◆作曲家で作詞家の中村泰士が喜寿を迎えた2016年5月21日、7時間7分かけて77曲を歌う「中村泰士Kiju’77コンサート」を大阪・難波千日前のイエスシアターで開き、作曲家デビュー作の「今は幸せかい」からちあきなおみに提供して日本レコード大賞を受賞した「喝采」まで予定曲数すべてを歌い切った。観客のアンコールに応えてプラス2曲を歌うなど77歳とは思えない元気ぶり。大阪・道頓堀を拠点に<大阪を歌謡曲の聖地に>と活動を展開する中村の歌謡曲への熱い想いをぶつけた<中村劇場>の半日だった。



















77曲を完唱した中村泰士

 中村泰士は今、大衆音楽である歌謡曲が誕生した大阪を聖地にしようと取り組む。その活動のひとつとして開いたのが、今回のコンサートだった。友人で歌手の佐川満男も出演したほか浅田あつこ、おおい大輔、純烈、塩乃華織、エンジュ、大阪☆歌謡女子団たちも応援参加して新曲などを披露した。


同じ77歳の佐川満男も応援に駆け付けた

 チャレンジ77曲へのオープニングは午前11時から。1曲目はヒット曲「夢は夜ひらく」(1966年)。園まりが歌ったが当初は佐川満男が歌う予定であった。2曲目はその佐川が歌って大ヒットした「今は幸せかい」(68年)で、B面「甘い嘘」へと続いた。ステージでは同い年の佐川が一緒に歌って元気なところを見せ、かつての歌謡曲全盛時代を思い起こさせて未踏の77曲コンサートはスタートした。



 作曲家に転身して48年の中村にとって最も想い出深い歌手であったであろうちあきなおみの楽曲も揃えた。テレビで歌うちあきの歌を聴いていっぺんに惚れこんで書いたという「禁じられた恋の島」(72年)、発売当初ドラマチック歌謡と呼ばれた「夜間飛行」(73年)「劇場」(73年)「喝采」(72年)の4曲である。


客席で歌うと人気歌手並に客からは握手を攻勢

 中村にはメロディーライターと呼ぶ歌の書き手を歌ったオリジナル曲がある。この日はそのひとつの「マイソング」を歌った。 歌が楽々と舞い降りてくれる絶頂期の自身を歌ったもので ♪ ゆれてマイソング そしてラブソング あのひとに伝えたい ~ とちあきへのラブレターとも思えるほどの内容である。
 ここで中村は来年に予定しているイベントに向けて彼女にメッセージを依頼したことを明かした。
ところが依頼したメッセージへの返事は人を通じて伝えられたが「今は一介のおばちゃんが中村先生へメッセージを贈ることはありません」と見事に<失恋>してしまう。中村は「依頼した自分が悪かったと恥じました」と話していた。
 Kiju’77コンサートのために中村が書き下ろして歌ったのが「メロディー」。これは「マイソング」とはまったく逆に、歌が書けなくで苦悶するメロディーライター(作曲家)の心の内を ♪ あの日の歌をもう一度 ~ と歌う。

■1万人の歌謡曲に手応え

 作曲家としてのデビュー作「今は幸せかい」がいきなり大ヒットした中村は、ご多分にもれず「毎晩飲み歩いた」が、業界では<一発屋だよ>と妬みともとれる声が耳に入り次の作品が書けなくなっていた。そんな時に励まして書くために背中を押してくれたのが作詞・作曲家の浜口庫之助だったエピソードを交えて、浜口が作詞・作曲をした「恋の町札幌」(72年)を歌った。
 「恋の町--」は石原裕次郎が歌ってヒットしたが、同じ石原の「赤いハンカチ」(62年)「夜霧よ今夜もありがとう」(67年)も披露。石原裕次郎とは京都の酒造メーカーのCM録りの仕事を終えた夜、一緒に食事をした石原から「赤いハンカチ」を歌うように勧められたが「手が震えて歌えなかった」ことを披歴。
 このほかにも美空ひばりの「東京キッド」(50年)「港町十三番地」(57年)や黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」(66年)、鶴岡正義と東京ロマンチカの「小樽の女よ」(67年)、そして黒木憲の「霧にむせぶ夜」(68年)も歌った。


美空ひばりからアイドルまで幅広く歌った

純烈とは激しく「ダイアナ」も

人気者の純烈を従えて歌うぜいたくなコンサート


 中村が手がけた数ある作品の中でもアイドルの桜田淳子や松田聖子にも多くの作品を提供している。この日は自身の作品ではないが松田聖子の「青い珊瑚礁」(80年)や「Sweet Memories」(83年)にも観客と一緒に挑戦した。

 ゲストの浅田あつこ「秋恋(しゅうれん)」おおい大輔「男の愚痴と幸せ探し」塩乃華織「イエスタディにつつまれて」の新曲で中村を応援。昭和歌謡曲を歌う人気グループ純烈は中村と一緒に「買い物ブギ」「大阪ラプソディー」と歌ってファンを喜ばせていた。


ゲストと観客も一緒に懐かしい歌謡曲を歌った

 77曲の中には「時の流れに身を任せて」(86年)「五番街のマリーへ」(73年)など観客と一緒に歌った17曲も含まれ、どの歌もゆったりと美声が客席から流れ、中村は「ゾクゾクとするねぇ」と来年1月に予定している大阪城ホールでの1万人と歌う歌謡曲イベントに向けて大きな手応えをつかんでいた。


最後は道頓堀SUPER歌謡劇場でも名物になっている紙テープで盛り上げた

 60曲目を過ぎたあたりから客席からは<がんばれよ>の掛け声も飛び始め、中村も「ありがとう、ありがとう」を連呼。77曲目のラストソング「大阪ヒューマンランド〜やんか! ~ 」(2003年)を歌い終わったのは午後8時半を過ぎていた。中村は「大阪の歌謡曲の復活を願って始めたコンサートでしたが、きょうから新たに何かが始まるような気がしてならない」と期待を膨らませていた。