ヤン・チェン = 写真・左 = が、ホリデージャパン移籍第1弾の「泣き笑いで乾杯!」を2010年11月17日に発売した。4年ぶりの新曲だ。同世代の女性へ向けた応援歌という、この曲は中国・西安市出身の彼女が、来日から今までの想いを込めて、旧知の作曲家たちと共同制作した楽曲でもある。音大でクラッシックを学んだという本格派の歌唱は、<シルクロードから来た歌姫>というキャッチフレーズにふさわしく説得力を持っている。

 徳間ジャパンコミュニケーションズから2002年に、「倖せの向こう側」(作詞・荒木とよひさ、作曲・三木たかし)で、歌手デビューしている。
 そのあとシングル3枚、アルバム1枚を出すほか沖縄、米子、大阪、神戸、東京などでコンサートやライブ活動を続けてきた。


 06年の「愛することしかできない」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)を最後に、4年間、CDリリースからは遠ざかっていた。
 その間、音楽活動のほか声優や日中文化促進事業のプロデュースなどを手がけていた。

 今年10月には、奈良県内で行われた平城遷都1300年の記念式典制作にかかわっていた。イベントに中国貴州省から少数民族ミャオ族の大学生8人を招き、天皇陛下臨席のもと、彼らの民族音楽である恋愛歌「歌垣」を披露してもらった。
 母親も少数民族の出身というだけに、彼らの音楽にはひと際、関心は高い。歌垣は万葉集に影響を与えたとも言われており、日本と中国の文化の懸け橋を象徴するものとして取り上げた。

 「日本と中国の真ん中に立って文化交流に役立った。やりがいのある仕事でした。どきどきしながら、心がひとつになりました」

日本と中国の文化の懸け橋に


◆大阪音楽大学声楽科でクラッシック音楽を専攻している。
 童謡、アニメソング、昭和の歌謡曲まで、歌は何でもこなす力を持っているのも、こうした基礎を身につけているからだろう。

 今回新曲を出すまでは、主に日中文化交流の裏方のスタッフとして活動してきた。マスコミに出るチャンスもほとんどなかった。
 そんな中でもライブは続けてきた。
 そこで「私の歌を受け入れてくれるファンを作ってきました」とヤン・チェン。

 去年は神戸-上海-大連9日間の船上ライブも行ったほか、国内でも鹿児島から神戸、大阪を経由して神戸へ行く船でも歌っている。
 「船の上で歌うと、お客さんはどこへも逃げられませんから、私の歌を聴いてもらえる絶好のチャンスでした」
 とは言うものの、大好評だった船上ライブには、ファンから<次はいつやるの?>といったリクエストもたくさん寄せられているという。





切なく、ロマンチックな新曲

◆そんな地道な活動が認められたのだろう。7年前に出したセカンドシングル「遙恋」で一緒に仕事をして、今回新曲を作曲した若原恵からの「もう一度、一緒にやりましょうよ」という電話が、4年のブランクを破るきっかけとなった。

 「うれしかったですね。歌を諦めずに前向きに頑張っていた結果が出ました。作詞の森田由美先生と一緒に、来日18年の自分の想いを聞いてもらい、同世代の女性への応援歌にしてもらいました」と、ヤン・チェンは周囲の人たちの協力に感謝する。

 出来あがった新曲「泣き笑いで乾杯!」は、ロマンチックな歌詞で、現代の女性の恋愛観を表した切ない内容だ。
 ♪ 恋になりそこねた 友達同士なの 泣き笑いで乾杯 !~
 「女性はデリケートで傷つきやすい、でも現代の女性はその辛さに耐えて笑って生きられる強さを持っています」
 そんな大人の女性を歌っている。

 ファンの年代層は1歳の女の子から80歳のお婆ちゃんまでと幅広いが、新曲は同世代の女性に人気があるという。

 「歌うことで他人に幸せをあげられると思うんです。歌っている時にお客さんの目を見ると、私の想いが伝わっているのだろうと感じられ、そうした人との触れ合いが大好きなんです」

 カップリングの「茜さす」は、作詞が森田由美で、作曲をヤン・チェン本人が本名の銭文紅で手がけた。



[シルクロードから来た歌姫 ヤン・チェン]
http://www.yangchen.jp/
[アジアの風、ピュアな心の詩…シルクロードから来た歌姫、ヤン・チェンの日々]
http://ameblo.jp/yangchen/