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伊達悠太(テイチクエンタテインメント) 「土砂降りの雨だから」 情景が浮かんでくるような歌を [インタビュー]

◆憧れの歌手はちあきなおみさん、神野美伽さん、島津亜矢さんー。「情景が浮かんでくるような歌が歌えるようになりたい」そう話すのはテイチク移籍5作目の新曲「土砂降りの雨だから」(作詞・朝比奈京仔、作曲・杉本眞人、編曲・猪股義周)が、初のオリコンチャート1位を獲得するなど好調な伊達悠太である。アマチュア時代からいつかは歌ってみたかった、という作曲家杉本眞人の作品に前作「涙のララバイ」に続いて挑戦している。

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写真・さわやか笑顔の伊達悠太


 笑顔が爽やかな35歳である。生まれは北海道伊達市。2004年NHK「のど自慢」出演したのをきっかけにスカウトされて07年に16歳で上京するが、一向にこれといった仕事にもありつけず鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

 そんな時、足げく通って歌っていたカラオケスナックで千昌夫のマネージャーに出会ったのをきっかけに千の前歌を、といった話をもらう。「ふたつ返事でOKした」のは言うまでもなかった。
 「前歌を歌うことは勉強にもなって、楽しかったんですが、なかなかデビューも出来ないし、もう諦めて北海道へ帰ろうかな、と考え始めていたんです」
 すると千昌夫がプロデュースした「望郷赤とんぼ」という作品で、芸名も伊達ゆうたとして、徳間ジャパンからメジャーデビューといった話をもらった。

 ようやく夢の実現である。しかしここからもまた、千に付いて長い試練の期間であった。「今でも歌う前は緊張の連続なんですが、その頃はステージに立つ前は震えが止まりませんでした。でも、今はイントロが流れてくるとスイッチが入って緊張は解れますが」

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写真・憧れの杉本作品でチャート1位の伊達悠太

 伊達は中学の時に聴いた杉本眞人の作品「北の鴎唄」(作詞は里村龍一)に衝撃を受けて以来、杉本の大ファンになったという。この後、やはり杉本が作曲したちあきなおみの「かもめの街」を聴き、さらに好きの度合いが高まっていった。

 デビューしてしばらくすると移籍の話が持ち上がった。
 「テイチクに移籍する時、ディレクターに『杉本眞人さんの歌が歌いたい』と言ったんですが、まだ早い、と即座に断られてしまいました」
 ところが前作を制作するのに際して、再び希望を述べたところ、今度は「よし、それで行こう」とOKが出た。
 「この時は嬉しかったですね。思わず心の中でよぅしゃ、と叫んでいました」

 その前作「涙のララバイ」はレコーディングに3時間もかかったという。
 「杉本先生からは腹から声を出せ。叫べー。色々と注意をされて最後は声がカラカラでした。かしこまって歌っていたんですね」

 今作の「土砂降りの雨だから」はスムーズに録音できた。
 杉本からは「上手く歌おうとするな。言葉を置いて歌え、とアドバイスされた」という。
 でも、この時の伊達にはその言葉の意味がよく分からず、頭を抱えてしまった。
 そんな時だった。「以前にメロディーの見えないところに休符を置け、いったアドバイスを受けた事を思い出したんです。それを試してみたところ目の前が一気に明るくなり、リクエスト通りのレコーディングが出来ました」と胸を撫で下ろす一幕もあった。

 2作続けての杉本眞人作品を歌うことに幸せを感じる伊達。ある日、杉本がパーソナリティを務めるラジオ番組に出演した時のこと。
 「土砂降りーの楽曲は伊達なら歌えるだろうと思って書いた。ちあきなおみのような情景が浮かぶ歌手になってほしい」
 杉本はこう彼に求めた。この時から伊達にとって新たな目標が出来た。

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写真・情景を表現できる歌手にと伊達悠太

 元々新曲をもらうと何度も歌詞を読んで主人公の心理を理解しようと努めていたが、今度はそれに加えて歌のドラマを構築して、その中で登場人物が生き生きと動あて、聴く人が映像でも見ているかのような情景描写を加える努力を始めた。

 「ステージごとに情景描写を変えるのも楽しいです」

 テレビドラマを見るのも参考になるという。実際の恋愛は事務所も禁止していないようであるから、これからはリアルな勉強もあるのかもしれない。
 今、新たなステップに向けて動き始めている。



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[伊達悠太 オフィシャルサイト]
https://www.noreason.jp/tag/dateyuta/
[伊達悠太 テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/date/








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舞乃空(まのあ)、デビュー第2弾シングルは「約束」 11月にはふるさとでファーストコンサートも [インタビュー]

◆ どこかへ出かけてみたくなるような、爽やかな歌声が印象的である。歌手舞乃空(日本クラウン)が2023年8月2日に出した、デビュー第2弾のシングル「約束」(作詞・金子麻友美、作曲・金子麻友美、編曲・SHIKI)は、透き通るような美しい、男性目線のバラードである。11月には地元でファーストコンサート開催も決まっている。

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写真・舞乃空


 歌う高校生として今年2月にデビューした舞乃空。ジャケット写真はセーラー服姿であった。それから半年が経った。
「初めて経験することが多くて、ただただ緊張ばかりで、1日が終わるとどっと疲れる毎日です」

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写真・「約束」のジャケット

 月に1度、ラジオ番組「いいね! イマうた 舞乃空です」(ラジオ大阪、毎週火曜日午後9時から)の収録のためにふるさとの大阪へ帰るが、その際に実家で飼っている愛犬にあうのが心癒される瞬間だという。

 歌手と並行して将来は犬や猫など動物の保護施設を作りたい、というのが夢だというほどの動物好き。「歌う女ムツゴロウ」が目標のようである。
 グッズのTシャツには動物のイラストが入るほど。
 ただ東京の生活ではその動物を飼えないのが残念だとか。

 デビュー第2弾の「約束」はデビュー曲同様に、男性目線で歌った作品である。果たされなかった約束は過ぎ去った夏の思い出でにすぎないのかーと、忘れられない女性に想いを馳せる、そんな歌である。
 「歌の内容についてはあまり説明したくないんです。聴く人が感じたままの歌であってほしいから」

 歌の好反響に伴い、千葉県市原市で撮影したという美しい映像のミュージックビデオ(MV)も評判。目的もなくどこか遠くへ出かけてみたい、といった旅情を誘うような映像でもある。

 そんな歌なのかもしれない。自然がいっぱいの場所を選んで、ドローンを駆使しながら撮影したという。
 30分に1本しかやって来ない列車を待って、カメラを向けるという苦労話も。

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 23年11月11日には初のコンサートを、ふるさとの大阪府藤井寺市にあるパープルホールで開く。タイトルも「MANOA ZOO」。舞乃空の動物園である。動物好きな彼女らしいネーミングである。

 詳細はこれからというが、会場全体を動物園に見立てるとか、色々とアイディアを練っているところである。

 休日はキッチンに立つことが多い。
 「実家にいる頃から料理が大好きで、特にだし巻きは母親に代わって私が担当でした」というほどの腕前だとか。
 「白だしにマヨネーズを加えて、強火でさっと焼くんです。そうすることで焼き目も入らず、綺麗なだし巻きが出来上がります」

 ご飯が大好きで、ご飯のおかずはご飯、というほどの白米党。
 太るのも気にはなるが、仕事で行く先々でおいしいものを食べるのが楽しみ。先日行った福岡では「ラーメンにもつ鍋、小倉牛などがおいしかった」といい、来週行く予定の名古屋ではひつまぶし、手羽先などと思案中である。



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[舞乃空 オフィシャルサイト]
https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/manoa/
[舞乃空 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/manoa/news?ima=5719&ct=ryuko








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永井みゆき、秋の花をモチーフにした「津屋川みれん / 金木犀」 秋には岐阜・津屋川でイベントも [インタビュー]

◆ 真っ赤な色鮮やかな彼岸花と橙黄色の花を咲かせて甘い香りを放つ金木犀。どちらも秋に美しい花を咲かせる。それをモチーフに歌った歌手永井みゆき(テイチクエンタテインメント)の新曲「津屋川みれん / 金木犀」(2023年6月リリース)が好評である。彼女お得意のご当地ソング。8月23日にはデビュー以来、最多出演を記録する大阪発流行歌ライブで歌ったし、10月29日には歌の舞台になっている津屋川がある岐阜県海津市の産業感謝祭でも歌を披露することになっている。

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写真・永井みゆき、新曲「津屋川みれん」が好調


 毎年秋には岐阜県海津市を流れる津屋川の堤防3キロに渡って、約10万本の彼岸花が咲くという。市の名所でもある。
 それを背景に赤々と燃えるような切ない恋心を歌ったのが「津屋川みれん」(作詞・麻こよみ、作曲・宮下健二、編曲・南郷達也)である。

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写真・ジャケット

 永井か宮下健二の作品を歌うのは初めてである。印象的なのが 1番の♫ 未練の色か 赤々と 〜 2番の ♫ 心の痛み ちりちりと 〜 3番の ♫ 口紅よりも 赤々と 〜 と、言葉が繰り返される麻の歌詞である。

 ここを宮下は頭の言葉、たとえば1番ならば未練の「み」赤々の「あ」にアクセントをつけて歌うように、とアドバイスしたという。
 それによって「聴く人の印象に残る表現になるし、聴き心地が良くなる」というのである。
 これが多くの人に「今までの歌とイメージが違うね」と、指摘させるところなのでもある。

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 永井によると、宮下は初めて彼女の作品を書くのに際して、過去の歌を全て聴いたという。その上で「私に最も合う歌を考えてもらった」のが、今作「津屋川みれん」なのである。
 「先生の『津屋川みれん』を生歌で聴いて、渋くてハスキーで、なんて素敵な声なんだろう、といっぺんにファンになってしまいました」と永井。

■花の里を歌う

 今回、新曲を出すに際して、永井はご当地もので綺麗な花が咲いている土地をーと、作詞家の麻に希望を話している。

 そこで選ばれたのがメイン曲になった岐阜県海津市の彼岸花。カップリング曲の「金木犀」では、静岡県三島市にある三嶋大社の天然記念物に指定されている金木犀が選ばれた。花が散った後に2回目の花を開かせる2度咲きが特徴。樹齢1200年以上とされる巨木が花をつけるのである。

 「津屋川みれん」の舞台、津屋川の堤では9月23日に津屋川ひがん花まつりが開かれる。9月中旬から下旬にかけて、津屋川の堤防沿いを彩る彼岸花を今年は永井の歌がいっそう際立たせることになる。

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 また、10月28、29日の両日には「海津市産業感謝祭」が開催される。真紅の彼岸花が町を元気に盛り上げてくれる。

 実は永井は海津市とは浅からぬ縁がある。15年前に、♫ 美濃の平野に風さそう 〜 で始まる「海津市音頭」を歌っているのである。この歌でも津屋川とか彼岸花が歌われている。

 これはCD化されていないが、今再び海津市とを繋げてくれたことに、永井は「不思議な縁を感じている」という。16歳でシングル「大阪すずめ」( 1992年2月)でデビューした永井は今までに、全国14ヵ所のご当地ソングを歌ってきている。

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 秋の旅行シーズンに合わせたかのような「津屋川みれん」「金木犀」の2曲。永井は「新しい代表曲になるように、精一杯歌っていきます」と話している。


動画・

※写真・記事の無断使用はお断りします。

[永井みゆき テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/nagai/








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真木ことみ、「心紬ぎ」 聴く人を優しくしてくれる ノスタルジック演歌 [インタビュー]

◆デビュー31年目を迎えている歌手真木ことみ(日本クラウン)が歌う新曲「心紬ぎ」(作詞・浦千鶴子、作曲・弦哲也、編曲・伊戸のりお)。聴く人を優しい気持ちにしてくれる〈ノスタルジック演歌〉とも言われている。今まで男女の恋模様を数多く歌ってきたが、今作は少し趣きが違う。聴く人の多くは母親やふるさとを想い描くようである。涙する人もいるという。彼女も「ワンフレーズ毎に映像が浮かんでくる」と話す。

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写真・31年目で新たな境地に挑む真木ことみ


 「今までの真木さんの作品の中で一番好きです」
 「詞を読んだだけでも涙が滲んできて、心に響きました」
 新曲「心紬ぎ」を聴いて、こんな感想を寄せる人たちが多い。

 「親から子へ、人から人へ脈々と心を紬いでいく様子を歌っています」
 「心紬ぎ」の内容を真木はこのように説明している。

 真木自身、これを歌っていると「台所に立っている、ちょっと小さくなった母の姿が浮かんでくるんです」というほどで、「私の歌の幅を広げてくれた詞です」と話す。
 歌い手の真木はもちろん、多くの聴く人にとって、この歌はどこを取っても映像が浮かんでくるようである。
 3番のラスト、 ♫ 紬いで灯る 星の糸 〜 は「星が流れる夜空」(真木)を連想させる。

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 そんな歌を盛り上げるアクセントになっているのは、1番で言えば5行目の ♫ いつか いつかと 〜 と言葉が繰り返されるところ。ここで真木はファルセットを使っている。それは「感情をより伝えられるように表現している」からだという。

 今回、これを作詞したのは浦千鶴子。作詞を手がけて、まだ5、6年という新人である。高校生の頃にある作曲家のもとで、毎週3作を書いて添削を受けていたが、その後長く詞作の世界からは離れていた。

 カップリング曲の「幾・春・秋」も浦の作詞であるが、そこに出てくる「酔い話」は演歌・歌謡曲では目新しい言葉、と作曲を担当した弦哲也からも高い評価を得たという。

 このカップリング曲も「オススメです」と推す真木、「この歌は今まで生きてきた時の流れ、どのような人生でも道標になる」という。

 ところで取り分け演歌・歌謡曲は、優れた詞とメロディー、そして高い歌唱力を誇る歌手の歌唱といった三つが一体となって、聴くものの心を揺さぶるものであるが、少なくとも「心紬ぎ」はまさにそれがピタリと当てはまる。

 新曲への反応も良く、「手応えを感じている」1作のようであり、真木は「お母さんやふるさとを思い描いて聴いて歌って応援してください」と呼びかける。
 



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[真木ことみ オフィシャルサイト]
https://www.makikotomi.com/
[真木ことみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/maki/news?ima=0234








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田中あいみ、3rdシングル「愛の懺悔じゃないけれど」 これこそ歌いたかった作品 [インタビュー]

◆ 2022年の第64回輝く!日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞した田中あいみ(日本クラウン)が23年5月31日に3枚目のシングル「愛の懺悔じゃないけれど」(作詞・朝倉翔、作曲・杉本眞人、編曲・佐藤和豊)を出した。大人の女性を歌ったロック調のバラードで、「こういう歌を歌いたかった」と言うだけに、杉本メロディーは彼女にピッタリとはまっている。ファンからは早くもカラオケで歌っているよーといった声も聞かれるなど好スタートを切っている。来月からは細川たかし一門によるコンサートで、京阪神をはじめ各地を巡回する。

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写真・ロッカバラードがピッタリはまる田中あいみ


 「孤独の歌姫(シンガー)」で21年11月にデビューした田中あいみには、もう一つのデビュー曲候補があった。それが杉本眞人が書いた作品であった。「すごく格好良くて、杉本カラーが出た作品」(田中)だったが、採用されることはなかった。

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写真・3rdシングル「愛の懺悔じゃないけれど」

 3作目にして初めて杉本作品を歌うことになった訳であるが、杉本は田中に「今回の作品はメロディーが舞い降りてきた」と説明している。それほどの自信作に田中も「それに私の歌をのせられることは、とても幸せなこと」と、喜びを表している。

 「デビュー曲から2作は既存の先輩歌手を思い浮かべさせるような歌唱であったけれと、今作では私の魅力を存分に伝えられる作品になっています」
 と、これぞ勝負曲と言わんばかりの力の入れようである。

 発売後、各地でキャンペーンを行なっているが、デビュー時のイメージのちょっと突っ張った女の子から、少し大人になった女性を感じさせる姿に、観客は驚き顔のようでもある。
 キャンペーンの会場で耳を傾けているのは60代以上の女性が半数という。「カラオケで歌っているよ」とか「歌いやすくて良い」などと好意的な声が聞かれるという。

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写真・キャンペーンでも評判は上々

 オリコンチャートでは初登場3位。YouTubeで配信するミュージックビデオの再生回数も早くも14万回を超えているという。
 「1度聴いて終わりじゃなくて、2度3度と繰り返し聴きたくなる歌のようです。聴けば聴くほどに歌の魅力が伝わってくるような、そんな作品かなと思っています」

■音楽番組からバラエティー・トーク番組と幅広げる

 来月26日で23歳になる。4月には住まいを京都から東京に移して1人住まいをする。「関西大好き人間」と言うだけに、食べ物や素っ気ない人の仕草、人の多さなどーまだまだ東京には馴染めないところも多い。
 それでも仕事では歌番組だけではなく、バラエティ番組への出演もあるなど歌手田中あいみを知ってもらうための活動の幅も広がっている。
 「深夜に放送される浜田雅功さんのトーク番組では、緊張しながらも楽しめました」

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写真・初めての1人暮らしを始めた

 師匠の細川たかしからは日頃からから薫陶を受けている。デビュー直前の21年7月には名古屋・御園座での細川たかし公演で、「公演期間中の1週間、毎日ステージに立たせてもらいました」という。
 そこではデビュー曲となった「孤独の歌姫」のカップリング曲「涙のリバー」と日替わりのカバー曲の2曲を毎日歌って「歌手ってこういうものといことをみっちりと勉強させてもらいました」と田中。

 と同時にマネージャーからは挨拶の仕方など基本マナーを厳しく仕込まれたといい、こうした中で学生時代のトゲトゲした性格も和らぎ、今では随分と「まるくなりました」と笑うほどである。

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写真・今秋。第5回京都歌謡祭にも出演する

 9月3日には京都市右京ふれあい文化会館で開かれる第5回京都歌謡祭に、彩青・木下結子・寺本圭佑・まつざき幸介らと共に出演する。
 ステージでは新しい田中あいみが見られるはずである。


動画・田中あいみ

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[田中あいみ オフィシャルサイト]
https://aimi-official.jp/
[田中あいみ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tanaka-aimi/news








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石原詢子、10年間の封印を解いたしあわせ演歌「五島椿」 五島の島々の風を感じるデビュー35周年記念曲 大ヒットへと意欲 [インタビュー]

◆歌手石原詢子(ソニーミュージック)が初めて作詞・作曲して2023年5月24日に発売した歌手デビュー35周年記念シングル「五島椿」(作詞 / 作曲・いとう冨士子、編曲・若草恵)が話題である。石原自らが、いとう冨士子のペンネームで、思い入れのある長崎県五島を舞台に詞と曲を書いた。10年の封印を解いたしあわせ演歌というのも人々の興味をそそる。

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写真・明るいしあわせ演歌「五島椿」が話題の石原詢子


 去年暮にレコード会社のプロデューサーから「歌を書いてみませんか」と、話をもらったのがきっかけだった。
 詞や曲を書くのが好きで日頃から書き溜めていた石原であったが、約1ヶ月半をかけて新たな作品4作をレコード会社へ提出した。もし採用されるなら、明るくゆったりと流れるメロディーの「五島椿」だろうと思っていたというが、その予想は見事に的中。メイン曲になった。
 カップリング曲に採用された「流れる雲に」(同)も、同時に作った作品で、一途な恋心を歌っている。ファンも待ってましたとばかりに、発売直後のオリコンチャートでは5位と好スタートを切った。

■希望の花、五島椿

 35周年記念曲の舞台に五島を選んだ理由はー。最も気になった点であった。まず、そこから聞いてみた。
 石原と五島の関わりは、なんと20年前に遡るという。
 かつて仕事で訪ねた五島の島々には「コバルトブルーの海、緑に包まれた島の景色、異国情緒いっぱいの教会、そしてゆっくりと流れる島時間があった」と、石原はその魅力にいっぺんに惹かれてしまった。

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 時は流れて去年、デビュー35周年記念曲の話をもらった石原は、ひと時も記憶から消えたことがなかったあの美しい島を舞台にして書いてみたい、と迷わずに心に決めた。
 ところが頭の中にある島のイメージはすべて20年前のものである。それだけで書くのは「嘘っぽくなる」と、すぐに飛行機のチケットを手配して五島へ飛んだ。今の五島を見て感じるためであった。

 島ではたくさんの人に会って、島に関するあらゆる話を聞いた。するとなぜか島の印象は、今までの美しいだけのものとは全く違っていたのである。
 五島は島のあちこちに咲く椿が有名である。美しいその花は島の象徴でもあるが、現実にはただ美しいだけではなかった。

 「椿で様々なものが生産されており、想像以上に生活に密着していました。たとえば椿油や化粧品などは勿論のこと、人々の夢も紡いでいたんです。さらに椿は〈強葉木〉とも書きますが、これは文字通り風にも強く防風林として島民の生活を守ってくれていることからも、その意味は分かります」
 
 厳しい自然の中に生きる人々、それを支えるのが五島椿なのである。それは島民の夢を叶えてくれる力を持っていた。
 これを詞に盛り込まなければ、真に五島の歌にはならない。取材で彼女はそう感じている。
 さらに島のもうひとつの象徴でもあるのが、福江島の最西端にある大瀬埼灯台である。この白い灯台を抜きにしても、今回の歌は書けない、と考えた。
 1番の歌詞の冒頭には椿ではなく、この「白い灯台」を入れた。それに続けて「島の風」として、五島を表したのである。

■10年ぶりのしあわせ演歌

 「五島椿」は聴く人たちや歌う人々に幸せを運んでくれるーそんな歌である。
 石原詢子と言えば、酒にすがる悲しい女心を歌った「みれん酒」(1999)以降、悲しさを背負う女性ばかりを歌ってきた。まるで自身の代名詞かのように、しあわせ演歌を封印してきた。
 ところが今作は「今までのコロナ騒動で、ストレスも溜まりがちであった人たちが、優しい気持ちになれるように作った」(石原)といい、35周年を祝うのにも相応しい、明るく幸せ感いっぱいの演歌に仕上げた。

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■10年ぶりに封印を解いたしあわせ演歌が好調

 「ここらで幸せな気分になれる演歌を歌ってみたかったんです。ですから柔らかくて、ふわぁ〜とした感じの作品にしました。自分の声質にも合っているんでしょうか」
 これを聴いた人たちの反応も良い。五島の人たちの間でも「いっぱい宣伝しますよ、と新曲の発売を喜んでもらっています」と、歓迎ムードで盛り上がっている。

 これを受けて新曲を発売して間もない5月のある日、長崎県五島市の「五島市ふるさと大使」と、上五島町の「新上五島町観光物産大使」への就任が決まった。6月13日には五島市役所で五島市ふるさと大使の委嘱式も行われ、石原はそれに出席した。
 委嘱式に出るための五島への今回の旅は2泊3日であった。ところが「1週間もいたように思えるような楽しくて充実した内容でした」と、3度目の島への旅を満喫した。

 「8月にもまた2泊3日の五島の旅を予定していますが、来年、椿の花が咲く頃には島でコンサートを開きたいです」
 石原の「五島椿」にかける夢はどんどんとふくらんでいるようである。

■果てしないチャレンジ

 35周年を迎えた今年、石原が目指すところはなんなのであろうか。40周年に向けてのステップの年である事には違いないが、取り分け「新しい楽曲をはじめ、今までにやった事のないものへとチャレンジしていきたい」と意欲をみせる。

 今作「五島椿」のシングルにはカップリング曲に2曲を収録しているが、そのうちの1曲「予感」(作詞・岡田冨美子、作曲 / 編曲・川口真)は去年、自身初の配信シングルとしてリリースしたもので、このところ増えている若い年代のファン層に支持を増やしている。
 これも新しい取り組みのひとつである。

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写真・大ヒットの1曲にと期待を膨らませる

 このところ低迷が続く演歌界ではあるが、こうしたチャレンジの中から大ヒットへとつながる可能性は少なくはない。石原は「それが演歌の活性化になるでしょうし、その大ヒットが私であったらいいなぁ、と思っています」と、35周年にかける夢を語った。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[石原詢子 オフィシャルサイト]
https://junko-ishihara.com/
[石原詢子 ソニーミュージック]
https://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/








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北山たけし、デビュー20周年記念曲「さすらいの街」 新たな自分のカラーへ [インタビュー]

◆ネット配信やグッズ制作など、いろんな新しい事にも挑戦していきたいですー。先頃、北島音楽事務所から独立した歌手デビュー20周年を迎えている北山たけし(テイチクエンタテインメント)は、新たな取組みへの意欲を語った。2月に出した記念シングル「さすらいの街」は、今までの男臭い演歌から、哀愁漂うムード演歌になっている。「しっかりと自分のカラーとして定着させていきたい」と話している。

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写真・新たな哀愁演歌に挑戦する北山たけし


 20周年記念曲「さすらいの街」(作詞・伊藤美和、作曲・弦哲也、編曲・猪股義周)は、男の切ない気持ちを表現した哀愁演歌である。当初は20周年に相応しいスケール感の大きな楽曲を、といった提案もあったというが、「自分の新しいカラーにしたい」という思いから、作曲家の弦哲也に「北の旅人のような作品を」と依頼した。

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 元々、北島三郎が歌う演歌が大好きでこの世界に入った北山であるが、5〜6年前から「低音に魅力を感じる。ムード演歌・歌謡曲を歌うといいよ」といったアドバイスをもらうようになり、少しずつそれに応えていた。

 そしてデビュー24枚目のシングルとなった今作で思い切って、それを形にしたのが「さすらいの街」であった。
 カップリング曲は「春は来るだろう」(同)。再スタートに相応しい明るく希望を感じさせる楽曲である。

 20年の間には「悩んだ事もあったけれど、概ね楽しかった。しかも節目節目の年は、より充実していました」と北山。
 20周年は今まで以上に大きな節目である。それだけに「チャレンジの年にしたいし、20年目だからこそ出来る企画を考えたい」と、意欲満々である。

 たとえば各地での北島兄弟やファミリーのコンサートもそうだが、YouTubeなどSNSを使ったネット配信も手掛けていきたいとする。得意のデザインを活かしたグッズ制作も考えている。すでにファンクラブ向けハッピも自らデザインをして制作を進めているという。

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 今春、北山と共に原田悠里、山口ひろみ、大江裕も一緒に独立している。今まで北島三郎という大きな船に乗り、外からの風にも大きな壁が防いでくれていた。
 それがなくなった今は「不安がないと言えば嘘です。師匠に背中を押されて、小さな船で漕ぎ出した訳ですが、〈頑張っているな〉と言ってもらえるようになりたい」と、目を輝かせていた。

 また北山は「独立してこれからが本当の勝負です。低音の響きを生かした哀愁演歌をしっかりと歌って、新しい自分のカラーを作っていきたいです」と話していた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[北山たけし オフィシャルサイト]
https://kitayama-music.co.jp/
[北山たけし テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kitayama/








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羽山みずき、新曲「ひとつ花」 感情をストレートに表す主人公に新たな自分自身を見せる [インタビュー]

◆東京での生活も7年になるという歌手の羽山みずき(日本クラウン)。山形・鶴岡市出身で、「庄内弁の〈英才教育〉はみっちりと受けてきました」と笑ってみせる。そうはいうものの、標準語もかなり板についてきたようである。庄内人は多くを喋らず、以心伝心の文化が根付いているという。2023年3月に発売したシングル「ひとつ花」(作詞・峰崎林二郎、作曲・聖川湧、編曲・南郷達也)では、♫ 私一人を愛してください 〜 と感情をストレートに表現する女性を歌っている。羽山には驚きの、初めて演じる世界である。周りからは新しい羽山みずきを見るようだ、と云った声も聞かれる。

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写真・新たな歌世界に挑戦する羽山みずき


 「ひとつ花」の作詞は峰崎林二郎である。羽山にとっては初めて一緒に仕事をする作詞家である。作曲の聖川湧は羽山の師匠で、デビューから彼女の作品を手掛けている。

 作詞の峰崎は星野哲郎が主宰した作詞塾「桜澄舎」の門下生である。広告代理店でCM制作をしていた時に、ここに加わって作詞の勉強を始めたのが第1歩だったという。
 デビュー12年目の1988(昭和63)年には、坂本冬美の「ひとりの夏祭り」で第20回日本作詩大賞新人賞を受賞している。
 今も「歌の詩はこころの薬」という星野の言葉を大切に、詩を書き続けているという。

 「今作の歌詞が短いのに驚きました。わずか5行しかないのです。最近の演歌・歌謡曲では短いですよね。感情の波をどこへ持って行けばいいのか、とても難しかったんです」と羽山。
 多くを語らない庄内人と言えども、今までの作品との違い、この初体験の短さにはためらったようである。

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写真・年々表情も柔らかくなる羽山みずき

 感情の入れ所を迷った羽山が見つけたそれは、最後の5行目にある ♫ 私一人を愛してください 〜 であった。
 しかし彼女が今まで歌ってきた作品の多くは、主人公がはっきりと意思表示をせずに「淡い恋心をふわぁ〜と表現していたのに対して、今作は私一人を〜と、ストレートに主張しています。こんな主人公はいなかった」と戸惑いを隠せなかった。

 ところがファンからは「今までと違う一面を見ることが出来て良かった」とか、「カラオケで歌いやすい」などと、概ね好意的な声が聞かれる。
 しかも羽山自身も「短い歌詞は逆に聴いている人に伝わりやすい」と、今では前向きにとらえるほど。

 羽山は友人や年配者に「私一人を愛して、と言われたらどう思うか、とリサーチしました」と明かす。
 そんな事を言われると記者は、重たく感じて距離を置きたくなるのではーといった回答を想像した。ところが、なんとあらゆる層から「そのように伝えられると嬉しい」といった声が多く返ってきたというのである。

 確かに近くにそんな女性がいたら舞い上がってしまうかもしれない。
 でもこの主人公は好きになった人の何気ない様子や態度が不安で仕方がない、恋の始まりなのである。そんな気持ちを庄内人の羽山が表現すると、切なくもあるが甘酸っぱい青春歌謡のような恋歌になる。


動画

 その羽山が去年春から文化放送で初めてのラジオパーソナリティを始めている。毎月第3土曜日の午前3時から5時までの番組「ヴァイナル・ミュージック〜for.EK〜 #大人の歌謡クラブ」 がそれ。
 「毎日の生活の中から話のネタを集めてメモを取るようにしています。ゲストさんにはどうすれば話をしてもらえるかをいつも考えています」

 番組ではほぼ2時間を1人で話し続ける。寡黙でなかなか言葉で表さないという庄内人にとっては、またとない話すレッスンの場なのかもしれない。
 
※写真・記事の無断使用はお断りします。


[羽山みずき オフィシャルサイト]
https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/hayama_mizuki/
[羽山みずき 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/hayama/news?ima=5229








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ハン・ジナ、好調な「天窓〜愛という孤独〜」 ライバルは自身のロングヒット曲「窓」 [インタビュー]

◆歌手ハン・ジナ(日本クラウン)が2023年3月に発売した新曲「天窓〜愛という孤独〜」が好調である。愛する事も愛されることにも疲れたわ、だからしばらく1人にしておいて・・・。そんな物憂げな女性の呟きが聞こえてきそうな歌である。オリコン初登場は5位で、4月24日付のチャートでは29位にランキングされている。歌唱は今までの彼女のカラーを拭い去って、声をはっきりと前に出すように心がけて「クセを直した」という。

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「天窓〜愛という孤独〜」は自身のヒット曲「窓」を超える勢い


 自身の作品でロングヒットを続けている「窓」を上回る勢いを感じるという「天窓〜愛という孤独〜」
「歌いやすい」と評判だという。
作詞は 田久保真見、作曲は徳久広司。2人による作品は6年ぶりである。編曲は矢田部正が担当している。
 レッスンでは「言葉が前に出るように、はっきりと発音する」とアドバイスを受けたという。

2012年11月にシングルリリースされ、後に自身の押しも押されぬ 代表曲となる「窓」は、翌々年に日本クラウンのシングルヒット賞を受賞している。その後5年間連続して5作品でヒット賞を獲得して、「窓」は17年に日本作曲家協会音楽祭・2016でロングヒット賞を受賞した。
 ここ数年はヒット賞からも遠のいているが、新曲「天窓〜愛という孤独〜」は「久しぶりにヒット賞を」(ハン・ジナ)狙える感触をつかむまでになっでいる。

 長引いたコロナ騒動もようやく一段落して、今回の約1週間に及んだ関西キャンペーンは、実に4年ぶりであったという。去年は東京・原宿のライブレストランラドンナで3年ぶりにバースデーライブを再開している。
 まさに本格稼働である。九州など各地のカラオケ発表会からゲストに、といった声もたくさんかかる。こんな時は「人気の新曲を生で聴いてもらえるいい機会」と、彼女は楽しみに出かける。休んでいる韓国ツアーも再開させたいとも。

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 久々の関西キャンペーンでは、仕事の合間をぬって京都・円山公園で桜の花も見る事ができた。大阪では必ず食べるというお好み焼きとたこ焼きも味わった。
 韓国から来日して26年になるという彼女、「母国の韓国よりも日本での生活が長くなろうとしています。落ち着いた文化、秩序ある国民性など、そんな日本が大好きです」

 彼女が語りかけるように歌う「天窓〜愛という孤独〜」。♬ だからごめんなさい 〜 だから愛さないで 〜 最も歌の主人公になりきれるところだという。
 ハン・ジナは「新曲は代表曲の『窓』に天が付いたタイトルだから、それを越す楽曲になる」と自信を強めている。




※ 写真・記事の無断使用はお断りします。


[ハンジナ オフィシャルサイト]
http://www.b-han.jp/
[ハンジナ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/han-jina/news








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葵かを里、新曲「吉野 千本桜」 静御前の悲恋物語をモチーフに 20周年に向けての大きな足跡に [インタビュー]

◆舞いながら歌う歌手、葵かを里(徳間ジャパンコミュニケーションズ)が来年、デビュー20周年を迎える。それに先駆けて2023年3月1日に発売した「吉野 千本桜」(作詞・麻こよみ、作曲・影山時則、編曲・竹内弘一)は、舞台となっている奈良・吉野が、踊りの名手で源義経との悲恋の物語で知られる白拍子の静御前ゆかりの地であることから、「彼女にあやかって、吉野をぜひ歌にしたい」(葵)と、7年前から構想を練っていた作品。先ごろ吉野町観光大使にも任命されており、一目千本として有名な、世界遺産でもある吉野町にある吉水神社で歌の奉納も行っている。

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写真・葵かを里


 葵かを里が吉水神社で歌い舞ったのは、約8百年前の静御前に次いで2人目だという。吉水神社でそう聞かされた葵は、天にも舞い上がるような気持ちであった。何しろ日舞では芙蓉流の名取りというから、静御前は歴史上の人物ながら、踊りの先達として尊敬して止まない存在なのである。

 静御前は源義経と武蔵坊弁慶らの一行と、源頼朝から追われてほんの数日間、吉水神社に身を潜めていたと言われている。その境内からは、一目千本と言われる〈中千本〉と〈上千本〉の桜がよく見える。
 そこで葵は今年1月にミュージック・ビデオ(MV)を撮影してしているし、3月にはまた、観光大使の任命式で義経と静の2人が暮らした居間の窓からよく見える庭に桜の苗木の植樹も行っている。

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写真・観光大使任命式で舞って歌う葵

 葵かを里の桜の木と書かれた札が吊り下げられた〈葵桜〉がそれである。その成長を見るためにも「毎年、吉野へ通わなければいけませんね。桜が成長するのに合わせて、私も歌手として大きくならなければ」と葵。

 「吉野 千本桜」は、吉野での義経と静御前の涙の別れを、現代にも置き換えられるような悲恋のストーリーを麻こよみが書いている。7年前、後援会の人たちに連れられて初めて目にした〈奥千本〉の桜の見事さに心を奪われた葵は「いつかはこれを歌にして歌いたい。と決心したんです」と話す。

 CDはタイプAタイプBの2種類を同時発売している。
 タイプAはメイン曲の「吉野千本桜」のほか「明日への虹」「夢さくら」(2016年発売バージョン)「二月堂」(14年)の3曲も収録している。
 タイプB「吉野千本桜」「明日への虹」の2曲と「吉野 千本桜」のミュージック・ビデオ、同舞踊映像、同字幕入りカラオケも収録している。
 ジャケット写真の着物はいずれも桜柄。タイプBの黒色地の着物は徳間ジャパンの先輩歌手、松前ひろ子からプレゼントされたものだという。

葵かを里 吉野 千本桜 タイプA.jpg葵かを里 吉野 千本桜 タイプ B.jpg
写真・「吉野 千本桜」タイプA(左)と同B

 葵が歴史上の人物を歌うのは初めてのこと。「実は私は歴史が苦手なんですよ」と明かしたが、吉野の山をみていると「千年近い時代を超えたスケールの大きな恋物語を味わうことが出来ます」と、歴史の壮大さに浸っていた。

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写真・吉野杉で作ったストラップ

 彼女は今までにも作品にちなんだグッズを作ってきている。今回は吉野町の名産品である吉野杉を使ったストラップを手作りしているし、併せてロングタオルも用意しているという。



 3月1日の発売から好調なスタートを切っており、歌謡教室の中には早速、課題曲に選んでいるところもあるほど。葵は「毎日、仕事のスケジュールを頂いており、1日も休む暇がありません」と、来年の20周年に向けて一気に盛り上げていく構えである。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[葵かを里 オフィシャルサイト]
http://wwwb.jnc.ne.jp/aoikawori/
[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_kawori.html








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レイジュ、徳間移籍第2弾は大人のラブバラード「大阪なみだ雨」 悲しみの涙なんかじゃないよ [インタビュー]

◆歌手レイジュ(徳間ジャパンコミュニケーションズ)は来日して約20年になる。永く九州・久留米市を拠点に、本名の謝宛君(しゃ・わんちゅう)として活動をしてきた。2019年に荒木とよひさ作詞の「いのちの愛」(作曲・羽場仁志、編曲・竹内弘一)でテイチクから、芸名も麗珠(れいじゅ)に変えてメジャーデビューしている。これを機に全国に活動の場を広げ、22年には徳間ジャパンに移籍。今度は今のレイジュに改名しての再スタートであった。その第2弾となる大人のラブバラード「大阪なみだ雨」(作詞・髙畠じゅん子、作曲・田尾将実、編曲・竹内弘一)を去年10月に出している。

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写真・徳間ジャパン移籍第2弾の「大阪なみだ雨」が好評


 去年から活動の中心を東京に移している。九州へ帰るのは月に1度くらいになった。それでも今も九州では「わんちゅう」で親しまれている。
 日本での歌手デビューはキングレコードから出した「追分おんな節」(2011年)で、着物で歌う演歌であった。14年には来日2枚目のシングル「ほの字酒」を徳間ジャパンから出している。記者はこの頃、久留米で歌う彼女を取材している。

 「大阪なみだ雨」はメジャーデビューして4枚目のシングルである。「初めて歌う、わたし好みの、ゆったりとしたリズムの楽曲です。しかも感情を入れやすいロマンチックな歌です」とレイジュ。

 忘れられない人との終わった恋だけど、この涙は決して未練で流すのではない。「夢を見た幸せなひと時を胸に抱いて、明日へと歩み出すために流しているんです」
 この詞とメロディーが彼女の声と重なって歌の魅力は増してくる。だからであろうか、カラオケで歌う人も増えているという。

■初めてのKOBE流行歌ライブ出演

 3月9日、神戸市内で開かれたKOBE流行歌ライブに初出演して、新曲「大阪なみだ雨」の生歌を初めて関西の人たちに披露した。
 会場は港に近い神戸ハーバーホールであった。実は神戸には忘れられない思い出がある。日本でデビューして間もない頃、神戸にやって来た事があるという。
 「大阪で新曲のキャンペーをするために1人で車に乗って九州からやって来て、港の近くにあった神戸のホテルに宿泊したんです。キャンペーン先から衣装の着物のままで車を運転してホテルに入りました」

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写真・関西で「大阪なこだ雨」を初披露するレイジュ

 それから何度か大阪でキャンペーンを重ねて、馴染になった人たちも少なくはない。今回、大阪を舞台にした新曲を歌うことで、大阪・神戸がより身近な存在となったようでもある。
 さらにその懐かしい神戸で、自身の30分のステージを務める事が出来て感慨無量であったようで、その晩に飲んだお酒は格別だったようで、終始満面の笑みを見せていた。

■ワンマンライブで新たなファン作り

 去年10月から東京・五反田でワンマンライブを開催している。今までに3回行っており、2ヶ月に1度の開催を目指して、次回は6月に予定している。
 約40人を収容できる会場では毎回、生バンドを入れて、休憩をはさんで約90分のステージで、オリジナル曲のほか懐かしい昭和歌謡を選んで18曲ほどを歌っている。

 「昭和の名曲は毎回、選曲を変えています。その都度、歌を覚えなければいけないし、バンドとの息の合わせ方やお腹から声を出して歌うことなど、色々と勉強になります」

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写真・昭和歌謡の名曲を揃えた定期ライブ東京・五反田で開いている

 そんな彼女が好きな昭和歌謡は「骨まで愛して」「小指の想い出」「星影のワルツ」など、レパートリーは少しずつ増えてきた。観客からのリクエストもある。毎回新しい歌を覚えて歌うのは苦労も伴うが「ライブの固定ファンも徐々に増えているのも励みになっている」というから、楽しいことでもある。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[レイジュ オフィシャルサイト]
https://twitter.com/rayju55010
[レイジュ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
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舞乃空(まのあ)、現役高校生 「うたかた」で2月8日デビュー 地元大阪でお披露目キャンペーン [インタビュー]

◆大阪・藤井寺市出身で高校3年生の舞乃空(まのあ)が2023年2月8日、80年代アイドル・ニューミュージックを思い起こさせる初恋ソング「うたかた」で日本クラウンから歌手デビューする。この日午後4時からは、同八尾市のショッピングモール、アリオ八尾でデビューシングルのジャケット写真と同じセーラー服姿でデビュー曲を披露する。

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写真・まだあどけなさが残る高校3年生歌手の舞乃空


 身長153センチと小柄ではあるが、所属事務所のサンミュージックプロダクションが「今年、イチ推し」と太鼓判を押す、期待の新人である。
 小学3年からテレビの歌番組に出演するほか、カラオケコンテストやNHKのど自慢に出場してチャンピオンの座を獲得してきた。中学2年で出場したのど自慢ではグランドチャンピオン大会にも進出して、祖父が好きだった石川さゆりの「能登半島」を歌ったのがきっかけで日本クラウンからスカウトされた。

 「大会終了後にNHKの方から呼び出されたのですが、何か失敗をやらかしたのかなと思って、ドキドキしていたんです。するとクラウンさんから電話があったと知らされました。迷いはなく、すぐにOKしました」

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写真・デビュー曲の「うたかた」

 舞乃空が仕事として歌手を意識するようになったのは中学1年になってからであった。「小学生の時から歌っていましたが、仕事にしたいと思うようになったのは中学生になってからで、奈良市内までレッスンに通うようになりました」

 中学を卒業すると母親と一緒に上京し、堀越高校の芸能科に入学する。すぐにデビューする予定であったが、新型コロナの蔓延で延期になっていた。しかしこの間、月に1度大阪の実家に戻って、レッスンを受け続けることで、「歌手デビューへの自信がつきました」という。

 歌うことが大好きで、普段は音楽スタジオや自宅の風呂などで声を出している。同時に鏡に姿を映して表情を研究したり、YouTubeで女性シンガーのライブ映像を見ることで、マイクを持たない方の手の動きなどを真似るといった勉強も怠らない。

 ところで芸名の舞乃空は本名である。その由来は、両親が結婚式を挙げたハワイ・オアフ島ホノルル地区にある地名「マノア(Mānoa)」から取ったもので、意味はハワイ語で「広い」という。

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写真・2月16日には卒業式を迎える。それ以降は歌手に専念するという

 デビュー曲の「うたかた」(作詞・金子麻友美、作曲・金子麻友美、編曲・SHIKI)は、青春の思い出を懐かしく思い起こさせてくれる初恋ソング。80年代に流行った歌を連想させるようなメロディーは、年代を超えて共感を得られそうである。
 カップリング曲の「春凪(はるなぎ)」(作詞・重永亮介、作曲・重永亮介、編曲・重永亮介)は、春に旅立つ若者、それを送り出す親の気持ちを歌にしている。まさに自らを表現したかのような作品である。
 「歌詞を読んでびっくりしました。まるで自分のことを歌っているようでもあったからです。母を思って歌っています」と、想いを込める。

 大橋純子の「たそがれマイ・ラブ」が好きで良く歌っていたが、演歌・歌謡曲、JPOPとジャンルを問わずに歌いこなす。
 これからは「歌詞を伝えられるように、言葉を大切に歌って、聴いてくれる人たちが気持ちを高めたり、幸せを届けられるような歌を歌いたい」と夢を膨らませる。
 尊敬する歌手、玉置浩二もまた「歌うというよりも語っているような、言葉を届けているところが好きです。玉置さんのような歌手になりたい」とも。

 彼女にはもうひとつの夢がある。身寄りのない犬・猫をはじめ動物たちのシェルターを作って保護活動をしたいというのである。動物との触れ合いが大好きで、乗馬技能認定5級も持つほど。歌手にならなければ、そんな専門学校へ行っていたかもしれない。



 きょう2月8日はデビュー日キャンペーンである。人前で歌うのは、のど自慢グランドチャンピオン大会以来。両親や中学時代の同級生たちも応援に来てくれるという。
 デビュー前日にはラジオ放送にも出演したが、本番前は「子鹿のように体が震えるんです」と言うが、1度マイクに向かうと「アドレナリンが湧き出て楽しくなります」と、実に頼もしい。

 2月9日には神戸市中央区の神戸ハーバーホールで開かれる第207回KOBE流行歌ライブにも出演する。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[舞乃空 オフィシャルサイト]
https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/manoa/
[舞乃空 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/manoa/news?ima=2120&ct=ryuko










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津吹みゆ、嵯峨野路に女の情念を燃やす  デビュー8年目の「おんなの嵯峨野路」 [インタビュー]

◆若いカップルや女性たちの人気が高い京都の西、嵯峨野。ここに生きる女が想い人への胸の内を届けてとばかりに心の声を響かせる。そんな恋物語「おんなの嵯峨野路」を日本クラウンの津吹みゆが歌っている。「等身大から少しお姉さんになりました」と、作品を通して成長している。

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「おんなの嵯峨野路」は津吹にとって11枚目のシングルになる


 津吹みゆは2022年9月に京都・嵯峨野でプライベート旅行を楽しんでいる。10月に発売する「おんなの嵯峨野路」のイメージを膨らませためのものであった。15年2月に18歳で日本クラウンから「会津・山の神」でデビューした彼女にとって、大好きな宝塚歌劇などがある関西は馴染みのある地である。

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デビュー8年目で初めて歌の舞台でイメージ作りに挑戦もした

 とりわけ京都は前作「壇ノ浦恋歌」(22年3月)が、滅亡した平家一門と女の熱い恋心を重ねて歌ったものであり、「おんなの嵯峨野路」に登場する祇王寺は、平清盛の寵愛を受けた祇王が清盛の心変わりで出家した尼寺である事であることからも、津吹はそこに今作の縁を見ている。

 この作品は津吹にとっては平家物語で繋がった女の情念シリーズの第2弾であったのである。
 「嵯峨野路を実際に歩くと景色が目に飛び込んできますが、それに伴って頭の中では自分の中で描いた物語の主人公が浮かんできました」

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 こうして歌の舞台になる土地を歩いたのはデビュー8年目で初めての事であった。
 津吹は「仕事で関西に何度も足を運んでいても、こうして現地へ行くことは難しかった。実際に自分の目でゆっくりと見る事で歌のイメージ作りをして、表現に役立てる事は出来ません」と話している。

 こうして歌う「おんなの嵯峨野路」は好調に推移している。発売1ヶ月後の11月29日にはNHK総合テレビで放送された「うたコン」に、ソロでは初の番組出演を果たしている。
 ♫ 指折り2年の歳月(としつき)は〜 で始まる「おんなのー」の冒頭の2行は歌う際に神経を使う箇所だという。
 「ここは所謂、語りの部分で、棒読みにならないようにボリュームを下げて歌っています。抑揚を付けて表現が求められるのてますが、胸にキューンと来て苦しくなるところでもあります」

 歌の3番のラストで祇王寺が登場する。そしてそこへつなげる歌詞が ♫ 風があなたの声になる 〜 である。
 「ここまて想いを燃やす相手がいるのは女性にとっては憧れでもありますね」
 津吹も嵯峨野の竹の道でそんな声を聞いたのかもしれない。


 記者は業界関係者たちと歌の舞台を訪ね歩くウォーキング会「歌を歩く」を主宰しているが、2023年1月にはこの「おんなの嵯峨野路」を取り上げ、祇王寺などを訪ね歩くことにしている。
 この時の模様は「Music news jp」でレポートすることになっている。



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[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubukiMiyu/top.html
[津吹みゆき 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tsubuki/news








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仲良し歌手3人 北川紀恵・あずみ万里子・沢富美子 皆さんに覚えてもらえるように歌いたい 道頓堀歌謡ONステージ [インタビュー]

◆歌手林健二主宰の道頓堀歌謡ONステージの2023年新春公演が1月9日、大阪・道頓堀の道頓堀ZAZAで開かれた。これに出演したあずみ万里子は3度目の出演で、横浜を中心に活動している。同ステージでは常連の北川紀恵の友人であり、テレビのカラオケ番組で共演したのが出演のきっかけに。その北川のもう1人の友人、沢富美子はこの日、2人の応援にやって来た大阪・枚方市在住の2011年デビューの歌手である。3人は今では一緒に旅行をするほどの仲良し。あずみが今年5月に横浜・中華街のホテルで開催を予定しているデビュー15周年記念パーティーには、北川も応援に駆けつけるという。

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写真・左から沢富美子、あずみ万里子(中央後)北川紀恵


 新春公演には2回の公演に分かれて、15人の歌手・舞踊家が出演した。北川紀恵あずみ万里子は2回目の公演で最新曲などを歌った。
 「北の桟橋」「恋して神戸」といった1昨年発売のオリジナル曲を聴かせた北川は、「発売2年目の『北の桟橋』を皆さんにさらに歌ってもらえるようにアピールしていきたいです」と、話す。

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写真・北川紀恵

 北川は以前、KBS京都テレビ(京都市)で放送するカラオケ番組で司会をしていたが、その相棒があずみ万里子であった。
 あずみは3年前に、歌手活動を支援してくれていた主人を亡くして落ち込んでいた時に、「ノラ」などで知られる歌手木下結子の「ウヰスキー」を聴いて、元気付けられたという。

 「♫ 人生はやり直しがきくのよ いいことあるって思わなくちゃ〜 」の歌詞が心に響いたといい、以来、同じ歌手でありながら木下の追っかけをするほどの熱いファンになった。
 同ステージで歌う彼女の応援に木下本人も駆けつけるといったサプライズもあったほど。

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写真・あづみ万里子

 あずみは今年5月でデビュー15年を迎える。この間にに出したCDはデビュー曲の「今も神田川」「愛が消えないように」のシングルが2枚と少ないが、15年を機に新曲の発売も計画する。「リリース枚数を競うのではなく、ロングセラーを目指しています」と話す。
 新曲は北川大介、木下結子、まつざき幸介らをゲストに招くデビュー15周年記念パーティーで披露される予定である。

 北川は去年、大阪市内のホテルでデビュー10周年を記念したパーティーを開いている。それが終わってあずみたち数人と淡路島観光を楽しんでいる。
 その中に沢富美子もいた。09年に主人を亡くし、翌々年に「約束」で歌手デビューした彼女は今年、5枚目のシングル「幸せ運ぶ枚方の街」をリリースする予定である。沢たちは「枚方市民は誰もが喜びそうな、明るい歌です」と期待を寄せる。

 生後8ヶ月で40度の高熱に襲われて、それが原因で視神経に障害が生じて、今は極度の弱視に。それでも耳は研ぎ澄まされており、好きな音楽の分野で花を咲かせたわけである。

 鍼灸マッサージ師の資格を持ち、枚方市内で鍼灸院も開業している。院内では「常に音楽が鳴りっぱなしだという。「島倉千代子さんや石川さゆりさん、香西かおりさん、神野美伽さんなどの演歌が好きですね。美空ひばりさんの『悲しい酒』も大好きです」と沢。

 3人は「皆さんに自分たちの歌を覚えてもらえるように歌っていきたい」と、口をそろえていた。

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北川紀恵、テレビ・ラジオに活動を広げる  来年からはジョイントコンサートも [インタビュー]

◆歌が上手くなりたいー。そんな軽い気持ちから、自分が歌った歌を録音したテープを、歌唱審査などを行う団体に毎月、7年間に渡って送り続けて指導を受けていたのが、北川紀恵(メロディーレコーズ)が歌手デビューするきっかけであった。2022年10月にはデビュー10周年記念パーティーを開いている。21年には新曲4曲をリリース。ステージをはじめテレビにラジオにと活動を広げているところである。。

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写真・北川紀恵


 北川紀恵は滋賀県長浜市の出身。歌を歌う事が大好きで、同じ滋賀県出身の作曲・編曲家の蘭一二三が代表を務める日本音楽振興会(東京都港区)の指導を受け続けていた。歌唱テープを送っているうちに、少しずつ段位が上がっていくのが歌う励みになったという。

 「頑張って長年続けてきたご褒美だったのでしょう、蘭先生から楽曲を頂き、CDデビューすることになりました」
 2009年のことであった。「お母さん」「大阪めぐり逢い」の2曲をランレコードから出した。2人の子育てから手が離れた事もあって、翌年から歌手として活動を始めた。11年には「恋の大阪」もリリースしている。

 振興会では毎年、年末にクリスマス大会が開かれていた。北川も東京・渋谷のけやきホール(古賀政男音楽博物館)で行われた大会に出演して、たくさんの会員を前に「お母さん」と「大阪めぐり逢い」を歌っている。
 「無我夢中で何を歌ったか分からなかった」ほど緊張した、デビューまもない頃のステージであった。

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写真・毎週土曜日にサンテレビで放送中のプレミアム歌謡ショーにも出演

 17年になって今度はメロディーレコーズから「祇園すずめ」(作詞・作曲・編曲:蘭一二三)を発売した。カップリングは「じょんから峠」(作詞・金谷怜
沙、作曲・編曲:蘭一二三)であった。
 自分のCDがCDショップで買ってもらえるようになったのである。

 そんな喜びの反面「素人時代と違って、歌を聴いてくれる人たちの厳しい目を感じるようになりました。カラオケコンテストで優勝したキャリアもなければ、華々しいものは何もないので、劣等感ばかりの毎日でした」という。

 歌手としての自信が持てるようになったのは、歌う実績も積み重ねたデビューして10年が経った頃だという。
 「それまでは歌うたびにドキドキして、歌を表現するどころではありませんでしたが、ようやく表現することができるようになったかな、と思うようになりました」

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 そして21年には、たきのえいじ作詞の「北の桟橋」「恋して神戸」「上を向いて歩こうじゃないか」「夫婦ごよみ」の4曲をリリースしている。目下、これのキャンペーンを続けている。

 テレビの歌番組にも出演する。「見たわよ」「良かったよ」と言ったLINEメールをもらうたびに、北川は「その1つひとつがエネルギーとなって、今まで歌う事が出来ました。自分の歳を考えると、どこまで歌っていけるか分かりませんが、皆さんの応援を支えにこれからも歌います」と、意欲を見せている。

 12月からはまた、コミュニティFM、FM845(京都・伏見)の毎週木曜日正午から放送している新番組「ただいまHAPPY~ブレイクちゅ~」の第2木曜日のメインパーソナリティを任されている。アシスタントは京都で活動する歌手速水桔平が担当する。
 来年はこの速水と「ジョイントコンサートを年2回は行っていきたいです」と、大きな計画を立てている。




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入山アキ子、新たな主人公演じる15周年記念曲「一泊二日」 チーム制導入で効率化も [インタビュー]

◆歌手入山アキ子(テイチクレコード)がデビュー15周年を迎えている。1作1作と実績を積み上げている姿は逞しくも映る。この周年を記念した新曲の「一泊二日」(作詞・久仁京介、作曲・四方彰人)で、 ♬ 宿に着くまでは他人です ~ と唄うそれは、主人公に成り切って演じるように、道ならぬ恋を唄っている。歌のストーリーは昔からの王道演歌である。それを入山が自らの声でどのように表現するか、歌手としての大きな試金石でもある。12月18日には大阪・西心斎橋のホテルでライブを開催して、それを披露する。

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入山アキ子


 所属するワクイ音楽事務所(増田峰夫社長)のスタッフやテイチクのディレクターなどからなるチーム入山のメンバーは、今回の新曲のタイトルを今までにない「一泊二日」にした。
 妻子ある男性と一泊二日の旅をするという歌詞の内容といい、そのものずばりに表現したタイトルは、入山にとっては大きな冒険であったことは確かだ。
 デビュー当時から彼女を見ている業界人は、どうしてこんな歌を歌うのかーと、反対したという。それほど入山のイメージとはほど遠い作品だったのである。

 道ならぬ恋、許されぬ恋を歌った今回の作品は、入山がこれまでから女性ファンが多かった事もあったのか、「あまり色気を出さない歌を歌ってきた」ことも彼女のイメージを固定化してきた。
 それを今作では硬い鎧を脱ぎ捨てて、女性の純粋な気持ちを演じるドラマの主人公になり切っている。

 久仁京介の作品を歌うのは初めてである。20代の頃に出場したカラオケ大会は久仁の名前を冠にしたイベントだった程度で、今回の制作に際してまず電話で話したのが最初だった。
 「入山のアルバムを聴いてもらって、作品のイメージ作りの参考にしてもらった」

入山アキ子 一泊二日.jpg

 「艶歌は難しいですね。もとは農家の娘ですから、何もかも初めての事が多く、出された課題にその都度挑戦してきた15年でした。今回、作曲をして頂いた四方彰人先生のギターに合わせてレッスンしてもらってOKをもらいましたが、永遠に挑戦で(歌手として)終わりのない旅を続けていきます」

◆チーム制を導入

 入山は前作の「人生七曲り」からチーム制を採り入れた。プロモートの計画など、今まで入山が全て1人で関わってきたが、それをチーム入山のスタッフが分担し協議して決めるようになっている。
 これによって歌う事に専念出来るようになった。1人で何もかもをこなすには限界がある。例えば今までならば、依頼があったポスターを発送など細かな仕事まで、全て自分でやらなくてはいけなかったという。
 それが色んな場面でサポートしてもらえるようになり、「やっと他の歌手の方たちと同じような活動が取れるようになりました」と話す。

 ちなみに社長の増田峰夫は、ナベプロ大卒1期生で、昨年3月に急逝した前社長の和久井保とは同期である。86歳で社長を引き継いだ。

 カップリング曲の「わたしのふる里」(作曲・作詞 水谷公生)もまた、入山のイメージを変える作品である。田植えから刈り取りや秋祭りまで、農作業に勤しむ夫婦の姿をコミカルに歌ったものである。

◆続ける努力

 入山はデビュー当初から精力的に各地を走り回っている。歌い終わると最近では毎晩、映像・音声配信を欠かさない。毎日続ける「つれづれ日記」は、先ごろ1000回を突破している。
 どんなに忙しくても欠かさずに、その日の出来事やイベント予定などの情報を伝えている。〈親戚〉と呼ぶファンの人たちなどとのコミュニケーションを欠かさないためである。
 継続することは能力の1部である、とも言われるが、まさにこの人の性格そのものを表しているようである。
 日記ではその日にSNSなどにコメントやメッセージを寄せた人の名前も欠かさず読み上げているのも、彼女ならではであろう。



※写真・記事の無断使用は固くお断りします。


[入山アキ子 オフィシャルサイト]
https://xn--cckwa042wikihmb.jp/
[入山アキ子 テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/








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KANA(テイチクレコード)、来年はデビュー25年 存在感を高めたい [インタビュー]

◆先ごろコンサートツアーのファイナル公演を大阪で終えたばかりの歌手のKANAにインタビューした。来年は50歳という区切りの年、女性デュオとしてデビューして25年になるという。「そろそろ存在を示したい」と意欲をみせた。

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25周年に向けて意欲をみせるKANA


 熱気に満ちたファイナル公演は沢山の観客に満足と興奮を与えた。その主役を務めたKANAの感想は「延期延期で宙に浮いていただけに、終わってホッとしました」と、意外と淡々としていた。
 それでも「大好きな大阪の地で締めたかった」だけに、それを叶えることが出来た安堵感は大きいようだ。

 観客の多くが女性で占められていた。どうしてこうも女性から強い支持を得られるのだろうか。
 「学生時代からそうだったんですが、性格がサバサバとしていて裏表もなく、男っぽいから共感してくれる人が多いのでは」
 そんなKANAは同年代の女性にとっては、強い憧れと共に親近感を抱かせるようである。

 コンサートは歌って、語るというシンプルな形であった。
 「飾り気を削り取って、分かりやすさを1番にしました」

 2年前と今年のボーカルコンテストの優勝者との約束である、コンサートのステージで歌ってもらう事もコンサートでは実現できた。
 コンテストの入賞者は30人いたが、「私の歌は取り分けメロディーに詞をのせて歌うリズム感が重要になります。皆さん感覚の良い人が多かったです」と、難しい歌への挑戦を讃えていた。

 KANAの芸名でデビューしたのは2009年であった。数々の感動曲を送り出してきたが、2022年11月16日にリリースした新曲「午前0時のリフレイン」も好評だという。
 70年代後半から80年代にかけて流行ったシティポップのメロディーにのせた都会派サウンドが支持されている。
 「今、シティポップがブームなんですが、そこには今まで聴いて育ってきた音楽のテイストがあります」

 ファイナル公演で今年の区切りを付けた形だが、今年は彼女にとって自分を振り返る年だった、と述懐する。
 「これからどうすれば良いのか、改めて自分と向き合った1年でした。やりたい事が出来ない今まででしたが、とにかく前を向いて動き出すしかありません」
 しかも来年は50歳という節目の歳だし、音楽業界で活動を始めて25周年になる。
 それだけに「年齢的にも今まで身につけていた鎧が取れて、より自然になれる。業界での私の存在も、そろそろ業界で知れ渡ってもいいのではないか、と考えています」とも。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[KANA オフィシャルサイト]
http://pre-pro.co.jp/talent/kana/
[KANA テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kana/








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みちごえゆう(テイチクレコード) 「花は、花 / ただいま大阪」でメジャーデビュー 夢はデッカく日本の歌姫 [インタビュー]

◆地元の門真で知られていなくて、どうして東京なの。寂しいやんー。そんな言葉を同級生や応援してくれている人たちからもらって、CDデビューして上京し10年が経った6年前に、みちごえゆうは生まれ故郷の大阪府門真市に戻った。それから関西を中心に活動を続けてきたが、2022年10月19日に「花は、花」をテイチクレコードからリリースして念願のメジャーデビューを果たした。夢は門真の歌姫から日本の歌姫へ。そして25年の大阪万博の歌を歌いたいーと限りなくデッカいのである。

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みちごえゆう


 みちごえゆうは、関西から多くの歌手を輩出した関西歌謡大賞(現・にっぽんうたまつり)に21歳で初めて出場している。この時の審査委員長の作詞家もず唱平からは「変わった声をしているが特徴ある声だから、それを生かして頑張るように」と評価され、奨励賞を受賞している。

 これがきっかけとなって本格的に歌手を目指すようになり、23歳の時にCDデビューして上京している。ライブハウスで歌手としてスタートを切るが、知人も少ない東京ではチケット販売のノルマをこなす事が出来なくなって、出演もかなわなくなってしまった。

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 そこから始めたのが道の駅や旅館などのほか、色んなイベント会場で歌う事だった。そんな活動を7年間続けていたが、ある日夏祭りのイベントで大阪に帰ってきた時であった。その時、知人からかけられた言葉が「帰ってきて、地元の歌姫になれば」というものであった。

 彼女にとって歌手は東京にいなければいけない、という固定観念があって「帰りづらい」気持ちがいっぱいだった。でも周りの古い友人や応援をしてくれている人たちは「そんな考えは古いよ」と言って。帰ってくることを勧めた。

 その言葉に背中を押されて10年ぶりに故郷に帰り、地元での活動を始める。もちろん地元でも無名であるから、まずはポスターを持って美容院、飲食店やカラオケ喫茶店などを手当たり次第に回っていった。
 「東京では他人に声をかける事は出来なかったのですが、門真に戻って6年、物怖じしないまでに鍛えられました」と、みちごえ。

 すると老人福センターから声がかかったり、夏祭りで歌ってほしいなどと少しずつ歌える場所が増えていった。コミュニティFM局からは番組のパーソナリティーにといったオファーも寄せられるようになってきた。

 そうした地道な活動を続ける中で、紹介してくれる人がいてテイチクからCDを出す話をもらった。念願のメジャーレーベルである。
 審査の結果が出るまでには3ヶ月ほどかかったという。「まるでオーディションの結果を待つような心境でした」と、心の内を打ち明けてくれた。
 
 ここに至るまでの苦しかった時の気持ちを歌ったのが、♫ 浪花の風はあたたかい 次の春はきっときっと咲く 〜 と歌うメジャーデビューシングルの「花は、花」(作詞・北爪葵、作曲・桧原さとし、編曲・宮崎慎二)である。カップリング曲の「ただいま大阪」(同)では ♫ ええねん ええねん 泣いてもええねん 〜 と自らを励ます。

 いずれも気持ちが温かくなる、人生の応援歌とも言える2曲を、みちごえは今、大阪の空の下で歌い続けている。いずれは「大阪から全国へ飛び回る」ことを夢見て。



※記事・写真の無断使用はお断りします。


[みちごえゆう オフィシャルサイト]
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真咲よう子(日本クラウン) 63枚目シングル 新曲「雨のアカシア」 アカシアの花を濡らす夜雨が切なさを誘う [インタビュー]

◆歌手真咲よう子「片恋川」から約2年半ぶりとなる新曲「雨のアカシヤ」(作詞・大久保與志雄、作曲・桂木潤、編曲・椿拓也)を2022年7月27日にリリースしている。63枚目のシングルである。今日10月30日には名古屋市内で新曲発表会を開く。「雨のアカシヤ」は、2年もひとり、小さな店の止まり木で男性を待ち続ける切ない女性が主人公。夜雨に濡れるアカシヤの花が詩情を盛り上げる。

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いつも笑顔が素敵な真咲よう子


 アカシヤの花が咲くのは3月から5月にかけてと言われている。歌のサビでもある ♫ 雨よ降れ 〜 を「メリハリを付けて歌う事で、ここが決まると全体が落ち着く」と真咲。
 舞台は小料理屋。毎晩暖簾を出して、ひとり止まり木で好きな酒を飲み、夜中に化粧を落とす。そんな生活を繰り返し、もう2年がたつという。

 真咲よう子が歌い続ける切ない女の世界である。いつもなら女性ファンが好んでカラオケを歌う彼女の作品であるが、今回は男性が歌うケースが多く見られる。
 少し様子が異なる新曲について真咲は「歌詞は女心を書いているのですが、メロディーラインが男性向きなのでしょうか。男性が歌いやすいようです」と開設している。

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63枚目のシングル「雨のアカシヤ」

 カップリングの「祝いの盃」(作詞・水木れいじ、作曲・長浜千寿、編曲・丸山雅仁)は、2000年7月に出した「淡雪の花」のカップリングとしてリリースしているが「今までカラオケに入っていなかったので、今回、新たに収録してカラオケにも入りました」という。

 新曲を出すたびに毎回、出身地名古屋で開いている新曲発表会は、今回はきょう10月30日、名古屋市栄の「札幌かに本家栄中央店」で、昼夜の2回公演を予定している。当初、8月の開催を予定していたが、コロナによって開催が延びていた。
 「新曲にちなんで、雨にかかわる歌を歌う」ことになっている。

 休む事なく毎月1回行なっているライブ「よう子の部屋へようこそ」は、11月7日で83回目になる。真咲は「毎回楽しいライブに向けて大きな声で歌の練習をするので、充実した月日を過ごしています」と笑っている。

 趣味のマンホールの蓋の写真を撮り続けて、インスタグラムにアップするプチひとり旅も続けている。仕事、趣味とやる事はいっぱいで、来年6月16日からは子供の頃から出演しているという、三重県桑名市の長島温泉で行われている「長島温泉 歌謡ショウ」で10日間の公演が決まっている。



写真・記事の無断使用はお断りします。


[真咲よう子 オフィシャルサイト]
http://www.okubo-m.com/artist/masaki.html
[真咲よう子 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/masaki/news?ima=5911








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れいか(日本クラウン)、23年1月新曲発売へ  不思議な縁続きの杉本眞人作品第3弾 [インタビュー]

◆歌手れいかのデビューは2001年で、この年から08年の間にインディーズレーベルから2枚のCDを発売している。当時の芸名は水野れいか。それから22年になる来年1月には、日本クラウンから出す3枚目のシングルをリリースする。作曲は前作から続いて杉本眞人である。中学生の頃、親戚の集まりで歌ってと求められて、沢山の人の前で初めて歌ったのが、同じ杉本の作品の「お久しぶりね」(小柳ルミ子)だった。その時から不思議な縁は続いている。

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パワフルに活動を続けるれいか


 「お前、歌下手だね」
 れいかが日本クラウンから初めて、2018年にリリースしたシングル「優しい嘘をください」(作詞・高田ひろお、作曲・杉本眞人)のレコーディングで会った憧れの杉本眞人から、遠慮会釈もなく指摘されたのである。
 自分でも決して上手いとも思ってもいなかったが、こうもストレートに言われてただ笑っているしかなかったという。

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最新曲はそのユニークなタイトルも話題になった

 4年前、れいかがメジャーレーベルの日本クラウンからのリリースが決まり、担当のディレクターからは作曲家の候補が示された。
 その中に昔から憧れていた杉本の名前があったのである。迷わず「杉本先生がいいです」と言い切ったれいかは、早速、曲を書いてほしいという熱い依頼の手紙を毛筆で書いた。
 彼女は事あるごとに手紙を書いており、仕事でお世話になった人などへは礼状を出すことを欠かしていなかった。だからこの時も迷わずに送ったのである。「心で思っているだけでは、気持ちは相手に伝わらないから」
 そうした彼女の想いはちゃんと杉本に伝わったようで、「いいよ書くよ」と言って、作曲は杉本眞人に決まった。

 「歌が下手なのにどうして、曲を書いてくれたのだろう」
 杉本と食事をしたの際に彼女は尋ねてみた。疑問に思うことはストレートに訊き、自分の意に反することにははっきりとNOと意思表示する。彼女にグレーゾーンはないのである。
 「手紙が嬉しかったんだよ。手紙の最後に押してあったスタンプが可愛いかった」
 杉本はそう言って喜んでくれたという。

 高校を卒業後、5年間のOL生活を経て地元で開かれたカラオケ大会に出たのが歌手になるきっかけであった。地元ローカルテレビ局の歌番組への出演を勧められ、CDも出すことになった。ところがお金は振り込んだものの、レコード会社には届いておらず、騙されたことが分かった。

 その後、会社も辞めてこの時に作った1000枚のCDを車に積んで売り歩く事になるのだが、カラオケにも収録されていないインディーズCDは、訪問先での反応は冷たいものだった。
 しかし血液型B型の特性だろうか、「人とコミュニケーションを作り、カラオケ店を回っているといつかは売れる」と信じて、あてもない希望だけは持ち続けていた。

 その頃からの頑張りは今も続く。コロナ前には年間280ヶ所ほどのカラオケ喫茶店、スナックなどを回り続けた。親しくなったカラオケ喫茶店での定期ライブも開いている。
 「1度もアルバイトをすることもなく、歌手業1本で頑張ってます。最近では自分でアクセサリーを作って、ライブ会場などで販売しています」

 インディーズCDの後、作曲家の故奥村英夫との出会いもあって、3枚目のシングル「歌舞伎町のノラ」を発売するなど、その後は2年おきに新曲を出し続けている。

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来年の新曲に意欲をみせる

 来年1月25日に出す予定の新曲も、今作「貯金の好きな女」から2年を経過してのリリースになる。
 「新曲では今まで自分で思っていた持ち味の音域よりもキーを下げて歌う事にしました。それによって悪いクセが取れて、良い声になった、と初めて杉本先生にほめてもらいました」

 新曲に向けてパワフルに活動を続けるれいかだが、これからの夢を聞くと「今の定期ライブを続けながら、大きなステージに立って、1人でも多くの人たちに私の歌を聴いてもらいたい。そしていつかはテレビの主題歌を歌いたい」と話している。
 
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[れいか オフィシャルサイト]
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