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やしまひろみ(日本クラウン)  <CD行商人>が日本クラウンからメジャーデビュー デビュー曲は自らを奮い立たせる「やる気節」 [インタビュー]

やしまひろみ.jpg◆北は北海道、南は九州まで自宅のある静岡県から自家用車を運転して移動する毎日。行く先々で歌ってCDを売る。そんな生活を25年間も続けてきたやしまひろみ。<CD行商人>とさえ言われてきた。使った費用は1億円にもなるという。気が付けば年齢も55歳。「精神的、肉体的、金銭的にも限界」と感じていた時に救いの声をかけたのは、今所属する事務所の社長だった。「2年間死ぬ気で頑張れ、結果が出なければ歌手を辞めろ」。その言葉に背中を押されて晴れて日本クラウンから2016年1月に出した新曲が「やる気節」。5月には大阪発流行歌ライブでも披露している。自分への応援歌でもある新曲だが「日本を明るく元気にできるように、皆さんの心に届く歌を歌っていきます」と、きょうもどこかでハンドルを握っている。





 ♪ 努力七分に運が二分 あとの一分は ~ やるしかないね ~ 。「やる気節」の一節である。詞は作詞家の志賀大介が書いた。それを四方章人が曲を付け、南郷達也が編曲をした。やしまは「これは私のための応援歌でもあります。ファンの方々からは声も明るくなり若返ったようだ、と言って頂いています」と、今までの印象からガラリと変わったことに満足気。


やしまひろみ・やる気節.jpg 「やる気節」は<博多のキャンディーズ>とも呼ばれたという福岡出身の川口三姉妹が1992年にリリースしたもののリバイバル作品。24年も昔の作品だが、今のやしまのために作られていたかのようでもある。

 人一倍の頑張りで25年歌い続けてきた。歌手デビューしてから4台目になるという自家用車で、自宅がある静岡県湖西市を拠点に全国を駆け巡る。サービスエリアで仮眠を取りながらひとり走った距離は、最近4年で25万キロにもなる。
 金銭面では実家からの支援を受けてきたが、年齢も50歳を超え、肉体的・精神的にも限界を感じ始めていた。

 そんな時に「タレントを育てるのが上手い人がいる」と、紹介してもらったのが福岡県の芸能事務所・沢柳企画の沢柳則明社長だった。名古屋から夜行バスに乗って福岡へ通い、歌を続けたいことメジャーになって生活を変えたいと相談をした。沢柳社長からは「まず自分を変えないといけない。そのためには死ぬ気で頑張れ。手助けはするが2年間で結果を出さなければ歌手はやめろ」ということが返ってきた。



 それに奮起したやしまは沢柳から提示された20の楽曲の中から、自分が一番気に入った「やる気節」を選びデモCDを制作した。それを管理する日本クラウンの了解もえることができてメジャーデビューが叶った。
 5月18日は大阪発流行歌ライブに、6月3日には第19回博多演歌まつりにも出演し、ベテラン・人気歌手などにまじって「やる気節」を歌って堂々とメジャー歌手の仲間入りを果たしている。さらに5月には韓国・釜山で開かれたカラオケ大会にゲスト出演している。

 作曲家の弦哲也が去年、音楽生活50周年記念コンサートツアーを開いた。やしまはそれに3会場で出演している。その際に東京の弦の事務所で「『やる気節』で元気な日本を作って下さいね」と励まされた言葉が今も心の中で響いている。


[やしまひろみ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/yashima/whats.html



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金森 明美

やしまひろみさん、有難うございました
by 金森 明美 (2017-03-18 12:54) 

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