「海峡なみだ雪」の主人公たちは福井県敦賀の港から北海道・小樽へと向かって、日本海を航行するフェリーに乗船する。2人して同じ船に乗りたい、という秋山涼子に円香乃は「どうして」という顔を見せた。演歌の定石はひとり旅だからである。
ならぬ恋を終わらせようとしている主人公であるが、最後の最後まで一緒にいたいという、別れ難い切ない想いを表したかったからだと、秋山は話している。
秋山の作品には、徳間ジャパンコミュニケーションズ時代の2001年に出した「木曾の御岳・岳次郎」という楽曲がある。そのカップリング曲が「哀愁特急 日本海」で、日本海を歌ったのはこの時以来で、やはりこの作品でも敦賀が出てくるのである。
「私の歌と言えば酒場モノが結構多かったのです。ですが、歌詞に地名を入れた海峡モノを歌いたかったんです。それをお願いし続けていて、やっと実現しました」
■歌うたびに目に涙が
新曲のカップリング曲は「母さんの手紙」。2011年に78歳で突然に亡くなった実母を思い起こして歌にしている。作詞は円香乃。作曲は三枝鈴実、秋山のペンネームである。これが2作目になる。
「母はタクシーを降りて、自宅を目の前にして路上で倒れていたようです。この日は私の誕生日の前日で、大阪でキャンペーン中でした。仕事を終えてから愛車の涼子号で東京の自宅へ向かったのですが、死に目には会えませんでした」
葬儀が終わり自宅に戻ると、居間には「涼子ちゃんへ」と書かれた封書がテーブルの上に置かれていた。両親、妹と同居していた秋山だが、全国を走り回ってほとんど留守にしていたことから、母親は涼子に良く手紙を書いていた。手紙は翌日の7月25日に東京に戻ってくる歌手である娘へのメッセージであった。
「あなたのファンより」と書かれた、その手紙には「本来の涼子の優しさを忘れずに、皆さんに愛される歌手になって下さい」と、願いが込められていた。
こうした話を作詞家の円香乃に伝えて、「母さんの手紙」が出来上がった。弁当に入ったうさぎ耳のりんご、良く作ってくれたちらし寿司など、歌詞には母を思い出す言葉が幾つも並ぶ。小さな庭には毎年春になると、母親が植えた花桃の花が咲いて、その度に優しかった母の顔を思い出して、今年もまた新曲が出たことを報告するのであった。
発売直後の歌唱キャンペーンを大阪で行った秋山の目には、これを歌うたびに涙が滲んでいるようであった。
[秋山涼子 オフィシャルサイト]
http://www.akiyamaryoko.jp/
[秋山涼子 テイチクエンタテインメント]
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