第1回大阪マラソンを3時間18分で完走した日本コロムビアの斎藤部長
第1回大阪マラソンには全国から17万2千人の応募があり、約3万人ランナーが参加した。このうち斎藤さんが走ったフルマラソンには2万8000人が挑戦した。
3万人もの人が一度にスタートしたのだから「最初は芋を洗うような状態」で、斎藤さんの順位の最初は、ほぼ3000番くらいだっという。自分のペースで走ることができるようになったのは10Kmほど進んだ地点からだ。
10Kmは最初の関門であった。
練習ではこの距離になると胸が痛み始め、体力の限界を感じるポイントだったからだ。
「1ヵ月300kmを走って3時間10分の記録を目標にしていました。1ヶ月前に開かれた淀川マラソンに参加して30kmコースで目標到達への自信をつかんでいました」
力走する斎藤さん(中央の赤いパンツ)
斎藤さんがマラソンを始めたのは3年前に大阪に単身で着任してからだった。不規則になりがちな1人での生活を少しでも規律正しくしたい、と考えてのものだった。
去年11月に開かれた大阪淀川マラソンが最初の公式レースだった。国民栄誉賞を受賞したマラソンランナーの高橋尚子と一緒に走れる、といったふれこみだった。
大会を知ったのは7月で、本番までに3ヶ月しかなかった。
インターネットで3ヶ月でマラソンを完走できる方法を検索して、それが提示している練習メニューに従って、身体を動かすことから始め、5km、10km、20kmと少しずつ距離を伸ばして練習を重ねた。
「学生時代にヨット部だったから、体力にはある程度自信はありましたが、練習を始めた当初は10kmも走ると胸が痛くなって、体力の衰えを感じさせられました。」
マラソンデビューの結果は、10km以降から失速して3時間46分、500位台だった。
「専門誌に掲載されている年代別のベストスコアでは自分のタイムは70歳代と同じでした。でも、肉体的なものはすべて出し切ったという満足感と、70歳まであと30年は走れるんだ、といった割り切り感でいっぱいでした」
次に挑戦したのは3時間半を目標に走った今年3月に鳥取マラソンだった。今度は3時間19分で、前回の記録を更新できた。順位も参加3000人中150位とかなりアップしている。徐々に大阪マラソンへの自信を強めることになった。
第一歩は食事だった。朝食メニューはキャベツ、レタス、タマネギなどの野菜サラダ、それにパン、牛乳、ヨーグルト、卵と野菜中心である。単身であるからもちろん自分で作る。出勤前の慌ただしい時間だが、これは毎日欠かさない。
食時までには竹刀の素振りからランニング、懸垂といったメニューをこなすのも日課とした。
大阪マラソン完走のメダル
「おかげで体重は13㎏も減って学生時代と同じになりました」
休日には大阪市内の港で1人乗りヨットに乗っている。これも体力作りに欠かせない。
しかも自宅からヨットハーバーまでの往復は、電車とバスを乗り継いでも1時間近くかかる。そこを走っている。
これはもう体力づくりというよりも、まるで<鉄人養成>のようでもある。
斎藤さんは大阪へ赴任してから禁煙していたが、マラソンを始めてからは<毒も入れなければ>と、再び喫煙を始めたという。マラソンは斎藤さんに変化をもたらせたようだ。
「マラソンを初めて気づかされたことは自分の基礎体力のなさでした。でも自分に向いたスポーツであることもわかりました。来月11日には第2回奈良マラソンに参加する予定で、来年3月11日には京都で初めての京都マラソン2012にも応募しており、今は抽選の結果を待っているところです」
すでに次のマラソンに向けて毎日、トレーニングを続けている。
[大阪マラソン 2011]
http://www.osaka-marathon.com/2011/