希望を話している。

 そこで選ばれたのがメイン曲になった岐阜県海津市の彼岸花。カップリング曲の「金木犀」では、静岡県三島市にある三嶋大社の天然記念物に指定されている金木犀が選ばれた。花が散った後に2回目の花を開かせる2度咲きが特徴。樹齢1200年以上とされる巨木が花をつけるのである。

 「津屋川みれん」の舞台、津屋川の堤では9月23日に津屋川ひがん花まつりが開かれる。9月中旬から下旬にかけて、津屋川の堤防沿いを彩る彼岸花を今年は永井の歌がいっそう際立たせることになる。

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 また、10月28、29日の両日には「海津市産業感謝祭」が開催される。真紅の彼岸花が町を元気に盛り上げてくれる。

 実は永井は海津市とは浅からぬ縁がある。15年前に、♫ 美濃の平野に風さそう 〜 で始まる「海津市音頭」を歌っているのである。この歌でも津屋川とか彼岸花が歌われている。

 これはCD化されていないが、今再び海津市とを繋げてくれたことに、永井は「不思議な縁を感じている」という。16歳でシングル「大阪すずめ」( 1992年2月)でデビューした永井は今までに、全国14ヵ所のご当地ソングを歌ってきている。

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 秋の旅行シーズンに合わせたかのような「津屋川みれん」「金木犀」の2曲。永井は「新しい代表曲になるように、精一杯歌っていきます」と話している。


動画・

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[永井みゆき テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/nagai/








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真木ことみ、「心紬ぎ」 聴く人を優しくしてくれる ノスタルジック演歌 [インタビュー]

◆デビュー31年目を迎えている歌手真木ことみ(日本クラウン)が歌う新曲「心紬ぎ」(作詞・浦千鶴子、作曲・弦哲也、編曲・伊戸のりお)。聴く人を優しい気持ちにしてくれる〈ノスタルジック演歌〉とも言われている。今まで男女の恋模様を数多く歌ってきたが、今作は少し趣きが違う。聴く人の多くは母親やふるさとを想い描くようである。涙する人もいるという。彼女も「ワンフレーズ毎に映像が浮かんでくる」と話す。

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写真・31年目で新たな境地に挑む真木ことみ


 「今までの真木さんの作品の中で一番好きです」
 「詞を読んだだけでも涙が滲んできて、心に響きました」
 新曲「心紬ぎ」を聴いて、こんな感想を寄せる人たちが多い。

 「親から子へ、人から人へ脈々と心を紬いでいく様子を歌っています」
 「心紬ぎ」の内容を真木はこのように説明している。

 真木自身、これを歌っていると「台所に立っている、ちょっと小さくなった母の姿が浮かんでくるんです」というほどで、「私の歌の幅を広げてくれた詞です」と話す。
 歌い手の真木はもちろん、多くの聴く人にとって、この歌はどこを取っても映像が浮かんでくるようである。
 3番のラスト、 ♫ 紬いで灯る 星の糸 〜 は「星が流れる夜空」(真木)を連想させる。

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 そんな歌を盛り上げるアクセントになっているのは、1番で言えば5行目の ♫ いつか いつかと 〜 と言葉が繰り返されるところ。ここで真木はファルセットを使っている。それは「感情をより伝えられるように表現している」からだという。

 今回、これを作詞したのは浦千鶴子。作詞を手がけて、まだ5、6年という新人である。高校生の頃にある作曲家のもとで、毎週3作を書いて添削を受けていたが、その後長く詞作の世界からは離れていた。

 カップリング曲の「幾・春・秋」も浦の作詞であるが、そこに出てくる「酔い話」は演歌・歌謡曲では目新しい言葉、と作曲を担当した弦哲也からも高い評価を得たという。

 このカップリング曲も「オススメです」と推す真木、「この歌は今まで生きてきた時の流れ、どのような人生でも道標になる」という。

 ところで取り分け演歌・歌謡曲は、優れた詞とメロディー、そして高い歌唱力を誇る歌手の歌唱といった三つが一体となって、聴くものの心を揺さぶるものであるが、少なくとも「心紬ぎ」はまさにそれがピタリと当てはまる。

 新曲への反応も良く、「手応えを感じている」1作のようであり、真木は「お母さんやふるさとを思い描いて聴いて歌って応援してください」と呼びかける。
 



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[真木ことみ オフィシャルサイト]
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[真木ことみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/maki/news?ima=0234








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田中あいみ、3rdシングル「愛の懺悔じゃないけれど」 これこそ歌いたかった作品 [インタビュー]

◆ 2022年の第64回輝く!日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞した田中あいみ(日本クラウン)が23年5月31日に3枚目のシングル「愛の懺悔じゃないけれど」(作詞・朝倉翔、作曲・杉本眞人、編曲・佐藤和豊)を出した。大人の女性を歌ったロック調のバラードで、「こういう歌を歌いたかった」と言うだけに、杉本メロディーは彼女にピッタリとはまっている。ファンからは早くもカラオケで歌っているよーといった声も聞かれるなど好スタートを切っている。来月からは細川たかし一門によるコンサートで、京阪神をはじめ各地を巡回する。

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写真・ロッカバラードがピッタリはまる田中あいみ


 「孤独の歌姫(シンガー)」で21年11月にデビューした田中あいみには、もう一つのデビュー曲候補があった。それが杉本眞人が書いた作品であった。「すごく格好良くて、杉本カラーが出た作品」(田中)だったが、採用されることはなかった。

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写真・3rdシングル「愛の懺悔じゃないけれど」

 3作目にして初めて杉本作品を歌うことになった訳であるが、杉本は田中に「今回の作品はメロディーが舞い降りてきた」と説明している。それほどの自信作に田中も「それに私の歌をのせられることは、とても幸せなこと」と、喜びを表している。

 「デビュー曲から2作は既存の先輩歌手を思い浮かべさせるような歌唱であったけれと、今作では私の魅力を存分に伝えられる作品になっています」
 と、これぞ勝負曲と言わんばかりの力の入れようである。

 発売後、各地でキャンペーンを行なっているが、デビュー時のイメージのちょっと突っ張った女の子から、少し大人になった女性を感じさせる姿に、観客は驚き顔のようでもある。
 キャンペーンの会場で耳を傾けているのは60代以上の女性が半数という。「カラオケで歌っているよ」とか「歌いやすくて良い」などと好意的な声が聞かれるという。

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写真・キャンペーンでも評判は上々

 オリコンチャートでは初登場3位。YouTubeで配信するミュージックビデオの再生回数も早くも14万回を超えているという。
 「1度聴いて終わりじゃなくて、2度3度と繰り返し聴きたくなる歌のようです。聴けば聴くほどに歌の魅力が伝わってくるような、そんな作品かなと思っています」

■音楽番組からバラエティー・トーク番組と幅広げる

 来月26日で23歳になる。4月には住まいを京都から東京に移して1人住まいをする。「関西大好き人間」と言うだけに、食べ物や素っ気ない人の仕草、人の多さなどーまだまだ東京には馴染めないところも多い。
 それでも仕事では歌番組だけではなく、バラエティ番組への出演もあるなど歌手田中あいみを知ってもらうための活動の幅も広がっている。
 「深夜に放送される浜田雅功さんのトーク番組では、緊張しながらも楽しめました」

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写真・初めての1人暮らしを始めた

 師匠の細川たかしからは日頃からから薫陶を受けている。デビュー直前の21年7月には名古屋・御園座での細川たかし公演で、「公演期間中の1週間、毎日ステージに立たせてもらいました」という。
 そこではデビュー曲となった「孤独の歌姫」のカップリング曲「涙のリバー」と日替わりのカバー曲の2曲を毎日歌って「歌手ってこういうものといことをみっちりと勉強させてもらいました」と田中。

 と同時にマネージャーからは挨拶の仕方など基本マナーを厳しく仕込まれたといい、こうした中で学生時代のトゲトゲした性格も和らぎ、今では随分と「まるくなりました」と笑うほどである。

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写真・今秋。第5回京都歌謡祭にも出演する

 9月3日には京都市右京ふれあい文化会館で開かれる第5回京都歌謡祭に、彩青・木下結子・寺本圭佑・まつざき幸介らと共に出演する。
 ステージでは新しい田中あいみが見られるはずである。


動画・田中あいみ

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[田中あいみ オフィシャルサイト]
https://aimi-official.jp/
[田中あいみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tanaka-aimi/news








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石原詢子、10年間の封印を解いたしあわせ演歌「五島椿」 五島の島々の風を感じるデビュー35周年記念曲 大ヒットへと意欲 [インタビュー]

◆歌手石原詢子(ソニーミュージック)が初めて作詞・作曲して2023年5月24日に発売した歌手デビュー35周年記念シングル「五島椿」(作詞 / 作曲・いとう冨士子、編曲・若草恵)が話題である。石原自らが、いとう冨士子のペンネームで、思い入れのある長崎県五島を舞台に詞と曲を書いた。10年の封印を解いたしあわせ演歌というのも人々の興味をそそる。

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写真・明るいしあわせ演歌「五島椿」が話題の石原詢子


 去年暮にレコード会社のプロデューサーから「歌を書いてみませんか」と、話をもらったのがきっかけだった。
 詞や曲を書くのが好きで日頃から書き溜めていた石原であったが、約1ヶ月半をかけて新たな作品4作をレコード会社へ提出した。もし採用されるなら、明るくゆったりと流れるメロディーの「五島椿」だろうと思っていたというが、その予想は見事に的中。メイン曲になった。
 カップリング曲に採用された「流れる雲に」(同)も、同時に作った作品で、一途な恋心を歌っている。ファンも待ってましたとばかりに、発売直後のオリコンチャートでは5位と好スタートを切った。

■希望の花、五島椿

 35周年記念曲の舞台に五島を選んだ理由はー。最も気になった点であった。まず、そこから聞いてみた。
 石原と五島の関わりは、なんと20年前に遡るという。
 かつて仕事で訪ねた五島の島々には「コバルトブルーの海、緑に包まれた島の景色、異国情緒いっぱいの教会、そしてゆっくりと流れる島時間があった」と、石原はその魅力にいっぺんに惹かれてしまった。

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 時は流れて去年、デビュー35周年記念曲の話をもらった石原は、ひと時も記憶から消えたことがなかったあの美しい島を舞台にして書いてみたい、と迷わずに心に決めた。
 ところが頭の中にある島のイメージはすべて20年前のものである。それだけで書くのは「嘘っぽくなる」と、すぐに飛行機のチケットを手配して五島へ飛んだ。今の五島を見て感じるためであった。

 島ではたくさんの人に会って、島に関するあらゆる話を聞いた。するとなぜか島の印象は、今までの美しいだけのものとは全く違っていたのである。
 五島は島のあちこちに咲く椿が有名である。美しいその花は島の象徴でもあるが、現実にはただ美しいだけではなかった。

 「椿で様々なものが生産されており、想像以上に生活に密着していました。たとえば椿油や化粧品などは勿論のこと、人々の夢も紡いでいたんです。さらに椿は〈強葉木〉とも書きますが、これは文字通り風にも強く防風林として島民の生活を守ってくれていることからも、その意味は分かります」
 
 厳しい自然の中に生きる人々、それを支えるのが五島椿なのである。それは島民の夢を叶えてくれる力を持っていた。
 これを詞に盛り込まなければ、真に五島の歌にはならない。取材で彼女はそう感じている。
 さらに島のもうひとつの象徴でもあるのが、福江島の最西端にある大瀬埼灯台である。この白い灯台を抜きにしても、今回の歌は書けない、と考えた。
 1番の歌詞の冒頭には椿ではなく、この「白い灯台」を入れた。それに続けて「島の風」として、五島を表したのである。

■10年ぶりのしあわせ演歌

 「五島椿」は聴く人たちや歌う人々に幸せを運んでくれるーそんな歌である。
 石原詢子と言えば、酒にすがる悲しい女心を歌った「みれん酒」(1999)以降、悲しさを背負う女性ばかりを歌ってきた。まるで自身の代名詞かのように、しあわせ演歌を封印してきた。
 ところが今作は「今までのコロナ騒動で、ストレスも溜まりがちであった人たちが、優しい気持ちになれるように作った」(石原)といい、35周年を祝うのにも相応しい、明るく幸せ感いっぱいの演歌に仕上げた。

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■10年ぶりに封印を解いたしあわせ演歌が好調

 「ここらで幸せな気分になれる演歌を歌ってみたかったんです。ですから柔らかくて、ふわぁ〜とした感じの作品にしました。自分の声質にも合っているんでしょうか」
 これを聴いた人たちの反応も良い。五島の人たちの間でも「いっぱい宣伝しますよ、と新曲の発売を喜んでもらっています」と、歓迎ムードで盛り上がっている。

 これを受けて新曲を発売して間もない5月のある日、長崎県五島市の「五島市ふるさと大使」と、上五島町の「新上五島町観光物産大使」への就任が決まった。6月13日には五島市役所で五島市ふるさと大使の委嘱式も行われ、石原はそれに出席した。
 委嘱式に出るための五島への今回の旅は2泊3日であった。ところが「1週間もいたように思えるような楽しくて充実した内容でした」と、3度目の島への旅を満喫した。

 「8月にもまた2泊3日の五島の旅を予定していますが、来年、椿の花が咲く頃には島でコンサートを開きたいです」
 石原の「五島椿」にかける夢はどんどんとふくらんでいるようである。

■果てしないチャレンジ

 35周年を迎えた今年、石原が目指すところはなんなのであろうか。40周年に向けてのステップの年である事には違いないが、取り分け「新しい楽曲をはじめ、今までにやった事のないものへとチャレンジしていきたい」と意欲をみせる。

 今作「五島椿」のシングルにはカップリング曲に2曲を収録しているが、そのうちの1曲「予感」(作詞・岡田冨美子、作曲 / 編曲・川口真)は去年、自身初の配信シングルとしてリリースしたもので、このところ増えている若い年代のファン層に支持を増やしている。
 これも新しい取り組みのひとつである。

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写真・大ヒットの1曲にと期待を膨らませる

 このところ低迷が続く演歌界ではあるが、こうしたチャレンジの中から大ヒットへとつながる可能性は少なくはない。石原は「それが演歌の活性化になるでしょうし、その大ヒットが私であったらいいなぁ、と思っています」と、35周年にかける夢を語った。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[石原詢子 オフィシャルサイト]
https://junko-ishihara.com/
[石原詢子 ソニーミュージック]
https://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/








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北山たけし、デビュー20周年記念曲「さすらいの街」 新たな自分のカラーへ [インタビュー]

◆ネット配信やグッズ制作など、いろんな新しい事にも挑戦していきたいですー。先頃、北島音楽事務所から独立した歌手デビュー20周年を迎えている北山たけし(テイチクエンタテインメント)は、新たな取組みへの意欲を語った。2月に出した記念シングル「さすらいの街」は、今までの男臭い演歌から、哀愁漂うムード演歌になっている。「しっかりと自分のカラーとして定着させていきたい」と話している。

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写真・新たな哀愁演歌に挑戦する北山たけし


 20周年記念曲「さすらいの街」(作詞・伊藤美和、作曲・弦哲也、編曲・猪股義周)は、男の切ない気持ちを表現した哀愁演歌である。当初は20周年に相応しいスケール感の大きな楽曲を、といった提案もあったというが、「自分の新しいカラーにしたい」という思いから、作曲家の弦哲也に「北の旅人のような作品を」と依頼した。

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 元々、北島三郎が歌う演歌が大好きでこの世界に入った北山であるが、5〜6年前から「低音に魅力を感じる。ムード演歌・歌謡曲を歌うといいよ」といったアドバイスをもらうようになり、少しずつそれに応えていた。

 そしてデビュー24枚目のシングルとなった今作で思い切って、それを形にしたのが「さすらいの街」であった。
 カップリング曲は「春は来るだろう」(同)。再スタートに相応しい明るく希望を感じさせる楽曲である。

 20年の間には「悩んだ事もあったけれど、概ね楽しかった。しかも節目節目の年は、より充実していました」と北山。
 20周年は今まで以上に大きな節目である。それだけに「チャレンジの年にしたいし、20年目だからこそ出来る企画を考えたい」と、意欲満々である。

 たとえば各地での北島兄弟やファミリーのコンサートもそうだが、YouTubeなどSNSを使ったネット配信も手掛けていきたいとする。得意のデザインを活かしたグッズ制作も考えている。すでにファンクラブ向けハッピも自らデザインをして制作を進めているという。

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 今春、北山と共に原田悠里、山口ひろみ、大江裕も一緒に独立している。今まで北島三郎という大きな船に乗り、外からの風にも大きな壁が防いでくれていた。
 それがなくなった今は「不安がないと言えば嘘です。師匠に背中を押されて、小さな船で漕ぎ出した訳ですが、〈頑張っているな〉と言ってもらえるようになりたい」と、目を輝かせていた。

 また北山は「独立してこれからが本当の勝負です。低音の響きを生かした哀愁演歌をしっかりと歌って、新しい自分のカラーを作っていきたいです」と話していた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[北山たけし オフィシャルサイト]
https://kitayama-music.co.jp/
[北山たけし テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kitayama/








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