関西ローカル歌手としてのデビューかと思えば、東京でスタートを切っている。それほどに関西で出演する機会が多い。デビューして4年ほどは東京で活動していた。ふる里の関西に足を向けるようになったのは3作目の「北へ流れて」(2011年)あたりからである。もっと関西で名前を覚えてもらわないといけない、とアドバイスを受けてのことだった。
五条哲也は「ここ2、3年は関西での仕事のほうが多くなりました。逆に東京にもっと力を入れなくてはいけなくなってきています」と笑う。
そんなこともあってか、8月23日に「桜並木の向こうに」をリリースしてからは「デビュー当時にお世話になった東京のCDショップへ、報告を兼ねてキャンペーンで訪ねています」という。
新曲「桜並木の向こうに」を作曲した杉本とは、五条は何度か一緒に仕事をしてきたが、楽曲の提供を受けるのは、今回が初めてだった。♪ ひゅうひゅうと散る花びら ~ は、この作品のサビともいうべきところだが、杉本は「もっと良い表現ができないかぁ ~ 」と何度も歌い直しを求めた。
この時五条は、同じ言葉でも表現が如何に大切かを改めて知らされることになった。
「僕はもともとキーが高い歌が得意なんですね。今回は標準まで下げて、低い音も歌えるように挑戦しました。今までになかったことだけに、表現とともに今回の楽曲で苦心したところでした」
こうして出来上がった「桜並木の向こうに」は、誰からも評判が良いという。
ファンの間からは「曲と詞がグッと心の中に入ってくるようで、聴いて感動した」といった声も聞かれる。
■性格は控えめ!?
夢とは程遠い下積みの毎日だった。控えめな性格で、表に立つのが自分に向いているのかずっと迷っていたこともあった。それでも30歳までは頑張ろう。だめなら生まれ育った京都に帰って、ほかの仕事に就こうと決めていた。
「諦めなかったのが良かったです」
辞めようと弱気になった時もあった。それでも応援してくれた人がいたことが、支えになった。そんな1人が今の事務所の社長だった。
それが縁で日本クラウンのディレクターを紹介され、作曲家徳久広司のレッスンを受けるようになる。2007年10月には徳久が書いた「さすらいおはら節」で、日本クラウンからデビューした。
■歌うエンターティナーへ
五条は歌手であるとともにエンターティナーであることを目指す。
「僕のステージを見てもらう人たちに、楽しんで喜んでもらわないといけない。もちろん歌手ですから歌は百パーセントの力を出して歌いますが、それにプラスアルファが必要だと思うんです。一方通行じゃなくて、一緒に楽しめる何かが」
客を楽しませなければ、と絶えず思うのは、やはり関西人の性なのだろうか。去年、京都市内のホテルで開いたディナーショーではダンスを披露している。今年の<出し物>は、まだ決まっていないそうだが「いろいろと楽しんでもらえるライブにしたい」と、張り切る。
去年はビートルズ来日50周年であったことから、それを記念してマッシュルームヘアーにした。これもファンサービスだったが、意外にも不評を買ったことから、即座に元に戻したというエピソードも持つ。エンターティナーになるのも難しいようである。
[五条哲也 オフィシャルサイト]
http://www.leoproduction.co.jp/tetsuya/
[五条哲也 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/gojou/whats.html