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吉幾三(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 新歌舞伎座で芸能生活50周年記念特別公演 6月4日から 記念アルバム全5巻は来春完結 [インタビュー]

◆歌手の吉幾三が山岡英二の名前でデビューして2022年3月で50周年を迎えている。中学校卒業後に上京して師事した作曲家の故米山正夫から教えられた「物事は大らかにを考えよ」を守り続けてきた。芝居と歌謡ショーからなる50周年記念の特別公演を2022年6月4日から12日まで大阪・新歌舞伎座で開くほか、記念アルバム全5巻(第1巻は既発売)を発売して、これまで歌ってきた作品400余曲のうち、本人が厳選したオリジナル50曲を新収録する。歌謡ショーには弟子の真田ナオキ(テイチクエンタテインメント)のサプライズ出演もありそうだ。

吉幾三・記者会見.jpg
6月の新歌舞伎座特別公演に向けて意欲を語る吉幾三


 吉幾三の新歌舞伎座特別公演は3年ぶりである。芝居と歌謡ショーの2部構成で、1部は原案・音楽、主演吉幾三による下町の人情を描いた心にしみるコメディー「親はがっかり!子はしっかり!」
 吉の役は妻を亡くした物流会社の社長。その長女で会社経営を手伝う出戻り娘に芳本美代子、会社の古株社員に島崎和歌子、吉の親友で不動産会社社長に佐藤B作なども出演する。

 22年3月に名古屋・御園座で行った同じ内容である。
 今回、配役では名古屋公演で曽我廼家寛太郎が務めた不動産会社社長を佐藤B作が代わって演じる。吉は「手を替え、品を替えて面白くする」と太鼓判を押す。公演中3日に1回は新たなアドリブが飛び出すのも、芝居を面白くしてくれる。その数は「台本にして5、6ページになる」というから、出演者も大変である。

新歌舞伎座・吉幾三芸能生活50周年特別公演.jpg


■50周年記念アルバムは来春完結

 50周年を迎えている吉幾三の歌手デビューは、ヤンマーディーゼル(現・ヤンマーホールディングス)のコマーシャルソング「恋人は君ひとり」を山岡英二の芸名で発売した1973年3月1日であった。
 それから50年、この間に発売してきた楽曲は400曲余にもなる。この中には「ヒット曲もあれば、なぜ売れないのだろう、というものもありました」というが、「どれも思い出のある作品ばかり」である。

 「パリに行く前に書いたパリの歌を、実際に現地へ行ってみると感じるところが違って、書き換えたものもあります。また、今ではこんな優しい女性はいないと思うような女歌もありました」

吉幾三・50周年記念アルバムⅠ~ピアノと吉と~.jpg

 22年3月に発売した50周年記念アルバム第1巻「ピアノと吉」には、千昌夫に提供してヒットした「津軽平野」(1984年3月)をはじめ、「雪國」(1986年2月)など10曲を収録している。
 5巻全てが完結するのは来年1月か2月で、第3巻は北海道から沖縄まで線路のある風景や季節を歌う楽曲を揃え、4巻では曲のイントロに語りを入れ、5巻は演歌からレゲエまでなど、「歌い継いでもらいたい作品」を選ぶ。

 このアルバムでは全収録曲をキーを変えずに、新たに歌い直している。その際に頭をよぎったのが師匠・米山正夫の「大らかに物事を考えなければいけない。人に歌を教えたり、生き方であったり、人生とは何か」といった音楽以外の教えであったという。

■人生、頼り頼られをテーマに2部の歌謡ショー

 アルバムと同時に吉の作詞・作曲による記念シングルの第1弾「頼り頼られ・・・」も同時発売している。これで彼は、1人では生きていけなかった自身の人生を振り返るように歌う。
 今年2月にはペースメーカーを入れ換えており、「その時にまさに頼り頼られて生きていることを実感した」といい、そんな中から生まれた。

吉幾三・頼り頼られ・・・.jpg

 この作品は6月4日から始まる新歌舞伎座特別公演2部のタイトル「頼り・・・頼られ・・・ありがとう」にも採用されており、「雪國」「酒よ」「酔歌」などヒット曲の数々を歌う歌謡ショーのテーマでもある。
 歌謡ショーではまた、友人のコメディアン志村けんさん(享年70)のために書いた「二人のブルース」を歌うほか、ラストソングには争いをやめようと訴える「天空へ届け」(新曲のカップリング曲)を予定する。

 名古屋公演でもサプライズで出演した真田ナオキは、新歌舞伎座公演の期間中にも出演があるという。
 かつて1日に80本ほど吸っていた煙草も7年前にやめて、今は1日に4000歩は歩くというウオーキングにも精を出すなど、69歳を迎えた今、「まだ大阪で公演をしていない芝居があるので、あと1、2年は新歌舞伎座でやりたいな」と意欲を見せる。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[新歌舞伎座 吉幾三特別公演]
https://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/20220604.html
[吉幾三 オフィシャルサイト]
https://441930.jp/
[吉幾三 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/yoshi.html








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葵かを里(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 初の信州を舞台にした新曲「諏訪の御神渡り」 全国カラオケ大会も [インタビュー]

◆舞いながら歌う演歌歌手の葵かを里が2022年3月に新曲「諏訪の御神渡り(おみわたり)」を発売している。約3年ぶりに大阪と神戸の流行歌ライブに出演して、新曲のメイン曲とカップリング曲を披露した。

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葵かを里


 来月でデビュー18年目を迎える。今までに京都・奈良の古都と北陸・金沢などを歌ってきたが、今回初めて舞台を信州・諏訪に移している。

 御神渡りは氷が張った真冬の諏訪湖で、氷の<山脈>が出来る神秘的な自然現象をいう。その氷の道は、諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへと渡る恋の道であるというロマンチックな言い伝えがある。
 それを今作では、♬ 今すぐ逢いに来て 〜 と男女の恋にたとえて歌っている。

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「諏訪の御神渡り」

 楽曲では御神渡りが出来る際の音をイメージして、それをイントロで和太鼓の音で印象的に表現している。この作品では、得意の舞も演じてみせている。

 カップリング曲の「人情酒場」は、葵が茶野香のペンネームで作曲した作品でもある。

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舞いながら歌う葵

 新曲CDに封入された応募券で参加できる、「諏訪の御神渡り」「人情酒場」「女の花を咲かせます」を課題曲にした全国カラオケ大会を開催し、9月25日には長野県諏訪市の下諏訪総合文化センターで決勝大会を開く。

※写真・記事の無断使用はお断りします。





[葵かを里 オフィシャルサイト]
http://wwwb.jnc.ne.jp/aoikawori/
[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_kawori.html
















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和田青児(日本クラウン)、新曲「里ごころ」 土の匂いがする望郷演歌のシンガーソングライター [インタビュー]

◆「お前は土の匂いがする歌が似合うよ」と、師匠である北島三郎から、下積み時代にそう言われたと和田青児は話している。事実、デビュー曲「上野発」は、そんな匂いのする望郷歌であった。そして2022年2月22に出した新曲「里ごころ」(作詞 / 作曲・星つかさ)は、東北・福島県で生まれ育った彼の望郷の想いを歌い綴った1曲である。新型コロナの騒動の影響で、思うように故郷に帰ることができなかったり、親の顔も満足に見ることが出来ない人も少なくはない。こんな今の時勢を掛け合わせた作品である。

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故郷への想いを歌い続ける和田青児


 和田青児が星つかさのペンネームで作詞・作曲をしている。その最新曲が「里ごころ」である。分かりやすい言葉で綴られた歌詞には、故郷への優しい想いが詰まっている。すでに実家もなくなった故郷であるが、和田はここ2年間、福島へは帰っていない。しかし「どのような形でも故郷はいいものです」と、この作品にそうした想いを込めた。
 前作の「望郷の道」もタイトル通りに望郷もの。まさに望郷演歌は和田そのものを表すジャンルになってきているのである。

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 北島三郎の元で11年間 の付き人生活を過ごした後、北島三郎プロデュースの「上野発」で、日本クラウンからデビューを果たした和田は、2012年に師匠の北島音楽事務所から暖簾分けを受けて独立している。この間、詞を書きメロディーを考える師匠の姿を見ており、子供の頃から芝居の脚本を書いたり、文章を書くことが好きだったことも手伝って「いつかは自分も師匠のように歌を書いてみたい」と、思うようになる。

 そんな和田が、星つかさのペンネームでデビューしたのは2016年の「燃えて咲け」であった。この作品で作詞・作曲を行なっている。以来、今作の「里ごころ」まで、8作続けて自ら作って歌っている。演歌のシンガーソングライターなのである。

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 作品の数々はやはり北島三郎の影響を大きく受けているのであろうか。
 「元々はやはりそうだったと思いますが、そればかりでは今の自分はなかったと思います」
 そう答える和田は、沢山の人の歌詞を読み、メロディーに耳を傾ける。最近は韓国の男性ヒップホップグループ、BTSばかりを聴いている。「リズム感、音のピッチ、表現など、どれを取っても素晴らしいですね」

 こうした新しい音楽を聴くのも3人の子供たちの影響だという。その子供たちも和田の作品など昭和歌謡に新鮮さを感じているといい、そんな家庭内の音楽の融合が作品作りの下地になって生まれた「里ごころ」なのである。

 「やはり歌手にとっては生の歌を皆さんに届けるのが本来の醍醐味です。そこにこそ歌手としての存在価値があるはずです」
 先ごろ出演した大阪発流行歌ライブ、KOBE流行歌ライブでも歌える喜びを全身で表していた。
この2年余、歌えなかった時のストレスを、この新曲で一気に解消したいようである。





※写真・記事の無断使用はお断りします。


[和田青児 オフィシャルサイト]
https://www.seiji-wada.com/
[和田青児 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/wada/news?ima=4431








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みちのく娘、笑顔で元気を届けて4年 新曲「みちのく恋の花 / 悲しいときは」も好調 [インタビュー]

◆歌謡ユニットみちのく娘!が約半年ぶりに大阪にやって来た。山形県山形市出身の工藤あやの、同鶴岡市出身の羽山みずき、福島県矢吹町出身の津吹みゆの東北出身で、同世代の女性歌手3人による歌謡ユニットである。東日本大震災で東北を応援してくれた人たちに元気な姿を発信し、皆んなに幸せと勇気・元気を与えていきたいーと、2018年に結成して活動を続けてきた。新型コロナの影響で、ここ2年余は思うような活動もままならないが、「幼稚園や高齢者施設へも訪問して、歌と踊りで元気と勇気を届けたい」と話している。

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結成4年目のみちのく娘! 左から羽山みずき・工藤あやの・津吹みゆ


 「当初は1年の期間限定だったんです」
 リーダーの工藤あやのはこのように、1年限りのユニットであったと話すが、「いつも悔いが残らないように活動している」と、ユニットは結成して4年目に入ってシングルCDは3枚、アルバムも1枚を出すほど、演歌女子アイドルユニットとして人気を得るまでになった。

■アナログからデジタル

 長引く新型コロナの影響下で、彼女たちの活動・生活も大きく変わった。
 3人での稽古はテレビ電話によるオンラインであるし、ライブもサイン会もインターネットを介するようになった。ただ「揃って行うマスクを付けての稽古では、お互いの表情が分かりにくい」のがネックだとか。

みちのく娘! みちのく恋の花.jpg

 写真を撮るのが趣味だという津吹みゆだが、「(仕事以外では)外出するのが億劫になりました。去年からは自宅で水彩画を書いてます」というし、羽山みずきのように「粗大ゴミの処分の申し込みもすべてインターネットなんです」と、元来アナログ人間だったのが、デジタルの勉強をするようになったケースもある。
 工藤は「料理をしたり、アクセサリーなどハンドメイド作品を作ってます。自分と向き合う時間が増えたかな」とも。

 演歌でも生配信イベントが一般的になってきている。羽山は月1回、LINEライブを行う。「自宅からの配信が多いので、リラックスしているプライベートと、仕事を切り替えるのが難しい」ようである。
 工藤は「配信中に携帯電話が落ちて、一瞬、洗濯物が映ったことがありました」と笑ってみせる。
 しかし、こうしたネット配信は3人にとって「伝える楽しみが、今まで以上に分かってきた」ようである。

■幸せになってもらえる歌を届ける

 性格の違う3人のソロ歌手がユニットを組んだ「みちのく娘!」
 ユニットのリーダーとしての責任感が出てきたという工藤、「結成前は我が強くて周りの目が気になって仕方なかったのですが、今は自分を理解するようになったし、相手のことを考えるようになりました」と、ユニットによってソロ歌手としても成長出来たようである。

 羽山は歌の技術など色んな面でコンプレックスを持っていたというが、「3人一緒に稽古していると、今まで1人だと分からなかったものが見えるようになってきました」と、自信を取り戻したかのように笑顔をみせる。
 津吹は工藤や羽山とは逆に、「周りを見ることがなくマイペースな性格なんです。でもユニットという共同での活動を通して、表現の幅や発信の仕方を学びましたし、ひとつのことをやり遂げる嬉しさを体験しました」と話す。

 みちのく娘!には、アレクサンドル・デュマの「三銃士」に出てくる「1人はみんなのために、みんなは1人のために」の言葉がピッタリなようである。



 そんな彼女たちが目指すのは、悲しい時も笑顔で明日の夢をーと、去年12月に出した3枚目のシングル「みちのく恋の花」のカップリング曲「悲しいときは」のように、多くの人たちに笑顔と元気を届けて、幸せになってもらえる歌を届けること。

 今年、3人はそれぞれ、ニューシングルをリリースしている。工藤は約2年ぶりの新曲「白糸恋情話」(2022年1月26日)を、羽山は4月6日に「こころ町」を出したばかり。津吹はちょっと大人っぽくなってデビュー10作目の「壇ノ浦恋歌」を3月に発売しているなど、ソロ歌手としても充実感いっぱいである。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[みちのく娘]
https://www.michinokumusume.com/
[工藤あやの 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.arder-jiro.co.jp/ayano/
[津吹みゆ 日本クラウン]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubukiMiyu/top.html
[羽山みずき 日本クラウン]
https://ameblo.jp/hayama-mizuki/








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小川みすず、日本で1番ラッキーな演歌歌手  デビュー第2弾「空行く雲よ」を発売 [インタビュー]

◆もず唱平作詞、浜圭介作曲の「何でやねん」で2020年3月、日本クラウンからデビューした小川みすず。その直後から新型コロナウイルスの蔓延で、デビューキャンペーンなどあらゆる活動がストップして2年間、周りからは「日本で1番不幸な新人演歌歌手」とまで思われた。しかしその年の暮には、思いもよらぬ明石家さんまのテレビ番組に電話出演を果たして、電話越しに歌を全国に届けるなど、一転して「日本で1番ラッキーな演歌歌手」になった。その彼女が2年ぶりに新曲「空行く雲よ」(作詞・もず唱平、作曲・浜圭介)を出した。

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「空行く雲よ」の振付のポーズをとる小川


 デビュー曲からガラッと印象を変えて、昭和リズム歌謡の現代版といわれる「空行く雲よ」は、美空ひばりの「真赤な太陽」ピンキーとキラーズの「恋の季節」を彷彿させるような、歌って踊れる明るく元気な楽曲である。
 ポスターも昭和を感じさせるデザイン。「実際より年上に見える」といった声もあるが、話題性は十分のようだ。
 重厚な文芸作品を得意とするもずとは思えぬ、テレビの朝ドラを想像させるような詞であるが、浜のメロディーが懐かしいリズム歌謡という新しい世界に変えてしまった。

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歌って踊れる明るい「空行く雲よ」

 発売後の東京都内や北関東のCDショップの店頭キャンペーンでは、「キャッチーな楽曲で、楽しんでいるよ」といった声も聞かれるなど、滑り出しの反響は上々。
 新たに撮ったアーティスト写真では、浜圭介の妻で元歌手の奥村チヨから譲り受けた真っ赤な衣装を身につけている。
 「赤と黄色の2着を頂いて、ジャケット・ポスター写真にと思ったのですが、スリットが前面に深く入っているで、ちょっと恥ずかしくて」

 小さい頃からど演歌が好きだったという。デビュー前は都はるみ、村田英雄、島津亜矢などの歌を歌っていたが、もずと出会って「君は演歌の声ではない。ジャズやブルース、昭和歌謡がいい」と指摘された。

 演歌を得意と思ってきた小川、これには一体〈何でやねん〉とショックであった。それにイチから挑戦し、繰り返し歌った。「演歌はこぶしを回したり、しゃくったりして歌うと形になりますが、先生が言われたサラッとした歌は、その中に哀愁を込めるのが大変難しいのです」

 難儀していると「作り過ぎずに、話すように淡々と歌うことで詞が生きてくる」とアドバイスをもらったのが良かった。スムーズにレコーディングに臨めた。

[新月]?世の中で一番不幸な演歌歌手

 小川がデビューしたのは2020年3月。さぁ、これからという矢先に新型コロナウイルスの影響を受けて、歌謡界はあらゆる活動が出来なくなってしまった。彼女もご多分に漏れず、自宅に閉じこもる日々が増えた。やることと言えば歌のレッスンか筋トレ。それにYouTube配信であった。

小川みすず 1.jpg
1番不幸な新人演歌歌手が1番ラッキーに

 そんなある日、テレビCMで、フジテレビ系列で毎年クリスマスの深夜に生放送されるバラエティ番組「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」(明石家サンタ)で、不幸な話を募集していることを知った。
 それにキャンペーン用の葉書を使って、「今年「何でやねん」でデビューした新人歌手です。歌うことも出来ず、不幸の極みです。なんでやねん」と書いて応募した。

 その不幸ぶりがさんまの目に留まり、クリスマスイブにさんまから生電話がかかり、デビュー曲の一節を歌うことも出来た。生放送で全国に流れるという一大ハプニングになった。
 すると今度は、番組を見たBSフジのディレクターから「応援のきっかけになれば」と、歌番組への出演のオファーがあり、去年6月に放送された。
 この後もテレビで見たよ、といって声をかけてくれる人たちが増えるなど、1番不幸な新人歌手は、一瞬にして1番ラッキーな歌手になってしまった。

 そのラッキーで、 ? 吉報知らせる 鰯雲 ? と、デビュー第2弾の「空行く雲よ」の歌詞の通りに、今年もいい知らせがやって来ますようにと、屈託のない笑顔を見せてくれた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。




[小川みすず オフィシャルサイト]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/ogawa/news?ima=2813
[小川みすず 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/ogawa/news?ima=2813








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原田波人(日本クラウン) 今度の新人は〈純度120%の歌声〉 和歌山出身の19歳 [インタビュー]

◆数少ない和歌山出身の男性歌手として2022年1月に「永遠の一秒 ~ Stretched love ~」で日本クラウンからデビューした原田波人。まだ19歳である。誕生月は9月であり、その若々しい歌声を「19歳を使えるうちに使いたい」と10代最後の今、その若々しい歌声を存分に響かせる。その自分らしさを発揮できる歌手になるのが今の目標だという。

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期待の19歳の新人・原田波人


 男性歌手全盛の演歌・歌謡界であるが、その一角にまたまた有望な新人が加わった。主流の第7世代ならぬ、新たな第8世代の筆頭に原田波人はなるのかもしれない。
 「10代と20代では全然違うという気がするんです。だから残りの半年間に10代を使い切りたい」

 ディレクターは原田を「19歳とは思えない色気がある」と表現した。取り分けその歌声は、〈純度120%〉のキャッチフレーズのように多くの人を引きつけるようである。
 「少々、音を外しても、元気で爽やかに歌ってほしい」の注文の通り、型にはまらない「自分にしか歌えないジャンルを目指したい」と、新人原田には頼もしさも感じさせる。

 歌好きの祖父の影響を受けて、幼稚園の頃から演歌を歌っていた。中学2年の時に出たNHKのど自慢で長山洋子の「蜩」を歌って、今月のチャンピオンに選ばれた。
 この時、現在の所属レコード会社の日本クラウンからオーディションを受けないか、と誘いがあったが、この時は断っている。グランドチャンピオン大会に出場したかったからであった。

永遠の一秒 ~Stretched love~.jpg

 翌年に出場したその大会では落選したものの、再度、日本クラウンから誘われ、今度は2つ返事で承諾した。それから2年間、奈良市まで月1回のボイストレーニングに通った。そして受けた演歌・歌謡曲新人歌手オーディションでは準グランプリを獲得して、デビューへの切符を手にした。高校2年の時であった。

 原田の声のキーは高い。自然と女性歌手の歌を数多く歌うようになっていた。「石川さゆりさんをはじめ伍代夏子さん、藤あや子さんの歌を良く歌っていました。キーもほとんどそのままです」

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得意のポーズを頼むと・・・魚のポーズだという

 デビュー曲「永遠の一秒」カップリングの「ふるさとの景色」のいずれも、作詞が伊藤美和、作曲は夢人ゆうき、編曲は椿拓也である。「最初に曲をもらってからレコーディングまでには1年弱かかりました。補作があったり、最初は演歌でしたが、歌謡曲調に変更があったりしました」

 新御三家をモチーフにしているといい、70年代80年代のアイドルソングのようで、どこか懐かしさを感じさせる。
 原田は「スカッと歌えるソングにもなっていますので、カラオケで歌って心をスカッとしてもらいたいです」と呼びかける。

 3月20日には和歌山市内で里帰りライブを開いてもらうなど、地元では久々の新人歌手の登場に期待が高まっている。




※写真・記事の無断使用はお断りします。


[原田波人 オフィシャルサイト]
https://twitter.com/popoy_official?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
[原田波人 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/harada-namito/news?ima=3115&ct=ryuko








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入山アキ子、出会いと運と縁で歌い続けてこられた 「人生七曲り」キャンペーンで明かす [インタビュー]

◆あの日あの人に出会ったから今があるー。入山アキ子(テイチクエンタテインメント)の新曲「人生七曲り」は、自らが「運と縁に助けられてここまで来た」という自身の半生を綴ったような、そんな歌である。2022年2月4、5の両日、大阪・堺市内と大阪市内で行った歌唱キャンペーンでは、忘れられない出会いの数々を披露してくれた。また歌う元看護師として「体にも心にも良い歌を皆さんに届けたい」とする一方で、事務所の電話番号を公開して健康に役立つ情報提供やアドバイスをする「よりそいホットライン」を開設しているなど優しさを見せる。

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大阪・堺市内のキャンペーン先で歌う入山アキ子


 数多くの出会いを重ねて来た入山であるが、歌手の道を歩むようになって彼女に大きな影響を与えた3人の人物を亡くしている。1人は6年間の闘病の末に8年前に旅立ったマネージャーであった。そして去年にはステップアップの道筋を作ってくれた事務所の和久井保社長を、さらには師匠で作曲家の鈴木淳の2人を相次いで見送ることになった。

 いずれも言葉にもならないほどの悲しい出来事であったが、そのつど大きな成長を見せてきたのも事実。これこそ彼女がいう「運と縁」なのであろう。
 デビューからずっと入山を見続けていた鈴木とは多くの思い出があるが、忘れられないのは鈴木のレッスンを受けていた時のこと。


 「先生がアコちゃん、いい曲が出来上がったよ、と大きな声で叫ぶので、地下のスタジオまで降りて行くと、これはいいと言ってひとり頷いておられるんです」

 この時に出来上がったのが ♬ 燃える 〜 で始まる「紀淡海峡」なのである。
 マネージャーを亡くして沈んでいた入山にとっては、元気を取り戻すこの上ないプレゼントになった。しかも初めての関西を舞台にした作品は、大市場へ打って出る大きな武器ともなったのである。
 事実、この作品は紀淡海峡の地元和歌山をはじめ、広く関西で彼女の名前を浸透させる大きな弾みとなった。

 和久井との別れは入山にとっては名状し難いものであったであろう。前川清など数多くの歌手を育てた80歳を過ぎた元名マネージャーの和久井が「入山がたった1人でドタバタしている」のを見かねて、手を差し伸べてくれたのである。
 あの和久井さんがー彼女にはとても信じられない話であったし、また去年3月に届いた訃報も信じられないものであった。これからという時であったからこそ、そのショックは大き過ぎた。

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「目指すはテッペン」

 それでも入山はここでも「運と縁」を手にする。音楽プロデューサーの松崎澄夫がプロデュースをして、「春一番」をはじめキャンディーズの楽曲の作曲などを数多く手掛けた穂口雄右が「今度は大人の歌謡曲を」と、作詞と作曲をした「人生七曲り」がそれであった。
 その歌は ♬ あなたについていけば 辿り着くのね 〜 で終わる。「あなた」は和久井の盟友である松崎や穂口たちに代わったが、その遺志は固く守られて行くであろう。

 そうした数々の運と縁で入山が「目指すのはテッペン」と言い切る。遺志に背くことなく「人生七曲り」のヒットへ向けて連日連夜、駆け回っているのもそのためである。。

※記事・写真の無断使用はお断りします。


[入山アキ子 オフィシャルサイト]
https://入山アキ子.jp/
[入山アキ子 テイチクエンタテイメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/








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4代目桂春團治、73歳で歌手デビュー 人生を刻みこんだ「大阪人情しぐれ」 [インタビュー]

◆落語家の4代目桂春團治が73歳で、自らの人生を刻み込んだ、まるでお好み焼きのような楽曲「大阪人情しぐれ」をフリーボードから発売して歌手デビューした。来年2月には大阪・心斎橋の角座で歌謡ショーを予定している。

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73歳で歌手デビューした4代目桂春団治


 桂春團治を歌った演歌は今までに京山幸枝若の「浪花しぐれ 桂春団治」と都はるみの「浪花恋しぐれ」の2曲が知られているが、「大阪人情しぐれ」4代目が自らが自身の落語家人生を歌ったものである。
 「これまでは破天荒な芸人春團治が描かれてきました。確かに酒も女では先の3人の春團治と肩を並べることはできるけど、昔から一門では女房は泣かしたらあかん、と言われ続けきました」と春團治
 その<女房> は、かつてビクターの歌手としてグンゼのCMソングなどを歌っていた恵レイシーである。

 そんな「大阪人情しぐれ」は、一緒に夢を見てきた世話女房を労る、実話のような夫婦歌なのである。昔、中村美律子に節回しのレッスンを受けたことがあるというが、「歌は下手です。56年になる自分の落語家人生を歌わせてもらいました」と控えめ。しかしさすがこだわりを持つ大阪弁の台詞は、噺家の真骨頂を発揮している。
 落語家4代目桂春團治の芸道を歌っているものの、同時に同年代に人たちに、一生懸命生きて欲しい、といったメッセージを送る応援歌でもあるという。

 実は24、5年前に1度レコーディングをした経験がある。デモテープの段階で周囲から「これは売れへんで」と言われて発売せずに終わっている。
 2度目の挑戦となった今回は「♬ 熱い鉄板 お好み焼きに 苦労刻んで 隠し味 〜 と歌詞もあるように、大阪を舞台にしたお好み焼きのように気楽に聴いて、歌ってもらえる歌です」と、上々の出来栄えのようである。

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「大阪人情しぐれ」を作曲した田浦高志(右)と

 これの作曲を手がけたのは、大阪・ミナミなどで長く流しをやってきた演歌師、田浦高志。「語りかけるように歌っておられます」と、落語家ならではの歌に敬意を評する。

記事・写真の無断使用はお断りします。
 

[松竹芸能 桂春團治]
https://www.shochikugeino.co.jp/talents/katsuraharudanji/








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MOKKEI、明るく元気にしてくれる2ndシングル「赤い花が咲いたら」をリリース [インタビュー]

◆関西で活動するMOKKEIが2021年11月24日、伊藤雪彦作詞・作曲による、2枚目のシングル「赤い花が咲いたら」(日本クラウン)を出した。カップリングには「老いてなお花となる」「愛の絆」を収録している。

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かつての仕事場だった京都・祇園白川を散策するMOKKEI


 MOKEEI 赤い花が咲いたら.jpg前作までのMOKKEIのイメージをがらりと変える穏やかな歌声は、鬱屈としたコロナ社会を吹き飛ばしてくれる、明るくて爽やかで可愛らしささえ感じる演歌である。
 表題曲の「赤い花が咲いたら」は、第34回日本レコード大賞を受賞した大月みやこの「白い海峡」(1992年) や石原裕次郎の「おもかげの女」などの伊藤雪彦が作詞・作曲している。



 MOKKEIが友人の紹介で伊藤と会ったのは、ほぼ1年前だった。自ら書いた詩に曲を付けてもらうのが目的であった。それは「年老いても夢を持って元気に生きてほしい」という願いを込めた内容のものであった。
 初めての出会いから、レコーディングを含めて4、5回、彼女は住まいのある京都から伊藤がいる東京へと足を運んでいる。

 そこでMOKKEIは ♬ 二人で仲良く 生きて行く (中略) いついつまでも 〜 と歌う「赤いー」をメイン曲にすることで、より訴えたい想いが明確になる、と判断すことになる。持ち込んだ自作詩の「老いてなお花となる」は伊藤が曲を書き、やはり自作の「愛の絆」と共にカップリングにした。

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 来年4月で72歳になるという彼女にとっても、この「赤いー」は作品は自身へ向けての応援歌でもある。
 コロナ1色で過ぎたような2020、21年の2年であったが、歌手のほかにも新たな音楽作品を自作したり、愛媛県に本社を置くインターネットラジオのインタビュアーとして活動してきた彼女は、「むしろこの2年は充実していました」と、目を輝かせるほどである。

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KBS京都ラジオの徳部番組で新曲を発表する

 12月18日には、京都市上京区のKBSホールから中継されるKBS京都ラジオの開局70周年特別番組「サンクス70」(午前9時〜午後4時)で、MOKKEIは新曲「赤い花が咲いたら」を披露することになっている。午後12時30分頃の放送だという。

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「let's TOFU」 年末年始のオススメ曲 宝としふみ [インタビュー]

◆歌手宝としふみが割烹着に衛生帽、長靴と白づくめの豆腐屋さんの作業着姿に扮して、思わず食べたくなるような豆腐の魅力を「let's TOFU」で歌い続けている。

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笑顔で「let's TOFU」を歌うだからとしふみさん

 聴いていると元気にさせてくるから不思議だ。 ♫ テン(10)ツー(2)〜 と歌う「let's TOFU」である。10の読みは「とう」で、2は「ふたつ(ふう)」であることから、豆腐〜豆腐〜 となる。

 寒くなると湯豆腐などが恋しくなる。正月にかけては豆腐の需要も自然と増えてくるという。そんな豆腐を応援するかのような歌が、この「let's TOFU」なのである。

 宝さんが所属する音楽事務所の酒井サクミ社長が詞を書いている。カラオケ喫茶店で出会った豆腐屋さんから話を聞いて仕上げた。

 オリジナルは同じ事務所所属の先輩歌手、宝健(たからけん)が歌っていたもので、それをとしふみさんがカバーした。通信カラオケにも配信されており、今年にはCDもリリースしている。

 年末年始ともなれば鍋料理が多くなることから、宝さんは「簡単な歌ですから、たくさんの人に歌ってもらって、豆腐業界が盛り上るといいですね」と話している。






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入山アキ子、みたび大きく変身させた「人生七曲り」 夢に向けてジャンプ [インタビュー]

◆デビュー曲の「ザンザ岬」(テイチク、2008年10月)を歌っている姿をYouTubeで見たのが、歌手入山アキ子との最初の出会いであった。埼玉・東京と山口を忙しく行き来していた。パソコンの画面から伝わってくる、その真剣さと誠実さに惹かれた。生で歌を聴いてみたかった。ところが不思議と関西で歌う機会はなく、そこで「大阪で歌いませんか」とメールを送ってみた。快く応じてくれた。その後、名マネージャーとして名を馳せた故・和久井保との出会いが入山を大きく変える。彼がプロデュースして遺作となった2021年9月発売の「人生七曲り」は、彼女をみたび大きく変身させることになった。

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小さな幸せを積み重ねる入山アキ子


 「ザンザ岬」に次ぐ「雨のよりそい花」を2012年10月に出して以降、入山アキ子は毎年新曲をリリースする。活動エリアも徐々に全国へと広げて行った。彼女の歌を聴き、言葉を交わし、人となりを知ると誰もがファンになる、といっても過言ではないようである。だから入山が「親戚」と呼ぶファンも、少しづつ増えた。
 ファンとのコミュニケーションを保つために、毎晩、寝る間を惜しんで、その日の出来事を動画で報告する「入山アキ子のつれづれ日記」を配信して、優しさあふれる声で全国のファンを癒やし続ける。

入山アキ子 ・人生七曲り.jpg そんな入山の健康を心配するファンも少なくはないが、「待っている人がいるから」と、決して日記の配信を欠かしたことはない。決めたことはやり抜く、目標を成し遂げるまでは、といった彼女の意志は強い。
 1人で走っている彼女のそんな姿を見て、声をかけたのが和久井保であった。彼が経営する事務所で一緒にやらないか、というものであった。前川清、森進一、小林幸子など錚々たる歌手を、マネージャーとして育ててきた実績があり、入山にとっては願ってもない話であった。

 和久井はそれまでごく普通の演歌歌手だった入山をまず<悪女>にした。「悪女の季節」「みだれ舞い」「女の恋ざんげ」悪女シリーズを3作続けて、イメージをガラリと変えた。次の「月に笑う蝶」では、どん底から舞い上がる蝶を入山と重ねるかのように歌い上げて、これまた新たな入山像を作り上げて、話題を投げかけた。和久井の真骨頂を見る思いであった。

 それらから一転して、新曲「人生七曲り」では、これまで入山が生きてきた道のりを歌で綴るかのように、それをそっとささやき歌う。自分の人生は常に歌に助けられてきたという入山は「毎日毎日の小さな幸せを拾いながら、今の幸せをかみしめて歌って今日まできました。歌を聴いてもらった人たちの心に寄り添えるといいなぁ、と思っています」と、新曲への想いを語っている。

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夢を目指して歌い続ける

 「ザンザ岬」を出して13年、ファンに見せる笑顔とは裏腹に言葉には出来ない、泣きたいくらい辛い体験も重ねてきた。トイレで衣装に着替えなければいけないこともあった。それでも支えてくれるファンがいる。自ら目指すところがあるーと、それを頼りに頑張り続けてきた。それだけに、おいそれと挫けるわけにはいかない。
 そんな思いがいっぱい詰まったのが、♬ のぼりくだりがきついけど 〜 と歌う新曲「人生七曲り」なのである。

 入山の所属事務所社長でマネージャーであった和久井保は、今年3月に84歳で亡くなっている。彼女にとっては大きな支えが無くなった訳ではあるが、「後を頼んだぞ」と、和久井に託された人物がアイドルグループのキャンディーズを見出し育て、彼女たちの代表曲「春一番」などを作詞、作編曲をした穂口雄右と、同じくキャンディーズの音楽プロデューサーであった松崎澄夫の2人であった。
 「人生七曲り」の作詞・作編曲を手がけたのも穂口である。和久井は今も入山のプロデュースをしているかのようだ。

 入山は「この歌の歌詞の通りに1つひとつ進めていけば、誰かの心に歌は残り、夢は実現できる」と、信じてきょうも歌い続ける。

写真・記事の無断使用はお断りします。


[入山アキ子 オフィシャルサイト]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/
[入山アキ子 テイチクエンタテインメント]
http://入山アキ子.jp/








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長山悦子、 「城崎ふたり」で歌手デビューして3年 遍歴を演歌に託す [インタビュー]

◆ ♬ 私ひとりが 身を引けば 何もなかった ことになる 〜 歌手長山悦子が2018年に出したデビューシングル「城崎ふたり」(CIMSミュージックエンタテインメント)である。もともと文学少女だった彼女自身が作詞も手がけた。自身の数多くの経験が歌に生かされている。

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長山悦子


 「城崎ふたり」(作詞・長山悦子、作編曲・石倉佑馬)で永年の夢であったCDデビューを果たした長山の芸能界デビューは、21歳の時に遡る。大学時代に演劇部に属していた経験を生かし、スカウトされた京都太秦撮影所で女優活動始めたのが最初である。大阪の芸能事務所に属して、その後、村田英雄に師事して前座として歌手活動も経験している。

「家を飛び出しての挑戦でした。それでも親に見つかってしまって、連れ戻されてしまったんですが」と長山。

 それからはラジオのパーソナリティや司会業などをしてきた。結婚、出産、離婚を経て、資格を生かして小学校の教師に就いている。
 そのまま平穏な人生を歩むはずだった。好事魔多しである。癌と診断され、25年勤めた教師も辞めることになってしまった。

 その後は塾経営などをするが、歌への想いを断ち難く、兵庫県たつの市内で喫茶店・カラオケ喫茶店を始めている。そんな時、音楽関係者との知り合いから教えてもらったオーディションを受けることになった。
 ところがそれは楽器を使えるシンガーソングライターを求めるオーディションであった。後になって間違っていたことに気づく長山だったが、その場は平然と都はるみの「涙の連絡船」を歌ったという。

 後日それがきっかけとなって、その会社のプロデューサーに、自分が書いた詞を見てもらう機会を得る。歌手としての再出発の1歩につながったのであるから、チャンスはどこにころがっているのか分からない。
 文章を書くのが好きだった彼女は中学時代から、瀬戸内晴美(寂聴)や松本清張、金子みすずと、小説や詩集と何でも読んできた。小説家を夢見ていたし、心が傷つくといつも詩を書いていたという。

 あれこれと遍歴を重ねてきた長山、「これからは歌1筋でやっていきます」と、153センチの小柄ながらも決意は強い。今は「プレミアム歌謡ショー」(サンテレビ)「歌謡ONステージ」(道頓堀ZAZA)などに出演している。
 今冬にはカバーアルバムを出す予定で、そのための準備を進めているという。

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[長山悦子 城崎ふたり]
https://youtu.be/JM0kjfoe4xo








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美山京子(日本クラウン)、沢山の人に歌を聴いてもらいたい 夢はトラックで地方巡業 [インタビュー]

◆サンテレビで放送中の「プレミアム歌謡ショー」の顔でもある歌手、美山京子は1990(平成2)年のデビューというから、今年で31年目のベテランである。それにも関わらずステージに立つたびに「今日がスタートです。皆さんと一緒に笑って楽しく過ごそうと心がけています」と、デビュー当時と変わらない気持ちで臨んでいる。

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美山京子


 「涙声」(キングレコード)で歌手デビューしている。2013年に出した「垂水の人よ」は、発売1年で1万枚を売ったという。いつも明るく笑顔を振りまき、屈託のない姿を見せる。
 ところがステージで見せる笑顔とは裏腹に、6年目の1996年に癌と診断され、20数年に渡って治療を続けているのである。腫れ物の神様として知られる東大阪市にある石切さん(石切劔箭神社)へ、毎月通うようになったのも、病気平癒を願ってのもである。

 「ひとりっ子だったこともあって、それまではわがままに過ごしていたんですが、病気になって他人の痛みが分かるようになり、手を差し伸べやすくなりました。毎月のお詣りではパワーをもらって帰ってくるんですよ」

 兵庫県柏原町(現・丹波市)の出身で、小学校の教室で美空ひばりの歌を歌う人気者だった。歌好きの少女であったが、田舎に住む子供にとって歌手は「外国へ行くようなものだったし、不良娘扱いされかねない時代でした」という。それでも諦めずに思い続けて夢を実現させることになる。

 デビューして23年目の13年に出した「垂水の人よ」は、初めて作曲家水森英夫に作曲を依頼した作品であった。それが1年で販売枚数1万枚を達成する記録を樹立し、自身の代表曲にしたのである。これを記念して、水森を招いてパーティーを開いたほどである。
 16年にはやはり水森の作品の「女の人生夢舞台」をリリースしているが、こちらはYouTubeの再生回数が46万9千回を超えるまでになっており、もうひとつの代表曲になっている。最新曲の「おかめひょっとこ夫婦道」(2018年)もまた水森作曲の作品である。

 憧れの歌手になって30年を超えた今、「どんどん地方へ出かけて歌っていきたい」と夢を語る。
「歌手仲間と一緒にトラックに乗って出前歌謡ショーを各地で開いて、子供たちをはじめ皆んなに楽しんでもらいたいんです」
 歌謡ショーなんて無縁な土地で、トラックの荷台をステージにして歌う。聴いてもらった人たちの心に歌が刻まれる、そんな日を夢見ている。

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[美山京子 オフィシャルサイト]
http://www.office-miyama-kobe.com/index.html








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幸田和也、初めて大阪弁で歌う賑やかで楽しい新曲「えらいこっちゃで」 [インタビュー]

◆ホリデージャパンの歌手、幸田和也が3年ぶりの新曲「えらいこっちゃで」(作詞・多田そうべい、作曲・宮路オサム、編曲・藤井弘文)を2021年9月に出して、初めて大阪弁で歌ってユーモアいっぱいに、楽しさを振りまいている。

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初出演のTV番組「プレミアム歌謡ショー」で歌う幸田和也


 「えらいこっちゃで」は、同じレコード会社の朱夏洋子との競作であるが、朱夏がジャズアレンジで大人の雰囲気たっぷりに聴かせるのに対して、幸田は賑やかに歌う歌謡曲になっている。
 主人公の女性の亭主に浮気をされて、どないするのーと大阪弁の歌詞で歌い、合間にはー宮路オサムの合いの手が入る楽しい作品になっている。

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新曲「えらいこっちゃで」は、初の大阪もの

 実はこの楽曲、約30年前に宮路オサムが作曲した作品である。1989年に松尾和美が歌っているが、この時はポップス調のメロディーであった。

 デビュー13年目の幸田、かつて中村美律子が大阪・東心斎橋で経営していたショーレストラン「人生乾杯」で修行を積み、その後に自身で演歌ライブの店「多恋人(タレント)」同じ東心斎橋にオープンしていた。8月に43歳になった。

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「プレミアム歌謡ショー」で司会の瀬戸つよし(左橋)・三島ゆかりと

 今までにない楽しく歌える作品を手にし幸田は「おもしろ可笑しく歌ってもらえるといいですね」と、呼びかけている。

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[幸田和也 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/tarento/
[幸田和也 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ka8_kk.html








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木下結子、還暦+1で ・・・いいこと あるって 思わなきゃ [インタビュー]

「ノラ」などで知られる歌手、木下結子は去年、還暦を迎えたのを機に原点回帰を期して、デビュー曲「放されて」のアンサーソングとも言える「泣いてもええやろ」(ホリデージャパン)を出した。ところが年初からの、世界中を巻き込んだ新型コロナ騒動の煽りを受けて、予定していた還暦ライブを取り止めた。しかも思うように新曲をファンに届けることもできないでいることが、自身の心のうちをヤキモキとさせるが、今秋からは同じレコード会社の先輩歌手とのライブや久しぶりの東京ワンマンライブ開催を計画するなど、大好きな歌「ウヰスキー」の歌詞のように、♬ いいこと あるって 思わなきゃ 〜 と、前を見続ける彼女にコロナ下における想いを聞いた。


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バイクにまたがって、嫌なことも一緒にぶっ飛ばすぜーと意気込みを見せる


ー 私たちは今、歴史的に大変な時の中にいます。8月4日に61歳の誕生日を迎えた今、まずは今年前半を振り返っていただきたいのですが。

木下 今年前半は去年以上に何もできませんでした。60歳の誕生日から今日まで、今まで生きてきた中でこんなに短く感じた時はありませんでした。決して充実した時間を過ごした訳でもないのにですよ。果たしてこれでいいのか、なんて思っていますが、焦っても仕方がないですね。
 孤独とか空虚はそれほど感じませんでした。それは人の気持ちを温かく感じていたからかもしれません。会えない時間が長かったのに、SNSを通じて励まされてきました。歌い手として活動できる時間は少なかったのに、お客さんとの間の熱が冷めずにいられるものだと驚きでした。
 これから先、まだ先は見えませんが、不思議な事にあまり寂しいといった感情もないんです。

ー 長年にわたってどこにもに属さないフリーでやってこられて、去年は大阪の音楽事務所と提携をされました。

木下 1人でもがいても何もできない訳で、それは仲間と力を合わせて少しでも楽しい時間を過ごそうと思ったからです。最初は忘れられてしまったらどうしよう、歌えなくなったらどうしよう、と思っていたのに、お陰でそんな事は微塵の感じなくなりました。
 世の中は悲しくて辛い時なのに、こんなに笑っていていいのかな、と思うほどです。笑顔の多い、楽しい時間を過ごせています。

ー コロナ下でレコード会社を移籍されましたね。

木下 レコード会社を移籍して心機一転やり直すぞ、といったのに動けなくなりました。でも、動けるまでじっとしているのではなく、動けなくても何かを企画して、やりましょうと声をかけてもらったことによって、やる気を出させてもらいました。
 またメジャー歌手とプライベート盤歌手が区別なく、みんな歌いたいし、寂しく辛いという気持ちは同じで、それぞれに境目があるとは思えなくなりました。ベテランであっても新人でも、また音響・照明などイベントスタッフさんも、その気持ちは誰もが同じなんですね。コロナがあったればこそ、感じるようになったことかもしれません。またひとつ成長させてもらいました。

ー 還暦の年と、その次の年である+1年はコロナにしてやられた2年近くでしたが、なにか気持ちの変化はありましたか。

木下 コロナは多くのことを気づかせてくれました。例えば今までは車ばかりに乗って、歩くことはあまりしませんでしたが、健康のために歩くことを心がけるようになりました。地下鉄の2駅3駅を歩くことは何とも思わないようになりました。良いこともあったと思わないことには辛すぎますよね。仕事の回数は減り、会えないひとの数も多くなりましたものの、へこんだとか立ち直れないようになったことはなかったですね。

ー コロナ前まで定期開催されていたchu −chu−ライブは休止中ですが、復活させてほしいという声もあります。

木下 できるのであればすぐにでも再開したいですが、これまで会場として使わせてもらっていたカラオケ喫茶店などが営業できない状態にあります。お昼にでもと考えられるのですが、外出を控えているお客さんも多いので、現状では難しいですね。
 そのような中、chu −chu−ライブのパートナーである、ギタリストの井上善日居さんとYouTubeで配信するライブも始めています。インターネットラジオにも出演させてもらっていますが、以前よりもリスナーとのつながりが強くなった、と感じています。

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今秋からビッグライブが相次ぐ

ー 11月には東京ライブも行われるそうですね。

木下 毎年、東京でワンマンライブを開いてきましたが、去年は中止しました。今年は11月27日に開催を目指して準備を進めています。大阪でも9月26日にホリデージャパン主催のライブが淀川区十三のライブハウス、246ライブハウスGABU(ガブ)で行われます。
 40年を超えるキャリアのニックニューサ(田中収)さん、原田ヒロシさんと予定していますが、私が1番若手というベテラン3人によるライブです。すごく楽しみで、勉強の場にもなります。
 この時期、イベントを行うのは確かにリスクもありますが、やらなければ止まってしまいますから、やることの意義は大きいと思います。楽しみがあることは、自分の気が上がります。ええことあるかもしれん、と前を向かないといけませんね。

ー 今年出演された歌謡ショーでもそうですが、このところ「ウヰスキー」というオリジナル曲をよく歌われますね。

木下 新型コロナが流行り出してから、改めて心にズシンとくるようになった1曲です。私自身の中では大切な新曲と、誰もが知ってくれていて聴きたいと言ってくれる「ノラ」の次にくるような存在になっています。
 この歌は男と女を歌っていますが、いいことあるって思わなきゃ〜というフレーズが、今の世の中にあって、自分で歌いながら勇気づけられています。それを聴いてもらえる人たちにも伝わればいいな、と思っています。改めて、いい歌をもらった、と感謝しています。

ー 今年後半からの意気込みを聞かせてください。

木下 9月でデビュー38年目に入る歌手生活の中で、色んなことを乗り越えてきたのに、コロナで(歌手を)辞めますというのもアホらしい、と思います。こんなことで負けたくないです。

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[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html








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80歳の歌手シンジー、心の師は東海林太郎 [インタビュー]

◆歌手デビューは72歳の時であった。2013年に初めてのCD「夢列車」をホリデージャパンから出した。60歳で定年退職してから、今までお世話になった人や町、さらには老人施設を訪ねて歌う<ボランティア歌手>から挑戦し始めた歌への道であった。今年80歳になった歌手、シンジーは九州・福岡を中心に活動し、2020年8月には4枚目になる最新シングル「渡る世間に鬼はなし/母に捧げる歌」を日本クラウンから発売している。学生時代から5年余り続いた東海林太郎との交流が、師匠を持たない彼にとって歌のみならず、「優しさ」「正義感」「言行一致」といった、生き方を教えてくれたという。

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80歳で元気に歌う歌手シンジー

 シンジー、本名は麻生進(あそう・すすむ)という。進をシンと読ませ、72歳の爺(じい)ということから、それをもじって付けた。父は福岡出身、母は佐賀出身という生粋の九州っ子であるが、風貌はインド人のようで、あのインド独立の英雄ガンジーの名をもじったのかと想像させるほどである。

 シンジーの歌手への挑戦は69歳の時であった。2009年4月、秋元康主催の50歳以上を対象にした歌手コンテストに、物は試しとばかりに歌唱音源を送った。2500組の応募者の中から最終選考まで残って、審査員の前で「憧れのハワイ航路」を歌い、秋元の歌手認定証をもらった。

 これをきっかけに自ら名付けたボランティア歌手として、九州の老人施設などを巡り、得意な懐メロを聴いてもらっていた。歌うにつれオリジナル曲が欲しくなってきた。
 「1曲でいい。お世話になった人に届ける100枚だけでもプレスしたい」と、その頃、よく足を運んでいたテレビの歌番組の公開収録で親しくなった番組プロデューサーに相談した。それが72歳でのCDデビューにつながる。

 1枚でいいと思ったCDであったが、2016年からは2年おきに新曲を出している。「アリーパラオ・こんにちは!/パラオ恋しや」(2016年9月、日本クラウン)「ケヤキ・明日なろ・旭川/長崎シャンソン」(2018年4月、同)最新曲「渡る世間に鬼はなし/母に捧げる歌」(2020年8月、同)といった具合に、次々とリリースした。

 中でも「ケヤキ・明日なろ・旭川」は、東海林太郎の生誕120周年を記念したものであった。この年、東海林の生誕地である秋田市を訪問。生誕120周年記念イベントで、番外の歌唱出演をしている。
 シンジーと東海林太郎との交流は、彼がまだ福岡教育大学1回生の時まで遡る。当時から懐メロが好きだったことから、福岡市内の九州温泉センターで開かれていた東海林太郎の歌唱イベントに来ていた。1回目の公演が終わり、ロビーでポスターを見ていた彼に「若いのに僕の歌を聴きに来てくれたんですか」と、東海林が話しかけてきたという。

 2回目の公演までの休憩用に用意されていた旅館に誘われて、そこで1時間余りにわたって大学のこと両親のことなど、訊ねられるままにいろんな話を交わした。
 2度目は東海林から、博多・中洲のクラブで歌うので楽屋まで遊びに来ないか、という葉書をもらって、出かけている。やはりたくさんの会話を交わし、おまけにクラブ最前列の席を当てがってくれて、ショーをみせてくれたのである。

 会ったのはこの2回だったが、それから手紙のやり取りが5年余り続いたという。
 このように間近に接した東海林太郎について「正直で、誠意のある人でした。人を差別しない器の大きな人でもありました。思うようにならない人生でも、優しさを失わず、しかも歩みを止めない、そんな印象を持ちました。僕については、今の麻生さんのままでいいと思います」と話したという。

 そんな東海林の姿を自らの人生に生かし、歌手活を続けてきたシンジーは「まだ80歳です。まだまだ頑張ります」と張り切りを見せる。2021年11月12日には福岡市中央区天神のアクロス福岡円形ホールで、コンサート「シンジー絶唱!昭和はやり唄」を開く。
 オリジナル曲のほか「湖畔の宿」「雨に咲く花」「白虎隊」「バタやんのズンドコ節」「悲しき口笛」「シベリア・エレジー」「長崎の鐘」「渡る世間に鬼はなし」などの歌唱を予定している。








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人美(ひとみ) 亡くなった恋人に届けと歌って8年 「涙のカケラ」 [インタビュー]

◆岡山県津山市在住の歌手、人美が8年前にデビューしてから歌い続けているのが、実話に基づいて自身が作詞したバラード「涙のカケラ」(ウイングジャパン)。結婚も決めていた恋人が突然に交通事故死した悲しみを歌ったもので、「きみの朝」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの岸田智史が曲を書いている。CDはすでに完売しているが「永遠に歌い続けたい」と、今月17日にはサンテレビで放送される「プレミアム歌謡ショー」に出演して歌を披露する。

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「涙のカケラ」を歌う人美


 恋人の温もりがいつまでも消えないように、人美は歌い続ける。
 それでも涙のカケラは空には届かない・・・のか。
 5年も付き合ってきた男性との別れは突然にやってきた。23歳の時であった。結婚式の日取りも決まっていた。

 傷心の人美はしばらくして、歌が好きだったこともあって、津山市内でカラオケ喫茶店を開業する。悲しい時、人は詩人になる。人美も会いたくて会いたくて堪らない、でも叶えることができない。その切ない想いを一気に書き上げた。

 曲を付けて歌ってみたい衝動に駆られた。といっても作曲家の当てもなかったが、津山市の隣りの真庭市落合町の出身者にシンガーソングライターの岸田智史がいることを思い出した。
 彼の実家を知る知人から電話番号を聞き、作曲を依頼した。まさに徒手空拳での挑戦であった。恋人が空から助けの手を差し伸べてくれたのか、東京の事務所を教えてもらうことができ、マネージャーを通じて本人の快諾を得ることができた。

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「プレミアム歌謡ショー」(サンテレビ)の収録で

 岸田が生ギターで歌う「涙のカケラ」の音源が送られてきたのは、それから間もなくしての2013年のことであった。その年の7月3日、人美はウイングジャパンから歌手デビューをする。
 10年余も続けてきたカラオケ喫茶店は廃業した。歌手として「彼への想いを歌い続けていこう」と決めたからであった。今は岡山県を中心に活動しているが、「この楽曲がヒットするしないよりも、これに込めた想いをより多くの人と共有したいです」と、涙のカケラが空に届くまで歌い続ける。


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塩乃華織(日本クラウン) 好評「きのくに線」 7月には大阪で新曲発売記念ライブ [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、塩乃華織が三連の心地いいリズムに乗って歌う新曲「きのくに線」(作詞・内藤綾子、作曲・西つよし)が好評だ。西の作品は前作「七尾線」に次いで2作続く。「塩乃の声は西が書くメロディによく合う」といった声も聞かれるほどである。7月には大阪で新曲発売ライブも開く。このところ1作1作と存在感を高めている彼女にとって、「きのくに線」は大きなチャンスであることに間違いなさそうである。

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塩乃華織


 前作「七尾線」では、石川県の能登半島を縦断するJR七尾線を走る観光列車・花嫁のれん号を登場させるなど、今までの塩乃華織を大きく変えた歌唱は多くの演歌ファンを惹きつけた。その旅情演歌第2弾となる、今年5月に発売した「きのくに線」は舞台を和歌山に変え、軽快なリズムで前作にも増して多くの支持を得ている。

塩乃華織・きのくに線.jpg 前作から続く2作は<ソフト演歌>とも呼ばれている。今の演歌ファンに好まれているという。今まで声を張る傾向が強かった塩乃にとっては、新たな歌唱でもある。これがファンから思わぬ高い評価を得たようである。
 「練習量を含めて無理をし過ぎずに、自分にできる範囲でこなしています」と塩乃。

 新曲が発売される前の3月、よく晴れた暖かな日に塩乃は急に思い立ち、1人でJRきのくに線の電車に乗っている。曲の1番に出てくる無人駅の、古びた椅子があるだけの和深(わぶか)駅で降りてみたという。
 「次の列車まで2時間半もあったので、近辺を歩いてみたのですが、出会った地元の人からは何もない所だよ、と教えられ、ただボーッと海を眺めていました」

 「きのくに線」を含めて今まで歌ってきた作品は「自分が経験していないものばかり」(塩乃)なので、歌の舞台を訪ねるのは「主人公に近づける」のだという。


 塩乃華織としての歌手デビューは2009年の「失恋美人」(日本クラウン)からであるが、メジャーデビューは11年の「陽だまりの花」(日本クラウン)であった。
 歌を始めたのは。3歳の頃だという。祖母の影響が大きかった。歌手活動は大学生になってから、インディーズでスタートさせている。
 「メジャーになるまでには遠回りしたかもしれませんが、今につながっている多くの物を学べたと思います」

 今年3月で38歳になった彼女であるが、ひとつの悩みがある。
 これでいいのだろうか、どのように見られているのだろうか。ステージで笑顔を振りまく塩乃華織だが、いまひとつ自信が持てないでいるようである。
 「私って結構、心配性なんです。それはショーを楽しんでくれている人に伝わるので、これはこれからの塩乃華織が改善するところ なのです」
 存在感を高めつつある彼女がこれから大きくステップアップしていく課題なのかもしれない。

 7月12日には新曲「きのくに線」の発売記念ライブを大阪・堂山のライブハウス、umedaTRADで開く。当初は5月に予定していたが、新型コロナの影響を受けて延期になっていた。
 塩乃は2015年からワンマンライブを続けている。新曲発売記念ライブは番外編になるが、今までに25開催している。「自分のモチベーションを高めるのに繋がっており、チャレンジと勉強の場になっています」





【写真の無断使用はお断りします】


[塩乃華織 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/shionokaori/
[塩乃華織 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/shiono/news?ima=0033








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水木ケイ(エイフォース) 本格復活へ向けて始動 新曲「魚市場のおんな」 [インタビュー]

◆高い歌唱力から将来が嘱望されながらも、8年前に活動を休止してしまった歌手、水木ケイが、2020年2月に7年ぶりの新曲「魚市場(いさば)のおんな / 港宿」(エイフォース・エンタテイメント)をリリース、21年6月5日に放送された「プレミアム歌謡ショー」でも元気な姿を見せて、「魚市場のおんな」を披露するなど、本格復活へ向けて動き始めている。

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復活第1弾の「魚市場のおんな」を歌う水木ケイ


 「魚市場のおんな」は、作詞がふくしゆうや、作曲は松宮有里。海難事故で夫を亡くし、姑と子供を養いながら魚市場で働く女の健気な姿を歌っている。
 水木ケイが偶然入った大阪市内のカラオケ喫茶店で、後に新曲を書くことになる作曲家の松宮と出会ったことが、再スタートのきっかけであった。

 09年に20歳の時、よしもとアール・アンド・シー(現・よしもとミュージックエンタテインメント)から「海椿」でデビューした彼女も今は32歳。2歳の男児の母になった。
 歌手活動を再スタートさせたのは、子供が1歳になるかならないかの頃であった。背中におぶってカラオケ喫茶店を訪ねて「歌わせて下さい」と頼んで歩いた。

 「あんた誰?と言って、冷たく門前払いをされたこともありましたし、子供なんか連れて来るな、と言われたこともありました」

 子供を背負って歌うこともあり、まるで自らが歌う新曲を地で行くような毎日であった。それでも最近では「歌でご飯を食べさせてくれてありがとう」などと、幼児とは思えない息子の言葉が、水木にとって生きる支えとなっているという。

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先頃放送されたプレミアム歌謡ショー
水木ケイ(中央)と司会の瀬戸つよし(左)三島ゆかり

 大阪・新世界のシアター朝日で今年開催された「なにわ繁盛娘歌謡ショー」には、メンバー4人の1人として参加。サンテレビで放送中の「プレミアム歌謡ショー」にも出演するなど、活動の幅を少しずつ広げている。

 水木が再スタートを切って1年が過ぎたが、「与えられた歌う現場を一生懸命に務めていきます」と意欲を見せて、デビュー当時の明るくて、元気一杯の笑顔を見せてくれた。


[水木ケイ オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/sei2828/








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葵かを里、 新曲「ひとり貴船川」 念願の京都・貴船 / 鞍馬でヒット目指す [インタビュー]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、葵かを里は去年デビュー15周年を迎えた。2021年5月5日に出した「ひとり貴船川」(作詞・麻こよみ、作曲・影山時則)は、16枚目のシングルになる。舞台の貴船川は京都市の北、鞍馬山の麓にある清流である。葵が京都を舞台に歌うのは、これが6作目。1作目は11年の「桂川」である。舞ながら歌う、彼女の歌唱スタイルを作った作品でもあった。今作では「原点に戻って歌う」といい、4回目というオリコン初登場1位は、代表作にするという意気込みの現れでもある。

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葵かを里


 「ひとり貴船川」は王道の艶歌で、発売直後から評判がいい。
 ♪ 逢いたくて 逢いたくて ひとり貴船川 〜 は、1番の歌いどころである。葵かを里は「切なく、はかなく、語りかけるように情感を入れて歌っています」と説明する。
 信じて待つ女は水占に願いを託す。

 原点に戻った今作は、ステージでは2番は舞って歌う。
 「無理なく歌えて歌いやすいです。今までの楽曲の中でも私の良さが出せていると思います」

葵かを里・ひとり貴船川.jpg 今回初めて現地、貴船川近くの貴船神社でミュージックビデオ(MV)の撮影をした。3月に京都に1泊して、まる1日を費やした。シーズンには少し早かったが、貴船川には川床料理を楽しむ桟敷がしつらえられていたなど、京都らしさがいっぱいであった。「雨が心配でしたが、私は晴れ女ですから大丈夫でした」

 「ひとり貴船川」の発売を記念してカラオケ大会を予定している。メイン曲とカップリングの「ほたる火」を課題曲に、歌唱音源(CD、テープ)を送って応募した者の中から10月上旬に合格者を発表。合格者による決勝大会で優勝者を決めることになっている。
 「できれば京都で決勝大会を開きたいですね」と、京都にこだわりをみせる。

 2番では勇壮な鞍馬の火祭りが登場する。当初は1、3番と同じように貴船が舞台になるはずであった。ところが葵が麻を説得して、かねてから歌いたかった鞍馬の地になった。
 それだけに「憧れの京都の地を歌わせてもらい、京都の良さを届けられるのは光栄です」と、大好きな京都の歌でヒットをねらう。



葵かを里「ひとり貴船川」PRメッセージ


[葵かを里 オフィシャルサイト]
http://wwwb.jnc.ne.jp/aoikawori/
[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_kawori.html








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