真咲よう子が3月に出した、しっとり感があふれた3拍子演歌の「冬のあじさい」は、「あじさいの花」(1994年)「あじさいの雨」(2004年)「紫陽花の女」(2007年)に次ぐ作品で、愛しい人の面影を想い偲ぶ歌である。
4作目になるあじさいを題材にした演歌は、各地で行ってきたキャンペーンでも「これを聴いて泣きだす人もいるし、<いい歌ですね>と共感してくれる声も聞こえてきます」(真咲)と、なかなかの好評である。中には今までの作品とガラッと変わっていることから「こんな歌も歌うのね」と、驚きの表情を見せる人もいるという。
今までになかった作品だけに「チャレンジのつもりで歌っている」といい、今作ではサビの ♪ この想い どうすりゃいいの ~ とセリフのようなフレーズに感情を込めて歌い上げる。
「セリフにメロディーが付いて、しゃべるように歌っています。俳優さんが役作りするように、好きだった人の面影を追いかけて、しみじみと歌います」
確かに一編のドラマでも見ているかのように情景が浮かんでくる1曲である。そのためか女性の支持が多い作品だともいう。「みなさん思い思いにドラマを描いて聴いて、歌っているんでしょうか。わたしも心の中で物語を作って歌っています」
当初は、男性ファンの支持が高いという「熱燗」がメイン曲になるはずだった。「冬のあじさい」はカップリング候補だったという。ところがレコーディング当日の会議で「あじさいをメインにしよう」ということになった。季節はこれから紫陽花だということと、真咲が持っている<あじさい>のイメージが、居酒屋演歌に勝ったようである。
■あじさいの女王が再び紫陽花を歌う
演歌歌手、真咲よう子のスタートは1981年である。歌手としてのデビューはそれよりも早く、アイドル路線で売り出している。
歌手を目指すきっかけは父の影響だった。小学3年から中学にかけて、週末になると車で歌のレッスンへ連れて行くほどの子煩悩な父親だったという。「父がいなかったら歌を続けていなかったでしょうね。いつも母と一緒になって夢を支えてくれていました」
演歌へと転身することになったのは、1981年に出した「女のみれん」からで、これが歌手としての大きな転機となった。まだ22歳の時である。「レコードを5000枚売ったらごほうびをあげる、と言われていろんな所へ足を運んで、歌っては1枚1枚を売りました」
目標の数字は突破したが、過労で倒れる、といったおまけも付いていた。
その年の夏、司会者の玉置宏が25周年記念のデュエット曲「東京ラスト・ナイト」を出すので、その相手役の女の子を募集するオーディションに合格したのをきっかけに、テレビやラジオへの出演が一気に増えた。レコードも10万枚が売れてヒット賞を獲得してクラウンでの好スタートを切ることになる。
最初に紫陽花の歌を歌ったのは、それから10年以上が経っていた。以来、真咲は紫陽花のイメージが離れない。あじさい柄の着物の衣装で歌う今作にも、そんな縁が感じられる。
今は着物が板に付いてきた真咲だが、演歌デビュー曲の「女のみれん」当時はまだ洋服だった。ところが「紅葉川」(1991年)を出す時、それを作曲した市川昭介から着物を勧められたのがきっかけで着物に替えた。以来、メインの衣装は着物と決めている。
「冬のあじさい」では、深い紫陽花色の地に淡い色の紫陽花の花を咲かせた着物で歌う。<あじさいの女王>のようでもある。
真咲の普段、地下足袋を愛用する。今回はキティちゃん柄だった。
趣味はコレクション。とにかく集めるのが好きで、郵便局のスタンプやマンホールのデザイン写真も増えている。好きな食べ物はご飯と豆腐。意外と質素である。
[真咲よう子 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/masaki/wn.html
[真咲よう子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/masaki/whats.html