第34回歌を歩く 東近江の旅 Vol.2 [イベント]
◆土地の風物や人にふれあうのは旅の味わいのひとつであろう。2024年3月30日、中山道武佐宿から五箇荘宿までを歩いた「第34回歌を歩く」は、そんな1日だけの旅でもあった。
写真・さぁ、出発だ!
近江鉄道の近江八幡駅で八日市行きの2両編成の電車に乗った。脱線するかと思うほどの横ゆれが激しいのには驚いた。それも5分ほどで、1駅先の武佐駅に着いた。
木造の小さな駅舎をバックに「歌を歩く」恒例となっている出発の集合写真を撮る。住宅が見られるだけ以外に何もない、ひっそりとした町である。
それでも江戸時代には、69の宿場があったという中山道の中で66番目(67番目?)の武佐宿として、歌川広重の木曽街道六十九次にも描かれ、近江商人の往来も多かったという。
写真・本陣跡や古い街並みが
当時の町並は1キロほどで、戸数は183戸、人口は537人だったという。本陣が1つ、脇本陣も1つあったとされ、旅籠は23軒もあったというから、その賑わいぶりが想像できる。
武佐宿はまた、伊勢に向かう八風街道(八日市・永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつながる)の起点でもあり、かつては海産物や紙、布などの物資が行き交っている。
写真・広い田畑が広がる
今の街並みからは往時の様子はどこにも感じられない。
自宅の庭先にいた90歳の女性が、その変貌ぶりを話してくれた。
「ここには働く所もないから若いもんは皆んな町へ移り住んでいるので、寂れる一方です。田んぼも村で一括管理して耕作している具合です」
確かに高齢者の姿がやたらと目につく。公園の桜の木の下で宴会をしている人たちもそうであった。
花が咲くには少し早かったが、予定していた集まりであったのだろう、変更せずに一堂が会して花のない花見となったようである。
写真・街道筋には神社や寺がたくさん見られる
我々が通りかかった時には、用意していた弁当も食べ終わったのだろうか、早々に家へと戻るところであった。
花はなかったが天候も良く誰もが楽しそうに笑顔でいっぱいであった。(続く)