桜井くみ子の歌は女性に限らず男性にもたくさんのファンがいる。そんなこともあって、前作「海宿」は歌い堪えのある楽曲として、各地のカラオケ大会でも数多く歌われてきた。「歌のスケールの大きさが受け入れられたのでは」と桜井。
「嫁入り舟」は、その勢いに乗った、満を持しての発売だった。
歌手を目指し18歳で上京してひとり暮らしを始めた。カラオケ店でアルバイトをしながら週1回の作曲家藤竜之介氏のレッスンを受ける生活を7年間続けて、27歳でようやくデビューにこぎつけた。
「仕事もアパートに帰ってからも音楽を聴いたり、レッスンの予習と音楽漬けの毎日でした。クラウンのオーディションを受け続けて3度目でやっと合格をもらいました。周りの友だちは結婚をするし、両親からは何度も次がダメなら帰ってこいと言われていました。ダメなら大阪に帰って趣味で歌おうと、最期のチャンスと思って受けたオーディションで受かったんです」
しかもデビューした翌週にはNHKテレビの番組「歌謡コンサート」に出演するといった、周りも驚くトントン拍子ぶり。当時、和歌山県に住んでいた両親に「来年デビューできるよ」と報告すると、突然の朗報に声も出なかった両親は、桜井に地元の名産の桃を送って喜んでいる。
誰でも親にとって娘は可愛いもの。「それぞれ自分の娘を想い浮かべて歌ってみてほしい」という桜井自身も「歌っていると両親のことが頭に浮かんできます」とも。
桜井は歌手になるまでの長い間、両親には迷惑をかけたと話す。しかも歌手になって4年ほどたつと、このままでいいのだろうか、と今まで突き進んできた自分に疑問を感じたり、悩んだ時もあった。
しかし毎日歌うことで「自分に素直になって自然な気持ちで歌って行けばいいんだ」と思うようになった。それによって壁を突き破ることはできたという。それからは立ち止まることなく、楽しく前を向いて歌えるようになった。
「嫁入り舟」もそんな明るい気持ちで歌う。「まだ私はお嫁には行きませんが、その時の気持ちも想像しながら歌っています」とも。
桜井をそんな気持ちにしてくれたのは、初めて彼女の作品を作曲したという杉本眞人氏だった。新曲のたびにいろんなチャレンジをしてきたが、また新しい歌の世界が増えたようである。
子どもの頃から歌が大好きだった桜井だが、その一方で真っ黒で身体中傷だらけになって蟻やオタマジャクシ、青虫を捕っては観察していたという「ファーブル昆虫記」が大好きな女の子だった。ある時には蟻の巣作りを見ようと飼っていた蟻が抜け出して家の中で大行列を作ったり、机の引き出しにたくさんのセミの抜けがらを仕舞いこんでいて母親に大目玉をくらったこともあったとか。
桜井は殻から抜け出して歌うセミのように、これからも歌い続けていく。9日には、岸和田市内に住む両親への感謝の気持ちが届けとばかりに、同市内のショッピングセンター・トークタウンでも「嫁入り舟」を歌う。
[桜井くみ子 オフィシャルサイト]
http://ameblo.jp/kumiko-sakurai/
[桜井くみ子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/sakurai/whats.html