キム・ランヒは1993年5月、吉幾三が作詞・作曲した「釜山」で徳間ジャパンコミュニケーションズからデビューしている。彼女を日本に連れてきたのはアイドルグッズなどを作って販売する出版会社を経営していた谷田であった。彼が韓国のライブハウスで歌うキムを見て、日本で新人歌手を育てたい、と説得したのだという。
彼女のいとこは、韓国で谷田が手がけるグッズの製造に携わっていたが、それが谷田とキムが出会うきっかけであった。
そんな谷田によって、キムは日本で歌手デビューすることになる。しかも3年後には「まったく知らされないで、いつの間にか徳間からキングレコードに移籍していた」(キム)と、96年にはキングレコードから「泣き酒ですから」を出し、3年間在籍している。
その後はガウスエンタテインメント、再び徳間ジャパンコミュニケーションズを経て、2012年からはホリデージャパンに移籍している。
その移籍第1弾が25周年記念「ベストアルバム」にも収録されている、在阪作詞家、もず唱平による「銀座のタンポポ」(作曲・平尾昌晃、編曲・溝淵新一郎)であった。
すべて谷田と共に歩んできた25年で「あっという間の出来事だった」とキムは振り返るが、彼がいなくなった空虚感はなかなか癒されない。
「25年間でやることはやってきたし、1人では歌手は続けていけない。ピリオドを打って、ゆっくり休むつもりでいました」
それでもホリデージャパンの亜樹社長に慰留されたキムは、今再び気丈に歌い続ける。
「お前、根性だけは凄いな、と谷田さんは言ってくれました。天井が回るほど熱があっても顔は笑って、カラ元気を出して、仕事に穴を開けたことはありませんでした。これからも変わらずに頑張って歌っていきます」
■大阪の女
25日にはNHK大阪ホールで開かれる宮路オサム、加門亮などホリデージャパンの歌手22人が出演する歌謡イベントにも出演することになっている。
谷田が最後にプロデュースした25枚目のシングル「あんた好きやねん」は、作詞・作曲が秋浩二、編曲は猪股義周。「昭和の雰囲気を感じさせてくれる楽曲で、聴きやすく覚えやすい歌です」(キム)。
キムにとっては「大阪純情」(1994年)「あんたの大阪」(1999年)に次ぐ、18年ぶり3枚目の大阪ものである。来日してずっと大阪に住み続ける彼女にとっては、意外とも思えるほどに大阪ものが少ないことに気が付く。
♪ 二度とあんたに 逢えないことは ~ わたし わかっているけれど あんた・あんた・あんた 好きやねん ~ と歌う新曲「あんた好きやねん」は、まるで谷田への別れのメッセージでもあるようだ。
[キム・ランヒ オフィシャルサイト]
http://www.sennen.co.jp/kimranhi01.htm
[キム・ランヒ ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/menu/artist_ka5_kim.html