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中村泰士 インタビュー  大阪を「歌謡曲の町」にしようよ 1万人で歌う歌謡曲も計画 [インタビュー]

中村泰士.jpg◆大阪・道頓堀にある小さなライブハウスで毎月1回開かれている「道頓堀SUPER歌謡劇場」。ここで毎回ラストソングとして賑やかに歌われるのが、先頃大阪観光局のテーマソングに選定された「大阪ヒューマンランド ~やんか !~ 」である。これを作詞・作曲したのは同歌謡劇場をプロデュースする中村泰士。ちあきなおみの「喝采」(1972年)細川たかしの「北酒場」(1982年)で2度の日本レコード大賞を受賞しているヒットメーカーである。自分にとっての音楽の原点という大阪に居を移して約20年。そこで今、大阪を歌謡曲の聖地にしたいと提唱する。道頓堀SUPER歌謡劇場は通天閣の歌姫、叶麗子を座長に一昨年から始めており、歌謡曲のメッカとしての地盤を築きつつある。年末には1万人で歌謡曲を歌うイベントも計画する。






中村泰士

- 大阪を歌謡曲の聖地にしよう-と提唱されています。そのねらいは。

中村 大阪を歌謡曲の聖地にと確信を持って考えるようになったのは、ホームグラウンドの通天閣歌謡劇場が閉館したことで活動場所を失って失意のどん底にいた通天閣の歌姫と呼ばれていた叶麗子を復活させようと大阪・道頓堀で「道頓堀SUPER歌謡劇場」を始めてからでした。そこのお客さんの顔を見ていて、好きな歌への想いが、歌の作り手や歌い手のそれよりももっと成熟していることを再確認させられたんです。しかも年数が経つにつれて、それはどんどん膨らんで行くんですね。だからこそ我々はもっと聴き手の想いをもっと大事にしてあげた方がいいと思うようになったんです。

 もちろん我々は新曲を配信していかなければならないけれど、今はヒット曲を追っかける時代でもない。そうした想いを歌手たちにどのように 伝えるといいのかと考えた時、「大阪が歌謡曲の聖地」と錦の御旗を立てることが大事だと考えたんです。

- 大阪は「歌謡曲の聖地」という旗を挙げやすい?

中村 大阪特有の人懐っこさは大きいですね。大阪人が音楽と触れあう時に、どーんと入ってきてくれる。そのように身体で理解してくれるのは、東京とは大きく違うところですね。
 それに有り難いことに大阪観光局が大阪観光のスポットに「道頓堀SUPER歌謡劇場」を加えてくれたり、吉本興業がお手伝いしますと言ってくれたこと、さらにはカラオケレインボーの琴平社長の歌謡曲への熱い想いなどが大きな後押しになりましたね。

- 聖地化のために何をするのか。

中村 フェスティバルホールで「大阪歌謡フェスタ」を今年も大々的にやります。2日間で1万人を集めると大きなウェープになります。集客方法、メニューも決まっています。それをお手伝いします。それと今年の暮れには1万人で歌謡曲を大合唱する「1万人の歌謡曲」をやる予定です。50代、60代、70代の人たちに好きな歌謡曲をピックアップしてもらい、それをコーラスができる組曲にします。大阪城ホールを会場にと、今着々と準備を進めています。
 さらに毎月、「道頓堀SUPER歌謡劇場」をやっており、これら三つがうまく絡み合えば、何かが始まるんじゃないかな。吉本興業も歌謡曲のイベントをやってくれるようになれば、大阪は歌謡曲の町として定着するんじゃないかなぁ。


中村泰士 2.jpg- ところで聖地を大阪にこだわるのはなぜですか。

中村 僕は奈良県の知事選に出馬するのがきっかけで東京から関西に戻ったのですが、大阪に住んでみると、やっぱり僕は関西人、大阪の人やなぁとしみじみ感じたんです。少年時代に大阪のミナミで音楽を覚えたことも、僕のこだわる理由の一つですね。服部良一先生が歌謡曲の父として大阪から立ち上げられたという歴史も大きいですよね。

- イベントだけじゃなくアーティストを売り出すとなると、やはり東京じゃないとマイナス面が大きいのではありませんか。

中村 今はインターネット社会であるから1億総歌手だと思っていますし、コンピューターで作詞、作曲ができるから1億総アーティストだとも思っています。YouTubeにアップすれば世界へ広がる時代なので、誰がどこにいようが関係ない時代ですね。誰でも何でも出来る時代です。

 いいものを作って目立つと、メジャーデビューにこだわらなくても、自分でYouTubeなどを使って発信することでやっていける時代が来る。
 今年4月頃にはテレビにも人前にも顔を出さない23歳の沖縄出身の女の子を、僕の作詞作曲の歌謡曲でデビューさせるつもりです。YouTubeだけで発信します。評判が良ければ広がって行きます。実験的ではありますが、歌謡曲の聖地化する中でのいろんなメニューのひとつになります。それを証明していきたい。

- とは言うもののレコード会社は東京にあり東京一極集中の中では障壁も大きくはありませんか。

中村 東京であれ大阪であれ、まず作品ありきだと思っています。大衆の心をつかむ作品を作るのが大前提ですね。それをいろんな形で配信をすることで何十万人、何百万人へと広がりますね。プロとしてはそこを信じるしかない。
 そこで繰り返してはならないのが、音楽を買う層(ターゲット)を絞ったり売れやすいようにすることですね。かつてそうであったように、大衆に媚びてしまうと音楽の形が変わってしまいます。いい曲を発信するという気持が大切です。たまたま作った作品が抜け出る力があればヒット曲も生まれてくる可能性があります。
 その人にライブをやる実力があったり別の要素があって人気者になればスターになって行くでしょう。これからはレコード会社はアーティストに後乗りするようになりますね。それは凄く正常な形だと思っています。


叶麗子3.jpg- 歌謡曲で大阪を元気付けるというか、歌謡曲の聖地化は町おこしにも通じるように思いますね。同じ想いの方も少なくはない?

中村 それぞれに歌謡曲に対する強い想いを持っておられる方はたくさんいらっしゃいますよ。関西では大西ユカリが「平成の歌謡曲を作りたい」と言っていますね。僕も参加していますが、今彼女はオリジナル曲を作って集めているところです。1回作ると3年も4年もそのメニューで歌えるようなステージを作りたいとも言っています。
 ライブ音源、レコーディング音源とアレンジの違う二通りのものが出来あがるので、それを楽しんでもらいたいと考えているようです。
 応援するけれども、同時に一緒にやろうと道頓堀へも誘っています。なんばグランド花月地下にオープンしている多目的劇場「YES THEATER(イエスシアター)」で今年1月に開いた「お出かけ道頓堀SUPER歌謡劇場」には出演してもらいました。道頓堀にもこれからは出演してくれると思いますよ。


通天閣の歌姫叶麗子

■ターゲットを絞らない音楽

- 道頓堀SUPER歌謡劇場は1年が経過しました。評判も高くなってきましたが、今後はどのような方向へ進んでいくのでしょうか。

中村 SUPER歌謡劇場は叶麗子が通天閣歌謡劇場という歌う場所をなくしたことによって彼女の復活を目指して始めたのですが、まずは継続していくことが一番ですね。見に来てもらって楽しい場所ということで十分なんです。たくさんの人に来てもらいたいですが、それ以上に永く継続させたいですね。
 ゲストの顔ぶれでお客さんがたくさん入ったり、少なかったりするのはやめようと言っています。今の小屋が1回120人程度のキャパであり、その小屋がお客さんを持てるようになればいいんです。本来は腕利きの営業マンが集客が必要なのかもしれませんが、今は徐々に口コミで評判を取って行くしかないのかな、と思っています。このところ大分評判が高まってきたような気がします。

道頓堀SUPER歌謡劇場・大阪ヒューマンランド やんか!.jpg
道頓堀SUPER歌謡劇場のラストソングは「大阪ヒューマンランド ~やんか !~ 」で盛り上げる

-  叶麗子さんたちレギュラー出演者がいて、その周りを固めるようにゲストがいる。ゲスト出演者はどのように選んでおられるのでしょうか。

中村 きっちりと歌ってくれる人を一番に考えています。売れてる売れてないに関係なくね。それがお客さんのためなんです。出演者にキャラを前面に出せと言っているのは、叶麗子だけなんです。とにかく歌をしっかりと歌うことに徹してもらいたい。
 たとえばおおい大輔などは舞台慣れしているから、もっとお客に媚びて歌うのかな、と思ってたんですが、ステージに上がるとピッチリと緊張して歌おうとしてくれるんですね。楽屋にいるとよくわかるんですが、そうした緊張感って連鎖反応を起こして、ほかの出演者たちも感じてくれているんです。

- 道頓堀SUPER歌謡劇場への出演希望者も増えているようですね。

中村 確かに多いですね。予算がないので東京から呼ぶことはできませんが、業界の中ではかなり浸透していまして、東京からも出演したいといった声もたくさん届いていますね。出演の条件はただ一点、歌が汚れていなければいいということです。それさえクリアしていれば、無名であろうが有名であろうが出演してもらっています。
 大阪観光局と連携して大阪観光ツアー客を動員しましたし、一般の間でも存在感が高まっていますね。

- 客を飽きさせないステージ構成が特徴ですね。

中村 そこは毎回神経を使っていますね。出演者の個性も違うし歌も違うので、ステージの流れに気を使います。歌を歌ってもらう場所なので、いかに歌をいいタイミングで聴いてもらうかを考えています。構成は毎回出演者の顔ぶれを見てから考えていますが、結構疲れますよ。
 出演者みんなが客を楽しませることを確認できる構成をしたいと心がけています。これからは道頓堀で演歌のストリートパフォーマンスなんかも考えてみたいですね。

- ステージと客席が近くてお客さんが歌い手さんと会話したり、かつての通天閣歌謡劇場の雰囲気そのままに紙テープが飛んだりするあたりは実に大阪っぽいですね。

中村 叶麗子が育った通天閣のファンの人たちが道頓堀に来てくれているので、かなり有り難いと思っています。テープを投げてくれることで、歌い手とお客さんとの距離は一段と近くなるんですね。

中村泰士・大西ユカリ.jpg
大西ユカリ(右)とデュエットする中村泰士

- 最近よく昭和歌謡を懐かしむ声を良く聞きますが、大西ユカリさんたちは平成歌謡を作ろうと言っている。昭和歌謡と平成歌謡の違いはなんでしょうか。

中村 平成歌謡と言っても昭和の臭いのする新しい楽曲を作りたいということだと思います。昭和の歌謡曲を誰も捨てられないんですよね。流れとしては昭和の歌謡曲を継承すると思います。
 歌謡曲全盛期時代から音楽(音源)ビジネスではレコードが売れたんでレコード会社が強くなりました。売れていくのはいいけれど、レコード会社が新曲を出す時に売るターゲットを絞るべきだと言い出したんですね。アイドル全盛の時にそうした風潮が出てきた。企画書に作詞家や作曲家が、ターゲットは何歳から何歳まで、こういう年代の人たちに聴いてもらいたいと書かされるわけです。それって売りやすいのだろうけど、ターゲットにしか売れないんですね。そうじゃなくて、音楽ってもっと不特定多数の人のものだと思うんですよ。

 そこが大きく分かれてきて、今やAKBやエグザエルに至ってはまったくターゲットを絞り込んで、福山雅治桑田佳祐は不特定多数に向かってメッセージを発信しています。彼らは自分で歌作りをするので、やっぱり広いターゲットにメッセージしたいと考えているんるですね。そういった意味では彼らたちの方向のほうが好きなんです。

- 東京時代と大阪時代の曲作りに変化はありますか。

中村 プロダクションとかレコード会社とのしょうもない打合せがないのはいいですね。ただ自分で判断して、これでいいと判断するのは結構難しい面がありますがね。でもまぁ、それはそれで強気でやればいいかな。


- ありがとうございました。




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