唱歌を歌おう! 「唱歌の学校」で歌う楽しみ教える 14年間歌い続ける90歳代女性も 兵庫・西宮 [音楽教室]
◆ ♪ あかりをつけましょ ぼんぼりに 〜 。誰もが知っている「うれしいひなまつり」(作詞・サトウハチロー、作曲・河村光陽)である。全員が背筋をピーンと伸ばして歌っている。いずれも60歳代以上の女性ばかりだ。最高齢は93歳だという。まったく年齢を感じさせない。兵庫県西宮市の「唱歌の学校」で唱歌を歌う女性たちである。阪神淡路大震災から2年後の1997(平成8)年に、震災で病んだ心のケアになれば、と大阪フィルハーモニー交響楽団などで指揮者を務めた音楽家の泉庄右衛門さん(74歳)が作った。今は開校間もない頃に加入した人たちを含む200人が、歌いたい唱歌を選んで歌っている。
歌は健康の源 皆さん元気に歌い続けている
これをテキストにしています、と泉さんが見せてくれたのは1931(昭和7)年に発刊された教科書「新訂尋常小学唱歌」であった。唱歌の学校ではこれに収められている全162曲を歌い、歌が作られた背景などのエピソードも一緒に学んでいる。
学校は休日の日曜日を除いて毎日開いているが、1人の生徒が授業を受けるのは月に3回、1回は大学の授業と同じ1時間半である。1期2年半をかけて歌う。
「当初はもっと短い期間でしたが、たくさんの歌を歌い切るには長い時間が必要で、少しずつ延ばしてきました」と泉さん。
開校してしばらくは1回の募集に200人ほどが応募してくるといった人気ぶりだった。20年前の阪神淡路大震災では阪神間の文化施設は壊滅状態だったといい、それだけに人々が歌に求める想いは強かったのだろう。
唱歌の学校を紹介する新聞記事を読んで開校4年目に入学したという女性は、大阪・千里から電車を乗り継いで通う。「歌うことは楽しいですが、終わってから皆さんとお茶を飲んでお話しするのがまた心を和ませてくれます」と話す。
授業はとなりの席の人の肩たたきをしあって、まずはリラックスモードに。次は全員が立って、泉さんの妻規子さんのピアノに合わせて「あ〜あ〜あ〜あ〜あ 〜 」などと発声練習である。
「発声練習で声を出すのは鼻腔の通りを良くするなど、それぞれ理由があります」と説明する規子さんは学校の教頭。大阪音楽大学出身で国内外で数々のオペラに出演している。夫婦そろっての音楽家である。
ユーモアを交えた彼女の授業は楽しい。それに魅せられて、長年通い続ける人たちも少なくない。兵庫・川西の84歳の女性は「先生に会いたくて2時間かけて通っています」と話す。
92歳の女性は「規子先生を女性として尊敬しています」と14年間、歌い続けているほどだ。
同じように14年間、神戸・鈴蘭台から1時間近くかけて着物姿で電車に乗って歌いに来るのが、93歳と最高齢の女性。通い始めた時には70代でしたのに・・・と照れ笑いしながら、「京都の尋常小学校時代には苦手だった唱歌を、もういちど最初から歌いたくて来ているんですよ」と話していた。
前列中央の2人が90歳代
尋常小学校の教科書をテキストにするが、今は文化庁などが選んだ「日本の歌百選」からも選んで歌う。
「歌いたい歌はありませんか」。座って指揮棒を振る泉さんが問いかけると、「早春賦」を歌いたいですと返ってきた。
♪ 春は名のみの 風の寒さや ~ で始まる、1913(大正2)年に発表された歌だ。作詞は吉丸一昌、作曲は中田章。ピアノの演奏が始まる前に規子先生が「中田晃さんは『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』『夏の思い出』などで知られた作曲家中田喜直さんのお父さんです。これはモーツアルトの『春への憧れ』の影響を受けた曲で、『知床旅情』も同様です」と教えてくれる。
そうだったんだ。音楽も結構面白いなぁ~なんてことを考えていると「曽崎さん(記者)、歌は・・・」と泉さんが問いかけてきた。
後ずさりして断ると、今度は規子先生が「そんなにビビらなくても」という。すると20人ほどの受講生の女性が一斉に笑いだす。
この教室にいると歳など忘れてしまいそうである。
唱歌の学校心のうた合唱団は、3月16日、宮城県岩沼市の岩沼童謡クラブと一緒に、同県名取市の名取市文化会館中ホールで「阪神淡路大震災20周年・東日本大震災を祈念して 復興コンサート ~ 花と希望と ~ 」を開く。開演午後6時半で、入場は無料。
合同演奏のほか、唱歌の学校心のうた合唱団は「海ほうずきの歌」「早春賦」などの唱歌を歌う予定だ。
唱歌の学校では今、第16期の新入生を募集している。歌が好きなら年齢、性別、経験も一切関係なく誰でも受け入れてくれる。テストもない。入学金は4000円、授業料は3500円。
問い合わせは、〒662-0975 兵庫県西宮市市庭町3-3-1 「唱歌の学校」まで。
Eメール : shouemon@hcc5.bai.ne.jp
歌は健康の源 皆さん元気に歌い続けている
これをテキストにしています、と泉さんが見せてくれたのは1931(昭和7)年に発刊された教科書「新訂尋常小学唱歌」であった。唱歌の学校ではこれに収められている全162曲を歌い、歌が作られた背景などのエピソードも一緒に学んでいる。
学校は休日の日曜日を除いて毎日開いているが、1人の生徒が授業を受けるのは月に3回、1回は大学の授業と同じ1時間半である。1期2年半をかけて歌う。
「当初はもっと短い期間でしたが、たくさんの歌を歌い切るには長い時間が必要で、少しずつ延ばしてきました」と泉さん。
開校してしばらくは1回の募集に200人ほどが応募してくるといった人気ぶりだった。20年前の阪神淡路大震災では阪神間の文化施設は壊滅状態だったといい、それだけに人々が歌に求める想いは強かったのだろう。
唱歌の学校を紹介する新聞記事を読んで開校4年目に入学したという女性は、大阪・千里から電車を乗り継いで通う。「歌うことは楽しいですが、終わってから皆さんとお茶を飲んでお話しするのがまた心を和ませてくれます」と話す。
授業はとなりの席の人の肩たたきをしあって、まずはリラックスモードに。次は全員が立って、泉さんの妻規子さんのピアノに合わせて「あ〜あ〜あ〜あ〜あ 〜 」などと発声練習である。
「発声練習で声を出すのは鼻腔の通りを良くするなど、それぞれ理由があります」と説明する規子さんは学校の教頭。大阪音楽大学出身で国内外で数々のオペラに出演している。夫婦そろっての音楽家である。
ユーモアを交えた彼女の授業は楽しい。それに魅せられて、長年通い続ける人たちも少なくない。兵庫・川西の84歳の女性は「先生に会いたくて2時間かけて通っています」と話す。
92歳の女性は「規子先生を女性として尊敬しています」と14年間、歌い続けているほどだ。
同じように14年間、神戸・鈴蘭台から1時間近くかけて着物姿で電車に乗って歌いに来るのが、93歳と最高齢の女性。通い始めた時には70代でしたのに・・・と照れ笑いしながら、「京都の尋常小学校時代には苦手だった唱歌を、もういちど最初から歌いたくて来ているんですよ」と話していた。
前列中央の2人が90歳代
尋常小学校の教科書をテキストにするが、今は文化庁などが選んだ「日本の歌百選」からも選んで歌う。
「歌いたい歌はありませんか」。座って指揮棒を振る泉さんが問いかけると、「早春賦」を歌いたいですと返ってきた。
♪ 春は名のみの 風の寒さや ~ で始まる、1913(大正2)年に発表された歌だ。作詞は吉丸一昌、作曲は中田章。ピアノの演奏が始まる前に規子先生が「中田晃さんは『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』『夏の思い出』などで知られた作曲家中田喜直さんのお父さんです。これはモーツアルトの『春への憧れ』の影響を受けた曲で、『知床旅情』も同様です」と教えてくれる。
そうだったんだ。音楽も結構面白いなぁ~なんてことを考えていると「曽崎さん(記者)、歌は・・・」と泉さんが問いかけてきた。
後ずさりして断ると、今度は規子先生が「そんなにビビらなくても」という。すると20人ほどの受講生の女性が一斉に笑いだす。
この教室にいると歳など忘れてしまいそうである。
唱歌の学校心のうた合唱団は、3月16日、宮城県岩沼市の岩沼童謡クラブと一緒に、同県名取市の名取市文化会館中ホールで「阪神淡路大震災20周年・東日本大震災を祈念して 復興コンサート ~ 花と希望と ~ 」を開く。開演午後6時半で、入場は無料。
合同演奏のほか、唱歌の学校心のうた合唱団は「海ほうずきの歌」「早春賦」などの唱歌を歌う予定だ。
泉庄右衛門さん(左)と規子さん
唱歌の学校では今、第16期の新入生を募集している。歌が好きなら年齢、性別、経験も一切関係なく誰でも受け入れてくれる。テストもない。入学金は4000円、授業料は3500円。
問い合わせは、〒662-0975 兵庫県西宮市市庭町3-3-1 「唱歌の学校」まで。
Eメール : shouemon@hcc5.bai.ne.jp