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作・編曲家の丸山雅仁氏が死去  「風雪ながれ旅」(北島三郎)などを編曲 [訃報]

◆作曲家で編曲家の丸山雅仁(まるやま・まさひと)氏が、2020年6月3日、死去した。76歳だった。

 通夜は6月8日午後6時から。葬儀は同9日午前10時30分から家族のみで行う。場所はいずれも東京都狛江市東野川2丁目の千手院観音堂。喪主は夫人の純(じゅん)さん。

 丸山氏は、北島三郎の「風雪ながれ旅」や大月みやこの「女の港」鳥羽一郎の「兄弟船」内藤国雄の「おゆき」など数多くの編曲を手がけており、2014年の第56回日本レコード大賞では、氷川きよしの「ちょいときまぐれ渡り鳥」大月みやこの「ひとり越前〜明日への旅〜」などで編曲賞を受賞している。

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島倉千代子(日本コロムビア)さん死去 [訃報]

◆2013年11月8日に75歳で亡くなった島倉千代子さんの最期のシングルになったのは、12年2月1日に、2年ぶりに出した「愛するあなたへの手紙」だった。その発売記念キャンペーンが、同2月22日、神戸市中央区の上新電機・ジョーシン三宮1番館のJsホールで行われている。
「Music news jp」は、その模様を、2月23日付で伝えている。

島倉千代子・上新電機.jpg
【写真】は、2012年2月23日の記事と、写真・右は今年4月に大阪市内で開かれた日本コロムビア100年記念のコロムビア大行進に出演した時の島倉さん

 そのステージで島倉さんは「落ち込んでいる時間はない。心に届くように精一杯歌っていきます。ほんの少しだけがんばって生きていきたいと思います。74歳で出来る仕事ぶりで1日でも長く歌っていたい」と話して、絶えず前向きの姿を見せていた。


[2012年2月23日の記事]
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2012-02-23
[愛するあなたへの手紙]
http://youtu.be/X9lqYo9OjMM



島倉千代子という人生 (新潮文庫)

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  • 作者: 田勢 康弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 文庫



島倉家―これが私の遺言

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  • 作者: 島倉 千代子
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2005/02
  • メディア: 単行本



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作曲家・櫻田誠一さんの「お別れの会」に北島三郎、大月みやこ、佐々木新一ら約300人が出席 [訃報]

◆北島三郎の「北の漁場」や大月みやこの「女の駅」など数々のヒット曲で知られ、今年3月19日に急性骨髄性白血病で亡くなった作曲家・櫻田誠一さん(享年76)=元キングレコード専属作曲家=の「お別れの会」が、2012年6月6日、東京都千代田区のホテルニューオータニで行われた。


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故櫻田誠一さん


 故人と縁が深かった北島三郎をはじめ、大月みやこ、大津美子、佐々木新一、原田悠里ら演歌歌手、作曲家・伊藤雪彦、同・水森英夫、同・叶弦大ら約300人が出席した。一人ひとりが祭壇に飾られた櫻田さんの元気だったころの笑顔が印象的な遺影を見ながら献花し、故人をしのんだ。

 歌手で唯一の内弟子だった佐々木新一は「昭和38年に櫻田先生と同じ出身地の青森から夜汽車に乗って上京しました。デビュー曲と2枚目のシングルは売れませんでしたが、3枚目の『あの娘たずねて』がミリオンヒットになり、続く『君が好きだよ』も大ヒットしましたが、『あの娘たずねて』がなかったら今の佐々木新一はいなかったわけですから、僕にとってまさに恩師で誇りです」と、旅立ちを惜しんだ。

「女の駅」の大ヒットで知られる大月みやこは「先生と直接にお付き合いさせていただいたのは、レコード大賞の最優秀歌唱賞をいただいた『女の駅』からです。以来、ゴルフやお酒を飲んだりと、親しくさせていただきました。いつもニコニコして温かくシャイな方でした。ダイナミックでどんとしている曲風が私はとても好きで、先生からは、歌にどんと構え、自分の道を見つけなさいと教わりました」と涙ぐんだ。

 「北の漁場」の大ヒットを歌った北島三郎は「原田悠里が櫻田先生のところで修行させていただいたことから、兄弟のような付き合いをさせて頂きました。先生と呼ぶのを嫌がったので、誠ちゃんと呼んでいました。独特のメロディーを作る人で、これからたくさんいい曲を書いてくれたはずと思うと、演歌の泉が一つ止まったようで寂しいです」と話していた。     
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歌手花村菊江(日本コロムビア)さんが死去 「潮来花嫁さん」が大ヒット [訃報]

花村菊江.jpg◆日本コロムビアの歌手、花村菊江(はなむら・きくえ、本名・伊藤幸子=いとう・さちこ)さんが2011(昭和23)年9月29日、東京都内の病院で、くも膜下出血のため死去した。73歳だった。
 通夜、葬儀は近親者で済ませており、お別れ会などは未定だ。
 喪主は長女の理恵さん。


 1938年(昭和13)5月20日生まれで、昭和30年に第6回コロムビア全国歌謡コンクールで入賞し、コロムビア専属歌手になり、翌31年に「いつも貴方のことばかり」でデビューした。
 昭和35年に出した「潮来花嫁さん」が大ヒットし、その年と翌36年にNHK紅白歌合戦に連続出場した。映画やドラマでも活躍した。






 平成17年10月15日には茨城県潮来市の<水郷いたこ大使>に就任していたほか、最近まで積極的にコンサートなどの活動をしていた。
 代表曲には「花の奴さん」「潮来花嫁さん」「潮来の雨」「木曽の花嫁さん」「下田夜曲」「船頭可愛や」「ひなげし小唄」「オホーツクの海」「しあわせだから」「おんな無法松」などがある。






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昭和を代表する歌手、二葉あき子さん死去  「フランチェスカの鐘」などが大ヒット [訃報]

二葉あきこ.jpg◆1948(昭和23)年の大ヒット曲「フランチェスカの鐘」などで知られた昭和前半の歌謡界を代表する歌手、二葉あき子さん(ふたば・あきこ=本名・加藤芳江 かとうよしえ=日本コロムビア所属歌手)が、2011年8月16日、午前3時30分 急性心不全で広島市内の養護施設で死去した。96歳だった。
 告別式は18日、斎場で親族のみで行う。喪主は孫の加藤英紀さん。








 二葉さんは、1915(大正4年)2月2日、広島で生まれた。
 絵画や書に優れ、画家を夢見たこともあったが、広島高女5年の時にその歌唱力と美声を認めた音楽教師の勧めもあって、東京音楽学校(現東京芸大)を目指した。ボール紙に書いた鍵盤でピアノを練習したなど、わずか100日の受験勉強で合格したというエピソードもある。

 在学中東京音楽学校生徒名で「四つ葉のクローバー」をレコーディングしている。
 上野音校師範科卒業後、1年間、三次高女での義務教職を終えてコロムビア専属歌手となった。母の里で生誕の地、広島市の二葉と安芸の国から「二葉あき子」を芸名にした。

 デビュー曲は昭和11年の「愛の揺籃」。
 初ヒットは今も仙台七夕の定番曲として親しまれている「ミス仙台」だ。
 低音から高音まで安定した歌唱力とビロードの歌声と言われた柔らかい美声により戦前戦中戦後にかけ最も多くのヒット曲を輩出し、昭和歌謡界前期を代表する歌手とされている。
 NHK紅白歌合戦も、第1回から10回まで連続出場し、第6回には「バラのルムバ」でトリを務めている。この頃、のど自慢で女性上級者は二葉作品が試金石であった。

 昭和18年に結婚して1児をもうけたが、私生活は順調とは言えなかった。
 45(昭和20)年8月6日、広島市で乗車していた列車がトンネル内に入った時に原爆投下に遭った体験を持つ。

 昭和27年頃から喉を傷め、美しいビロードの声は失われ、失意からの自殺未遂もあったという。
 これによって、ソプラノからアルトへの転換、美声で聞かせる歌手から脱皮して、歌心で聞かせる歌手として活躍した。
 難聴によって歌手活動に障りが出た2003年、ファンとのお別れの会が、公の場での歌唱は最後だった。

 終生童女のようなマイペースで歌手二葉あき子を生きたが、さまざまな人生の闇を体験、修羅の道を歩んだ孤独な女性だったともいえる。
 1982(昭和57)年に紫綬褒章、90(平成2)年には勲四等瑞宝章を受賞している。



 代表曲には、「古き花園」「白蘭の歌」(共唱者・伊東久男) 「お島千太郎旅唄」(同・伊藤)「なつかしの歌声」(同・藤山一郎)「春よいずこ」(同・藤山)「新妻鏡」(同・霧島昇)「めんこい子馬」(同・高橋祐子)「高原の月」(同・霧島)「黒いパイプ」(同・近江俊郎)「別れても」「夜のプラットホーム」「バラのルムバ」「フランチェスカの鐘」「恋の曼珠沙華」「さよならルムバ」「恋のアマリリス」「村の一本橋」「水色のワルツ」「バラと蜜蜂」「巴里の夜」「オリーブの歌」「パダン・パダン」などがある。

 99(平成11)年6月19日、84歳の時にだした「星降るデッキで(三島敏夫)」「パダン・パダン」がラストCDになった。


 同じ日本コロムビアの歌手、舟木一夫さんの話
 「報せを貰ったのが公演終了した時でした。本当に驚きました。
 僕は以前から“おふくろ様”って呼ばせて貰って親しくさせていただいてました。 “おふくろ様”の晩年のコンサートも楽しかったです」

 「芯の強い人で、これだけキャリアのある方でしたから何か達観した境地みたいなものがあるのか、自然体でステージで突然『私、疲れたからハイヒール脱いじゃぉ』って可愛らしく言って楽しく身近なコンサートでした」

 「僕のコンサート終わりに楽屋に訪ねて来られて『私、もう歌えなくなってしまったから故郷に帰ることにした』って言われたことがあって、それが実に潔く、爽やかに何事も無い様なふつうの出来事のようでした。内心は物凄く悩まれたのでしょうが、それを人には見せない、芸人の引き際のすごさを大先輩から教わった思いがあります。“おふくろ様”長い間本当に有り難うございました。ゆっくり、休んでください。合掌」

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