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和田青児(日本クラウン) 今年はスリランカでコンサート!? 同国政府筋からオファー [コンサート]

和田青児が2017年、スリランカでコンサートを開く。去年、同国の政府筋から打診があったもので、詳細は今月にも決定するという。和田が2016年11月2日に出した新曲「燃えて咲け」を聴いた同国の政府関係者が本人の歌に惚れ込んだようだ。

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和田青児

 スリランカってどこ?
 かつてはセイロンと呼んでいた、インド南東にあるセイロン島がその国である。セイロン茶などで知られている。
 本人もオファーの理由ははっきりと分からないとしているほどに、驚きの出来事のようである。が、どうも「新曲を気に入ってもらったようだ」という。

 その新曲「燃えて咲け」はカップリングの「みんなの世界」とともに和田が、星つかさのペンネームで作詩、作曲した作品である。
 メイン曲の「燃えて咲け」はドラマティックな楽曲で、「和田青児の持つ個性的な節回しを上手く表現された作品となった」と評されている。

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師匠の北島三郎譲りの歌唱力は絶品

 カップリングは、和田青児が巣鴨児童合唱団とコーラスをする、まったくの新境地の楽曲。老若男女誰でもが楽しめる歌となっていて「スリランカの子供たちにも歌ってほしい」と求められているという。

 コンサートでは日本語で歌うことになるが、和田は「1曲程度は英語か現地のシンハリ語で歌ってみたい」と話している。

 今年48歳を迎える年男の和田は「歌手としての足跡を残すことができそうで楽しみです」として、「大統領との会談も実現するかもしれない」と期待を寄せている。師匠の北島三郎には「正式に決定次第に報告したいと思います」と話している。





[和田青児 オフィシャルサイト]
http://www.seiji-wada.com/
[和田青児 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/wada/whats.html






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芹洋子(キングレコード) 大阪でコンサート 「四季の歌」「山は心のふるさと」など全16曲を歌う [コンサート]

◆心の底までも見えそうな澄み切った声が会場いっぱいに響き渡った。2015年2月20日、芹洋子が大阪府吹田市のメイシアターでコンサートを開いた。お馴染みの「四季の歌」から「坊がつる讃歌」「山は心のふるさと」などをピアノとフルートの伴奏で歌うと、会場はまるで歌声喫茶のよう。客席の人たちが芹と一緒に歌い出すいった一体感を見せていた。

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芹洋子ベストセレクション2014 2.jpg「芹洋子ふれあいコンサート 2015」。芹が大阪で開くコンサートは6年ぶりである。
 彼女の歌声を聴きたいー。そんな熱い想いの人たちが会場を埋めた。
 歌はみんなと歌うものであるー彼女はそんなふうに言っているかのようなコンサートだった。

 芹の歌にはつい口ずさんでしまうものが多い。
 伊藤久男が歌って戦後大ヒットした「あざみの歌」は彼の代表曲であるが、それをカバーした芹に伊藤は「上手い」と評したほどでだ。今では彼女はアルバムに入れるほどの楽曲になっている。この日は4曲目にこれを用意し、会場の人たちと共に歌った。

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 山の歌も多い。
 1978(昭和53)年に出して大ヒットし、コンサートでも披露した「坊がつる讃歌」をきっかけに、次々と山をテーマにした作品を発表している。昨年発売した2枚組アルバム「芹洋子 ベストセレクション 2014」は、1枚を山の歌で構成したほどだった。

 同じようにアルバムに収録されている「山は心のふるさと」も会場で歌った。
 まるでやまびこのように ♪ 山は山は山は 〜 という歌い出しのこの歌を吹田市と兵庫県芦屋市の女性コーラス4団体の60人との合唱した。来年8月11日には祝日「山の日」が誕生するのに伴い、それの公式記念曲の候補になっているという。
 それに合わせて「シングルカットも予定している」といい、話題曲がまたひとつ増えそうだ。

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 この日はまた、懐かしい「おぼろ月夜」「かあさんの歌」などの唱歌5曲を客席に降りて、観客と一緒に歌い、最後にはステージで「四季の歌」「青春時代」をコーラス、客席がひとつになって大合唱となった。

 芹は「一度だけ人生を悔いのないように、青春を感じ取って歌っていきたい」と話していた。


[芹洋子 後援会オフィシャルサイト]
http://www15.ocn.ne.jp/~seriyoko/
[芹洋子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10628






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岩本公水(キングレコード) デビュー20年を記念して大阪でコンサート 最新曲「道の駅」からカバーアルバム「うたこまち」収録曲まで全23曲を歌う [コンサート]

岩本公水が2014年10月23日、大阪市中央区のIMPホールでデビュー20周年記念コンサート 〜 うたこまち 〜 を開いた。秋田、北海道、鹿児島会場に次ぐもので、6月に出したカバーアルバム「うたこまち ~ 昭和歌の語りべ ~ 」(15曲収録)の中から7曲のほか、最新曲の「道の駅」などオリジナル曲も10曲を披露した。歌好きでいろんなコンテストに出ていた子ども時代から、念願のデビュー、心折れての休業、そして復帰という歌い手としての歩みを歌とトークで綴った約2時間だった。

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 岩本公水も自らバチを持って威勢のいい和太鼓の音で幕開けしたコンサート。最初の曲はアルバム「うたこまち ~ 昭和歌の語りべ ~ 」の収録曲から「冬の華」(ちあきなおみ)と「漁歌」(北原ミレイ)。
 アルバムは最新曲「道の駅」を作曲した船村徹の作品を6曲も収録している。この日は収録曲からはオープニングの2曲のほか、岩本が中でも最も好きだという「哀愁のからまつ林」(島倉千代子)「紅とんぼ」(ちあきなおみ)も歌った。さらに「哀愁波止場」(美空ひばり)「風雪流れ旅」(北島三郎)など、自ら難しい歌という船村作品にも挑戦した。

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 岩本は秋田県羽後町出身。幼い時から歌が大好きで、毎年春に出稼ぎから帰ってくる父親に歌を褒めてもらうのが嬉しくて仕方なかったという。テレビのコンテスト番組では都はるみの「好きになった人」を歌い、錚々たる審査員のプロ歌手をタジタジとさせるなど、行く先々で大人を驚かす歌唱を披露して早くから<歌い手>としての存在感を示していた。

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 歌手を目指して上京。1年間のOLを経験してプロデビューを果たす。デビュー2年目にはNHKの「歌謡新人コンテスト」でグランプリを受賞して、その年の紅白歌合戦に出場している。
 そんな折々に歌い、耳にしてきた歌の中から水前寺清子の「大勝負」、高橋真梨子の「五番街のマリー」などを歌い、第7回NHK新人歌謡コンテストで歌ったオリジナル曲「涙唱」も披露した。

 歌から離れた休業時代に岩本の母親は「ゆっくりと休みなさい」と優しい言葉をかけてくれたという。その母を歌ったのが、12年に出した「こまくさ帰行」のカップリングに収録した「姫鏡台」だった。鹿児島から秋田に嫁いできた母親が大切にしていたのがひとつの鏡台だったという。
 鏡台の前に座る母の姿を想い浮かべて歌った岩本は「泣いてしまいました」と正直に告げた。ハンカチで涙をぬぐう彼女にはファンから声援が飛んでいた。休業は2年半に及ぶが、これが歌手として一段と成長させたようだ。
 復帰後の彼女への業界関係者の評価はそれまでを上回り、さらに歌に表現力を付けるようになっていったようだ。

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 この日のコンサートでは復帰第一弾の「草枕」(07年)以降の代表作品から「文鳥」「泣きむし橋」なども歌った。デビュー曲「雪花火」を作詞した吉岡治は、彼女の最初で最後の求めに応じて秋田・田沢湖に伝わる伝説をモチーフに「辰子伝説」を、病院のベッドで書いている。この忘れられない1曲も聴かせてくれた。

 岩本にとって初めての船村徹作品の最新曲「道の駅」は、今年1月の発売後10ヶ月も歌い続けている。半年サイクルの新曲発売が通例のレコード業界にあっては珍しいケースである。
「いい歌をもらったと思っています。歌えば歌うほど好きになり、ずっと長く歌い続けていきたい」と岩本。

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 あらゆる歌を見事に歌いこなす力量は、コンサート終了後の満足感を大いに高めてくれた。彼女も「難しくても良い歌を聴き、私の中に取り込んでいくことでいい歌手になりたいと思います」と話し、アンコール曲の「木漏れ日に包まれて」まで、全力投球で歌い切った。

 デビュー20周年記念コンサートはこのあと11月17日、東京・浅草公会堂でも開かれる。


[岩本公水 オフィシャルサイト]
http://iwamotokumi.com/
[岩本公水 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10094

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三門忠司(テイチクエンタテインメント)  神戸でコンサート  9月17日発売の新曲「人生一勝二敗」を披露 [コンサート]

三門忠司が9月17日に出す新曲「人生一勝二敗」を早々と披露するなど、ヒット曲やカバー曲を含む13曲を歌った「三門忠司コンサート in 神戸」を、2014年9月6日、神戸市中央区の神戸朝日ホールで開いた。三門とのデュエット曲もある永井みゆきがゲストとして出演、最新曲の「雨の木次線」を歌い、地元のにしきこうじ、尼乃旭、好美(元・有村よしみ)、加津一らも顔を揃えた。三門は「たくさんの人に支えられてデビュー35年目を迎えることが出来ました。じっくりと聴いてもらい楽しんでください」と、話していた。

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新曲「人生一勝二敗」を披露する三門忠司
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ゲストの永井みゆきデュエット曲「小春三吉 相惚れ駒」を歌う

 「河内の次郎長」でオープニングを飾った三門は、代表曲の「雨の大阪」「俺の花」「片恋酒」を続いて歌い、34年間の歌手生活を支えてくれた人たちへの感謝の気持ちをを表した。二部では洋服から着物に衣装を替え、氷川きょしの「箱根八里の半次郎」で客席に現れた。
 「哀愁列車」など懐かしの名曲のメロディーをはさんで、「浪花しぐれ 桂春団治」「雨降る波止場」も披露。

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 9月17日発売の新曲「人生一勝二敗」は、人生は負けて覚えることもある、一勝二敗が丁度いい ー と歌う人生応援歌。「ええ歌やろう。CD 出たら買ってね」とファンに呼びかけていた。

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新曲「雨の木次線」が好調な永井みゆき


 レコード会社も出身地も三門と同じの永井は、8年前に三門とデュエットした「小春三吉 相惚れ駒」を歌って、名コンビぶりを見せた。
 16歳でデビューした彼女も今月で40歳を迎える。この日は懐かしいデビュー曲「大阪すずめ
」や、母親の出身地でもある奥出雲を歌った「雨の木次線」、カップリングの「お龍恋唄」のほか「地吹雪情話」も披露した。

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加津一
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好美

 地元ゲストのにしきは「浪花の松五郎」、尼乃は「咲く尼崎」、好美は「ほど酔い酒」、加津は「男の身勝手」など、それぞれオリジナル曲を歌った。


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尼乃旭
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にしきこうじ


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大沢桃子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 名古屋で「大沢桃子コンサート2014 決意のたびだち」 5年連続開催 ヒット曲目指すと強い決意示す [コンサート]

桃子4.jpg◆名古屋での開催は5年連続という大沢桃子のコンサートには、全国各地からほぼ会場いっぱいの約800人が集まった。コンサートバージョンにアレンジされたオリジナル曲など普段では聴く機会が少ない楽曲をふんだに盛り込み、エレキサウンドをパックに全21曲を歌った。大沢は「感謝の気持ちでいっぱいです。ヒット曲を出すことを目指します」と、デビュー11年目の決意を語っていた。









 2014年5月31日、名古屋市中村区名駅のウインクあいちで開かれた「大沢桃子コンサート2014 決意のたびだち」で、大沢のバックを務めたのは演奏のスーパーピンクパンサーと踊りの浅香(光代)劇団。
オープニングはスーパーピンクパンサーのエレキサウンドにのせた「ソーラン節」に続いて「ハマギクの花」と「石割桜」を歌唱。
 デビュー当時の衣装という黄色のキラキラドレスは、デビューの心をいつまでも大切にといった、去年10周年を迎えた大沢ならではの決意の表れのようでもあった。

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 続いて美空ひばりの「お祭りマンボ」など昭和の名曲3曲をコンサートバージョンで歌って客席をひと回った。ここで歌ったのは、デビュー前から続けているという老人施設などへの慰問コンサートでも人気の楽曲ばかり。「これからも慰問はこつこつと続けていきたい」と、大沢が幅広い人たちから支持を受けている背景を見せてくれたようだった。

 大沢は数年前から南アルプスの麓にある長野県松川町の人たちとの交流を深めている。そののどかな松川町を舞台に歌っているねが「りんごの故郷(さと)」。それを披露すると、同町から駆け付けてきたという応援団の人たちから熱い声援が送られていた。

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 大沢はまた歌は寺内タケシ、踊りは浅香光代に付いて稽古を積んできた。この日のコンサート1部の最後では、扇の舞を見せ、ヘッドセットマイクで歌うというコンサートのステージならではの見応え十分な演出ぶりを披露した。


 2部ではそれまでの和服から珍しい白いドレスに着替えて「風の丘」「恋し浜」「京都洛北路」のオリジナルをコンサートバージョンで、さらにベンチャーズサウンドの「京都の恋」もコンサートバージョンで披露した。
 昨年の名古屋会場でもドレス姿で歌っているが「この時は靴を忘れて裸足でステージに立ったんです」(大沢)と、1年前の秘密を明かして会場を笑わせていた。

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 ラストは再び和服にチェンジ。最新曲の「イギリス海岸」や元気な応援歌「夢をくれたひと」などを歌った。
 大沢は「11年目のさらなる夢に向けてスタートを切ることができたコンサートでした。会場に来てくれた母や応援していただいている皆さんのためにも、ヒット曲を出すために一生懸命に頑張ります」と、強い想いを表していた。


[大沢桃子 オフィシャルサイト]
http://bspro.jp/momoko/
[大沢桃子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/oosawa.html

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大沢桃子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 来年5月にも大阪でコンサート開催へ [コンサート]

◆新曲「イギリス海岸」が好調な大沢桃子が、2015年5月に大阪で初のワンマンコンサートを開く。エレキギターの伴奏やアレンジされたオリジナル曲を披露したり、普段はあまり見られないパフォーマンスが楽しめそうだ。


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大沢桃子


 大阪開催は念願であった。
 今まで大沢は東京と名古屋でワンマンコンサートを開いてきた。しかし大阪だけは長い間、空白エリアだった。それがいよいよ、来年にも実現しそうなのである。

 大沢の音楽の師匠はエレキの神様と言われる寺内タケシ。踊りや芝居は浅香光代に師事している。これがコンサートを魅力づける。寺内のパックを務めるブルージーンズのメンバーによる演奏や、アレンジされたオリジナル曲など、コンサートの見どころ、聴きどころは数多い。

 彼女の代表曲「風の丘」(2010年)も「まるで『千の風になって』を聴いているような感覚にしてくれる」というほどだ。


[大沢桃子 オフィシャルサイト]
http://bspro.jp/momoko/index.html
[大沢桃子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/oosawa.html



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中村美律子(キングレコード) 新構成のコンサートを東京・渋谷公会堂からスタート 同会場で重量挙げにもチャレンジ [コンサート]

中村美律子1.jpg中村美律子が、2014年3月28日、、東京都渋谷区の渋谷公会堂で「中村美律子コンサート 2014」を昼夜2回開いた。従来のコンサートとはガラリと構成など内容を変更して、照明から曲目、衣装とすべてを変えたという。これを皮きりに新スタイルのコンサートを全国で開催していく。


 この日は昼夜2回の公演で約4000人のファンが詰めかけた。
 渋谷公会堂は開業当初、1964年の東京オリンピック重量挙げの会場だったこともあり、重量挙げ大学ナンバーワンの持田龍之輔選手ら2020年の東京オリンピック出場を目指す日本大学重量挙げ部の選手たちが応援に駆けつけて、昼夜公演の間の時間に重量挙げを披露した。



 中村は「大阪情話」をはじめ「島田のブンブン」「おんなの純情」「河内おとこ節」、美空ひばりメドレーで「悲しき口笛」「港町十三番地」などを披露。新曲「おもいでの宿」も歌い、ファイナルは約19分のロングバージョンの歌謡浪曲「瞼の母」を聴かせたなど全14曲を熱唱した。

 中村は「いい緊張感で1曲、1曲、心をこめて皆さんのハートに届くように一生懸命歌わせていただきました。120歳まで歌うという気持ちでいます」と話した。

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 この日から始まった新しいコンサートだが、中村は「毎年、全国ツアーで各地を巡回させていただいていますが、これからも元気を全国の皆さんに伝えていけるようにコンサートを続けていきたいです」と話していた。

 7月4日から同22日まで名古屋の中日劇場で座長公演=第1部の芝居は「新版 夫婦善哉」、第2部のショーは「中村美律子オンステージ」=を行うことが決まっている。


[中村美律子 オフィシャルサイト]
http://www.goldenmusic.co.jp/mitsuko_nakamura.html
[中村美律子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=34462

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福田こうへい(キングレコード)  ファーストコンサート最終章 昼2回で3000人のファンを魅了 東京国際フォーラム [コンサート]

「南部蝉しぐれ」がロングブレイクしてる福田こうへいが、2014年3月27日、東京都千代田区の東京国際フォーラム・ホールCでコンサート「福田こうへい ファーストコンサート~そのⅣ~有楽町で逢いましょう」を開いた。


福田こうへい1.jpg 昨年6月12日を皮切りに全4カ所で開いたファーストコンサートの集大成。福田も「いま出せる力のすべてを出し切って歌う」と大張り切りで臨んだ。

 昼2回公演で、1500席の会場はそれぞれ満席。大ヒット曲「南部蝉しぐれ」をはじめカップリング曲「風やまず」、彼が尊敬する同じレコード会社の先輩歌手・三橋美智也さんのヒットメドレーから「おんな船頭唄」「哀愁列車」、民謡コーナーでは「南部牛追い唄」を歌った。




満員のファンの前で熱唱する福田こうへい」
(東京・千代田区の東京国際フォーラム・ホールCで)



 昨年5月8日発売のファースト・アルバム「響~南部蝉しぐれ~」からは「帰ってこいよ」、昭和のヒット曲のカバーでは「青春編」と題して「潮来笠」「リンゴ追分」「酒よ」、「望郷編」として「別れの一本杉」「津軽平野」「望郷じょんから」をそれぞれ披露。
 徳光和夫さんの生イントロナレーションで「大利根無情」「風雪ながれ旅」などをメドレーするなど全17曲を熱唱した。


福田こうへい2.jpg 民謡日本一から1年で大ブレークした福田は「ファンの方から声をかけられることが多くなりました。空港や駅で私を見かけた人から『一緒にカラオケに行きませんか』と誘われたりします」と、その変化に自分でも驚いている様子。

 4月2日には、ファン待望の第2弾シングル「峠越え」(昨詞・久仁京介、昨曲・四方章人)が発売される。
 福田は「いまの自分が出せるすべてを入れてレコーディングしました。これからも人に飽きられない歌手、聴いてくださる方が癒やされるような歌手を目指して頑張っていきたい」と話していた。




お得意の<こうへいポーズ>を見せる福田


[福田こうへい オフィシャルサイト]
http://fukuda-kouhei.syncl.jp/
[福田こうへい キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=43580



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五木ひろし(ファイブズ・エンタテインメント)  大阪・フェスティバルホールで50周年記念コンサート 昼夜5000人が五木演歌50曲に酔う [コンサート]

五木ひろしが歌手生活50周年を記念したコンサート「五木ひろしコンサート 2014 ~ ありがとう この歌を ありがとう あなたに ~ 」を、2014年3月24日、大阪・中之島のフェスティバルホールで開き、昼夜2回公演に集まった超満員の約5000人の観客は、デビュー曲から最新曲「桜貝 / 東京ロマンス」まで50曲の歌唱に酔いしれていた。6日の東京会場に続くもの。24歳で初めてリサイタルを開いた想い出深い場所でのコンサートで、これによって1年間に渡って全国50カ所で展開する記念コンサートが名実ともにスタートを切ったことになる。関西ではこのあと6月7日に神戸国際会館でも開く。


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 五木にとってフェスティバルホールは初めてのリサイタルを開いた所として、決して忘れられない記念の会場だ。この日も客席からの投げかけられていた熱い声援は、新人時代に励まされたことを思い出させるのに十分すぎるほどだった。

 そうした想いを届けるかのように、オープニングで歌った「夜空」と「夜明けのブルース」の2曲に続いて、ワンコーラスずつ32曲を休むことなく一気に歌いあげた。3月14日で66歳になったばかりの五木ひろしには、体力の衰えなど微塵も感じさせなかった。
 自身の歴史を綴る32曲メドレーは、日本コロムビアから松山まさる名前で出したデビュー曲「新宿駅から」(1965年)から、一条英一に改名しての「俺を泣かせる夜の雨」(ポリドール、67年)、今度は三谷謙と名乗ってミノルホンに移籍して出した「雨のヨコハマ」(69年)と初期の歌から始まった。

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 さらに五木ひろしとして初めて出して大ヒットした「よこはま・たそがれ」(同、71年)など代表曲の数々も披露。そして目立ったヒットから遠ざかっていた彼に再び光が差したのはレーモンド松屋との出会いで、その代表曲となった前作の「博多ア・ラ・モード」(2013年)まで、全身の力を振り絞って歌った。

 50周年記念曲として3月19日に発売されたばかりの「桜貝」(作詞・水木れいじ、作曲・弦哲也、編曲・南郷達也)は、97年に発売されたアルバム中の1曲である。
 「4、5年前からいつか世に出そうと思ってタイミングを探していました。昨年の暮れに50周年記念曲とすることを決めました」と五木。

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 新たに書き下ろすことも出来たし、さらには数多くのオリジナル楽曲の中からそれを選んだのには、彼なりの強いこだわりがあった。
 「桜貝は2枚の貝がいつも離れずに一緒に支え合っています。それと同じように、♪ 信じた道を 歩くのと ~ など、『桜貝』は2番の歌詞にあるように、苦しい時もいつも支えてくれて一緒に乗り越えて来てくれた人たちへの、ありがとう感謝の気持ちを表現しています。そこに惹かれました」

 苦労の時代を経て演歌界トップの座に登り詰めるまでの間に、苦しみ支えあってくれた家族をはじめたくさんの人たちへの感謝の気持ちを、五木はこの歌を歌うことで表わしたかったのだ。

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 とりわけ12年前に他界している母親への想いはひと際で、歌唱中にステージバックのスクリーンの想い出の映像には、懐かしい母親の姿がたくさん映し出されていた。

 五木は「成功した姿を母に魅せられたことは幸せでした。こうして大好きな歌を歌うために、この世に誕生させてくれた両親に感謝したい気持ちでいっぱいです」と話していた。


[五木ひろし オフィシャルサイト]
http://www.itsuki-hiroshi.co.jp/



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ホリデージャパン NHK大阪ホールで歌謡フェスタ 6月29日 中条きよし、加門亮。宮路オサム18人が出演 [コンサート]

ホリデージャパンが、6月29日、大阪市中央区のNHK大阪ホールで、中条きよし、加門亮。宮路オサムら同社所属の歌手18人が出演する「ホリデージャパン歌謡フェスタ」を開く。昨年に次ぐもの。

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 昨年は同社のレーベルが発足して10周年を記念して東京と大阪で開催した。今回は東京が同19日に去年と同じよみうりホールで予定している。大阪では、29日、去年の大阪市中央公会堂からNHK大阪ホールに会場を移して開く。

 大阪会場は、開場が午後3時30分、開演が4時。
 出演歌手は中条きよし、加門亮、宮路オサム、ニック・ニューサ、西山ひとみ、若原りょう、原田ヒロシ、大下香奈、しいの乙吉、塚原鉄平、川口哲也、新浩司、幸田和也、福田みのる、つげゆうじ、、いずはら玲子、翠明、青木あき

 問い合わせは ホリデージャパン(03-3433-3933)


[ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/menu/home02.htm




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大月みやこ(キングレコード) 大阪新歌舞伎座でデビュー50周年記念コンサート デビュー曲「母恋三味線」から最新曲「いのちの海峡」まで全26曲を歌う [コンサート]

◆デビュー50周年を迎えている大月みやこが、2014年2月24日、大阪・上六の新歌舞伎座で記念コンサートを開いた。デビュー曲の「母恋三味線」から最新曲で昨年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した「いのちの海峡」まで、大月みやこのすべてが分かる全26曲を歌った。「50年も歌えるとは思ってもいませんでした。歌っていられる今が最高の幸せです」と大月。ステージでは時折、涙声で話す場面もあったが「もっと感動してもらえる歌を目指したい」と、まだまだ続く、悲恋の女の世界を歌う歌手人生への意欲を見せていた。


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 オープニングはデビュー曲「母恋三味線」。
 大阪・馬場町の歌謡学校で11年間続けた歌の勉強を経て上京した大月は、1964(昭和39)年、晴れてキングレコードの歌手になり歌手の仲間入りをした。街は東京オリンピックで湧いていたが、歌手人生の前半は決して世間でいう華やかな世界の歌手ではなかった。

 この日、3曲目に歌った「通天閣の子守唄」は、一昨年の歌手協会主催のイベントでリクエストに応えて歌ったものの、普段はステージで披露することはない。忘れ去られたような歌だったが、大阪ものの1曲として歌唱リストに加えた。発売した70年当時は「まったく売れなかった」というが、通天閣をさらには大阪を最も良く表した歌とも思われる。
 こうした歌を歌っていた大月の歌手人生前半の約15年間は「ただ毎日歌っていられることが楽しくて仕方がなかった」だけの可愛い女の子だった。

 「三橋美智也さんや春日八郎さんといった大先輩について全国を歌い巡り、舞台ソデでは先輩の歌をずっと聴いていました。そんな毎日がとても幸せに感じていました」

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 3年間のビクターへの移籍も経験している。幸運にもカムバックすることができた。が、世間から見ると厳しい下積みの時代であったことには違いない。それでも本人はそんなことは一向に気にも留めず、歌うことだけに喜びを感じていた頃であった。

 そうした大月を変えたのは「女の港」 (83年)で、「この辺りから歌をヒットさせて周りからも認めてもらい、大月みやこの名前を覚えてもらいたい、を意識し始めました」という、歌手人生の.転機となった楽曲であった。
 コンサートでは、「白い海峡」とともにこの歌も披露した。いずれも大ヒットとなっただけに、今でもカラオケで歌う人も多く、客席からは大きな拍手が送られていた。


大月みやこ7.jpg 大月は4月5日から30日まで新歌舞伎座で、香西かおり、神野美加、田川寿美らとともに芝居「吉野まほろば物語」で長女役を演じる。そうした芝居の世界に足を踏み入れたのも、歌で「女の世界」を描く手段としてで、80年代以降盛んに熱演を振るっている。それでも「私は百パーセント歌手で、たえず前を向いて歌っていたい」と、大月はあくまでも歌手であることをアピールしていた。









 ラストは大ヒット曲となった「女の港」とともに、エンディング曲にしたやはり大ヒットした「女の駅」や、「女・・・さすらい」「儚な川」「心ひとすじ」、南こうせつ作曲の旅情演歌「京都ひとり」50周年記念曲第1弾「女のかがり火」、同第2弾の「いのちの海峡」といった、最近のヒット曲を並べた。

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 大月のコンサートでは定番とも思える、たくさんの衣装の早変わりは今回も見せてくれた。着物は8着、「大阪で生まれた女」「お嫁サンバ」「パッシングラブ」など7曲歌ったカバーコーナーでのドレス6着の計14着を次々と着替えて、見るものの目を楽しませてくれた。

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 大月は大阪府八尾市の出身。すでに両親も他界しており、墓参りに帰るのは年に1、2度になったという。それでも今も上六に立つと、必ず思い出すのが歌謡学校へ通っていた10代の歌手の原点でもあった時なのだ。この日も何度も涙声になって、その頃を思い出すシーンが見られた。
 記念コンサートによって50年の標を残した大阪・上六(新歌舞伎座)は、大月にとっては生涯忘れられない土地になるだろう。


[大月みやこ オフィシャルサイト]
http://www.otsukimiyako.com/
[大月みやこ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10066




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レーモンド松屋 神戸で初のチャリティーコンサートに出演  「安芸灘の風」など歌う 「垂水ふれあいコンサート」 [コンサート]

レーモンド松屋.jpg神戸市垂水区社会福祉協議会などによる「垂水ふれあい レーモンド松屋 チャリティーコンサート」が、2014年2月9日、同区の垂水レバンテホールで開かれた。レーモンド松屋が神戸で開くコンサートは初めてで、昼夜2部構成の公演には1200人近い人たちが詰めかけ、エレキサウンドにのったレーモンドメロディスー大きな拍手を送っていた。門倉有希(ビクターエンターテイメント)、愛田幾也(ホリデージャパン)も出演した。







レーモンド松屋

 コンサートの収益金の一部は、同区の地域自立支援協議会へ寄付し、ハンディキャップを持つ人たちが自立をめざしている管内の作業所の活動資金として役立てられている。
 この日も開催に先立って主催者の1人、イベントサポートわかばの亀井秀子さんから同社会福祉協議会へ売上金の一部が手渡された。

 レーモンド松屋は、五木ひろしに提供した楽曲「夜明けのブルース」「博多ア・ラ・モード」が大ヒットしたことでも知られるが、それ以前から愛媛県を中心にインディーズとして音楽活動を展開し、「来島海峡」「安芸灘の風」など名曲を自作、自演してきた。
 2010年にユニバーサルミュージックから「安芸灘の風」を再リリースしてメジャーデビューしてから、全国的に注目を集めるようになった。

 とりわけ五木との出会いが、彼の音楽人生を大きく変えたが、そうした彼の歌を聴こうと会場には、地元はもちろん遠くは長崎や仙台、名古屋などからもファンが詰めかけるなど、1曲1曲に拍手や手拍子を送っていた。
 メジャーデビューするきっかけとなった「安芸灘の風」や「来島海峡」などオリジナルを歌うと、客席からは手拍子が。南かな子に楽曲提供した「しのび駒」「雨のミッドナイトステーション」も披露。

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 彼の音楽の原点は、ベンチャーズや日本のグループサウンズに代表されるエレキ音楽である。さらに子どものの頃から耳にしていた懐かしの昭和の名曲は、音楽作りに大きな影響を与えている。
この日のコンサートでも松山恵子の「お別れ公衆電話」やも美空ひばりの「みだれ髪」、三橋美智也の「おんな船頭唄」などをレーモンド風にアレンジして歌った。

 エレキギターは中学時代から始めている。ベンチャーズの「ダイヤモンド・ヘッド~パイプライン」に影響されものだった。会場には高校時代に一緒にバンドを組み、現在は兵庫県明石市に住む男性も顔を見せ、「彼はリードギターを担当し、僕が音楽で身を立てる最初のきっかけを作った人でした」と紹介する一幕も見られた。

 これに先駆けて門倉有希はヒット曲は「ノラ」や東日本大震災復興支援曲で自身のアルバムにも収録している「花は咲く」、元気なばあちゃになろうよと歌う応援歌「満月」などを披露。

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門倉有希

 自身はペットの猫7匹と同居するが、ペットと寂しくひとり暮らす女性を歌った杉本眞人作曲の「哀愁の扉」や、デビュー3咲く目の「どん底」、そのカップリング曲「ひまわり」なども歌った。

 今年はデビュー20周年という門倉は「ライブを開きたいです」と話していた。

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愛田幾也

 愛田幾也は地元、神戸・垂水在住の歌手だけにたくさんのファンから声援を受け、「京都雨慕情」「ボサノバ」「男どうし」といった人気のオリジナル曲を歌うとともに、懐かしいアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」などをカバーしていた。


 次回の「垂水ふれあいコンサート」は、6月28日、メインゲストにキム・ヨンジャを招いて、同ホールで開かれる。




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福田こうへい(キングレコード)  ごあいさつコンサート大阪公演に1000人 「日本一」の掛け声も [コンサート]

◆デビュー1年と最速でNHK紅白歌合戦への出場を決めた福田こうへいが、2013年12月16日、大阪市中央区の森ノ宮ピロティーホールで「はじめまして福田こうへいです。ごあいさつコンサート ~ 大阪公演 ~ 」を開いた。満員の約1000人が会場を埋め尽くし、開演と同時に客席からはワーッと地響きにも似た歓声が沸き起こるなど人気の高さを感じさせていた。

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 「フルパワーで歌わせてもらいます」とオープニングは、デビュー曲の「南部蝉しぐれ」
 多くの観客が初めて彼の生歌を聴くと人たちを前に、カップリングの「風やまず」、同じ東北出身の吉幾三から提供されたという「門出」(CD未収録)など、メドレーを含めて23曲を歌った。
 165センチの小さな身体から押し出すような大声量に、会場からは終始、声援やまずの状態で、終演後もあちこちで<良かった。大満足>といった声が飛び交っていた。

 会場でのCD購入者特典の握手会に出た福田は、300人余の行列に1人ひとりと言葉を交わした。握手をした女性は「頑張って下さい」などと声をかけて名残りを惜しんでいた。

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 彼が演歌を歌う大きなきっかけとなったのが、祖父から聴かされ、身体で覚えた大先輩歌手の三橋美智也の歌だった。
 この日も「おんな船頭歌」や「リンゴ村から」「哀愁列車」など、三橋の歌5曲をメドレー。三橋の弟子でもある細川たかしの「北緯五十度」もカバーして、客席では手拍子を打ったり、歌を口ずさむ人たちも見られるなど、会場は歓喜に満ちていた。

 アンコールで再度「南部蝉しぐれ」を歌った福田は、午前中に東大阪市の三橋美智也の墓前に紅白出場を報告し、そこで三橋の元マネージャーから贈られた三橋の紫色のジャケッを身につけて、天国の大先輩へも届かんばかりの声を披露した。


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三橋美智也さんのジャケットを着てステージに立つ福田こうへい

 1部、2部に分かれたコンサートでは、2部では民謡歌手でもある福田の真骨頂「南部牛追唄」を披露して客席をうならせた。
 民謡は23歳で父福田岩月の後を継いでステージに立ち、昨年、父親も成し得なかった民謡日本一に輝いている。そして37歳の今、演歌日本一の座を射止めようとしているところだ。

 民謡に裏打ちされた福田の歌唱力に、客席では<福田こうへい>と書いたLEDライトを振ったり、「最高~っ」「もっと大阪へ来てや~」などの声援が飛んでいた。
 福田は東北を舞台にして人気を博したテレビドラマ「あまちゃん」を引き合いにして、「ドラマは終わりましたが、これからは<こうちゃん>の時代です」というと、大きな拍手が送られていた。

 福田は来年、東京、大阪など全国50か所を巡回するコンサートツアーを予定しているが、ステージ最後では直立して最敬礼。「これからも1ヶ所、1ヶ所、魂を込めた歌を届けて、真っ向勝負で歌っていきます」と、力強い決意を述べ、ていた。

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1人ひとりと言葉を交わした握手会には300人余が並んでいた


◆福田こうへい(キングレコード) 三橋美智也の墓前に紅白歌合戦出場と「南部蝉しぐれ」のヒットの報告  大阪・石切


 大阪市中央区の森ノ宮ピロティーホールで「はじめまして福田こうへいです。ごあいさつコンサート ~ 大阪公演 ~ 」を、2013年12月16日に開いた福田こうへいが、同日午前、大阪府東大阪市の石切霊園にある歌手、故三橋美智也さんの墓前を訪れ第64回紅白歌合戦出場決定とデビュー曲「南部蝉しぐれ」のヒットの報告を行った。

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三橋美智也さんの墓前に紅白出場を報告する福田こうへい

 福田は三橋さんと同じ民謡歌手の出身。福田がまだ高校2年の時、日本武道館で開かれた民謡コンテストに出場した父親の岩月さんの応援にやって来た際に会ったのが、三橋さんとの初対面だった。握手を求めるのが精一杯で、言葉を交わすことも出来なかった。

 この時、グランプリを逃して悔し泣きする父親の後ろ姿を見たのが、福田が民謡歌手を志すきっかけになっている。もしこの大会がなかったら、今の演歌歌手福田こうへいもなかったわけで、この初対面が三橋さんの存在を強烈に印象付けた。

 もっとも幼い頃には、馬と同じ屋根の下で生活する曲がり屋に住んでいたという福田は、祖父から三橋さんの歌「達者でナ」を聴かされて育っている。今、コンサートなどに折り込んでいる三橋さんのメドレー曲は、そうした体験から祖父と一緒に歌唱リストを作ったというほど。


[福田こうへい オフィシャルサイト]
http://fukuda-kouhei.syncl.jp/
[福田こうへい キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=43580





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嶺陽子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 恒例のコンサートに600人  新曲「あした あした またあした」など歌う  大阪ドーンセンター [コンサート]

嶺陽子3.jpg◆オリジナルの演歌・歌謡曲とともに全国の市町村歌を歌う嶺陽子が、2013年11月30日、大阪市中央区の大阪ドーンセンターでコンサートを開き、全国各地から約600人の観客を集め、今年5月に出した新曲「あした あした またあした」など全24曲を歌った。18歳で沖縄県石垣島市から大阪に出てキャバレー歌手などを経て、今年でメジャーデビュー25周年を迎えている。歌手では唯一とも思える自身のゆるキャラを持っており、ステージだでは、その<陽子ちゃん>との共演も花を添えた。


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 トレードマークの自らデザインした沖縄の紅型ドレスを着て、コンサートのオープニングに現れた嶺は、かつて自費出版した「夜の川」(東芝音楽工業)から歌い始めた。
 25年の歩みを振り返るかのように、メジャーデビュー曲の「くしはら風の恋歌」から「女あっての男じゃないの」(1999年)「皿山情話」(2009年)、そして「あした あした またあした」(13年)、同カップリング曲「恋吹雪みやがわ」(同)とも年代を追って代表曲を紹介した。

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 歌手のスタートはキャバレーからだった。大阪はもちろん全国を巡り歩いたという。「1週間分の衣装とCDを鞄に詰めて、歌わせて下さいとお願いして回りました」と嶺。重たい鞄を持つので手には豆ができたが、その手で客と握手して歌った。
 間もなく、評判だったソフトな歌声が買われて市町村歌を歌うことになる。第一号は兵庫県宍粟郡波賀町(現・宍粟市)の町歌だった。その曲数は現役歌手ではNo1の実績を誇る300曲にもなり、「市町村歌の女王」や「公務員歌手」とも称されるほど。

 1988(昭和63)年にはキャバレー歌手を辞め、市町村歌を歌うことと並行して演歌歌謡曲の歌手として専念することを方向転換。テレビに出演したり各地のCDショップやカラオケ喫茶店でのキャンペーンにも力を入れ始めた。
 オリジナル曲を歌い始め、新曲の「あした あした まちあした」で10曲目になる。

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 その「あした あした まちあした」は、人生いろんなことがあるけれど、まぁっいいか、と明るく明日へ歩いていこう ― という人生応援歌。
 沖縄の言葉「なんくるないさぁ~」のように、なんかなるさぁ~と楽しく歌って生きていこうといった、嶺の性格をそのまま表すかのようである。
 カップリングの「恋吹雪みやがわ」は、一転して本格演歌。岐阜県飛騨市宮川町を舞台にした恋歌。

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 定期コンサートはメジャーデビューする前から毎年開催している。全国の市町村歌を歌っていることもあって、各地から応援の人たちがやって来る。今回はオリジナル曲「皿山情話」の舞台となった長崎からもたくさんの人たちが詰めかけていた。
 「楽しくなければコンサートではない」(嶺)の考えから、数年前からは嶺のゆるキャラ「陽子ちゃん」も一緒にステージに登場して、観客の目を楽しませてくれている。
 今回もステージの随所に現れて愛嬌を振りまいていた。

 ラストでは「元気が一番!」と嶺の掛け声に合わせて、客席と一緒に「あした あした まちあした」を大合唱した。




[嶺陽子 オフィシャルサイト]
http://www.mine-yoko.com/index.html
[嶺陽子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka/mine_yoko/



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中村美律子(キングレコード)  大阪・新歌舞伎座でスペシャルコンサート 「瞼の母」など長編浪曲歌謡曲3題を熱唱 [コンサート]

◆これぞ中村美律子 ― 。大阪・新歌舞伎座での「中村美律子スペシャルコンサート2013」で中村美律子は、2013年10月15日、第1部で「壺坂情話」「お夏清十郎」「瞼の母」の長編歌謡浪曲3題を熱唱して見せた。母子の情愛を描いた人情時代劇「瞼の母」は中村の真骨頂で、涙なくして聴けない名調子は当代一であろう。今年2月の京都・南座に次ぐ見応、聴き応えたっぷりなスペシャルコンサートには超満員の1400.人が全国から詰めかけた。2部では、新曲の「おもいでの宿」から、カバーをさせたら右に出る者はいないと思われる美空ひばりの楽曲からは「龍馬残影」などを披露した。ゲストには新歌舞伎座初出演という渡辺要(日本クラウン)が出演し、新曲「男の浮世川」などを歌った。

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 長編歌謡浪曲 「壺坂情話」「お夏清十郎」そして「瞼の母」はいずれも中村美律子の十八番で、いずれもコンサートを盛り上げる出しものである。それを惜し気もなく1部で一挙に三題を歌いあげた。中でも極めつけはやはり長谷川伸原作の人情母子もの「瞼の母」だろう。
 前奏が流れ始めると客席からは<待ってました~><なかむら~>などと掛け声がかかる。そして大きな拍手。
 13歳で母を亡くしているという中村ならではだろうか、♪ 逢いたくなったら 逢いたくなったら 俺ァ 瞼をつむるんだ ~ など母子の情愛の表現には心に迫るものがあ、聴く度に涙が出てしまう。

 「壺坂情話」は歌舞伎・浄瑠璃の「壺坂霊験記」が元になっているが、中村が1993(平成5)年から続けている盲導犬寄贈活動のきっかけを作った歌である。その年、これは20万枚を超える大ヒットになった。それがきっかけでNHK紅白歌合戦2回目の出場を勝ち得た。社会に還元しなくては、と始めたのが、すでに34頭になるという盲導犬寄贈であったというエピソードがある楽曲である。

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 観客の顔は、3題を聴き満足し切った表情。
 この1部では3色の縦じまの定式幕が使われた。今回のコンサートは「長編歌謡浪曲の一挙3題とともに、定式幕を使ってスペシャル感をだすことでした」と中村。幕は下手から上手に向かって徐々に開けるが、身体を倒すようにして全身で引くのがコツだという。

 そんなこだわりと情感あふれる舞台とともに、楽屋での中村美律子の様子から後半の第2部までをキングレコードはビデオ収録。1月8日、DVD「中村美律子スペシャルコンサート2013」として発売する。価格は4200円で、この日は早速予約販売にも応じ、演歌のライブ映像では珍しい100枚を超す予約があったというほど。

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 第2部は新曲からヒット曲など全11曲を歌った歌謡ショー。
 ♪ どんなにきれいごとより男は心だ 命だけはよごさず 生きて行こうよ なあ…哲ちゃん ~ と入る台詞が「とても気持ちいい」と中村がいう「男の盃」は、2005(平成17)年の「風まかせ」のカップリング曲。その「風まかせ」は作家の瀬戸内寂聴が作詞したもので、同氏からもらった手紙がきっかけで作詞を依頼したのが、この作品だという。

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 「大阪情話」に続いてこの2曲を歌い、美空ひばりの楽曲から「龍馬残影」「俥屋さん」の2曲をカバーした。
 1992(平成4)年のレコード大賞最優秀歌唱賞美空ひばり賞を受賞しているほどの歌唱力で、自らも「ひばりさんの歌を歌わせてもらうと気持ちいい」というなど、美空ひばりのカバー曲ファンも少なくない。

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 ゲスト出演した渡辺要はデビュー21年目。ファンからは<かなめちゃ~ん>と声援を送られていたが、初の新歌舞伎座ということもあって、やや緊張気味に「人生男節」「男の浮世川」の2曲を歌った。
 中村を<お姉さん>と呼ぶ渡辺。中村からは「年上の弟を持ったことはないわぁ」と言いあう仲だという。
 
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 エンディングは花柳與桂社中の踊りをパックに中村が威勢よく「河内おとこ節」を歌った。


[中村美律子 オフィシャルサイト]
http://www.goldenmusic.co.jp/mitsuko_nakamura.html
[中村美律子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=34462



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クミコ(日本コロムビア) 大阪でもコンサート「サヨナラをあげる」 歌謡曲、シャンソン全19曲を歌う 移籍後初のツアー [コンサート]

クミコ2.jpg◆今年5月にエイベックスから日本コロムビアに移籍したクミコのコンサート「サヨナラをあげる」が、2013年7月27日、大阪市北区の梅田芸術劇場シアタードラマシティーで開かれ、約900席の会場はたくさんの女性たちで満席。1部は移籍後に出した「サヨナラをあげる / 懺悔の小窓(C / W)」など歌謡曲、2部はシャンソンで構成して全19曲を歌った。アンコール2曲目の「サヨナラをあげる」をカラオケバージョンで歌ったほかは、すべて生バンドの演奏で、本人の楽しいトークを交えての約2時間だった。


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 ニューシングル「サヨナラをあげる」の発売を記念したクミコ コンサートツアー 2013は、6月1日の東京を皮切りに、名古屋、大阪を巡回し、きょうの北海道札幌市の道新ホールで締めくくる。

 シャンソン歌手としてデビューしたクミコだが、シャンソンはもちろんのことオリジナルの歌謡曲や戦前戦後の日本と世界の歌謡曲、ポピュラーソングも数多く歌う。
 この日も1部は、オープニングに守屋浩の「ぼくは泣いちっち」を歌い、日本初のデュエット曲と言われている「煙草屋の娘」、島倉千代子のデビュー曲「からたち日記」、西田佐知子の「アカシアの雨が止むとき」、美空ひばりの「歌は我が命」などといった具合に、懐かしい歌謡曲をクミコバージョンにアレンジして披露した。

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 以前から、レパートリーにこうした歌謡曲を数多く加えていた彼女だが、11年の東日本大震災で宮城県石巻市で被災後、何度も被災地を訪ねて歌ううたちに演歌・歌謡曲の力の大きさを再認識したという。
 今回、10年在籍したエイベックスから日本コロムビアへの移籍も「農村、山村、漁村でシャンソンを歌うよりも歌謡曲の方が、より多くの人たちの心をとらえることから、シャンソンとともにあらゆるジャンルを歌っていくことにした」(クミコ)ため。
 その第1弾は失恋をテーマにした大人の女性のバラード「サヨナラをあげる」と、カップリング曲の軽快なラテン調リズムに乗った「懺悔の小窓」と、カラオケ愛好家にも馴染みやすい楽曲を揃えた。

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 カラオケ教室でのキャンペーンや歌唱指導といった、30年に及ぶ長い歌手活動の中でも初めての体験もしている。異空間での歌唱では「サントワマミー」や「ろくでなし」などスタンダードなシャンソンも披露するが、中心はやはり新曲の「サヨナラをあげる」など歌謡曲。
 コンサート終了後のCD購入者へのサイン会、ツーショット撮影会で、1人ひとりへの丁寧なファンサービスには、人懐っこい大阪人の気質さえ感じさせた。クミコも「カラオケ教室・喫茶店でのキャンペーンは初めてですが面白いですね。楽しみが増えました」と笑ってみせいた。

 コンサートの2部はシャンソンで構成。7月10日にはエイベックスからアルバム「クミコ シャンソンベスト」(全16曲)を発売している。その中から最新の「先生のオルガン」「別れの詩」や、「愛の讃歌」「水に流して」「幽霊」といった人気楽曲の最新ヴォーカルなど8曲を歌った。
 新収録のひとつ「先生のオルガン」は、長崎県佐世保市出身のシャンソン歌手で訳詞家の古賀力さんが小学校6年のときの佐世保大空襲の体験をもとに作詞したもの。「祈り」などで命の尊さを歌うクミコが、新たに生きることの大切さを歌い継いでいる。

 クミコの「サヨナラをあげる」は、今年の第30回関西歌謡大賞のカラオケコンクールの課題曲にも選ばれており、10月3日には兵庫県尼崎市のあましんアルカイックホールでの同スターパレードにも出演する。

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[クミコ オフィシャルサイト]
http://www.puerta-ds.com/kumiko/
[クミコ 日本コロムビア]
http://columbia.jp/artist-info/kumiko/



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原田悠里(キングレコード) 大阪でも「原田悠里コンサート 2013 ~人生花ごよみ~ 」 メルパルクホールに満員の1000人 全21曲を歌う [コンサート]

原田4.jpg原田悠里 = 写真左 = が、2013年7月12日、恒例となった「原田悠里コンサート 2013 ~人生花ごよみ~ 」 (七夕コンサート)を大阪市淀川区のメルパルク大阪ホールで開いた。生きていて良かった-をテーマに最新曲「人生花ごよみ」を歌うとともに、ヒット曲や代表曲など全21曲を披露。今回、ゲストに甲状腺ガンを克服し、歌声を取り戻した韓国人テノール歌手ベー・チェチョルを招き、「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(Time To Say Goodbye)」をデュエットした。









 今年で9回目の大阪でのコンサート。毎回、原田の音楽の幅広さを楽しみにやって来る人たちも少なくない。今回も大阪をはじめ各地から会場いっぱいの1000人が詰めかけて、大きな声援を送っていた。
 コンサートのタイトルになった新曲「人生花ごよみ」は、命の大切さを歌に込めた明るい曲調の応援歌。関西最大のカラオケ・歌謡イベント関西歌謡大賞ではカラオケ課題曲にも選ばれているが、6月度の課題曲売上ランキングでトップになったほど、人気は急上昇中である。
 原田も「人生生きてて良かった~というフレーズにあるように、何気ない生活の中に幸せを実感できる歌です。これを歌ってお客さんと一緒になれるのが一番幸せですね」と話していた。

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 この日、原田は30年ぶりというオペラに挑戦した。
 学生時代に学んだという鹿児島大学に足を運んで、コンサートに合わせてボイストレーニングをしたというほどの念の入れよう。
 歌ったのはプッチーニの「私のお父さん」。原田の演歌ばかりを聴いているファンにとっては、驚きの瞬間であった。ドレス姿でステージ中央に直立して、大きな口を開けての発声する姿には演歌歌手原田悠里は、どこにも見当たらなかった。
 歌い終わって原田は「学生時代よりも歌に広がりを出せたみたいです」と満足気。共演したゲストのベー・チェチョルも「とても良かった」と評していたといい、原田は胸をなでおろしていた。

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ベー・チェチョル(右)とのデュエットする原田

 ベー・チェチョルは今回のコンサートのテーマ<命を大切に>に合わせて招聘した歌手。2005年には一旦は甲状腺ガンの手術で肺機能と歌声を完全に失ってしまったが、声帯機能回復手術とリハビリによって奇跡的な舞台復帰を果たしたという人である。日韓共同で映画「奇跡~君の歌声を再び~」も制作が進んでいるという。、
 コンサートでは原田と「タイム・トゥ・セイ・グッバイ(Time To Say Goodbye)」をデュエットしたほか、「初恋」「アリラン」の2曲を歌った。

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 演歌ファンが待ちかねた原田演歌も、オープニングの「人生花ごよみ」と「椿のふるさと」「雪割り草」「桜が咲いた」に始まり、後半の「津軽の花」「木曽路の女」「安曇野」などヒット曲が続くと、会場からは掛け声や手拍子が響き渡った。
 「津軽の花」と「木曽路の女」を歌って原田は「やっと原田悠里になったような気がします」と話すと客席からは大きな笑いも。
 彼女にはそうした代表曲には「倉敷川」などのように、タイトルに地名が付いた楽曲も多い。もちろんふる里を歌った「天草の女」を紅色の着物に着替えて歌った。
 原田の旅情演歌は「ふる里があるから私たちは生きていけます。瞼を閉じるとふる里が見えてくる、そんな歌ばかりです」と、大きな拍手とともに歌いあげていた。

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[原田悠里 北島音楽事務所]
http://www.kitajima-music.co.jp/yuri/
[原田悠里 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10099



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垂水ふれあいコンサート 湯原昌幸、長保有紀らを迎えて昼夜2回 [コンサート]

◆湯原昌幸、長保有紀らをゲストに迎えた「チャリティーショー垂水ふれあいコンサート」が、2013年6月15日、神戸市垂水区の垂水レバンテホールで開かれ、昼夜合わせて約1000人の演歌・歌謡曲ファンの熱い声援で会場は沸いた。

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垂水ふれあいコンサートの出演者たち(上)と善意銀行へ寄付の模様

 「神戸・垂水の駅前にあるレバンテホールで開かれた「垂水ふれあいコンサート」は、垂水区社会福は協議会が協賛して年に2、3回開かれている。会場で募金を募り同協議会の「善意銀行」へ寄付され、管内の福祉施設などの活動に役立てられることになっている。
この日は湯原昌幸、長保有紀、愛田幾也、オペラ歌手の中山知明が出演。雨にもかかわらず、昼の部は満席の約600人、夜の部は約400人と、たくさんの人たちが詰めかけた。


 湯原昌幸は販売枚数120万枚という大ヒットの「雨のバラード」や、2003年に出して今なおロングヒット中の「冬桜」などで知られる65歳のベテラン歌手。
 自らの半生を語るようにオリジナルやカバー曲を歌った。

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湯原昌幸

 オープニングは当時全盛だったグループサンズの一員として活躍していた頃に流行ったナンバーの中から、「長い髪の少女」など、なつかしい7曲をメドレーで披露し、後半には「ダイアナ」などロカビリーをメドレーした。
 1997年にリリースした「時よ止て」は湯原さんが50歳の時の楽曲で、「再デビューのつもりで出した」という乾坤一擲の作品であった。

 「人生半分」(01年)は50歳から始まる夢もある、と長く続いた低迷期の自分への想いを重ねて歌ったものでもある。
 この曲を作曲した杉本眞人とはその後、男性デュオ「ルービー・ブラザーズ」を結成し、この日も披露した「ふたりで竜馬をやろうじゃないか」を出している。

 杉本の楽曲にピタッとはまった湯原さんは、03年に「冬桜」、07年「柚子」と立て続けに杉本メロディーでヒットを出し、ステージではいずれの曲も歌った。

 杉本とのルービー・ブラザーズは8月26日、大阪・梅田のビルボードライブ大阪でライブを予定している。
 ラストソングはやはり「雨のバラード」。
 「初めて『雨のバラード』を生で聴いて感激しました」と、話しかける人もいたなど、時間を感じさせないステージに観客は大満足のようすだった。


 淡いピンクの着物で現れた長保有紀は、オープニングで「龍飛崎」を歌った。
 デビュー28年の長保は、子どもの頃は人見知りが激しかったというが、それを治すために始めたのが歌を歌うことだったなど、歌手長保有紀ができるまでのエピソードも披露。

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長保有紀

 昭和の名曲「矢切の渡し」などをカバーしたほか、オリジナルでは初期の作品「俄か雨」「虞美人草」から、前作の「止まり木暮らし」、新曲「嘘の花」とそのカップリング曲の「根無し草」までを歌った。

 「虞美人草」では客席に降りて、待ち構えていたファンたちと握手して回っていた。
 新曲の「嘘の花」では、「この歌は遠くへ行ってしまった大事な人を思って歌い、聴いてほしい」と、♪ 咲いて散るのが定めなら ~ と歌い、聴衆を魅了していた。


 愛田幾也は、先頃タイトル戦六冠に挑戦して破れた女性棋士の里見香奈の応援歌として自らが作ったという「出世駒」を、彼女のスライドを交えて歌った。
 その後は「京都雨慕情」「ボサノバ」、岡田しづきとのデュオ作品「男どうし」のオリジナル曲を披露。
 石原裕次郎のムード歌謡曲をカバーして、客席のファンを楽しませていた。

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愛田幾也(左)と中山知明

 神戸市在住のオペラ歌手、中山知明はオペラカルメンから「闘牛士の歌」などを歌った。


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門倉有希(ビクターエンタテインメント) 大阪でデビュー20周年記念コンサート 全24曲歌う [コンサート]

門倉3.jpg◆デビュー20周年を迎えている門倉有希が、2013年6月13日、大阪市北区のザ・フェニックスホールで記念コンサート「20th anniversary ~花は咲く~ in OSAKA」を開いた。福島県出身の門倉が、地元が1日も早く東日本大震災から復興することを祈るデビュー20周年記­念曲「私は今、生きている」や、最近は歌うことも少ないというデビュー曲の「鴎・・・カモメ」などオリジナルを中心に全24曲を歌った。











 歌が大好きで、子どもの頃には歌を歌っては近所のおじさんたちに小遣いをもらっていたことや、年齢をひとつ上の15歳と偽って都はるみ歌謡コンテストに出場して、都から「歌に精進して下さい」と言われたことなど子ども時代のエピソードなど歌手生活20年想い出を語った。


門倉4.jpg 1996年には「女の漁歌」で初めてNHK紅白歌合戦に出場しているが、その前に出た第6回NHK新人歌謡コンテストではグランプリを受賞したものの「本当は『鷗』を歌うはずて゜したが、直前になって『女の-』に変更され、その緊張をコーラをカブ飲みして抑えていた」などの裏話も披露していた。

 オープニングは1996年に出したデビュー3作目の「どの底」。さらに「北の駅」(97年)「ナザレの舟唄」(98年)「哀愁エリア」(2001年)と、20年の歩みを綴るかのように歌を進めた。
 冒頭から9曲は門倉にとっては比較的初期の楽曲が中心で「口ずさんでもらえるような懐かしい曲を選びました」。

 門倉が「忘れられない曲」という「ノラ」と「J」も披露。
 この2曲は彼女にとって代表曲と言っても良く、自身ででも「『ノラ』があったからこそ、私の歌をカラオケで歌ってもらえるようになりました」と、話していた。



 ラストソングは昨年のベストアルバムからシングルカットし、5月22日に発売した東日本大震災の被災地に思いを込めたメッセージソング「私は今、生きている」
 門倉は「ふるさとの町など被災地への想いを伝えて作ってもらった楽曲で、命と生きるということの大切さを歌っています」と、熱唱ぶりを見せた。

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 続くアンコールに応えて「2001年猫まつり」「満月」を歌って「20周年と言っても、私にとっては通過点に過ぎません。これからもいい歌を心を込めて歌っていきます」と、語った。


[門倉有希  ビクターエンタテイメントン]
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A007196.html


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福田こうへい(キングレコード) 東京でファーストコンサート 「南部蝉しぐれ」やカバー曲など全13曲熱唱  紅白をねらう!の意気込みみせる [コンサート]

福田1.jpg◆民謡界の貴公子とも言われる-民謡歌手で演歌歌手の福田こうへいが、2013年6月12日、東京都渋谷区の文化総合センター大和田・さくらホールでファーストコンサートを開いた。昨年10月24日に演歌歌手として「南部蝉しぐれ」(作詞・久仁京介、作曲・四方章人)でデビュー。現在、販売枚数は8万枚を突破すといったロングヒットを見せている。










演歌日本一を目指す福田こうへい


 昼夜2回公演で、約730席の会場は熱烈なファンで満席。
 「南部蝉しぐれ」をはじめ、カップリング曲の「風やまず」のほか、5月8日発売のファーストアルバム「響~南部蝉しぐれ~」に収録されたカバー曲から井沢八郎の「ああ上野駅」、千昌夫の「望郷酒場」、吉幾三の「津軽平野」、尊敬する同じキングレコードの先輩歌手、三橋美智也のヒットメドレーから「おんな船頭唄」「哀愁列車」など、全13曲を熱唱した。

 父親の形見の着物を着て岩手県の民謡「南部よしゃれ節」を歌ったり、アンコールでは再度、「南部蝉しぐれ」を涙をこらえながら歌い、最後まで客席のファンを満足させていた。


福田2.jpg 初めての東京でのコンサートを福田は「今まで民謡で教えてもらったことを決して忘れず、来ていただいた方に必ず満足して帰っていただくというのが私の信念です」と、普段と変わらない歌手としての心構えも披露。

 民謡界では、昨年、第25回全国民謡フェスティバルでグランプリを受賞して日本一の座を獲得した。続く目標は「演歌日本一」。
 「岩手・盛岡の家にいるおじいちゃん(87)とおばあちゃん(85)の2人に頑張っている姿を見せるためにも、何としても紅白歌合戦をねらいたい」と福田。

 この日、初コンサートを歌い切った福田は「今日も一生懸命、心でそして魂で歌わせていただきました。(演歌歌手として)スタートしたばかりでして、大きな大きな扉を押し開けたばかりでございます。皆さん、どうかどうか応援してください。日本の低迷している演歌を何とか盛り上げたいなと思っております」と、呼びかけ大きな拍手を受けたいた。


 今月18日にはNHKテレビ「NHK歌謡コンサート」に出演するほか、9月18日には東京・浅草公会堂で語り手として徳光和夫さんを迎えてコンサートを開くという。


[福田こうへい オフィシャルサイト]
http://fukudakohei.info/
[福田こうへい キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=43580


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