福田こうへい(キングレコード) 民謡日本一が初の演歌「南部蝉しぐれ/風やまず」を関西初披露 歌声に観声やまず! [インタビュー]
◆東北の民謡歌手として数々の賞を獲得してきた福田こうへいが、昨年6月に初めての演歌「南部蝉しぐれ/風やまず」を発売した。初めてというキャンペーンを先頃、関西で行った。訪れたCDショップでは、集まった人たちの多くを、思わず「うまい!」と唸らせるほど。父は岩手で名を馳せた民謡歌手の4代目福田岩月、母キヌエさんは民舞師範という家庭で育った。アマチュア時代にはあらゆる民謡大会でグランプリを獲得してきたという実力の持ち主ながら、まだ35歳という若さだ。これからの演歌界を盛り上げてくれることは間違いないだろう。
地元岩手県の岩手朝日放送が制作して福田こうへいが歌った応援歌「人生祝い唄」の作詞家、久仁京介に出会ったのが、演歌へ踏み出すきっかけとなった。
民謡歌手としての父は民謡全国大会に出場していたが、優勝を果たすことなく7年前に亡くなった。それが福田を民謡へと走らせることになる。今では20近い日本一のタイトルを勝ち取っている。
しかし子供の頃の福田にとっては、民謡は決して恰好のいいものではなく、友だちにからかわれもした。そのことが彼を民謡嫌いにさせた。ところがどういう訳か、23歳の時、民謡大会に出場することになる。
「親父を何かでびっくりさせたかった」と福田は、当時の気持ちをそのように話す。
そして2011年10月、福田は18年ぶりに岩手に民謡全国大会の内閣総理大臣賞をもたらした。父に有名な民謡歌手を持ちながら、23歳まで一度も歌わなかった福田が35歳で手にした栄冠だった。
父が実現できなかった夢を果たしたのだ。
大阪・十三の恵比須堂えんかjinでの店頭ライブ
サイン会で観客と握手
こうして民謡の世界で福田の名前は全国に知られるようになった。
もちろん岩手でも、福田こうへいの名前を知らないものはいないと言われている。
昨年、インフルエンザが流行った時「福田の歌を聴くと治った」などといった声が、実しやかに囁かれたのも、福田の民謡の実力を象徴するエピソードだ。
その福田は今「心に残り、心に伝わる歌を歌っていきたい」という。
それに選んだのが民謡の息遣いを盛り込んだ演歌である。しかし、演歌はまだ東北の域を出ない。
「知らな土地で力を試してみたい」
福田は演歌の里でもある関西へと足を運んだ。
大阪と神戸の流行歌ライブで「南部蝉しぐれ」を熱唱する福田こうへい
福田はこう話す。
「聴く人それぞれが自分のふるさとを思い出してくれて、明日もがんばろうと思ってもらえればいい」
どこか岩手訛りが混じる「南部蝉しぐれ」は望郷歌でもある。
演歌へのきっかけを作ってくれた「人生祝い唄」にも共通する。そこには東北人特有の世界があるようだ。それが関西人の心も揺さぶる。
カップリング曲の「風やまず」は、かつて西方裕之が歌ったものだ。
大阪市内のCDショップでの店頭キャンペーンや、神戸市内でのKOBE流行歌ライブのステージでも、福田が「南部牛追い唄」や「南部蝉しぐれ」などを歌うと、聴衆からは「上手いよ~」「きれいな声やな」などといった声が飛んだ。
キャンペーン中には朝日放送の人気演歌番組「THAT‘S ENKA TAINMENT~ちょっと唄っていいかしら?~(エンカメ)」にゲスト出演した。番組は3月8日に放送予定だ。
吉本興業のタレント友近が演じる大物演歌歌手の水谷千重子から、新人歌手としてのアドバイスを受けるといった設定だ。
大物演歌歌手の水谷千重子に元気づけられた福田「これからは三橋美智也さんのように演歌も民謡も歌っていきたい」と話す。
祖父母は岩手で牛を飼って農業を営む。福田も同じ岩手に住んでいる。サラリーマンを続けながらのプロ歌手である。
でも、農業は肌に合わないようだだが、子どもの頃から親しんできた牛とは大の仲良し。
だからだろう「これが本当の牛の鳴き声だ」という、少し民謡調の鳴き真似は天下一品だ。
キャンペーンでは唐草模様の小袋や風呂敷を持ち歩いていた。縁起物だそうだ。「母が作ってくれました」と、母親思いの一面を見せてくれた。
[福田こうへい キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=43580
地元岩手県の岩手朝日放送が制作して福田こうへいが歌った応援歌「人生祝い唄」の作詞家、久仁京介に出会ったのが、演歌へ踏み出すきっかけとなった。
民謡歌手としての父は民謡全国大会に出場していたが、優勝を果たすことなく7年前に亡くなった。それが福田を民謡へと走らせることになる。今では20近い日本一のタイトルを勝ち取っている。
しかし子供の頃の福田にとっては、民謡は決して恰好のいいものではなく、友だちにからかわれもした。そのことが彼を民謡嫌いにさせた。ところがどういう訳か、23歳の時、民謡大会に出場することになる。
「親父を何かでびっくりさせたかった」と福田は、当時の気持ちをそのように話す。
そして2011年10月、福田は18年ぶりに岩手に民謡全国大会の内閣総理大臣賞をもたらした。父に有名な民謡歌手を持ちながら、23歳まで一度も歌わなかった福田が35歳で手にした栄冠だった。
父が実現できなかった夢を果たしたのだ。
大阪・十三の恵比須堂えんかjinでの店頭ライブ
サイン会で観客と握手
こうして民謡の世界で福田の名前は全国に知られるようになった。
もちろん岩手でも、福田こうへいの名前を知らないものはいないと言われている。
昨年、インフルエンザが流行った時「福田の歌を聴くと治った」などといった声が、実しやかに囁かれたのも、福田の民謡の実力を象徴するエピソードだ。
その福田は今「心に残り、心に伝わる歌を歌っていきたい」という。
それに選んだのが民謡の息遣いを盛り込んだ演歌である。しかし、演歌はまだ東北の域を出ない。
「知らな土地で力を試してみたい」
福田は演歌の里でもある関西へと足を運んだ。
大阪と神戸の流行歌ライブで「南部蝉しぐれ」を熱唱する福田こうへい
福田はこう話す。
「聴く人それぞれが自分のふるさとを思い出してくれて、明日もがんばろうと思ってもらえればいい」
どこか岩手訛りが混じる「南部蝉しぐれ」は望郷歌でもある。
演歌へのきっかけを作ってくれた「人生祝い唄」にも共通する。そこには東北人特有の世界があるようだ。それが関西人の心も揺さぶる。
カップリング曲の「風やまず」は、かつて西方裕之が歌ったものだ。
「南部蝉しぐれ」の作詞家、久仁京介(中央)と大阪流行歌ライブで。左は司会者の水谷ひろし
同じ東北出身の歌手青戸健(徳間コミュニケーションズ)とKOBE流行歌ライブで
大阪市内のCDショップでの店頭キャンペーンや、神戸市内でのKOBE流行歌ライブのステージでも、福田が「南部牛追い唄」や「南部蝉しぐれ」などを歌うと、聴衆からは「上手いよ~」「きれいな声やな」などといった声が飛んだ。
キャンペーン中には朝日放送の人気演歌番組「THAT‘S ENKA TAINMENT~ちょっと唄っていいかしら?~(エンカメ)」にゲスト出演した。番組は3月8日に放送予定だ。
吉本興業のタレント友近が演じる大物演歌歌手の水谷千重子から、新人歌手としてのアドバイスを受けるといった設定だ。
「エンカメ」の録画が終わって大物演歌歌手水谷千重子(友近)と
大物演歌歌手の水谷千重子に元気づけられた福田「これからは三橋美智也さんのように演歌も民謡も歌っていきたい」と話す。
祖父母は岩手で牛を飼って農業を営む。福田も同じ岩手に住んでいる。サラリーマンを続けながらのプロ歌手である。
でも、農業は肌に合わないようだだが、子どもの頃から親しんできた牛とは大の仲良し。
だからだろう「これが本当の牛の鳴き声だ」という、少し民謡調の鳴き真似は天下一品だ。
キャンペーンでは唐草模様の小袋や風呂敷を持ち歩いていた。縁起物だそうだ。「母が作ってくれました」と、母親思いの一面を見せてくれた。
[福田こうへい キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=43580
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